将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:ゲーテ

13053008 この「野ばら」は、ゲーテの詩に、シューベルトやウェルナーが曲をつけたものです。日本語の訳詩は近藤朔風です。

童(わらべ)は見たり
野中の ばら
清らに咲ける
その色 愛(め)でつ
飽(あ)かず ながむ
紅(くれない)におう
野中の ばら

手折(たお)りて行(ゆ)かん
野中のばら
手折らば手折れ
思い出ぐさに
君を刺さん
紅(くれない)におう
野中の ばら

童は折りぬ
野中の ばら
手折りてあわれ
清らの色香
永久(とわ)にあせぬ
紅(くれない)におう
野中の ばら

 それでもとの詩は以下の通りです。

レースライン アウフ デァ ハイデン
Roslein auf der Heiden,
ヴァール ゾー ユング ウント モルゲン シェーン
war so jung und morgen schon,
リーフ エァ シュネル エス ナー ツー ゼィーン
lief er schnell, es nah zu seh’n,
ザース ミット フィーレン フロイデン
sah's mit vielen Freuden.
レースライン レースライン レースライン ロート
Roslein, Roslein, Roslein rot,
レースライン アウフ デァ ハイデン
Roslein auf der Heiden.
   
クナーベ シュプラッハ イヒ ブレッヒェ ディヒ
Knabe sprach: ich breche dich, 
レースライン アウフ デァ ハイデン
Roslein auf der Heiden!
レースライン シュプラッハ イヒ シュテッヒェ ディヒ
Roslein sprach: ich steche dich,
ダス ドゥー エィーヴィヒ デンクスト アン ミッヒ13053103
das du ewig denkst an mich,
ウント イッヒ ヴィルス ニヒト ライデン
und ich will's nicht leiden.
レースライン レースライン レースライン ロート
Roslein, Roslein, Roslein rot,
レースライン アウフ デァ ハイデン
Roslein auf der Heiden.
   
ウント デァ ヴィルデ クナーベ ブラッハ
Und der wilde Knabe brach
ス レースライン アウフ デァ ハイデン
's Roslein auf der Heiden.
レースライン ヴェィールテ ズィヒ ウント シュタッハ
Roslein wehrte sich und stach,
ハルフ イーン ドホー カイン ヴェィ ウント アッハ
half ihn doch kein Weh und Ach,
ムゥスト エス エィーベン ライデン
must' es eben leiden.
レースライン レースライン レースライン ロート
Roslein, Roslein, Roslein rot,
レースライン アウフ デァ ハイデン
Roslein auf der Heiden.

 これを訳されたものが以下です。

    野ばら
少年が小さなばらを見つけた
野に咲く小さなばら
みずみずしく さわやかで美しかった
間近で見ようと駆け寄って
嬉しさいっぱいで見とれた
小さなバラ 小さなバラ 小さな赤いバラ
野に咲く小さなバラ

少年は言った 「お前を折るよ、
野に咲く小さなバラよ」
小さなバラは言った 「私はあなたを刺します
あなたが私のことをいつまでも忘れぬように
そして私は傷ついたりしないつもり」
小さなバラ 小さなバラ 小さな赤いバラ
野に咲く小さなバラ

それなのに乱暴な少年は折ってしまった、
野に咲く小さなバラ
小さなバラは自ら防ぎ、刺した
苦痛や嘆きも彼には通じず
それは折られてしまうとは
小さなバラ 小さなバラ 小さな赤いバラ
野に咲く小さなバラ

 以上は、
  http://homepage2.nifty.com/densho3362/music/nobarawerner.htm
   野ばら−ウェルナー

から引用したものです。
 私は以下に書いているのですが、

  ゲーテについてのある推理(1998.06.17)

