将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:チェーホフ

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 昨日(7日)も孫のところへ行こうという思いでしたが、行かなくていいことに気がつきました。

2014/03/06 17:06実はおはぎの家へ行こうとして、実際に歩き始め、途中で「ああ、今日は行かなくていいんだ」と気が付きまして、戻ってきました。なんとなく情けない私です。
2014/03/06 18:43そうですね。今Eテレを見ています。いつもおはぎの家で見ているのに、こうして自分の家で見ている聴いているとなんだか不思儀です。

2014/03/07 06:01もう起きています。自分の部屋では寒くてたまらずに、リビングの炬燵で眠りました。
 クリミアのロシア併合の動きのニュースを見ています。チェーホフを思い出していました。私が大昔書いたことを思い出しました。あとでそれを昔の私のホームページの中から見つけだします。いやゴールデン街で昔会いましたウクライナ人の美女を思い出したのです。私の昔のホームページのどこかに書いてあるはずです。
2014/03/07 06:16こうして朝になりますね。ポニョがお熱が出て、それを越谷ばあばが見てくれます。私が行くといったのですが、こうなりました。ポポとまごころ会保育園に、ポコ汰は滝野川第五小へ行きます。おはぎママが連れていきます。
2014/03/07 06:23今日も寒いようです。啓蟄になったのに、寒いのですね。
2014/03/07 07:40今日本テレビで「ぎなた読み」のことを東進ハイスクールの林修先生が言っていました。それで私は中二のときに、国語の先生がこのことを言っていたことを思い出しました。懐かしいな。
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 中学二年のときを思い出すなんて、なつかしいな。その先生が試験の監督をしていて、そのときに岩波文庫で「芥川龍之介『河童』」を読んでいたことを思い出します。

 あ、それから今日も孫のところへ行かなくていいことを、今ばあばのケータイメールで知ったものです。

  チェーホフの愛した女、リーカ にみぃねえが以下のコメントをくれました。

1. Posted by みぃねえ   2011年03月10日 21:14
チェーホフの「かもめ」は高校生の時に読んでその時は難しくてしばらく忘れてた作品でした。3年前に俳優の藤原竜也さんがトレープレフを演じると聞いて、舞台を見に行ったら、そのお芝居が素晴らしく、もう一度チェーホフを読むきっかけになりました。今はなんでもかんでも映画やドラマに映像化されてしまってがっかりしてしまうことも多いけど、こういう風にまた本を読むきっかけになることもわかったので、構えず色々読んでみようと思います。(あ、でも「ノルウェの森」は原作も映画もさっぱりわかりませんでした。村上春樹の良さが私にはよくわからないのです。まわりには村上春樹ファンが多いので非国民扱いですが…)

11031007 みぃねえ どうもありがとう。大変に嬉しいです。私がね、「かもめ」を始めて読んだのは中学2年のときです。そしてあなたのお父さんが新潮社の「チェーホフ全集」を持っているので、それを高校生のときに読みました。でも全部は読めなかったな。それで大学5年か6年のときに、この全集を浦和図書館ですべて読みました。それに、この歳になって、また王子図書館でいくつもの作品を読んでいます。
 私がその著者の大部分の作品を読んだ作家というのは、何人もいますが、98〜100%(まだ一つ二つ隠れている作品があるかもしれないから)読んだ作家は太宰治とこのチェーホフだけです。チェーホフは大変に好きなのですが、けっこう読むのが辛くもなるのですよ。
 あのねえ、今後「チェーホフの愛した」ということでは、全部で10名書きますから読んでみてね。チェーホフって、たくさんの女性を愛した実にいい男でしたが、でもでもまた恐ろしいくらいのウェトカ好きなのです。私もこのチェーホフからウォトカを習いました。もうひどいくらい浦和の下宿でも、新宿ゴールデン街でもひたすらウォトカのボトルを開けたものです。一番飲んだのは、ストロヴァイアンというロシアの50度のウォトカでしたね。
 またみぃねえの子どもたちの学校にも授業参観で行きます。

 村上春樹については、村上春樹のことで というのを書いています。私もどうやら、長女おはぎに合わせることで、読めるようになった作家なのです。
 そういえば、村上春樹ってのは、もう一人歴史家がいるのですよ。私はその人も、周の雑読備忘録「村上春樹『将門記』」ってのを書いています。同じ名前で二人もいるなんてややこしいですね。
 また会ったらお喋りしましょうね。

10122414書  名  藤沢周平全集第三巻
著  者 藤沢周平
発行所 文芸春秋社

 以前に読んでいた作品が多いのですが、この全集ではじめて収録されたものもいくつかあるようです。短編ばかりですが、江戸の市井の人たちを描いている、ひとつひとつが珠玉のような作品群です。
 以下収録作品と初出雑誌名、掲載年月です。

驟り雨     小説宝石  昭和54年2月号
遅いしあわせ  週刊小説  昭和54年2月2日
号泣かない女  問題小説  昭和54年3月号
贈り物     別冊宝石  昭和54年薫風号
歳月      太陽    昭和54年5月号
ちくしょう!  問題小説  昭和54年6月号
虹の空     週刊小説  昭和54年7月20日号
運の尽き    問題小説  昭和54年9月号
おばさん    週刊小説  昭和54年10月12号
亭主の仲間   小説宝石  昭和54年11月号
時雨みち    別冊文藝春秋昭和55年新春号
幼い声     問題小説  昭和55年4月号
夜の道     週刊小説  昭和55年4月4日号
怠け者     小説宝石  昭和55年7月号
盗み喰う    問題小説  昭和55年10月号
滴る汁     小説宝石  昭和55年10月号
追われる男   小説新潮  昭和55年10月号
おさんが呼ぶ  週刊小説  昭和55年11月28日号
禍福      別冊文藝春秋昭和56年夏季号
おとくの神   小説宝石  昭和56年9月号
失踪      問題小説  昭和56年12月号
帰って来た女  小説宝石  昭和57年1月号
おつぎ     問題小説  昭和57年6月号
逃走      問題小説  昭和57年12月号
夜消える    週刊小説  昭和55年1月14日号
女下駄     小説宝石  昭和58年1月号
遠い別れ    月刊カドカワ昭和58年6月号
鬼ごっこ    問題小説  昭和58年12月号
冬の日     小説宝石  昭和59年2月号
寒い灯     週刊小説  昭和60年2月22日号
にがい再会   週刊小説  昭和61年1月10日号
永代橋     週刊小説  昭和62年2月20日号
踊る手     週刊小説  昭和63年2月29日号
消息      週刊小説  平成元年2月17日号
初つばめ    週刊小説  平成2年3月30日号
遠ざかる声   小説宝石  平成2年10月号

 以下いくつか心に残った作品をあげてみます。いや心に残る作品ばかりといえるのですが、とくに何か書き残しておこうかなという作品です。

驟(はし)り雨
 この全集を図書館から借りてきてすぐにこの短編を読んでしまった。「いいな、やっぱり、藤沢周平の世界はいいなあ」と涙が出てしまった。
 盗人が一人、神社の軒下にひそんでいる。実は腕のいい職人なのだが、自分の女房が突然に病死してからは、

  世の中には、しあわせもあり、不しあわせもあるとは考えなかった。
 ……。しあわせな者に対する一途な怨みが、笑い声にひき出されてどっ
 と胸に溢れた。

という人間になってしまった。彼は今昼間仕事に入った家に盗に入ろうとしている。ところが軒下にひそんでいるうちに、さまざまな人間模様をみてしまう。最後の母娘の会話に彼は涙がいっぱいになる。最後にこの疲れた女を背負って、娘の手を引く。もう盗人稼業は二度とやらないだろう。にわか雨がふっていただけなのだ。

