将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:ジョージ・オーウェル

13051903 私が漱石と英語のことでで、次のように書いていました。

あの先生はジョージ・オーウェルの「アニマルファーム」をベンギンブックスで読んでくれたものでした。

 思い出せば、このオーウェルの「動物農場(アニマルファーム)」は、少年マガジンで連載されていました。動物農場では老マルクス役の老豚が亡くなるときに、三つの遺言(法律になったのかなあ)を残します。その一つが「動物は決して服を着ない」というのがありました。
 だが人間に勝利して、この農場から人間を追い出すのですが、そのあとこの遺言の条項が書き換えられてしまいます。たしか動物には服を着てしまうものも現れてしまうのです。それがスターリンなのでしょうね。私はスターリンは大嫌いですが、でも反スターリン主義などと声高にいう連中こそ信用できません。
 思えば、私はジョージ・オーウェルで何を読んだかなあ。この「動物農場(アニマルファーム)」のほかは、『カタロニア讃歌』『1984年』と、あとオーウェルが若いときに、住んでいたビルマのことを書いたいくつもの短編がありました。
 もうオーウェルを読むこともないのかなあ。

12061008 まだ6時になる前なのに、これを書くのでリビングへ行きました。

2012/06/12 05:07このポメラは6時を過ぎてから書くと決めていたような気がします。6時までは自分の部屋でパソコンで何かを書いているのですが(たとえば「周の歌集」など)、なんだかやることがなくなった思いで、リビングへ来て、日経新聞を読みました。
 今日の「黒書院の六兵衛」は、読んでいても最後の六兵衛の判断は違うのではないかなあ。的矢六兵衛が動いたのは違うことをやるのではないかなあ。
 その上の「文化往来」の「ブラッドベリ死去、詩情の中に米国の風土」というのですが、私は要するに、読み込めていなかったのだろうな。「ジュール・ヴェルヌがぼくの父親であった。H・G・ウェルズがぼくの賢明なる伯父さんであった」というのはよくわかります。でも私には「華氏451度」は「ジョージ・オーウェル『1984年』」と並んで、私には少しも面白くないSFなんですがね。いや人間の未来を描いてもつまらないのかなあ。いやいや、ただただ未来を暗く描きすぎなような気がします。ただし、私は読んでいて「つまらないな。あまり面白くないな」とは思っても、これらの小説は評価しますよ。
 33面に「首都圏」という読みものに、「東京下町、範囲どこまで」という記事があります。これの「下町は時代と共に範囲を広げた」という地図がありますが、それでは私の今住む、北区王子のあたりは「現在までに加わった下町」には入らないのですね。墨田川の対岸のたとえば新田(しんでん)なんか下町になっているのですが。「そうか、俺のところなんか下町にも入れないのか」なんて言っていました。

 下町でもない、北区王子や北区豊島は何になるのかなあ。

11042115書 名 上海の長い夜(上下2巻)
著 者 鄭念(ていねん)
訳 者 篠原成子、吉本晋一郎
発行所 原書房

  この本も読みはじめたら、たちどころに読まねばならない感じです。主人公がどうなってしまうのかという思いで、一気に最後のページまで至ってしまいました。いろいろなことを考えました。吉本(吉本隆明)さんの「アジア的」ということ、「収容所群島」をはじめとするソルジェニーツィンの数々の作品。それにジョージ・オーウェル「1984年」を思い出しました。

  日本でどれくらいの人がソルジェニーツィンを読んでいるのでしょうか。「収容所群島」においてはかなりなことがあきらかにされています。人類史上はじめて人間を解放するものと考えられたものが、逆に史上最大の陰惨な大衆弾圧と殺戮の場となってしまった。そしてそれは従来考えていたように、スターリンにその責任があるのではなく、レーニンの中にこそその根源があるということが述べられています。ソルジェニーツィンはレーニンの出したたくさんの指示文書の中からそれを抜き出しています。私も読んで「え、レーニンがこんなことまでいっているのか」と驚いたものです。そしてそのレーニンの犯した誤謬とは、吉本さんのいう「アジア的」な問題と、国家の捉え方によるのだろうと思うのです。アジアの巨大な専制政治の残忍さと

  国家はある階級がある階級を支配するため暴力装置

というマルクス国家論の間違えた捉え方レーニン「国家と革命」によると思われます。随分大昔にテレビで見たのですが、ソルジェニーツィンは内村剛介の問いかけにこう答えていました。

 内村「ではスターリンではなく、レーニンにその問題があったの
   でしょうか」
 ソルジェニーツィン「いやレーニンに帰せられるものはほとんど
          ありません。悪いのはマルクスです」

