将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:アベラールとエロイーズ

   Friday, July 23, 2004 11:15 PM
了解です。了解です。

 前にも書きましたが、メールはたくさんいただくのですが、メルマガに載せられるというものは実にあまりないのですよ。

11082207 はい、確かに私は教えていただきましたが、他のかたがたはご存知ないでしょうからね。それに半分は冗談ですよ。承服しかねるメールっていったいどんなのか楽しみです。

 それから、先生、少し誤解していらっしゃいますね。。私が期待しているのは日本版「アベラールとエロイーズ」ではなく、タイトルをつけるなら「我が青春 闘争と梁山泊の仲間達 その一」「その二 後日談」というようなものです。もちろん恋模様も織り込んでいただきます。

 温泉新聞社ってもしかっすると椎名誠さんが著書のどれかで面接に行って温泉の名簿を熱海に売りにいかされたと書いている会社ではないですか。

 でも、読みなおすと、あまりに誤字が多くてこれまた羞しいです。

 確かに先生にしては少し多かったです。これからの飲み会への期待で気もそぞろかなと思って少し羨ましかったです。

 漢字の読み方ありがとうございます。こういうことを尋ねて気軽に返事をいただけるなんてほんとありがたいです。

   Saturday, July 24, 2004 9:50 AM
Re: 了解です。了解です。


それから、先生、少し誤解していらしゃいますね。。私が期待しているのは日本版「アベラールとエロイーズ」ではなく、タイトルをつけるなら「我が青春 闘争と梁山泊の仲間達 その一」「その二 後日談」というようなものです。もちろん恋模様も織り込んでいただきます。

 あ、なるほど納得です。アベラールという人は、このエロイーズとの愛の書簡も有名なのですが、私は彼の神学の考え方、「唯名論」も好きですね。以下にほんの少しだけ、そのことを書きました。

  ウンベルト・エーコ「薔薇の名前」

 でも「梁山泊」なんていいますと、なんだか懐かしく思いだすことがあります。私たちは、自分の埼玉大学で、今も私たちの後輩が「むつめ祭」という学園祭を運営実行しています。この今も、日本共産党だけとは非和解的な関係をそのまま続けている学園祭です。
 このむつめ祭で、私たちが行くと、必ずたむろして飲んでいるところが、「暴力酒場ひだり」といいます。このむつめ祭の期間だけ開かれる飲み屋です。ここに、私たち大昔の活動家、その後の活動家、大学の職員、先生方なんかが集まっていつも飲んでいます。もう30年以上続いています。この「ひだり」は、とにかく酒があって、料金はとりません。ただ、私たちのカンパで成り立っています。私が学生の頃には、その前に飯場に入って働いていて、その金で酒を購入していたものでした。私が6年のときには、4斗樽を二つ買ったものでした。
 ところで、この私が6年のときは、この「暴力酒場ひだり」だけじゃまずいのではないかという事態がありました。この年は、私たちは、埼玉県関係の国会議員や、県会議員、市会議員等々に寄付を仰ぎ(ただし、もちろん日共は敵ですから、関係ありません)、集めました。でも、それら寄付に応じてくれた方には、このむつめ祭に招待しました。でも、その人たちを「暴力酒場ひだり」に来てもらうのは、まずいのです。ここは、やっぱり私のような馬鹿な元左翼が、ときどき暴力をふるうようなところなんで、自民党の国会議員なんかおいでなるとまずいじゃないですか。それで、こことは別に、同じ学部校舎内なのですが、3階には「ひだり」なんですが、1階に「ブキャランゼルーム『梁山泊』」という店を作りました。実に綺麗なお店で、綺麗な女の子を置いてあります。ここへ行くと、私も紳士のような態度になります。
 今この『梁山泊』が懐かしいのです。活動家の女の子というのは、けっこう美人が多かったので、実に愉しかったのです。
 ただねえ、この『梁山泊』では、みな紳士でも、上の『ひだり』へ行くと、途端に軍歌を唱いだしたりして、ひどい集団になったものでした。