遅いしあわせ
 おもんはぐれた弟のために、嫁いだ先から実家に戻ってきて、いまめし屋で働いている。弟は今も迷惑をかけっぱなし。その店に重吉という桶職人が通ってくる。おもんはこの重吉をみているだけで嬉しい。 弟の借金のために、やくざものにその返済を迫られたときに、重吉が助けにきてくれる。腕に青黒い入れ墨が入っている。寄場かえりなのだ。重吉も堅気ではなかったようだ。

 「でもこのひと、一体何者かしら?」

 おもんは重吉のことは何もわかっていない。だがそれとはべつに、もうひとりぼっちではないという気もこみあげて来た。いまごろになって、やっと遅いしやわせが訪れて来そうな予感に、おもんは胸がふるえる。重吉が親分に、連れ合いだと言ったひと言を思い出し、おもんは顔を赤らめて重吉に寄りそって行った。
 遅くたっていい、誰だってしあわせになれるべきなのだ。

泣かない女
 道蔵は山藤という錺師の店の職人だ。もうお才という女房と所帯を持っている。本当は山藤のお柳という娘が好きだったが、いいところへお嫁にいってしまった。ところが、このお柳が相手の急死で戻ってくる。これで波乱が起きないのがおかしい。またお柳はお嫁に行かされそうになるから、なんとか道蔵と一緒になりたいという。それにはお才を離縁しなければならない。
 お才は足の不自由な女だ。この身体の不自由な女だからかばう気になって所帯をもってしまった。だが一緒になってみて、もう世間の眼は可哀想な女をかばう健気な男というようには見てないことに気がつく。もう別れて自分の幸せをつかみたい。だがお才は泣くだろう。自分に棄てられたって、どこへいくこともできないはずなのだ。
 だがいざとなって、お才は泣かない。

 「ずっと前から、いつかこんなふうな日がくると思っていた、だから、
 仕方ないよ。その日がきたんだから」

と出て行ってしまう。道蔵はお才との出会いを思い出す。……やっぱり、お才を追いかける。小さなお才の姿が遠うざかっていく。走っておいついて、……

 「とにかく、おれも一人じゃ困るんだ」
  泣くだけ泣いたお才が、手に取りすがって来たのを、道蔵は握り取っ
 て歩き出した。そのときになって、やっとひとつ思いうかんで来たこと
 を、道蔵は大きな声で言った。
 「夫婦ってえのは、あきらめがかんじんなのだぜ。じたばたしてもはじ
 まらねえ」

 もう道蔵はお柳には会わないだろう。「夫婦はあきらめ」なんて言葉に反発する若い恋人同士もいるのかもしれない。でも、こうして道蔵とお才はこれから二人で懸命に生きていけるのだ。愛するから夫婦になるのではない、夫婦になったのなら愛を作っていくのだ。

虹の空
 政吉はおかよと所帯を持とうとしている。二人とも身よりのないひとりぼっちの育ちなのだ。だが実は政吉には、まま母がいるのだ。それが少し気にかかる。だが本来赤の他人だし、何のいい思い出もありはしない。それにこのまま母も政吉の世話になろうなんて考えてはいない。おかよだって、やっとつかんだ幸せの中にそんな他人には入ってきてほしくない。だがなんだかおかよは不安になる。
 政吉はまま母に会って、そこらの懸念をなくしてくる。もう済んだ。……でもふいに意地悪なまま母の思い出の中に、小さな自分を大きな犬の襲撃から血をだしても守ってくれたことのあるのを思い出す。……もうおかよとは喧嘩してしまう。
 ある日、まま母の働いている店のあたりで火事がおこる。政吉は懸命に町を走る。焼け跡の道を、おかよがまま母を背負って歩いている。

 「あんたのおっかさんは、あたしにもおっかさんじゃないか」

運の尽き
  参次郎は不良仲間と悪さばかりしている。だが、ある娘とひっかけたのが運のつき、急にその父親が現れて無理やりその家に連れていかれる。そこは米屋だった。そこで無理やり働かされる。いままで遊んでばかりいたのだから、辛くてたまらない。逃げ出してもまた捕まってしまう。 だがやがて、この米屋で落ち着く気になってしまう。昔の仲間に会ったとき、

 「おめえ、どうやらあの米屋に居ついたらしいな」
 「まあな」
 参次郎は苦笑してみんなの顔を見た。
 「子供が生まれるんだ。今日はちょっと商売で外に出たから、懐かしく
 なってここをのぞきに来たよ」
 「たらしの参次も、あれが運の尽きだったな。かわいそうに」
 と直吉が言った。
 「そうそ、あれが運の尽きだった」

 だがもう参次郎はその運の尽きでいいのだ。

亭主の仲間
 これは怖い話である。この怖さが最後まで解決されない。だがこの怖さは今もよくあることに思える。いわゆるこの話で亭主の仲間である怖い男がやくざものということだろう。

  安之助はすらりとした身体つきで、男ぶりもよかった。おっとりした
 口を利き、話ながら、感じのいい笑顔を見せた。

 こんな感じのやくざものが一番怖いのだ。

おさんが呼ぶ
 おさんはどうしてなのか、口がきけない。本当は無口だけなのかもしれない。そしてたいへんな働きものである。働いている伊豆屋に兼七という紙漉屋がやってくる。伊豆屋に泊まって、必死に営業活動している。住んでいる村のためにやっているようだ。おさんは、この兼七の顔みていると、なんだか顔が和んでくる。
 だが兼七の仕事は邪魔が入ってうまくいかないかもしれない。おさんはなんだかそれがたいへんに心配なのだ。実はおさんが口がきけないのは、子供のときに自分を捨てていった母親への憎しみのせいであるようだ。でももうその憎しみも消えたようなのだが、何故か喋れないのだ。だれももうおさんは喋らないものだと思い込んでいるからかもしれない。おさんはだだの働きものというだけで、だれもそれ以上のことはどうでもいいのだ。でもはじめておさんの声をきこうとする男が、兼七だったのだ。
 兼七は邪魔されたお蔭で、仕事がうまく行かず村へ帰って行く。そのあとをおさんが追う。

 「兼七さん、待ってください」
 …………  「私を一緒に連れていってください」

おさんは口が利けたのだ。私は涙でいっぱいになってしまう。

禍福
 幸七は今小間物売りである。実は本来なら、老舗の店をその婿としてつげたはずなのだ。だが、どうしてかそのとき付き合っていたいそえが身篭っていることから、どうしても別れることができなくて、結局いまの生活になってしまった。なんだか毎日が面白くない。 毎日そんなになにか人生を踏み違えたような気持で荒んでいるときに、昔の朋輩にあう。

 「あんたの荷は何ですか? 小間物売りか。気楽でいいねえ」

 あのまま老舗の店に入っていたら、たいへんな事になっていたようだ。自分ほど不運な男はないと思っていたのだが、実はそうではなかったようなのだ。

  ひとは少しずつ幸運に恵まれたり、不運に見舞われたりすることを繰
 り返しているにすぎないのだろう。長い間、そのことが見えなかっただ
 けだと思った。

 こうしたことにだれもが気づくとは限らないのだ。

帰って来た女
 ここで帰ってくるのは、藤次郎の妹のおきぬだ。むかし止めるのもきかず、男と家を出てしまった。それが今病気で伏せているという。ただし、本人が助けてといっているわけではない。

  ばかめ、こうなることはあのときにわかってたんだ。病気くらいで甘
 い顔は見せねいぞ、と思った。

だが、職人でおきぬと子供のときからの幼馴染みの音吉が必死な表情になっている。どうやら馬鹿な妹の様子を見にいこうか。音吉は口がきけない。
 おきぬは「あたしに、かまわないで」という。そうだ、かまってなんかやるものか。

  藤次郎は膝を立てようとした。その身体を、横からしっかりと押さた
 者がいる。音吉だった。音吉の眼から、みるみる涙があふれ出して、頬
 を濡らすのが見えた。音吉は片手で藤次郎の胸をつかみ、おきぬを指さ
 し、また藤次郎の顔を見た。