13053104 この野ばら言われる女性は、フリーデリケ・ブリオンだと思っています。彼女は「ファウスト」でのフェウストが恋するグレートヒュンのことだと思っています(グレートヒュンとはゲーテの初恋の女性ですが、この「フェウスト」では本当はフリーデリケのことだと私は思います)。
 この野ばらの近藤朔風の訳詩のようにではなく、ゲーテは本当に、このフリーデリケを傷つけてしまったのです。だから彼はこのフリ−デリケに贖罪しているのがこの詩だと思うのですね。

曲名  野なかの薔薇
訳詞  近藤朔風
作曲  ウェルナー

一 童は見たり 野なかの薔薇
  清らに咲ける その色愛でつ
  飽かずながむ
  紅におう 野なかの薔薇
二 手折て行かん 野なかの薔薇
  手折らば手折れ 思出ぐさに
  君を刺さん
  紅におう 野なかの薔薇
三 童は折りぬ 野なかの薔薇
  折られてあわれ 清らの色香
  永久(とわ)にあせぬ
  紅におう 野なかの薔薇
         (明治四二年)

12052604 この歌の原詩はゲーテですが、訳者によって随分と違うものになってしまうように思います。それにしても、この曲によりこの詩として一番親しまれてきたかと思います。
 曲の方は、シューベルトの曲もあって、その二つの曲の違いをたしか中学校の音楽の先生がピアノを弾いて私たちに唱わせて教えてくれたように思います。
 ドイツで古くから歌われている民謡というような趣もある曲だなと思っています。私は無理やりに、この詩の薔薇を数多いゲーテの恋人たちの中の誰かななんて考えてしまいます。野なかに咲いているのですから、やっぱりフリーデリケ・ブリオンかななどど想像してしまいます。私はゲーテの数多い恋人たちのなかで、このフリーデリケが一番好きなのです。(1998.11.01)

12041723 私は、いつもこのブログも書いているのですが、昔からインターネット上のホームページのときも、その昔はパソコン通信のときにも、けっこう量を書いていました。でもあくまで「量」なので、「質」は実に悲しいほどありません。
 でもツイッターで、ある人に次のように言われました。

 ツイッターはこの短いテキストで言いたいことを言うツールなのです。周さんのような長文派にはむかないかもしれません。でも、慣れるとこの短さがいいのですよ

ということなのですが、実はこれは私には面白くありません。これでは私が何か「長文派」というような派閥のようではありませんか。
 かつ私はわざわざ長い文章を書いているわけではありません。
 ゲーテの有名な言葉に「今日は忙しかったから短い手紙を書けなかった」というのがあるのですが、芥川龍之介にも同じような文章があったかと思います。
 私はツイッターで、次のように書きました。

  いや別に私は「長文派」でもないよ。『「書き言葉」と「話し言葉」』では、『書き言葉』派といえるかもしれないけれど。

 そうなのです。

11021302 私はゲーテが中学生のときから好きでした。思えば『ファウスト』は何度読み直したことでしょうか。それで『ファウスト』も好きなのですが、私は『ウィルヘルムマイステル』も好きなのです。
 でもこの小説の『修業時代』は、中に『ミニヨン」の話や『美しき魂の告白』などがあり、また内容も実に親しい思いで理解しやすかったものでしたが、『遍歴時代』は、当時の私にはどうにも理解しにくいものでした。いやその後の私でも同じでした。
 でも、昨日(2010.12.25)突如以下のように考えることによって、この『遍歴時代』も実に私にも少し判ってきた思いがするのです。

 この二つの物語は、吉本(吉本隆明)さんのいう、『往相と環相』のことなのです。だから、この『遍歴時代』は、環相(げんそう)のことが書かれている小説なのですね。吉本(吉本隆明)さんの言葉を抜書きします。

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 ひとたびそこに達して、愚者というものを捉え、自からも愚者になりさがっていく過程。知識が往相を歩き尽くしたときに、再びその地点から愚者を捉える、いわば帰る過程がある。(「親鸞について」1972大谷大学学園祭実行委員会主催講演 「知の岸辺へ」1976.9弓立社に収録された)