温泉新聞社ってもしかすると椎名誠さんが著書のどれかで面接に行って温泉の名簿を熱海に売りにいかされたと書いている会社ではないですか。

 その通りです。彼の「哀愁の街に霧が降るのだ」に書いてある業界紙です。ただ小説の中では、神田の野菜店の2階になっていますが、事実は魚屋の2階でして、実際の新聞社は、小説で描かれているよりも悲惨でした。
 椎名さんが書かれている「売る本」は「温泉の名簿」ではなく、「東京旅行業者営業所便覧(地図入り)」というものでした。当時東京だけで、やく3千社の旅行業者の営業所があり、観光旅館ホテルは、そこへ、自社のパンフレットを持って営業に行く必要があるわけなんです(これは今も同じでしょうけれど)。それに、便利に使えるので、あの資料は評判は良かったのですよ。だから、椎名さんのやったのは、けっこうそれほど大変ではなかったはずなんです。
 私なんかは、各温泉旅館ホテルの、新聞への広告費を集金に行ったのです。でも、旅館・ホテルの側は、自分のほうから広告を出したという意識をまったく持っていません(そりゃそうですよ、実際に自分からは出していないのが事実なんですから)。
 でもね、集金できなければ、こちらは、飢え死にしちゃうんですよ。なにしろ、月末に5千円だけ渡されて(もう誰も、この5千円しか持っていないのです。何しろ月末で、給料は毎月5日払いだったから、もう金がないのです。すなわち私たちが、集金してこないと、給料は出ないのです。
 もう夜暗くなるころ、温泉街に着きます。交通費と昼飯くらいで、もう5千円はなくなっています。もう集金しないと、飢えるしかないのです。それに野宿するわけにはいきません。
 最初、私は鬼怒川温泉に行ったのですが、行く前に、会社の林君(実は社長が、小林といい、長男が森君といい、次男が林君と言って、みなそこの社員で幹部だった)に、「そうすると、今夜はどこへ泊まったら、いいんですか?」と聞きました。以下その会話です。

 林「行くのは、鬼怒川か、………ああ、どこでも泊まれるよ」
 周「そうすると、幾ら(の料金)で泊まればいいんですか?」
 林「どこでも二四(にいよん)のコミコミだよ」
 周「え、にいよんのコミコミってなんですか?」
 林「バカだな、そんなことも知らないのか。2,400円で、税
  サービス料込みだということだよ」
 周「え、今どき2,400円なんかで泊まれるんですか?」
 林「ばか、どこでも泊まれるよ」
 周「………………………………」
 林「ただし、二四のコミコミと言っても、現金を払うんじゃない
  よ、支払いは、広告費と相殺だ」
 周「えッ! ………………………………」

 当時は安い観光ホテルで、5千円で、税サービス料別という時代でした。それでももう私は出かけます。
 もう暗くなった鬼怒川に着いて、路上番頭の声をはねのけ、まずあるホテルで「温泉新聞ですが、集金に来ました」とはじめます。
 そこではじめて判ります。相手が怒り出す雰囲気が判ります。でも、私はもう逃げるわけには行かないのです。
 かくして、その日はあるホテルで泊まって、ビールを飲んで、しばし考え、翌朝から、また激しい戦いになりました。そして、ほぼ鬼怒川のホテルを軒並みあたり、次は湯西川温泉へ行き、そして次は日光湯元温泉です。ここでまた夜になり、私は「広告費と相殺」で泊まります(ただし、相殺をいうのは、朝支払いの時)。もうこの日まで、結構な金額を集金できていました。
 翌日は、那須温泉。もう山の中を大声で唄いながら歩いていました。また暗くなり泊まります。7月30日に出発したので、もう8月1日です。
 翌日8月2日、今度は塩原温泉です。長い温泉街をひたすら歩きます。もう夜になります。いくつか集金はできましたが、この日はどのホテルも満室で、泊まれるところがありません。中には、「ウチは振り込んでいるよ」という真面目なところもあります。あ、それは塩原ガーデンでした。銀行の振込書を見せてくれました。私は「きょうの、ザイールでの、フォアマン対アリ戦はどうなりました?」なんて聞いたら、そのホテルマンは、「あれはすごい戦いだったよ、アリが勝ったんだよ」なんて興奮して教えてくれたものです。
 でも暗くなった温泉街で不安になった私は、会社に電話しました。どこへ泊まったらいいのか聞くためです。編集長の清水さんが電話に出ました。

 清水「お前今どこだ?」
 周「塩原です。今夜どこへ泊まったらいいのか、困っているんで
  す」
 清水「どこでも泊まれるよ。でもきょうは何日だ、2日じゃない
  か。集金は月末だけでいいよ。もう帰ってこい。適当でいいん
  だよ。それで、どこへ行ったんだ」
 周「鬼怒川から、日光、昨日那須温泉で、今塩原です」
 清水「え、それは一番きついところだよ。それで一体いくら集金
  した」
 周「○○です」
 清水「え、よく、あんなきついところで、それだけ集金できたな。
  もういいよ。帰ってこい」