 おきぬは家にもどり、やがて音吉と所帯をもつのだろう。読んでいる誰もが嬉しさに顔が和むに違いない。

おつぎ
 これを読み終っても、だれも三之助がおつぎを探しだすことを願うだろうし、またそうなるだろうと思ってしまう。人はだれでもいろいろなことがあるのだが、あるときには何か自分で立ち上がらなければならないときがあるのだ。それはいっけん小さなことでも、大切なことなのだ。

  ………しかし、今度は………。
  裏切れない、と三之助は思った。もう一度、おつぎを裏切るようなこ
 とになれば、おれは人間ではない。

 三之助に頑張ってもらいたいものだ。

 最初もっと全作品について書いてみようかなと思っていました。ごくいくつかの作品が大した感慨を抱かせてくれなかっただけで、ほとんどがなにかしらこの江戸の市井の人たちの姿を描く世界に魅せられしまいます。
 私はチェーホフの小説を思い出しました。チェーホフの数々の短編小説も、私たちのまわりにいる市井の人たちの毎日のひとこまひとこまを描いています。「人生はこうあるべき」ではなく、人生は毎日こうして過ぎていくものなのです。そして人はその中で懸命に生きています。その中で少しずつ努力していくのです。だから人間に生まれてきて良かった。人生はいいものなのです。

 解説にも書いてあるのですが、藤沢周平は山本周五郎の影響下にある作家と見られがちなのですが、こうして見てみると、その資質の違いにきずくはずです。藤沢周平は山本周五郎ではなく、チェーホフなのです。山本周五郎の描く江戸の市井の人の世界はひとことでいえば、「嘘っぱち」です。市井の人というのは、周五郎が描くより、もっともっといやらしくだらしのないものなのです。だが、その中にもたくさんの珠玉のような世界が存在しているのです。「人生はこうあるべき」ではなく、人生に生きていると、こうした素晴らしいことにいくつも感激したり、また自分がその中の登場人物になることがたくさんあるのだと思うのです。(1998.11.01)

40e5baaa.jpg ここに書くのは、私はまず私のパソコンで私のブログにUPしています。でもパソコンで書くのは楽なのですが、私のポメラで書こうとするとけっこう大変です。パソコンだと、インターネットにしろ、私のパソコン内にしろ参照できるからです。でもポメラだと私の心や頭の中から何かを引き出して書くしかないのです。でも私の中にはいわば何もないと言っていい私なのです。このことはかなり深刻なことです。もっと自分を鍛えないといけないなあ、もっと自分の中に蓄積できないと駄目だなあ、もっと勉強しようと考えています。
 きょう「読書さとう」で、「チェーホフの愛した女」という題名で書こうと思っているのですが、でもどの女性にしようかなあ。チェーホフの奥さんじゃつまらないしなあ、と思っているのです。今まで書いた、信長、秀吉、謙信、項羽、ゲーテ、ナポレオンと、みな奥さんや歴史に知られた第一の恋人のことは書いていません。さてどうしようかなあ。
 写真は4月3日午前10時31分の音無親水公園の桜です。(04/09)

ac1c6355.jpg 昨日「読書さとう」で「太宰治『走れメロス』」を書きました。このごろ私は太宰治がますます好きになってきました。私は彼の全集を読んでいます。彼の井伏鱒二との書簡を思い出します。書簡と言っても借金の申込とかそんなものばかりです。全集を読んだ作家はチェーホフとこの太宰治です。チェーホフも書簡が一冊になっています。彼は女優の奥さんとの書簡ばかりになっています。思えば、この二人とも若くして亡くなっているのですね。もっと生きてくれたら、どれくらいの多くの作品を残したものだったでしょうか。
 昨日私の長女とその彼の子どもに対する振舞を見て、ああ私はポニョには見透かされて扱われているんだと気がつきました。すぐに泣いたりくずったりするのですが、それでいつも動揺しているじいじなのです。
 写真はあちらのじいじがポコ汰に買ってくれたものです。(03/26)

fb5ffb51.jpg チェーホフ全集(中央公論社全16巻)の全集8をきょう借りることがやっとできて、訳者3人の名前を、各短編の著作に追加できました。
 思い出せば、神西清さんと原卓也さんの訳に印象は私には残っているのですが、もう一人の池田健太郎さんの訳は思い出せません。これは私がだらしがないですね。
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 この巻もまだ読んでいません。でも私もあらゆる方に手紙を書いていますから、そんな思いなのかなあ。

全集16(すべて池田健太郎訳)
編者のはしがき
1 修業時代の手紙
2 出版者への手紙
3 サハリン島旅行の手紙
4 メリホヴォ時代の手紙
5 ゴーリキイへの手紙
6 芸術座への手紙
書簡索引を兼ねた人名註
【付録】 チェーホフの生活
  [1] 生い立ち
  [2] 修業時代
  [3] 栄光と懐疑
  [4] サハリン島旅行
  [5] メリホヴォの生活
  [6] 古い友、新しい友
  [7] ヤルタの生活

チェーホフ年譜
チェーホフ全集総索引

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09091801 この巻は大学5年のときに読んでいます。こんなに手紙を書くことがあるんだなあ、と驚いたものでした。だから、私もその頃も手紙を書いたものでした。そして今も手紙を書いている私になっています。
 自分の妻に対して、一人の女に対して、これほど毎日のようによく手紙を書けるものです。

全集15
【妻への手紙】(池田健太郎訳)
1 一八九九年
2 一九〇〇年
3 一九〇一年
4 一九〇二年
5 一九〇三年
6 一九〇四年
人名註
《付録》スローヴォ版『妻への手紙』編者の覚え書(E・コーンシナ)

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201811260101 6d7685ba.jpgこの巻もまだ読んでいません。

全集14
戯曲3
1 プラトーノフ(原卓也訳)
2 街道筋(原卓也訳)
3 タチャーナ・レーピナ(原卓也訳)
4 公判の前夜(原卓也訳)
5 タバコの害について(原卓也訳)

小説補遺
1 アメリカ流(原卓也訳)
2 結婚シーズン(原卓也訳)
3 占いをする人々(原卓也訳)
4 しゃべるのがよいか、沈黙がよいか(原卓也訳)
5 帽子の季節(原卓也訳)
6 メモ(原卓也訳)

手帖・日記
1 手帖第I(神西清、池田健太郎訳)
2 手帖第II(神西清、池田健太郎訳)
3 手帖第III(神西清、池田健太郎訳)
4 紙片によるメモ(神西清、池田健太郎訳)
5 日記(神西清、池田健太郎訳)

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 この巻はまだ読んでいません。これから読んでいかないといけないなあ、と思っています。

全集13

1 シベリヤの旅(神西清訳)
2 サハリン島(原卓也訳)
『サハリン島』内容目次

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 この巻は大学4年のときに読んでいます。ここに『かもめ』『ワーニャ伯父さん』『三人姉妹』『桜の園』は四大劇と言われています。これらは私が中学生のときにすでに読んでいました。あの時期、これらを読んで何を思っていたかは思い出せません。

全集12
 戯曲2
1 イワーノフ(池田健太郎訳)
2 かもめ(神西清訳)
3 ワーニャ伯父さん(神西清訳)
4 三人姉妹(神西清訳)
5 桜の園(神西清訳)
6 森の主(池田健太郎訳)

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 この巻は大学3年のときに読んでいます。ということは、東大闘争で逮捕起訴され、8月20日に保釈で出所して、次のまた逮捕されたのが、12月10日ですから、その間に読んでいたのでしたね。『可愛い女(ひと)』『すぐり』なんて、このときに読んでいるんだなあ。いえ、また読んでみて、もうただただチェーホフが好きになるだけなのです。