 吉本さんはこの環相の過程に到達しているのだろうかと思う。この愚者とは「大衆」ということなのだろう。しかし環相の行き着くところは、もうひとつは現実的には吉本さんの死でもあるようにも思えるわけで、はやく私も往相を極めたい。(『吉本隆明鈔集』より)
  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 なんだか、こうしてやっと私にもゲーテの『ウィルヘルム・マイステル』が判ってきたのかなあ、と思えたものでした。

 実は、私のすぐそばに置いてあるのが、この「ゲーテ『ウィルヘルム・マイステル』」なのです。2年くらい前から、何度も読もうとして挫折しています。よく中学生のときは読み通せたものです。(2011.02.13)

a6c95b62.jpg

 先週17日読んだ「齋藤孝『「読む・書く・話す」を一瞬でモノにする技術』」を読んでいまして、もちろん、気になる箇所・気に行ったところを、私はそのページの下辺を折ります。
 でも、私がとても気になったのは、ゲーテがシラーについて書いているところでした。でもでも情けない私は、そのページがどこだか判らなくなりました。
 でも私はそのあと、「茂木健一郎『脳を活かす生活塾』」も読んでいましたので、「あ、こっちだったかなあ?」と探していました。でも見つかりません。
 でもでも、昨日の夜見付けました。そしてちゃんとページの下辺は折ってありました。もう私は今度はそのページ全体を折りました。
 そこには、次のようなことが書いてありました。

 つねに、新たな考えを羽ばたかせるために情報をひきよせ、取り込んでいくという姿勢を持とう。そうでなければ、情報をいくら集めても意味はない。
「あれほどのすぐれた人が、その実、何の役にも立たない哲学的な思考方法に骨身をけずったことを思うと、悲しくなるよ」
 これは、ゲーテが親友、シラーを語った言葉だ。親友だからこそ、かくも辛辣なのだろうが、うなづけるところはある。

 私はこれを読みましたときにショックでした。それで私が読みましたシラーの作品を思い出しました。私が読んだのは、以下の作品です。

『群盗』『たくらみと恋』『ドン・カルロス』『ヴァレンシュタイン三部作』『オルレアンの乙女』『メッシーナの花嫁』『ヴィルヘルム・テル』

 それに太宰治『走れメロス』の元になった詩も読みました。だんだん思い出していくと、『ヴィルヘルム・テル』は中2のときに読んでいるんだなあ。
 それでその他は、すべて21歳になったばかりの1969年4月に府中刑務所の中で読んでいます。でもでも、ここに齋藤孝さんが書かれているようなことは、一瞬も思いませんでした。
 ただ、私はこの内容にショックを受けるだけではなく、ちゃんと自分でも自分の持つ姿勢を明らかにしていこうと深く考えました。

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68096291.jpg 昨日は午前から昼も大変に暖かだったのですが、夕方から大変に寒く風が吹きましたね。いつもこうして風が強いと、「疾風怒濤」という言葉を思い出します。いえいえ、私はゲーテが好きなのですね。ああ、この言葉は高橋健二さんの言葉なのでしたね。いや思えば、日本だけでなく、ドイツでもこの時期が風が強いのかなあ。
 写真は昨日昼12時20分すぎに歩いた江古田の街の隅にあったお花です。今はどの街を歩いても、こうしたお花を見つけます。(02/17)

f7edc64e.jpg 少し前に、郵便局に用があって、そのときに今年の1月31日から出していました手紙の301通目をポストに入れました。娘二人には各30通をを超えています。そのほか、10通を超える方は何人もいます。
 ただし、私が困っているのは、プリントする和紙の種類があまりないことです。でもこれは仕方ないのかな。もっと手紙等々をプリントする人が増えてくれば、多くなるのでしょうがね。
 私もビジネス上の印刷物は、普通のコピー用紙にプリントしていますが、私的な手紙だけは、こうして和紙に印刷しています。相手もこれのほうが楽しいだろうと思うからです。
 思えば、欧米人は随分前からタイプライターで印字してきていました。私たちがパソコンで印刷したのとは、どのくらいの日時の差があるのでしょうか。
 もう欧米人はかなり前からタイプライターで印字しています。欧米の作家なんかみんなそうですね。でもナポレオンは自筆で書いていますし、ゲーテのあの長い小説の『ウィルヘルム・マイステル』もペンで書いていたはずです。
 でも、マーク・トウェインはタイプライターで書いていました。そうすると、日本人とは7、80年の差なのかなあ。
 とにかく、もっと印刷できる和紙が増えてほしいものです。
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 私がもう15年以上前に書いた文章に次があります。