 かくして、私はもう泊まれそうなところもないので、帰りました。当時住んでいた北浦和へ帰って、すぐ友人と飲み出しました。飲む前に彼女の自宅へ電話して、いろいろと報告しました。
 でも、思えば、どうでもいい思い出話でごめんなさい。昨年温泉新聞の社長が亡くなりまして、温泉新聞もなくなりましたから、「もう書いてもいいかな」なんてところなものですから、今後書いていこうと思っているんです。
 この温泉新聞での同僚のことを以下に書いてあります。

 川尻久夫さんのこと

漢字の読み方ありがとうございます。こういうことを尋ねて気軽に返事をいただけるなんてほんとありがたいです。

 漢字の読みに関しては、西郷南洲のことは、タモリのトリビアでそのまま出されていました。帰宅したら、次女が「西郷隆盛って…………………なんだって。知っていた」というから、「知っているよ、…………って話だろう」と私も次々と話したものでした。娘二人にはいつも、「その話、トリビアに出してよ、面白いよ」といわれる話を、私はいつも娘たちにしていますよ。萩原周二
(第212号 2004.09.06)

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 私がちょうど1月31日より、私的な手紙に関しまして和紙で手紙を書くようになりまして、昨日夜で136通目の手紙をポストに入れました。もちろん、ビジネス上では文書は印字していくつも送っていますが、これは私的な文書をその相手本人に送っているものです。
 一番多くの手紙を書いているのは、私の娘二人あてです。娘二人には各14通の手紙を書いています。すべて違う和紙で書いています。ただし、ほぼ手紙の数はA41枚ですね。他の方には、数枚書いている方も多いです。多い方は5、6枚書いています。思えば、私も一体何を書いているんでしょうね。思えば、自分がパソコンで書いているわけですから、読み直してみれば、何を書いているのか判るわけなんですが。
 でも思うのですが、私は女性に手紙を書くほうがいいのですね。もちろん、男性の友人にも手紙を書いていますが、男性のほうが少し緊張してしまうのです。女性のほうがかなり楽な気持で書いていけます。
 私の姪や、姪の子どもたちにも書いています。姪のみーねえの息子たちは、今中1と小4です。すぐにケータイメールの返事をくれました。とっても嬉しかったです。
 私の孫のポコ汰も早く字が読めるようにならないかなあ。
 そうですね、きのうある方に書いた手紙に私は次のようなことを書きました。

 でもね、この和紙を使って出した手紙を、「こんなに高い(値段のこと)用紙でもったいない」なんていう人がいました。もう私は信じられないのですね。はっきりいえば、それこそ安価な用紙でも手紙は出さないし、無料に限りなく近いメールもケータイメールも出さない人なのですから。
 こんな今よりも、もっと紙を使うこと、手紙を出すことが高価だった時代にも、アベラールとエロイーズは手紙をやりとりしたし、阿仏尼は「十六夜日記」を書いたのです。それを今になって私たちが、どんなに男女の手紙のやりとりが大事なものか、年老いた阿仏尼が街道を旅しながら、文書を書いていくことの大切さを知ることができるのです。

 私の姪のみーねえの二人の息子たちも、私がこうして手紙を書いてくることを、「パソコンをよく使えるおじさんだからこそ、こうして頼りをくれる」と思っていてくれることでしょう。それは本当にその通りなのです。そしていつも二人のことを私が思い出していてくれる、その私の娘、おはぎとブルータスのことも(この二人の子たちは、二人のおねえさんと思っているのです)、そしておはぎの子どものポコ汰のことも、いつも思い出してくれているでしょう。それがとっても嬉しいのです。
 私はこの二人にケータイメールも出します。私の娘たちもケータイメールで交換しているようです。やがては、私のポコ汰もそれに加わります。
 思えば、早くポコ汰にも手紙を書いたり、ケータイメールを出したりできるときになってほしいものです。

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f04fed7b.jpg ちょっと前に、私の母宛てに手紙を書きました。この手紙は私のブログにハンドル名等に替えてUPしています。いや、母にだけではなく、長女と次女にも手紙を書いています。まあ、今はこうしてパソコンが使えるから楽なんですね。「アベラールとエロイーズ」の書簡集なんか読むと、あの頃は手で書くんだから大変だったろうなと思います。今もこうしてパソコンが使えるからこそ、実に楽でいいですね。もっと手紙を書かなくちゃな、と思っています。あ、でもケータイメールもあるのになんで手紙なのかなと今考えました。あ、そうか。(5/11)
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 私の メール苦手だから の2塾長のブログ さんから次のコメントをいただきました。