全集11
 小説 (1897〜1903)
1 生まれ故郷で(池田健太郎訳)
2 荷馬車で(池田健太郎訳)
3 知人の家で(池田健太郎訳)
4 箱にはいった男(池田健太郎訳)
5 すぐり(池田健太郎訳)
6 恋について(池田健太郎訳)
7 イオーヌィチ(神西清訳)
8 往診中の一事件(池田健太郎訳)
9 可愛い女(神西清訳)
10 新しい別荘(池田健太郎訳)
11 職務の用事で(池田健太郎訳)
12 犬を連れた奥さん(神西清訳)
13 クリスマス週間(池田健太郎訳)
14 谷間(池田健太郎訳)
15 僧正(池田健太郎訳)
16 いいなずけ(池田健太郎訳)
17 もつれた償い(池田健太郎訳)
18 手紙(池田健太郎訳)

 戯曲1
1 白鳥の歌(原卓也訳)
2 熊((神西清訳)
3 プロポーズ(原卓也訳)
4 心ならずも悲劇の主に(原卓也訳)
5 披露宴(原卓也訳)
6 創立記念祭(原卓也訳)
7 タバコの害について(原卓也訳)

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 この巻も、大学2年のときに読んでいます。忙しい日々だったのによく読んでいたものでした。
 でもやはりもう一度読んでみるべきだな。ただし、違う翻訳者で読もうと思っています。いえ、この全集の翻訳者がだめだという気は少しもありません。でも他の翻訳者でも読んでみたいのです。

全集10小説(1894〜97)

1 文学教師(原卓也訳)
2 地主屋敷で(原卓也訳)
3 園丁主任の話(原卓也訳)
4 三年(原卓也訳)
5 奥さん(原卓也訳)
6 おでこの白い仔犬(原卓也訳)
7 頸の上のアンナ(神西清訳)
8 殺人(原卓也訳)
9 アリアドナ(神西清訳)
10 中二階のある家(原卓也訳)
11 わが人生(原卓也訳)
12 百姓たち(原卓也訳)
13 ペチェニェーグ人(原卓也訳)

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 この巻は、大学2年のときに読んでいます。思い出せば、学生運動で忙しい時期に読んでいたのでしたね。チェーホフには、本当に助けられた思いがあります。
 あの日々の一日一日を思い出せます。そしてこのチェーホフの小説も私の心にはいつもありましたものでした。

全集9小説(1891〜94)

1 妻(神西清訳)
2 浮気な女(池田健太郎訳)
3 芝居のあとで(池田健太郎訳)
4 断章(池田健太郎訳)
5 ある大商人の話(池田健太郎訳)
6 追放されて(神西清訳)
7 退職老教師のノートから(池田健太郎訳)
8 魚の恋(池田健太郎訳)
9 隣人たち(池田健太郎訳)
10 六号室(池田健太郎訳)
11 恐怖(池田健太郎訳)
12 黒名氏の話(池田健太郎訳)
13 大ヴォローヂャと小ヴォローヂャ(神西清訳)
14 黒衣の僧(池田健太郎訳)
15 女の王国(池田健太郎訳)
16 ロスチャイルドのバイオリン(池田健太郎訳)
17 大学生(池田健太郎訳)

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 この巻は、私の近くの王子図書館で他の方に貸出中で、まだ私は借りられないのです。だから、どの短編を誰が翻訳しているということが判りません。また借りられましたら、それを見て、ここに翻訳者名を追加します。(09/18)

 やっと借りられました。だからきょう訳者名は追加しました。(09/26)

全集8小説(1889〜90)

1 不快なできごと(原卓也訳)
2 ともしび(原卓也訳)
3 美女(原卓也訳)
4 名の日の祝い(原卓也訳)
5 発作(原卓也訳)
6 靴屋と悪魔(原卓也訳)
7 かけ(原卓也訳)
8 公爵夫人(池田健太郎訳)
9 退屈な話(池田健太郎訳)
10 泥棒たち(池田健太郎訳)
11 グーゼフ(神西清訳)
12 女房ども(神西清訳)
13 決闘(神西清訳)

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全集7小説(1887〜88)

 これも大学2年のときに読んだいました。もう秋の頃かな。学生運動と恋の思い出は詳しく甦りますが、このたくさんの短編をどう読んだのかは思い出せません。
 ただ、この中のいくつかの短編の内容は思い出してきます。
 今、まったく別な翻訳者で読むことがある作品(例えば『カシタンカ』)がありますが、印象が違うものですね。

1 幸福(原卓也訳)
2 悪天候(原卓也訳)
3 ドラマ(原卓也訳)
4 ざらにある話(原卓也訳)
5 応急手当(原卓也訳)
6 不愉快な話(原卓也訳)
7 不埒な……(原卓也訳)
8 短気者の手記から(原卓也訳)
9 コゴメナデシコ(原卓也訳)
10 父(原卓也訳)
11 めでたい結末(原卓也訳)
12 馬車小舎で(原卓也訳)
13 悪党たち(原卓也訳)
14 日蝕を前にして(原卓也訳)
15 ジーノチカ(原卓也訳)
16 ドクトル(原卓也訳)
17 誘惑(原卓也訳)
18 芦笛(原卓也訳)
19 復讐の鬼(原卓也訳)
20 郵便馬車(原卓也訳)
21 結婚式(原卓也訳)
22 脱走者(原卓也訳)
23 大問題(原卓也訳)
24 陰謀(原卓也訳)
25 古い家(原卓也訳)
26 冷たい血(原卓也訳)
27 金のかかる授業(原卓也訳)
28 ライオンと太陽(原卓也訳)
29 災厄(原卓也訳)
30 接吻(神西清訳)
31 少年たち(神西清訳)
32 カシタンカ(神西清訳)
33 ある令嬢の話(原卓也訳)
34 無題(原卓也訳)
35 ねむい(神西清訳)
36 曠野(ステップ)(原卓也訳)

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 これも同じく大学2年のときに読んだと思います。たぶん電車の中で読んでいたのでしたね。でも学生運動で大学に泊まるときは、その本はどうしていたのでしょう。いつも持っていた鞄の中に入れていたのだろうな。

全集6小説(1886〜87)

1 裁判(40富籖は神西清訳、それ以外は原卓也訳)
2 泣き言
3 申しこみ
4 変り者
5 わたしの家庭訓
6 泥沼
7 アパートの住人
8 不吉な夜
9 コロス
10 しいッ
11 夢
12 水車小舎で
13 善人たち
14 大事件
15 劇作家
16 雄弁家
17 不幸
18 注文原稿
19 芸術品
20 記念晩餐会
21 だれの罪か
22 ワーニカ
23 旅中
24 実は彼女だった
25 新年の責苦
26 シャンパン
27 極寒
28 乞食
29 敵
30 お人よしのドイツ人
31 この世の闇
32 ポーリンカ
33 酔いどれ
34 不注意
35 ヴエーロチカ
36 大斎期の前夜
37 かよわき女性
38 不気味なできごと
39 家で
40 富籖
41 早すぎた!
42 ある邂逅
43 チフス
44 お気の毒
45 四旬節
46 神秘
47 コサック
48 手紙
49 大蛇と兎
50 春
51 批評家
52 ある事件
53 予審判事
54 家主
55 ウォローヂャ

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 これも大学2年のときに読んだと思います。兄が就職して、けっこう本をたくさん買っていてくれたおかげで、もうたくさんの本が読めたものでした。それは高校時代も同じでしたが、この大学生のときは、こうした文学を読んでいたものでした。

全集5小説(1886)

