SHIROのポメラ日記 に 以下のUPがありました。

   [子どもと携帯電話]出前講座「中学生と携帯電話」
   [子どもと携帯電話]本当に来て欲しい親は…

 そして次の言葉におおいに頷いていました。

e0bf94e9.jpg「負けないのが大事なのではない。負けたり失敗したりしながら、自分の人生を大切に生きることが大切」

「今は生涯学習の時代で、勉強は一生続く。高校や大学で人生が決まる訳じゃない。勉強したいと思った時が勉強する時」

 私は、「携帯電話を学校へ持ってきてはいけない」とか言い出す前に、こうしたケータイに関する学ぶ場が学校で必要だと思います。
 少し前までは、学校でもパソコンに関する論議がありました。もうパソコンが駄目だという論議がものすごくありました。でも、もはやそうしたことはなくなったようです。それにパソコンを使えない私たちの世代は、もう学校を去っている段階です。
 それが今はケータイなのでしょうね。私の姪(兄の娘)の二人の息子は、今中1と小4ですが、二人ともケータイを持っています。それで私にもケータイメールをくれます。
 私はこの二人にも和紙の手紙を書いています。二人は、私が常にパソコンを使っているから、こうして手紙も書くんだと思っているはずです。

 思い出します。私の娘が中学生の頃、その中学へ行くと、パソコン教室があり、パソコンが一クラスの人数分30台とプリンタが15台列んでいました。でもその教室には鍵が常時かけられており、外から見る私には、ただただ綺麗に整然と機器がならんでいただけです。
 そうですね。その頃もよくお酒を私が買っていました我孫子の春日やさんでは、店内にあるパソコンのキードードをみんなが手あかがついて黒くなるまで店主さんが許さなかったようです。これは実に正しいことです。綺麗に整然として、誰もその部屋に入れないなんて、もうどうしようもないことです。

 思い出せば、その頃のパソコンの授業のテストがありまして、それはたしかMS−DOSの用語が列んでいたかと思います(もうくだらないから覚えていないよ)。私は「こんなのパパはできないよ。こんなのペーパーテストでできる必要ないよ。実際に手でパソコンが操作できることが大事なんだ」と言ったものです。
 二人も娘も、そんなテストのくだらなさを判っていました。でも、そういうテストでも満点を取る子がいるようでした。ものすごい記憶力です。
 私が、ある授業でやっていた環境問題のことで(私が見学しました)、「参考になればいいと思いました」と各新聞のその環境問題に関する記事をA4用紙に10数枚プリントして娘から、その先生へあげたことがあります。ぜひパソコンで、こういう記事を画面上で見られることを知れば、生徒たちは、パソコンとインターネットの有意義さと環境問題への深刻さが少しは判ると思ったのでした。
 でもその先生からかえってきたのは、もちろん感謝の声もありましたが、まず第一に「お父さんがわざわざこれを打ってくれたのか?」ということでした。私はもうあきれかえったことを、よく覚えています。
 でもこれは1992年のことです。もうそれから17年が経過しているのです。でも今度はケータイでも同じなのでしょうね。パソコンに関して、あれほど反感を持っていたとしか思えない人たち(やその同類者とその後輩たち)が、今はケータイにも同じ目を向けているのです。

 私は圧倒的に学生運動(というか革命運動のつもりでしたが)をやっていましたが、その時代の仲間友人たちも、今はほぼパソコンには苦手意識ばかりで、インターネットにも精通しようとはしません。ましてこのケータイも同じです。携帯は、あくまで電話で会話する道具だと思っていまして、インターネットで調べものをしたり、ケータイメールで会話するなんて、思いもよらないようです。
 むしろ学生運動もやならかった人たちのほうが、けっこうやってくれています。60代後半、70代、80代の方がやってくれていることが、私には大変に嬉しいです。それらの年代の方ともケータイで交信できることは、私には嬉しいものです。

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