将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:ウクライナ人

11101305 13日に私は、文教大学父母教の役員会に行くために北柏に行きました。ホームの柏駅のほうに行きましたら、驚くほど大きな女性の声が聞えます。そしてそれは外国語であり、よく聴いていきますと、どうもロシア語です。そしてそれを喋っているのが、金髪の細身の美人でした。彼女は、信じられないくらい大きな声で、携帯電話に向かって怒り狂っています。誰もが驚いて彼女を見ています。彼女はそのまま電車に乗り(電車の中では携帯は止めました)、次の柏駅で降りて、また歩きながら大声で携帯に向かって怒っていました。色の白いスタイルのよい美人なのですが、もう地獄の底から聞えるような声で怒っていました、みな驚いて彼女を振り返っていました。
 私は、「やっぱり、ロシアってのは貧しいから、携帯の使い方も知らないんだろうな」なんて思いで彼女を見ていました。
 でも彼女を見ていまして、「あ、彼女のような金髪の美人に会ったことがあったな」と思いだしたことがあります。

 たしか、昨年11月の最後の頃です。ゴールデン街のある店で飲んでいましたら、金髪の圧倒的美女とその連れ(この人は日本人)がきました。ロシア語と日本語混ぜて二人で話していました。なんだか彼女は、最初からロシアの悪口ばかり滔々と述べています。それで、私が話しかけましたら、彼女は自分はウクライナ人だといいます。私はウクライナといえば、コサックの故郷で、大きな河として、ドン河、ドニエプル河があること、それくらいしか知らないなといいました。そうすると、彼女は隣にいるウォトカをただ飲んでいる酔っぱらいがそれだけのことを知っていることに驚いていました。
 それで、私は「何のかんの言っても、ウクライナはロシアを羨ましく思っているんだろうな」なんて思いで、意地悪な気持になりました。(ようするに、ウクライナ人も結局は豊かなロシアの都会で生活したいと思っているのサ)

  あの、ウクライナを代表する文学者って、誰なんですか?

なんて言いますと、彼女は「日本にまで知られた作家はいない」といいます。

  それなら、あなたが好きな作家は誰なの?

と聞きます。彼女が考え込んでいるので、私は

  あなたの嫌いなロシアの作家だけれど、私はチェーホフが好き
  だな

といいました。彼女もチェーホフが好きだといいます。ウクライナでもよく読まれている作家だといいます。それで、私は

  あなたの嫌いなロシアの作家だけれど、私が好きなのは

と言って、さらに、ソルジェニーツィン、ドストエフスキー、プーシキン、それにツルゲーネフをあげました。彼女もみな好きな作家だといいます。
 さらに私は、

  私が嫌いだというと、オストロフスキーかな

なんてつけくわえます。彼女も納得のようです。
 それで私はいいます。

  でもサ、みんなあなたの嫌いなロシアの作家じゃないの(ほん
  とうに、周は嫌な奴だね)

 私には、なにか私の知らないウクライナの作家名を教えてくれるかと思っていたのですが、それがないので、つい皮肉を言いたくなったのです。
 それから彼女は、

  ロシアは、ウクライナ固有の領土である○○を奪おうとしている

というように言い、この「○○」には「ヤルタのあるところ?」というと、そうだといいます。クリミア半島のことですね。私は、

  でも、ロシアにしてもあそこには血を流しているからね。セバ
  ストポリの攻防(露土戦争のときに、ロシア対トルコ・イギリス・
  フランスが戦った)で、ロシア人は実に大変に血を流したでしょ
  う。

 これで、また彼女は「なんでそんなことまで知っているのだ」と驚いて、その隣の男性は、「ゴールデン街はインテリが多いから」なんていう馬鹿な解説をしています。私は、「旅順攻防戦の前の大規模な攻城戦と言ったら、セバストポリじゃないか」なんていう思いでいました。
 ただ、その頃になって、私はその色白の金髪の美女を見ているうちに、また別な金髪の美女を思いだしていました。

 昨年の11月2日のことです。私は埼玉大学のむつめ祭の、「暴力酒場ひだり」で飲んでいました。前日から飲み続けで、翌日の昼2時過ぎです。さすがにこの時間になると、また飲んべいが集まってきます。それで、突如後輩が、金髪の美女を連れて入ってきました。埼大の留学生だということで、ポーランドの金髪の美人でした。「埼大で何をやっているの?」という問いに、「芥川龍之介の研究をやっている」といいます。
 私は「外人なら、芥川なんんかやるなよ。『源氏物語』にでもしろよ」なんて思いながら、次の話をしました。

  芥川龍之介のことで

でも、こうした芥川、久米正雄、菊地寛の思いの細かいことなんか、彼女には判りようがないようです。
 それで、私は言いました。

  芥川には、いわばお母さんが4人いるんだよね。

 彼女は、ハッとして、

  いえ、母親は3人だと言えると思うんですが

といいます。そこで私はまた一人一人をあげて、「これで4名じゃないの」といいます。
 そして私は、今度はポーランドの歴史で、ロシア=エカテリナ2世、オーストリア=マリアテレサ、プロイセン=フリードリッヒ大王による分割占領(これは当事者はいろいろですが18世紀後半に3度分割されています)されていることをあげ、私がポーランドに親近感を抱いていることをいいました。ナポレオンによるワルシャワ大公国のこともいいました。私は目の前の美人を、

  ナポレオンが愛したポーランド人マリア・ヴァレフスカって、
  こんな美女だっったのかな

なんて思いでいました。
 さらに私は、「連帯」のワレサが好きだったこと、ワレサの言われた内容、この「連帯」にまさしく連帯してストをしたアメリカ・デトロイトのポーランド系労働組合のことをいいました。
 彼女は、私がワレサのことを言い出したら、

  ワレサなんて、私の子どもの頃の人だ、なんで、あなたはそん
  な昔の話を知っているんだ

と驚いていました。

 しかし、こうして美女と会っても、私は次第に酒で訳が判らなくなってしまうのですね。今度機会があったら、もっとちゃんとお話しよう。

11031602  チェーホフ一家が1888年夏から、バカンスを過ごすのがウクライナ領のハリコフ県スムィでした。その町の郊外にこのアレクサンドラ・リントワリョーワの広大な領地がありました。
 このアレクサンドラ・ワシーリエヴナ・リントワリョーワ(1833〜1909)がいて、ここにチェーホフとほぼ同年代の三姉妹と二人の兄弟がいました。長女ジナイーダ(1857〜91)、次女エレーナ(1859〜1922)、三女ナターリア(1863〜1943)です。
 チェーホフは、三女・末娘のナターリアに一番手紙を書いています。彼女は小ロシア語とウクライナ語をこよなく愛する人でした。私はこの彼女を知って初めて、「ウクライナ語」という言語があることを正式に知りました。
 いやおそらく同じロシア語の中の方言みたいなものかと思っていたものです。数年前にゴールデン街でロシアを悪くばかりいう金髪の美女がいまして、よく聞いてみたら、「私はウクライナ人だ」と言っていたものでした。
 手紙を書くのはいいな。私もまた手紙を書きます。(2011.03.16)

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