1 追善供養(50天才、57小波瀾は神西清訳、これ以外はみな原卓也訳)
2 おろかなフランス人
3 アニュータ
4 無常について
5 大物
6 イワン・マトヴェーイチ
7 魔女
8 毒素
9 結末のない話
10 たわむれ
11 アガーフィヤ
12 郵便局長とわたしの会話
13 狼
14 パリへ
15 春
16 大量の紙
17 悪夢
18 白嘴ガラス
19 河で
20 グリーシャ
21 恋
22 女性論
23 聖夜
24 奥さま族
25 強烈な感覚
26 ボーイ・フレンド
27 幸福な男
28 三等官
29 郊外の一日
30 女子高校で
31 別荘で
32 退屈なあまり
33 生のわびしさ
34 コントラバス物語
35 恐怖
36 薬剤師の妻
37 余計者
38 由々しい事態
39 コーラス・ガール
40 教師
41 物騒な客
42 貴重な存在
43 他人の不幸
44 お前とあなた
45 夫
46 不幸
47 ピンクのストッキング
48 受難者たち
49 一等車の客
50 天才
51 居候ども
52 二枚目
53 闇にまぎれて
54 むなしい機会
55 見上げた男
56 よく廻る舌
57 小波瀾
58 重苦しい人々
59 復讐

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 これは大学2年のときに読んだと思います。兄の本でした。兄の本はもう実にたくさん読んでものでした。でも思えば、学生運動でも忙しい日々でしたね。

全集4小説(1885〜86)

1 官制廃止!(66マリ・デルは神西清訳、それ以外はすべて池田健太郎訳)
2 ダルゴムィシスキイのこと
3 財布
4 おどし
5 からす
6 ばかげた話
7 長靴
8 私の《彼女》
9 神経
10 別荘の人びと
11 魚の問題
12 階段を上へ
13 番人つきの番人
14 私の妻たち
15 間抜けなインテリ
16 理想主義者の思い出から
17 仮病つかいの群
18 かわめんたい(ナリーム)
19 薬局で
20 馬のような苗字
21 運がない!
22 道に迷った人びと
23 お抱え猟師
24 必要かくべからざる序文
25 わるもの
26 車中で
27 お婿さんとパパ
28 客
29 思想家
30 馬と、おののく鹿
31 敏腕家
32 溺死人
33 のらくら者
34 一家の父
35 村老
36 死体
37 女の幸福
38 料理女の結婚
39 壁
40 顔見せ興行のあとで
41 結婚シーズンに
42 一般的教養
43 下士官プリシベーエフ
44 ふたりの新聞記者
45 精神病者たち
46 異国で
47 七面鳥
48 睡魔
49 アルコール中毒の妙薬
50 コントラバスとフルート
51 結婚希望者への手引
52 ニーノチカ
53 高価な犬
54 文士
55 舞踏会の音楽師
56 塩がききすぎた
57 職なし
58 十年─十五年後の結婚
59 老年
60 悲しみ
61 実際、乗客というものは!
62 ぼろきれ
63 神々しき単純さ
64 袋の中の錐
65 シニック
66 マリ・デル
67 長椅子の下の劇場主
68 夢
69 感歎符
70 鏡
71 新年の受難者たち
72 シャンパン
73 芸術
74 墓場の一夜
75 コンクール
76 失敗
77 初舞台
78 子供たち
79 電話のそばで
80 発見
81 ふさぎの虫
82 公判の前夜
83 大さわぎ
84 最大の町
85 酔いどれとしらふの悪魔の会話
86 役者の最期

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 これを読んだのは、大学1年の頃だと思うのです。チェーホフが日々飲んでいますウォトカを不思儀に思ったものです。でも私はとにかく学生運動のほうが先でした。思えば、あの頃も忙しかったんだなあ。

全集3小説(1884〜85)

1 アルバム(原卓也訳)
2 うぬぼれ(原卓也訳)
3 別荘住いの女(原卓也訳)
4 夫婦喧嘩(原卓也訳)
5 人心の動揺(原卓也訳)
6 ヴォードビル(原卓也訳)
7 官等試験(原卓也訳)
8 ロシアの石炭(原卓也訳)
9 外科(原卓也訳)
10 世間には見えぬ涙
11 カメレオン(原卓也訳)
12 一難去って……(原卓也訳)
13 衛生検査(原卓也訳)
14 ホイスト(原卓也訳)
15 月蝕(原卓也訳)
16 墓地で(原卓也訳)
17 雁の会話(原卓也訳)
18 うかつな口はきけぬもの(原卓也訳)
19 仮面(原卓也訳)
20 施療・養老院で(原卓也訳)
21 演劇について(原卓也訳)
22 美しきものにも限度は必要(原卓也訳)
23 勘定ずくの結婚(原卓也訳)
24 住民諸君(原卓也訳)
25 訓辞と皮紐(原卓也訳)
26 病人の枕もとで(原卓也訳)
27 最新書簡範典(原卓也訳)
28 かき(神西清訳)
29 将軍と結婚式(原卓也訳)
30 リベラリスト(原卓也訳)
31 恐怖の一夜(原卓也訳)
32 クリスマス・ツリー(原卓也訳)
33 不機嫌(原卓也訳)
34 告示(原卓也訳)
35 狩場の悲劇(原卓也訳)
36 祭日の務め(原卓也訳)
37 一八八四年事件(原卓也訳)
38 大尉の軍服(原卓也訳)
39 貴族会長未亡人の邸で(原卓也訳)
40 生ける年代記(原卓也訳)
41 欄外の文章(原卓也訳)
42 人間と犬の会話(原卓也訳)
43 風呂屋で(原卓也訳)
44 駈けだし作家の心得(池田健太郎訳)
45 雑魚(池田健太郎訳)
46 祭日手当て(池田健太郎訳)
47 いずれ劣らぬ(池田健太郎訳)
48 〔報告〕(池田健太郎訳)
49 絶望した男(池田健太郎訳)
50 暇つぶし(池田健太郎訳)
51 素晴しきかな人生!(池田健太郎訳)
52 ソコーリニキの遊歩場で(池田健太郎訳)
53 最後のモヒカン女(池田健太郎訳)
54 アパートで(池田健太郎訳)
55 あれや、これや(池田健太郎訳)
56 外交官(池田健太郎訳)
57 欲張りの巣(池田健太郎訳)

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09091406 これを読んだのも、高校3年の頃だと思うのですね。思えば、高校のときは、こうした小説のたぐいを読むのは珍しいことだったものです。
 あ、私の兄の本でした。

全集2小説(1882〜84)

1 首になった(池田健太郎訳、以下69以外はすべてが池田健太郎訳)
2 失敗した訪問
3 二つのスキャンダル
4 牧歌的な─いや、どうして!
5 男爵
6 善良な知人
7 復讐
8 経験したこと
9 こらえ切れずペテン師に
10 ゆがんだ鏡
11 仮装した人びと
12 ロマンス二題
13 喜び
14 両刀づかい
15 新聞・雑誌の読者の考え
16 告白
17 唯一の手段
18 《誇大妄想狂》の症例
19 暗い夜
20 催眠術の会
21 妻は出て行った
22 弁護士のロマンス
23 釘の上に
24 どっちがよいか
25 床屋で
26 偏見を持たぬ女
27 感謝する人
28 忠告
29 コレクション
30 詩的なうわごと
31 熱中家
32 雄羊とお嬢さん
33 ぐず
34 かぶら
35 この現実的な時代に
36 勝利者の凱歌
37 かしこい屋敷番
38 馬鹿
39 題のつけにくい話
40 兄さん
41 博愛家
42 法廷の一事件
43 雄ばちの参考に
44 謎の性格
45 策士
46 会話
47 恐れと非難を知らぬ騎士たち
48 ねこやなぎ
49 ぬすびと
50 行きすぎ四題
51 紙
52 言葉、言葉、また言葉
53 ザクスカ
54 おっかさん弁護士
55 古典科中学生の災難
56 ねこ
57 うぐいすの顔見せ興行
58 飛ぶ島
59 代表、あるいはどうしてデズデモーノフが二十五ルーブリを失ったかという話
60 英雄的な令夫人
61 どんなふうに私が正式な結婚をしたか
62 会計係助手の日記から
63 おじいさんそっくり
64 年に一度
65 小役人の死
66 真相
67 山羊か、ならず者
68 意地わるな少年
69 嫁入り支度(神西清訳)
70 親切な酒場の主人
71 アルビヨンの娘
72 とりなし
73 照会
74 農奴あがり
75 馬鹿女、あるいは退役大尉
76 マヨネーズ
77 ランドー馬車で
78 秋
79 恩を忘れぬドイツ人
80 でぶとやせた男
81 悲劇役者
82 名誉商人の娘
83 後見人
84 時代の象徴
85 郵便局で
86 ある娘の日記から
87 海で
88 駅長
89 客間で
90 モスクワのトルーブナヤ広場で
91 中傷
92 わかってくれた!
93 安全マッチ
94 クリスマスの夜
95 自由主義者
96 勲章
97 七万五千
98 喜劇役者
99 女の復讐
100 辻御者
101 家庭教師
102 狩場で
103 おお、女よ、女よ
104 無邪気な森の精
105 探訪記者の夢
106 歌うたい
107 苦情帳
108 二つの手紙
109 Perpetuum mobile
110 読書
111 トリフォン
112 マリヤ・イワーノヴナ
113 魂について思う
114 誇り高い男
115 奇想天外な考え

