将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:オーソレミオ

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 私はこう書いていました。

 ソーラン節か。私も北海道にいるときに聞いたものです。

 でも私が昔一番聴きましたのは、「江刺追分」です。私の好きな三橋美智也も唄っていました。私はLP版の三橋美智也の「江刺追分」を持っていました。兄莞爾からもらったものでした。「江刺追分」はまた兄が必ず唄う歌でした。兄は詩吟の会で、宴会のときに、「また詩吟」ではつまらないと考えたものなのでしょう。
 それと私が属しました詩吟の会の栖山流吟道会の宴会では必ず宗家の兄萩原荘雲(莞爾)はオーソレミオ(O sole mio)をやりました。これはもともとの国誠流吟道会宗家でありました荒国誠が日米戦争の前はニューヨークカーネギーホールに出演したことのあるオペラ歌手だったことがあります。宗家の荒国誠先生は(私もこの国誠流に属していました)、この「オーソレミオ」と「帰れソレントへ(Torna a Surriento)」を歌ってくれたものでした。
 以下この「オーソレミオ」と「帰れソレントへ」の歌詞を書いていきましょう。

オーソレミオ(ミーオ)O sole mio
(ナポリ歌曲/君の瞳に輝く僕だけの太陽)15010810
 Che bella cosa na jurnata 'e sole,
 n'aria serena doppo na tempesta
Pe' ll'aria fresca pare gia` na festa
Che bella cosa na jurnata 'e sole

Ma n'atu sole, cchiu` bello, oi ne',
'o sole mio, sta nfronte a te!
'o sole, 'o sole mio!
sta nfronte a te!
sta nfronte a te!

(訳)
 素晴らしきかな 太陽輝く一日
 嵐の後の爽やかな空気
 休日にそよ吹く新鮮な空気
 素晴らしきかな 太陽輝く一日

 更に美しいのは
 もう一つの私の太陽
君の瞳に輝く僕だけの太陽
君の瞳に輝く
君の瞳に輝く

帰れソレントへTorna a Surriento
(ナポリ歌曲/君は言った「私は行くわ、さようなら」)15010811
 Vide ‘o mare quant’e bello,
Spira tantu sentimento,
Comme tu a chi tiene mente,
Ca scetato ‘o faie sunna.

Guarda, gua’, chistu ciardino;
Siente, sie’ sti sciure arance:
Nu profumo accussi fino
Dinto ‘o core se ne va…

E tu dice: "I’ parto, addio!"
T’alluntane da stu core…
Da sta terra de l’ammore…
Tiene ‘o core ‘e nun turna?

Ma nun me lassa,
Nun darme stu turmiento!
Torna a Surriento,
famme campa!

美しい海 感傷をさそう
君の優しき囁き 夢の中へいざなう

軽やかな風は オレンジの香りを運び
その芳しさは 恋心に沁みる

「私は行くわ、さようなら」君は言った
僕の恋心を見捨て
僕の気持ちを置き去りにして

行かないでくれ
これ以上僕を苦しめないでくれ
ソレントへ帰って来てくれ
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 こうして書いていきますと、国誠先生と兄萩原荘雲の歌声を思い出してきます。私も歌わなきゃいけないな。
 画像は三橋美智也と「ベニス市内を行くゴンドラ」と「ソレントの眺望」です。最後(この上の画像はたんほほです)はこのサイドバーのPhotoBox YASからいいだきました。

2018102602 

私がいつも読んでいますナミちゃんのブログこれから都内」にでま〜す♪ というUPの中に次のようにありました。

次男のやんが「ねぇーマリア・カラスって何人?」と聞いてきます。
私・・教養がなくてお恥ですが「知らなあ〜いい。フランスかなぁ」
ソプラノ歌手ですよね?クラッシクの女王だったかな?
いい加減な知識ですいません・