友人と一緒に見ていて、私たちは声をあげて笑ったものでした。
 私は吉本さんが「アジア的ということ」という文の中でソルジェニーツィンを引用しているところを読んで、随分と納得できたものです。しかしそれにしてもソルジェニーツィンをこうして読み込めるのはまたしても吉本さんだけなのかもしれません。

 そしてこの「上海の長い夜」なのですが、まさしくこれらのことのすべてが提示されているように思いました。これは中国の文化大革命で作者の実体験が書かれています。彼女を弾圧取り調べする側からはいつも「国家はある階級がある階級を抑圧する道具である」というレーニンの言葉が、レーニン亜流の毛沢東の言葉がしばしば出されてきます。したがって彼女を拘置している刑務所は、昔は国民党が共産党を抑留していたのだが、今はこうしてプロレタリアがブルジョワ階級を抑留しているのが当然というわけです。しかしこの国家論はいまでもこの日本でもたくさんの党派がたくさんの人が信奉しています。「愛国心教育」などどはずかしげもなくいう、共産主義者とやらがいますからね。
「祖国と学問のために」なんていう機関紙だしているのは一体だれだろう。
 国家に期待してしまっているたくさんの人たちがいます。数々の政治献金等々の問題で検察が駄目だと非難する輩、国鉄が民営化されることに反対していた連中、みんな国家に期待しています。国家と資本が対立すると、やはり国家を支持してしまう人たち、いったい何なのでしょうか。
 この作者は最後は国を棄てます。そうなんです。彼女に対して国は何をやったのでしょうか。一人娘を殺し、彼女を6年半収容所に抑留しただけです。文化大革命のときほど、大衆が政治に夢中になった時代もないでしょう。そんな事態は最低の時代なのです。選挙のときに投票率が圧倒的に高いところなんかは、私はけっしていいところだとは思わないわけなのです。

「1984年」で描かれている世界は、この「上海の長い夜」の世界です。やはりジョージ・オーウェルの予想した未来社会は本当にあったのですね。「1984年」の主人公の仕事は、昨日まで敵国や味方であった国が、その逆になると、あらゆる記録文書を逆に作り替えたりすることです。 この「上海の長い夜」でも、文革の最初は、劉少奇、トウ小平が批判され、やがて「非孔非林」ということで、林彪派が失脚、周恩来も「非孔」という名目で狙われます。そして最後は「四人組逮捕」で、今度はまた江青以下が批判される。そのたびに中国の民衆は、それぞれ誰もが最初から悪かったというのを覚えさせられ、スローガンを叫ばねばならない。まったく「1984年」の世界です。
 作者が中国を出る決意をするのは、やはり無実が証明されたとしても、もうこの国家そのものが信用できなかったのだと思います。

  私自身が祖国に忠実でありたいと懸命になったことは、神様は
 ご存知でいらっしゃる。それにしても、私は失敗した……………
 それが私自身の落ち度によるものではなかったが。

 彼女がカナダやアメリカに落ち着いたときの気持を想像できます。あの全体主義の中からやっと抜け出せたのですから。そして私は考えたのです。日本がこんな国になったとしたら、私はどこへ逃げ出せるのだろうかと。やはりそうならないように、日々生きていくべきなのでしょうね。
 それにしても、できたらこの本が中国語に翻訳され、たくさんの中国の人に読まれることを願います。(1998.11.01)

11021303 この新しい年の初めに、こんな暗い小説を紹介して申し訳ないです(これは当初2010年1月1日に書きました)。でもいつかは、この小説のことを書かないとならないと思っていました。
 私はこのオーウェルの『動物農場』の英文は高校2年のときに読みました。私は高校1年の夏に鹿児島から横浜の高校へ転校してきたときから、夜には、京浜急行の日の出町というところの山手英学院というところに週3回通っていました。
 その中で、英文解釈の授業で、この作者の「Animal Farm」を読みました。いつか(私が大学生になってからかな)『少年マガジン』で漫画になったこともありました。
 それで私は高校3年のときに、ペンギンブックス(だったかなあ?)で、この同じ作者のこの『1984年』を読み出しました。まだ日本では翻訳されてはいなかったのです。
 でもでも、もうこの小説は、内容が暗くて暗くて辛すぎて、途中で読むのをやめたのを思い出します。その後大学生になって、この『1984年』が翻訳され、早川書房の『世界SF全集』に入れられました。それで私は読んだものでした。
 世界が、米国とソ連と中国に大別されています(これは私周がいうだけ。原作では、オセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つに分けられています)。主人公ウィンストン・スミスは、私はチャーチルをモデルにしているのではと思いました。
  このスミスの国オセアニアには、「偉大な兄弟」がいます(実は存在しているかどうかは不明です)。みな人民は彼を恐れ尊敬しています。モデルはスターリンです。そしてみんなが憎んでいるはずなのがゴールドスタインです。これもまた実際に存在しているかはわからないのです。これはもちろん、モデルはトロツキーです。
 私は実際に、この未来にある1984年を怖がっていました。実はオーウェルはこの作品を書いた1948年の4と8をただ逆にしただけのことだったようです(それなら、そのことを早く教えてくれという思いです。私は実に1984年を恐れていたのですから。でもこれでは私の阿呆さを暴露するだけでした)。
 でもその未来に来るはずの1984年は、私がパソコンに初めて手を触れてまったく違う新しい年になったときでした(私はもちろん、もっと前にオフコンには手を触れてはいましたが)。大きく世界は変っていくのですが、それは共産主義・スターリンによってではないということを感じたものでした。(2011.02.13)