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 これを読んだのはいつだったかなあ。高校3年の頃だと思うのですね。これで初めてチェーホフの本当の顔を知った思いでした。

全集1小説(1880〜82)

1 隣りの学者への手紙(以下すべて原卓也訳)
2 小説の中で、いちばん多く出くわすものは?
3 二兎を追う者一兎を得ず
4 女学生ナージェニカの夏休みの宿題
5 パパ
6 わたしの記念日
7 千一夜の情熱、あるいはおそろしき一夜
8 リンゴのために
9 婚礼の前
10 聖ペテロ祭
11 体質
12 車内風景
13 裁判
14 芸術家の妻
15 トレドの罪人
16 忘れた!!
17 疑問符と感嘆符の人生
18 告白、あるいはオーリャ、ジェーニャ、ゾーヤ
19 緑の岬
20 逢いびきはしたものの……
21 通信員
22 村の医者
23 不必要な勝利
24 逃がした魚
25 いまわしい話
26 六月二十九日
27 三人のうち、どれが……
28 彼と彼女
29 定期市
30 奥さま
31 生きた商品
32 咲きおくれた花

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3bc27c85.jpg チェーホフの全集も読んだ覚えは充分にあるのですが、今回整理したいと思いました。戯曲は、ほぼ中学生のときに読んでいましたが、この全集で改めてすべて読もうと考えたものなのでした。
 読んだのは、高校3年のときと、大学生のときです。大学生のときは、後輩にけっこうこの全集を読んでいる仲間がいて嬉しかったものでした。
 チェーホフの小説の短編を読み始めて、戯曲だけでは知らなかった彼のことが判ってきたものです。
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 昨日は、JRと日暮里駅からのモノレールの中でポメラを打っていました。実に短い時間です。片手で打っているのも慣れました。

2009/02/24 11:54今モノレールの中です。来る日を間違えていました。馬鹿ですね。少々自分にあきれています。でも、まあチェーホフが読めたからいいとするか。
2009/02/24 12:04もうすぐ西日暮里です。田端で乗り換えです。こうして片手で打つのが、とても楽です。3月20日にブルータスと会います。それが待ち遠しいです。どこへつれて行ってくれるのかな?
2009/02/24 12:10王子駅デス。

 読みました チェーホフ『箱に入った男』は、書きましたが、今後もっとチェーホフの新しい訳で読んでみようと思っています。

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 周の雑読備忘録「チェーホフ『箱に入った男』」へ、目森さんから次のコメントをもらいました。

1. Posted by 目森一喜    2009年02月24日 17:42
ソ連がロシアとなった時、雇用主である国家が消滅し、失業した女性たちは、マフィアの手で売春婦になって行きました。ソ連=ロシアでは、女性の職業はとても限定されているのです。彼女たちは、性の奴隷として世界中に売られています。「ならず者の経済学」のロレッタ・ナポレオニによれば、今、奴隷の数は、史上最高だという事です。ロシア・マフィアの上部には、ロシア政府がいます。ロシアは、まだ、箱に入ったままのようです。

 ソ連という国家は大嫌いでしたが、そのあとのロシアもひどいものですね。(いや今王子の家ですこし騒動がありまして、それで時間を喰われました。でももう解決しました。あとで書きます)

 私はもう昔っから、共産主義は大嫌いでした。だからソ連なんかも嫌いでした。でも学生時代は、私も元気な活動家(三派・全共闘系の)でした。もちろん、マルクス主義は大嫌いでしたから、いつも大変なことでした。三里塚闘争の初めての機動隊とのゲバルトのときも、三派の中核派の他大学の活動家に、私の思いをいいましたが、相手は少しも判らないようでした。王子闘争でも、闘いの現場でも大変でしたね。いえ、機動隊ともゲバルトが大変ということではなく、私は身体に肌身離さず日の丸を持っていたからです。

 でもでも、とにかく、ソ連が無くなって嬉しいはずなのですが、でもでも、そのあとのロシアもひどい国ですね。あれじゃ、ロシアって、フランスとかイギリスとか米国と変わらないひどい国じゃないですか。あ、ついでに中国も、中共もひどいです。でも中国共産党が変化して無くなっても、中国自体がひどいんですねえ。

 チェーホフは今も私は大好きです。若いときは、当然にドストエフスキーが好きで、その後はソルジェニーティンも好きになりましたが、チェーホフのことは、一貫して好きな作家であり、好きな人間です。

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箱に入った男
箱に入った男
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 この小説は、もちろんチェーホフだから読み始めたわけです。でもでも読み込めないのです。はっきりいって、この主人公ベリーコフに少しも興味が持てません。いやおそらく、読む人は誰もそうでしょう。いやいや、チェーホフだって同じなはずです。
 昨日の夜には、酒を飲みテレビを見ながら読んでいて、こんな短編はすぐ読み終えるはずでした。でもでも、私は読めませんでした。
 だが、きょうは、ケーズデンキ足立本店(日暮里・舎人ライナーで足立小台駅下車0分)に行くときに読み終わっていました。

書 名 箱に入った男
著 者 アントン・P・チェーホフ
訳 者 中村喜和
絵   イリーナ・ザトゥロフスカヤ
発行所 未知谷
定 価 2,000円+税
発行日 2008年9月25日初版発行
読了日 2009年2月24日

 私は「チェーホフ全集」はすべて読んでいるはずなのです。27歳くらいのときに、すべて読んだはずなのです。でも今、この未知谷の作品で読んでいると、若き日に読んだことを思い出すことも多いのですが、でもでも記憶のなくなっている作品もあります。
 この作品は、まったく初めて読む思いでした。

 なんだか、読んでいて、少しも現実感が湧いてきません。一つの出来事が、そしてこれはこの主人公にとって大変なことであったわけなのですが、でもでも滑稽だが、少しも面白く感じられません。私が20代前半で読んでいたときには、「チェーホフって、現実をこうして暗く描くこともあるよな」で済んでしまっていたでしょう。でもでも違うのです。違うのでしょう。
 これはユーモアに充ちていながら、チェーホフは自分の生きているロシア社会の様を描いているのです。

 主人公ベーリコフはギリシア語教師です。このベーリコフがロシアの田舎町で生活しています。とにかく、彼は目立たないように平凡に生きています。事実彼は目立たない男でした。
 でもでも、その彼に、結婚の話が持ち上がります。相手は、実に背の高い、陽気で朗らかなワーレンカという美人でした。その弟と暮らしています。
 でもこの彼女と弟が、自転車に乗って走っている姿を見かけてしまいます。彼は、これがどうしても黙認できないことでした。20世紀の前半のことでしょう。人間が自転車に乗ることなんか、とくに女性が自転車に乗るなんて、ベリーコフには、どうしても認められないことなのです。
 そのことを、鋭く指摘するベリーコフに、弟は怒り、ベリーコフを階段から突き落とします。そのときに、彼の婚約者である妹も、あまりに階段を転がる滑稽な姿に大声で笑い出します。