1. Posted by 本山 俊光    2006年09月27日 10:47
 TBありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
 わたしの記事の中の、「コミニュケーションが取れている2人なら」の部分ですが、元記事の文面を見てみると、メールを滅多に返さない彼女とのやり取りが面白く書かれていましたね。
 私はその場面を思い浮かべてみましたが、なんともいえず、クスリと笑ってしまいました。
 このカップルの場合、2人のコミニュケーションのツールがメールだけであったなら、返信も滞りがちの彼女と交際が長続きするはずがないなと思いました。にもかかわらず、交際を続けているようなので、きっと、毎日デートしたり、電話でやり取りしたりしながら交際を続けているのだなと感じました。

2. Posted by 本山 俊光    2006年09月27日 10:48
最近は携帯電話といっても電話の機能よりもメール機能を重視しているかたが多くいらっしゃるように聞いております。(私自身は携帯電話を持っておりませんが)
 そんな中で、2人の会話?をメールで済ませることなしに、実際に会ったり、電話で肉声を聞いたりして交際を続けているのだろうなと推測できましたので、「そういう彼女にめぐり合ったのは幸せだよ」という文面になったわけです。
 お解り頂けたでしょうか。
 では、末筆になりましたが、これからもよろしくどうぞ。

 了解しました。丁寧にありがとうございます。

 私はですね、ちょうど先週の木曜日に、私のクライアントの経理の女性と仕事のあと、飲んでいました。彼女は3人の男の子がいまして、私は2人の女の子です。
 その息子たち娘たちとのケータイメールの話になりました。彼らはメールどころか電話もかけてこないようです。長男の方は、就職して仙台に独りで住んでいるのに、お母さんには全然連絡しないのですね。
 そのときに、私はケータイメールで頻繁に連絡していることをいいました。もちろん、この彼女とも仕事上でも、その他のことでもケータイメールでやりとりしていますよ。
 それで、でも彼女は、私よりも10歳年下なのですが、つい「こうしてパソコンやケータイでメールなんて言っても、私はあまりこういうのに向いていないの」なんていいますので、私はついつい酒の勢いもありまして、喋りました。

 司馬遷が、いかに竹簡にあの膨大な「史記」を書いていったことなのか。屈原の「楚辞」は実はもともと、岩を穿って書かれていたものだということ。司馬遷がこの歴史書を書いたことは、そもそも彼が宮刑にあってしまった事件にあり、それは李陵が匈奴に屈したことが(司馬遷はそれを武帝の前で普通に擁護した。ほぼ李陵のことを彼は知らなかったわけだが)、理由になっている。その李陵と、匈奴によって19年間シベリアに抑留された蘇武が出会って二人で作った詩がいい。「アベラールとエロイーズ」の書簡がどうしていいのか。「十六夜日記」は鎌倉時代に60歳近くの女性が土地の訴訟で、播磨から鎌倉までの旅行記だが、これがなぜいいのか。
 あともう一つ話しましたが、ようするに、みな実に大変だったけれど、やり抜いたのです。当時の手段で、懸命に記したのです。

 もしももしも、これらの時代にケータイメールがあったら、彼ら彼女たちは、もっとたくさんのものを私たちに残してくれたはずです。だから、こんな便利で楽な手段はもっと使うべきなのです。司馬遷の前で、私は頭が下がるばかりです。

 そんな思いの中で、私は、このカップルもケータイメールで二人の愛を確認できているのはいいと思ったのです。
 私は、妻とはほぼ会話がありません。でも、ケータイメールを交わすことによって、どうやらこれが二人の愛になっている気がしています。

 若い二人が、普段会って、愛をたしかめたくさんお喋りしたとしても、また電話をするだろうし、そしてまたケータイメールを求めるのも私にはよく判る気持なのです。

 本山さん、ありがとうございました。
 あのですね。私も昔学習塾(といいますよりも進学教室でした)をやっていましたよ。あの頃の生徒たちをよく思い浮かべています。

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 私が昨日書きました「メール苦手だから」なのですが、彼氏彼女に言われた悲しいセリフメール苦手だから を読みましたら、次のトラックバックがありました。

 内容は笑い話ですが、個人的には、メールしなくてもコミニュケーションが取れている2人なら、なにもメールでのやり取りにこだわる必要はないと思いますよ。(これは「塾長のブログ」というサイトでした)