それでマリア・カラスのことなら704e6b18.jpg、もちろん私の好きな歌手といっていいですから、余計なことですが、以下のようなコメントを書きました。

ギリシア系のイタリアンオペラ歌手と言っていいんじゃないかな。私のもともとの詩吟の宗家である荒國誠先生は、オペラ歌手だったもので(戦前にニュヨークのカーネギーホールで歌ったことがあります)、イタリアの歌手は私もよく親しく聞いていたものです。國誠先生は、実に見事なテナー歌手でした。イタリアのテナー歌手のデル・モナコ、ジョゼッペ・ステファーノのカンツーオーネもよく聞いたものです。國誠先生も「オーソレミオ」、「帰れソレントへ」もよく歌ってくれたものでした。

今、荒國誠先生のカンツーオーネの声を思い出しました。また先生の葬儀のあった青山葬儀場で、会場に流れていた、広瀬武夫「正気歌」の吟を思い出しました。デル・モナコ、ジョゼッペ・ディ・ステファーノの歌も思い出せば、よくレコードで聞いていたものです。
思えば、私もずうずうしくよく唄ったものでしたね。いえね、七言絶句を吟うと、二つ詠うとすると、いくらなんでも次はまったく違う歌にしないと、聞いているほうは飽きちゃうでしょう。だから、私はよくオーソレミオ」を唄うのでした。
ナミちゃんが、私のコメントに次のようなレスをくれています。

周さんの声ってすご〜くピンピン張っていて綺麗ですよね。高音がとても綺麗だったなと思い出しています。詩吟の宗家の先生がテナー歌手だったとは詩吟と声楽の発声は共通するものがあるのでしょうか。

思えば、私は学生のときから詩吟はやっていましたが、他大学の学生活動家だと、詩吟だと右翼だと思い込んじゃう人がいるんですね。つい昔、唐牛眞喜子さんを中心として昔の活動家が集まる忘年会で、私が詩吟をやったら、早稲田の元活動家の高橋伴明さんが、「右翼はなぐらなくちゃ」とそばに来るし、私の関西のシンパ層も身構えたりして(眞喜子さんの説明で判ったようです。そしてそれ以来私は伴明さんの映画は必ず見ています)、さらに日学同の新右翼の人は、私を仲間だと勘違い(これが見沢知廉さんでした)いたりしたものでした。

あのそれで、詩吟とテナー歌手だったことは関係はありません。ただ、もともと荒國誠先生が始められた「國誠流」という詩吟は、そもそも「強吟」を強く主張しています。もともと幕末に多く詠われていた吟じ方と聞いています。荒國誠先生は、本来は米国でオペラ歌手になるために勉強をしていた方です。そして自分では琵琶を教えていました。また、メキシコとの国境近くで開拓の仕事もやっていたと聞いています。
ところが、そこで不幸にした始まったのが、日米戦争です。それで米国では、日系人を収容所に入れるという、やってはいけないことをしました(これは今米国はこのことを真剣に謝っています)。それで荒先生が入った収容所がカルフォルニアのマハトバの収容所でした。この中で荒先生は、昔福島県(先生は、この県出身です)で習ったことのある詩吟をみんなの前で始めました。これが「國誠流」の始まりです。だから、「國誠流」というのは、日本よりも、米国やカナダのほうが組織が大きいのです。

その先生に教わっていた私が、70年当時、日本の新左翼活動家だと知ったときは、荒先生はどんなに驚かれたことでしょうか。でも先生は、逮捕勾留されている私のことも、懸命に大事にしてくれていました。
もう荒先生に会うことはできませんが、あの先生の詩吟を忘れることはありません。そしてお酒を飲まれて(お酒の好きな先生でした)、いつもカンツーオーネを歌われる先生は、また素晴らしかったものでした。
この先生の吟を今もやっているのが、私の兄である萩原荘雲のやっております 栖山流吟道会 です。

まあ、いつか私が死ぬときには、必ずこの荒先生に会うことができるだろうと私は信じています。

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