 このために、もう婚約は破棄ですし、そしてこのあと寝込んでしまったベリーコフは、1カ月後に亡くなってしまいます。

 しかし、このベリーコフのような存在は、実はこの男だけではなかったのです。実に多くのこのベリーコフとでもいうべき男たちが、ロシア中にいたのです。下手をすると、自分の中にも、この男はいてしまったのかもしれません。この男が「箱に入っていた男」なのです。箱から出て、自分の考えで歩こう、生きようとは少しもしない男でした。

 これは、このベーリコフの同僚であるブールキンが話す小説です。このブールキンは「すぐり」「恋について」でも登場しています。

 なんだか、この本を読み終えて、ケーズデンキ足立本店の店の中、しきりに、チェーホフの小説のことを思い浮かべていました。

 またチェーホフの作品は読んでいきます。

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 東京新聞6月7日朝刊に吉本さんがドストエフスキーに関する意見 の3 に私はドストエフスキーのことを書きました。でも実はこの私の叔父への手紙では、このドストエフスキーのことはほんの僅かなのです。まったく違うことを書いているのです。ほぼ、ロシア人とウクライナ人のことを書いていまして、そして次のようにも書いています。

このごろ私はチェーホフを読み直しています。前に全集を読んでいたのですが、このごろもう昔読んだ翻訳者でない、まったく新しい人たちの訳本がいくつも出版され、それが実にいいのです。
 私はロシアの作家ですと、ソルジェニーツィンが一番好きでしたが、やっぱり今はチェーホフが最高に好きです。

 この叔父は、私の義父の弟で、もう80歳を過ぎています。でもよくパソコンも使っています。そして、よく文章も書いています。
 それで彼が書きました「『星の王子さま』を読む」という文を読みまして、5月24日の手紙に次のように書きました。

「『星の王子さま』を読む」を拝見致しました。私にもこの本は愛読書でありますから、ついいくつものことを考えたものでした。
 この『星の王子さま』の原作の日本での著作権保護期間が2005年1月22日に満了したためか、今本屋にはいくつもの翻訳が並んでいます。私も嬉しくて、いくつかの翻訳本を読んでみたものでした。もちろん最初のときはもちろん内藤濯訳なわけでしたが。
 でも私が最初にこの本を読んだのは、大学2年の終わりのときです。私はそのとき、東大闘争で逮捕起訴されて府中刑務所に勾留されていました。それで3月に、この原書とフランス語の辞書を入れてもらって必死に読んだものでした。そののちに、あとでこの内藤濯訳の『星の王子さま』を読んだものです。

 もちろん、この手紙でもA4の和紙に3枚、このサンテク=ジュペリへのことを書きました。

    叔父は、ある雑誌の中で、またあの戦争の頃の思い出を一番書いているのです。それへの私の思い、感想も、そのうち手紙で書こうと思っています。

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 私は チェーホフと女性たち に次のように書いていました。

 末娘のナターリアに一番手紙を書いています。彼女は小ロシア語とウクライナ語をこよなく愛する人だと書いてあります。私はここで初めて、「ウクライナ語」という言語があることを初めて正式に知りました。

 私はここで、以下に書いた内容を思い出していたのです。

 http://shomon.net/sake/sake6.htm#040315 金髪の美女の話

ゴールデン街のある店で飲んでいましたら、金髪の圧倒的美女とその連れ(この人は日本人)がきました。ロシア語と日本語混ぜて二人で話していました。なんだか彼女は、最初からロシアの悪口ばかり滔々と述べています。それで、私が話しかけましたら、彼女は自分はウクライナ人だといいます。私はウクライナといえば、コサックの故郷で、大きな河として、ドン河、ドニエプル河があること、それくらいしか知らないなといいました。そうすると、彼女は隣にいるウォトカをただ飲んでいる酔っぱらいがそれだけのことを知っていることに驚いていました。
 それで、私は「何のかんの言っても、ウクライナはロシアを羨ましく思っているんだろうな」なんて思いで、意地悪な気持になりました。(ようするに、ウクライナ人も結局は豊かなロシアの都会で生活したいと思っているのサ)

   あの、ウクライナを代表する文学者って、誰なんですか?

なんて言いますと、彼女は「日本にまで知られた作家はいない」といいます。

   それなら、あなたが好きな作家は誰なの?

と聞きます。彼女が考え込んでいるので、私は

   あなたの嫌いなロシアの作家だけれど、私はチェーホフが好きだな

といいました。彼女もチェーホフが好きだといいます。ウクライナでもよく読まれている作家だといいます。

 思えば、この金髪のウクライナの美女との話でも、そのあとヤルタの話が出ていていましたが、そのヤルタは、チェーホフ一家がよく住んでいたところでもあります。
 だから私にはヤルタはやはりロシアなのですね。
 でもどうしてもウクライナ人は、ロシアに対抗する気持があるから、ヤルタはウクライナだという気持は変えられないのでしょうね。
 でも今は、この日本の各地で、ウクライナやベラルーシの人ともよく会います。白ロシア語というのがロシア語とは違って存在しているということも、私はここで初めて知ったわけです。
 思えば、世界はまだまだ知らないことがいくつもありそうです。
 あ、読み返してみると、「白ロシア語」とは書いてなくて「小ロシア語」と書いてあるんだ。

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 私は 周の雑読備忘録「牧原純『北ホテル48号室ーチェーホフと女性たち』」に書きましたが、この本を読みまして、自分がチェーホフに関して、何も知らなかったのだ、何も判っていなかったのだと気がつきまして、ただただ羞しい思いでした。
 それで「ゲーテについてのある推理」に、次のように書きましたように、

またチェーホフをめぐる女性たちのこともちゃんと記しておかないといけないな、私がまたここで、ちゃんと把握しておきたいと考えたものでした。

 この思いで、次からの文章をまとめました。いえ、ようするに、これは私のチェーホフに関する備忘録なのです。

クレオパトラ・カラトゥイギナ(1848〜1934)
 黒海沿岸のオデッサに1889年7月チェーホフが「北ホテル」に宿をとったときに、同じホテルに宿をとっていた女優カラトゥイギナと運命的に出会う。彼女の「北ホテル48号室」がマールイ劇場の俳優たちの溜まり場になっていた。このホテルの彼女の部屋48号室が、他の俳優達も集まる「アントニオとクレオパトラのお茶の会」の部屋となる。
 この女優は、この出会い以前に、はるか最果てのシベリアからサハリンまで、数回にわたって巡業・放浪の旅を経験していました。
 彼女への手紙に、チェーホフは必ず、「ロシア大地の大女優」と尊称で呼んでいました。彼女は1848年の生まれ1934年に亡くなっています。1860年1月29日から1904年7月15日まで生きたチェーホフよりも、随分年上であり、そしてチェーホフの死後を長く生きています。
 そして彼女は、1926年、チェーホフの死後22年後78歳の時に、『A・チェーホフの思い出ーわたしがアントン・パーヴロヴィチと知り合ったいきさつ』を書き残しています。
 最初に初めて知り合った日のことは、次のように書いてあります。

 あたりが暗くなって、みな帰り支度をはじめると、彼は手を差しの、また憎らしい紙袋を差し出し、同じ馬車にのりこむ。気性が荒くて、口下手で社交性の乏しい(と自分でも自覚している)彼女は、突然今をときめく文壇の新星と同乗する事態になって、最初のうちは、レーンスキー(彼女と同じ劇団の俳優)も、自分も、この <幸せな機会> もうらめしく思った。しかしチェーホフはすぐに彼女の途惑いを察して、彼独特の、気の利いた冗談や豊富な話題で彼女を会話に引き込んだ。二人はホテルに着くまでの途中ずっとおしゃべりに夢中になり、声をたてて笑い通した。ホテルで一行が夕食に向かうときも、彼のやさしさ、率直さ、ユーモアの彼女はすっかり魅せられてしまう。
 「この日から、私たち二人は親しいお友達になりました」、とクレオパトラは記している。