11010305  何年か前のバルセロナオリンピックをテレビで見ているときに、私がいつも思い出していたことがあります。それは、スペイン革命であり、ジョージ・オーウェル『カタロニア讃歌』です。
 この本は私たちが学生のころは必読文献でした。だけど今本棚を探してもありませんでした。誰かに貸したままなのでしょう。たしか誰かに差入れしたこともありました。そのときに神保町三省堂で、バルセロナオリンピックにあわせてカタロニアやスペイン関係の本を大量に展示販売していたことがありました。そのときに、この「カタロニア賛歌」も学生のときに読んだ本ではなく、岩波文庫本で一番前においてありました。それを見て私は、妙になつかしくそしてなにかやりきれない気持ちになったものです。

書 名 カタロニア讃歌
著 者 ジョージ・オーウェル
訳 者 都築忠七
発行所 岩波文庫

 ゴールデン街のよくいく店でお会いしていた笹本さんという方が、何年か前に亡くなりました。まだ47歳でした。彼はアナキストなんです。飲んでいるとそんな素振りは全然見せないのですが、根っからのアナキストでした。彼は亡くなる寸前まで、スペイン革命に関したことをやっておられました。「スペインにおけるCNT①」という本をだされ、さらに継続して出版されようとしていた。(註CNTとは、スペインにおけるアナキスト系の全国労働連盟。勿論スペイン革命の時代)
 その笹本さんの追悼会が亡くなられた年の確か8月、新宿の花園神社社務所で開かれました。そのときはさまざまな方が参加しましたが、私はいろいろ驚いたものです。かなりなおとしよりのアナキストがたくさん参加されており、「日本にこんな昔からアナキストがいたのかな」なんて思ったものです。「私が地下に潜ったのが昭和10年のことで、それ以降15年潜行し…………」なんて話す白髪の女性がいたりするんですよ。そしてお酒がはいって酔ってくると、「マルクス主義が何だ、ロシア革命なんかじゃない、スペイン革命だ」なんて叫ぶ老アナキストがいるんですね。まったく驚いてしまいました。

 スペイン革命………スペイン戦争、スペイン内乱等々と言われるわけですが、私はスペイン革命と呼んでいますし、それが正しいと思います。
  この時代描いた小説にヘミングウェイ「誰がために鐘は鳴る」があります。でも随分ジョージ・オーウェルとは違うんですね。ヘミングウェイの小説も感銘深いし、映画、ゲーリークーパーとイングリットバーグマンもいいですね。スペイン戦争、人民戦線政府対フランコ反乱軍、民主主義勢力対ファシズム、こういう図式なのでしょうか。でも実体はどうだったのでしょうか。そういう図式で割り切ることはできないんです。私がずっと思ってきたスペイン革命は、象徴的にいうと、

 1.フランコファシズムに対して武装蜂起し勝利するバルセロナの労
  働者。
 2.バルセロナの労働者から武器を取り上げ、刑務所に入れ銃殺する
  スターリン主義共産党。
 3.こん棒だけで、ファシストに立ち向かい、全員虐殺されるバルセ
  ロナの労働者。

 こういうようになります。私はファシズムも許さないけど、共産党スターリン主義もそれ以上に絶体許さない。
  ジョージ・オーウェルは1936年12月ファシストと闘うためスペインにやってきます。