 ええと、私はこの言う意味が判らないのですね。「コミニュケーションが取れている2人なら」ということなんですが、その前提が問題でしょう。この確認のためにいろいろな手段があるんではないですか。それがメールだったり、実際に電話することだったり、手紙だったりするわけです。
 私は今、ケータイメールを20日で200通出しています。妻と娘二人と、私のクライアントの社長やそのスタッフにです。
 電話もこちらからは、Skypeでやっていますが、電話だと相手がいないことも多いの(ケータイでも相手が出られない場も多いのです)で、どうしてもケータイメールが多くなります。
 前には、手紙を多用していました。今でもビジネス上での大切な手紙は、簡易書留で出すことが多いです。

 昔も私は毎日電話していました。学生のときと大学を出たばかりのときはアパートに電話がなかったので、公衆電話で毎日かけていました。
 またその昔、府中刑務所の独房にいたときも、週3回3日、一日2通の手紙を、すべて出していました(ただし、制限があって、便せん3枚までだった)。

 メールにしても手紙にしても、相手からの返信がなければ、「コミニュケーションが取れている」か否かは、判断できないと思いますよ。
 だから、やはり私は「やり取り」にこだわります。「アベラールとエロイーズ」の書簡集(註)も、互いの手紙のやりとりがあったから、今も読まれているのだと思いますよ。

(註)この「アベラールとエロイーズ」の書簡集のことは、以下で少し書いています。

ウンベルト・エーコ「薔薇の名前」
 アベラルドゥルス(フランス名アベラール)の唯名論とは、神の存在の問題でした(周は勝手にいいすぎているかもしれないよ)。神が存在するのは、存在しないより存在するほうがいいのだから存在するのだという傾向があります(そら、周はいいすぎだ)。それが彼が弾圧を受けるもとだったのですが、もう一つの事件があります。彼は有名なエロイーズとの恋のことがあり、それがために反対派に襲われて、去勢されてしまうという目に会い、そののちエロイーズとは会うことのできないように二人とも幽閉されてしまいます。この幽閉された二人の間に交わされた書翰が「アベラールとエロイーズの愛の書翰集」なわけですが、このアベラールが受けた不幸な出来事が、エロイーズの書翰でも、愛の言葉の中で、あからさまに指摘されています。

    メール苦手だから の2 へのコメント へ続く

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 私の 新商品 自分の顔が切手に将門のnewsing に掲載しましたところ、herbstさんから次のコメントをいただきました。

"ケータイで話すよりも、ケータイメールが確実ですね"というのが信じられない。 まぁ手紙なんてよっぽど書かないな。たぶん書いたことがないのかもしれない。

 私には、このコメントの内容こそ、驚きです。「うーん、そんな人もいるんだ」という驚きです。
 まず私はケータイメールはほぼ20日で200通を出しています。妻や娘とだけでなく、ビジネス上でも生活の上でも、非常に便利に使っています。ビジネス上では、ケータイメールでテキストで確実に送受信しないと、困るでしょう。私はけっこう登記上のことなんか、このケータイメールで相手と確認していますよ。
 でもでも、それ以上に驚いたのは、手紙を書かないということですが、これはまた驚きです。私はちょうど今高校時代の友人に手紙を出そうとしているところですが、でも手紙というのは実に躊躇してしまいます。でもとにかく、書きますよ。
 でも印字して、切手貼って、それをポストに出して、というのが面倒だなあ。でもメールなんかやっていない友人ですから、仕方ありません。

 私はちょうど21歳のときに、手紙をある女性に1年に200通出しました。そしてね、実は手紙に貼る切手の裏にも書いたんだよなあ。
 でも今は、それ以上の数をケータイメールしていますからね。
 やはり、自分の意思を相手に伝える手段が、より便利なものになればいいのだと思うのですね。
 アベラールとエロイーズの書簡集は、二人とも隔離された中で、交わされたもので、読むと大変に書いてある内容に涙してしまうのですが(とくにエロイーズさんの手紙の内容には、驚いちゃいますよ。アベラールは彼女に聖書の研究を勧めますが)、でもでも読んでみて、その交わされた手紙の数の少なさには、驚いてしまいます。
「十六夜日記」は鎌倉時代にある女性が、播磨から鎌倉へ向かうときの日記です。これもまたよく書かれているのですが、もしも今のようにケータイでブログに書くことができたら、もっとたくさんのことを残してくれたでしょうね。
 でもね、どんな時代での、そのときの自分の思いを、テキストなりで残すことが大事だと私は思うのですね。

 私はケータイでブログもおおいに書いていますが、これが21歳のときなら、もっといろいろなことを書いていたでしょうね。

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