93-04-14 周の文学歴史散歩3「ゲーテ記念館」
 ただ私はこのゲーテ記念館へ来て、まったく誤解していたことを初めて知りました。これは良かった。中学2年のころから間違って思い込んでいたわけです。
 ゲーテの「ファウスト」において、第1部で出てくるファウストの恋人はグレートヒェンです。彼女は第2部の最後に神との約束に勝ったとするメフィストフェレスと悪魔たちに薔薇の花を投げて、ファウストを天上に連れていきます。私はこの女性が何故グレートヒェンなのかが不思議でした。グレートヒェンという女性はゲーテ14歳のときの初恋の女性です。ゲーテより3歳年上でした。私がどうにも好きになれない嫌な女です。なんで、こんな嫌な女が「ファウスト」の最後に出て来てファウストを救うのだろうと思っていたのです。しかし、ゲーテ記念館の解説読んで分かりました。あの「ファウスト」のグレートヒェンとは、実際のゲーテ初恋のグレートヒェンではなく、私が一番好きなフリーデリケだったのです。ゲーテはやはりこの少女が一番好きだったし、贖罪の意識ももっていたのでしょうか。ただ作中の名前だけをグレートヒェンにしただけなのです。これで、第1部での彼女の叫びなどが、分かりました。あれはフリーデリケの叫びなのですね。
 私はこのことだけを知っただけで、なんだかとても嬉しくなり安心しました。いままでなんだか悲しい顔したフリーデリケだけだったのが、なんだかこれで救われた気がします。フリーデリケの頬が少し薔薇色になった思いがしました。

 これは私のホームページ内の、周の文学哲学歴史話 に書いている以下の中の一部です。

  http://shomon.net/bun/reki5.htm#goethe ゲーテについてのある推理

 このことを、私は昨日、周の雑読備忘録「牧原純『北ホテル48号室ーチェーホフと女性たち』」 に書いた、このチェーホフに関する女性たちを思うときに、私はまたゲーテの生涯の恋人だと私が考えていますフリーデリケのことを思い出していたのです。

 またチェーホフをめぐる女性たちのこともちゃんと記しておかないといけないな、私がまたここで、ちゃんと把握しておきたいと考えたものでした。

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高村光太郎
 さきほど、私の義弟からメールがありました。私の孫が生まれたことへ「おめでとう」もありましたが、他の用もありまして、それは重要なので、私は印字しました。
 それが私がプリンタに置いてあるヤレ紙の上に印字したのですが、私がメモしたあとがありました。私の妻が、「あれ、これ何書いているの?」という言葉があり、初めて思い出したのです。そのメモには、「シラー、○○」と書いてありました(今またこのメモがないので、○○がなんだったか判らない。「群盗」と「ワレンシュタイン」ではなく、別な言葉だと思うんだがなあ)。

 それは私の今朝のことです。私はまた夢を見ていました。いつも私はそれを「夢の中の日常」に書いておきたいのですが、いつも忘れてしまいます。だから、朝起きたときに、少しでもメモしておいて、書き出せば明確に思い出してこれるのです。
 私が朝思い出したのは、ゲーテに関する夢と、シラーに関する夢です。しかもその夢はまったく別々な夢でした。私はゲーテはかなり読んできていますが、シラーはその作品をひととおりに読んだだけなのです。
 でも、シラーの夢を見た思いが鮮明にあり、そしてその直前にはゲーテの夢を見ていました。だから、「これは、ちゃんと書き残そう」と思って、そのメモを起きたときに書きました。
 でもすぐに、自分の孫のことで電話があり、そのことでもういっぱいになってしまいました。