  いずれの道をとるにせよ、展望は暗かった。しかし、だからといっ
 て、フランコやヒトラーの、もっとむきだしの、もっと発展したファッ
 シズムから政府を守るために戦ってもしようがないということにはな
 らなかった。戦後の政府がどのような欠陥をもつにせよ、フランコの
 政権のほうがもっとひどいことは間違いない。労働者-都市のプロレ
 タリア-にとって、誰が勝とうと、結局、大差はないであろう。だが
 スペインは主に農業国であり、農民が政府の勝利から利益を得ること
 はほぼ確実である。(略)人民戦線はごまかしかもしれないが、フラ
 ンコは時代錯誤である。百万長者かロマンティークだけが、かれの勝
 利を望むことだろう。

 それに世界中でファシズムが勝利していた。ドイツ、イタリアが、日本が進出していた。なんとしてもここスペインでファシズムに勝利しなければならない。

 しかしそんなオーウェルたちへの仕打は、共産党スターリン主義による逮捕投獄、処刑でした。

  白状するが、コップが逮捕されたと聞いて、ぼくは腹が立った。彼
 はぼくの親友だった。ぼくは彼の下で数カ月軍務につき、彼と共に砲
 火をくぐり、彼の経歴を知っていた。彼はただスペインに来てファシ
 ズムと戦うために、すべてを-家族、国籍、生計-を犠牲にした男だっ
 た。ベルギー陸軍の予備隊だったのに、許可なくベルギーを離れ、外
 国の軍隊に参加したため、そしてそれよりまえ、スペイン政府のため
 に非合法に武器弾薬の製造を手伝ったために、もし彼が自分の国に帰っ
 たら、何年もの投獄を覚悟しなければならなかった。一九三六年十月
 以来彼は前線にいて、民兵から少佐にまで昇進し、何度戦闘に参加し
 たかわからない。一度、負傷もした。五月の事件のあいだ、ぼくが自
 分でみたことだが、彼は地域の戦闘を制止し、おそらく十人か二十人
 の生命を救った。そしてこれとひきかえに彼がうけた仕打は、獄に投
 げこまれることだった。

  さてそこで、彼ら(共産党)がわれわれについて言っていたのは以
 下のようなことである。われわれは、トロツキスト、ファシスト、裏
 切者、人殺し、卑怯者、スパイなどである。不愉快だ、とぼくは言わ
 ざるをえない。これに責任のある人のこと考えると、とくにそうであ
 る。十五歳のスペインの少年が担架にのせられて前線を下り、毛布の
 あいだからのぞいている意識も定かでない青ざめた顔を眺め、この少
 年が変装したファシストであると立証しようと……(以下略)

 オーウェルと妻のアイリーンも「明白なトロツキスト」として逮捕されそうになりますが、その寸前なんとかフランスに逃れます。
 こうしてやがてバルセロナの労働者たちは、敗北させられ、最終的にフランコファシストが勝利します。そしてそのまま、イタリアファシスト、ナチスが瓦解したあともスペインにフランコは残ります。
 このスペインの経験が、オーウェルに「1984年」を書かせることになったんだと思います。この暗く重苦しい小説「1984年」は、この時のファシズムとスターリン主義が実は別な顔をした全体主義の双生児であるという認識から生み出されたと考えられるでしょう。
 実際の1984年といえば、ちょうど私が最初にパソコンに触れた年です。未来の1984年をおそれていた私に、このパソコンは、ジョージ・オーウェルのえがく社会とは違う世界を感じさせました。多分人類は新しい世界にはいりつつあるのではないかと。そして、オーウェルが考えたように、その全体主義に勝利するのは、個人主義でもなく、民主主義でも、自由でもなく、まさしく「人間らしさ」です。その人間らしさを充分に引き出してくれる道具としてのパソコンを私は感じはじめることができたのです。
 バルセロナは、カタロニアは、オリンピックのテレビで見ている限り、明るく美しく、魅力的でした。オーウェルの見たのも同じであるべきでした。もう2度と全体主義に犯させたりしたくありません。そしてそれは私たちの日々の生きざまなのだと思ったものなのです。(1994.11.01)

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雑誌名 日経パソコン第597号
発行所 日経BP社
定 価 980円
発行日 2010年3月8日
読了日 2010年3月6日

「グーグルの全貌」は、つい先日書きました。「読書さとう」に書いたのでした。1月30日に書いているのですね。
 でもグーグルはやはりすごい企業です。私が良く行く飲み屋が、その店の前をグーグルマップで見るときに驚きます。私のこのマンションも外側から一周して見られるのですね。ただただ、感心し、そして怖い思いももちます。
 ここにジョージ・オーウェルの『1948年』のことが書いてありました。私と同じように感ずる人もいるのだなあ、と思いました。いえ、私はグーグルは好きな会社です。スターリンとはまったく違います。

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