 その後夜になって、私のメモを妻にいわれて、「あっ」と鮮明に思い出しました。
 でももっとちゃんと思い出すべきですね。

 ただ、その思い出すことの最初に、こうして、これだけをまず書いて置きます。

 なんとなく、「シラーって、ゲーテの親友としてではなく、明確に大きく存在しているんだなあ」なんていうことを夢の中で感じていたことは今鮮明に思い出せます。

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06071402 まっくまっくすっごく混んでいて観れなかったよぉ〜がありました。さいたまスーパーアリーナで開催されている大ナポレオン展に行ってきた報告です。7月16日までやっています。
 たしか今回は最初は東京富士美術館、次に大江戸博物館でやっていましたね。

 大ナポレオン展が日本で開催されたのは、最初は1966年で、東京日本橋三越でした。その後1980年代にも開催されたと思いました。私はどちらも見に行きましたものです。最初は私が高校3年生のときでしたね。
「大ナポレオン」というのは、もう一人のナポレオン、甥のナポレオン3世がいるからです。ちなみにナポレオン2世というのは、ナポレオンとマリア・ルイズとの間に生まれた子どもで、1832年7月22日 肺結核で21歳で亡くなっています。
 そうねえ、ナポレオン4世という人もいるんですよ。

 フランスはもうずっと共和制ですが、王制帝政を望む人もいるらしくて、それらの方が、あげる王家というのが、ブルボン家系統、オルレアン家系統と、そしてこのナポレオン家系統があるそうです。

 私はこの大ナポレオン、ナポレオン・ボナパルトがずっと好きでした。今も大好きですよ。「孫子」を常に座右に置いていた戦略家ですからね。私がずっと好きでした存在でした。ナポレオンに関する本は、何冊もずっと読んできたものです。
 ナポレオンのいくつもの言葉が大好きなのですが、そうですね、今思い浮かびましたのは、以下の言葉です。いえ、我孫子の自宅に帰らないと、本を手にすることができませんので、私のホームページ上にある言葉なのですが。

 一遠征計画を立てるとき、予以上の小心なるものはいないであろう。予は凡ゆる危険を過度に大きく思い、凡ゆる状況を不利に見る。そのときの興奮は極度に達する。これ予の周囲の人々に全く愉快そうな顔をしたことのない所以である。
 然し、一度決したるときは、今までのことを全部忘れ、ただ一途に如何にして、その決心を実行すべきやを考えるのみである。
(ナポレオン・ボナパルト)

 私が常に座右にしている言葉です。

 それと、ナポレオンがゲーテを好きだったことも、これまた私にはいい思いを抱くところです。ナポレオンは「若きウェルテルの悩み」を17回読破したということです。そしてドイツのエルフルトという街で、ナポレオンはゲーテと会っています。
 ゲーテもたびたびナポレオンについて書いていますね。

 私が東大闘争で逮捕勾留されて、府中刑務所に勾留されていたときに、独房には1冊のノートが渡されます。何を書いてもいいのですが(もちろん、「これは駄目だ」という規則はありますよ)、普通には日記を書くわけでしょう。
 そこに私はいくつものことを書きましたが(例えば私は、「三太郎の日記」「三太郎の日記補遺」の詳細なことを書きました)、その3分の1は、このナポレオンに関する思いを書いているのです。
 私はこのときに、岩波文庫の「孫子」も差し入れてもらいまして、すべて手で書き抜いたものでしたが、そのときに、「ナポレオンは、この『孫子』を読んでいながら、なんで敗北したのかな、やはり読み込めていなかったのかな?」なんて思っていたものです。

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57a0ae24.jpg 必ずコメントに対してはレスをしようと考えていましたが、今になってしまいました。申し訳ありません。毎日なんやかやとありまして、ただただ追われるような気持で、私に余裕がないためだと想います。
 これから各コメントにレスを致します。
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