 このあとも読み進みますと、書き抜きたい箇所ばかりになってしまいます。思い出せば、私は読んだチェーホフの「サハリン紀行」には、ほぼ何の感慨もありませんでした。読み直してみなければとつくづく考えたものでした。

 この <孤独と自由> の原点からの再出発を、はるか東方に触発したのが、一八八九年七月、クレオパトラ・カラトゥイギナとのオデッサの出会いだったと、私は考える。
「ロシア大地の大女優」にその意図はまったくなかった。彼女はむしろその暴挙を危ぶんだけれど、チェーホフの強靭な意志が、まったく主体的に極東に突き進んだのだ。北ホテル48号室の <アントニオとクレオパトラのお茶の会> は、彼女にとってはおしゃべりを楽しむ黄金の瞬間だったけれど、彼にとっては、頭の中で羅針盤の針を、壮麗な歴史と文化の西欧から、いきなり不毛で苛酷な極東に一八〇度急旋回させるほどのインパクトを与えたのだと思う。クレオパトラの情報はシベリア・サハリンの荒々しい大自然と煉獄を生きる桁外れな人物たちだったが、作家・医師としてのチェーホフの視線は、その先のサハリンに、流刑地のどん底に追放された人々に注がれていた。
 彼の穏やかな微笑や上等なジョークは、相手を魅了したやまなかったし、彼を知る誰しもが回想録にそのことを記している。しかし何気ない表情のその奧には、いつも冷徹な観察と、自分へのきびしさが働いていたことに、あらためて思いいたるのだ。

 私が何故チェーホフが好きになったのか思い出します。私もチェーホフに倣っていつも、ウォトカを飲んでいました。いつもただただ仕事に追いまくられ必死でしたが、その忙しい仕事と翌日のまた忙しい仕事の間には、ただただ強いウォトカを飲んでいたかったものでした。チーホフが嫌いなのは、暮しやものの貧しさではなく、心の貧しさ、下品、俗悪なのです。思えば、私も同じでした。そういう彼が描くロシアの人々が好きだったのです。私はいつもときどきつぶやいているチェーホフの言葉です。

   罪悪は酒を飲むことにあるのではなく、酔いどれを助け起こさないことにあるのだ。

マリア・ウラジーミロヴナ・キセリョーワ(1850〜1921)
 この人は、チェーホフよりも10歳年上です。
 チェーホフは、極東への無謀とも思える旅のことも、自分の健康のことも手紙で弱音や泣き言を吐くことはありませんでした。ただ、この10歳年上のマリア・キセリョーフ夫人に宛てての手紙のみで、こうした弱気の部分をのぞかせています。

アレクサンドラ・ワシーリエヴナ・リントワリョーワ(1833〜1909)と三姉妹
 チェーホフ一家が1888年夏から、バカンスを過ごすのがウクライナ領のハリコフ県スムィでした。その町の郊外にこのアレクサンドラ・リントワリョーワの広大な領地がありました。ここのチェーホフとほぼ同年代の三姉妹と二人の兄弟がいました。長女ジナイーダ(1857〜91)、次女エレーナ(1859〜1922)、三女ナターリア(1863〜1943)。
 末娘のナターリアに一番手紙を書いています。彼女は小ロシア語とウクライナ語をこよなく愛する人だと書いてあります。私はここで初めて、「ウクライナ語」という言語があることを初めて正式に知りました。

エレーナ・ミハーイロヴナ・シャヴローワ(1874〜1937)
 1889年7月17日、15歳のエレーナ・シャヴローワは、チェーホフが上記の「ロシア大地の大女優」と初めて知り合い、ヤルタに戻ったその翌日出会いました。エレーナは、このときに作家志望で、そのまた翌日自分の作品を持って、約束のカフェで作家に会います。この彼女には、よくチェーホフは先輩の作家として面倒を見ています。交わされた往復書簡だけで、チェーホフよりは69通、シャヴローワからは130通が残されています。

 一四歳も年が離れたチェーホフとシャヴローフは、とにくチェーホフからは、親密ではあるけれど、やや距離をおいて師弟の関係だったろう。シャヴローフも Mon cher maitreに宛てた手紙は一九〇〇年で終わっている。

 後年の彼の作品「犬を連れた奥さん」や「いいなずけ」には、エレーナ・シャヴローワのキャラクターが投影されているように思う。

リジア・スターヒエヴナ・ミジーノワ(リーカ)(1870〜1937)
 このリーカは、「かもめ」のヒロインであるニーナの実在のモデルです。チェーホフの妹マーシャと同じモスクワのルジェフスカヤ女学院の新任の音楽教師でした。そしてチェーホフ家のみんなからリーカの愛称で親しまれます。
 何故、チェーホフはこのリーカと結婚しなかったのか判りません。以下のようにありました。

 チェーホフが、あれほど親しんだリーカとの結婚に踏み込まなかったのは、作家としての <自由と孤独> を家庭生活によって束縛されたくなかったことと、おそらくは、教師、市会の書記、翻訳家、歌手、俳優、デザイナー……とその都度目的の定まらない、美貌で多彩なリーカの移り気に、彼自身が躊躇したからではないだろうか。

リジア・ボリーソヴナ・ヤヴォールスカヤ(1871〜1921)
 このリジア・ヤヴォールスカヤは、パリのコメディ・フランセーズで学び、ロシアに帰国後、1893年にモスクワで俳優としてデビューします。この同じ年にチェーホフと知り合います。彼女はチェーホフ一家も親しく訪れています。
「かもめ」の中で大女優を自認するアルカージナや、中間小説「アリアードナ」の美貌のヒロインには、このリジアのキャラクターが投影されているといいます。

タチアーナ・リヴォーヴナ・シェープキナ=クペールニク(ターニャ)(1874〜1952)
 妹マーシャの友だちグループで、チェーホフ家によく出入りしていた親しい友人の一人です。彼女は詩人で作家でした。

オリガ・ペトローヴナ・クンダーソワ(1865〜1943)
 妹のマーシャを通じた女友だちの一人に、このオリガ・クンダーソワがいます。彼女は数学者でした。そしてチェーホフの中間小説「三年」のラッスージナは彼女がモデルだと言われています。
 チェーホフが、シベリア・サハリンに出かけるとき、ヴォルガ河を下る船の船上には、数日の間彼女の姿があったと言われます。妹マーシャは、「彼女は兄にとても心をよせていました」と証言しています。

リジア・アレクセーエヴナ・アヴィーロワ(1864〜1943)
 このリジアは、チェーホフよりも4歳年下の女流作家のアヴィーロフです。彼女には、回想録「わが生涯のチェーホフ」を記しています。これは二つの出版社から翻訳されています。

 「私のなかのチェーホフ」(尾家順子訳 群像社)
 「チェーホフとの恋」(小野俊一訳 未知谷)

 早速読んでみないとなりませんね。

オリガ・レオナールドヴナ・クニッペル(1868〜1959)
 このオリガ・クリッペルがチェーホフの妻であるわけです。私が昔たしか大学5年のときに、「チェーホフ全集」の中で、毎日のように女優の妻に書いている書簡を読んだものでした。私はその頃、飲んでいる中で、こんなことを聞きました。

 あの書簡を読んでいると、毎日毎日手紙を女優の奥さんに書いているわけだけど、そして奥さんに惚れているんだけれど、でも本当は、チェーホフはあの奥さんに惚れていたのかなあ?

 こんなことを言った男は、私の2年下の学年の(でも同じ歳だった。いや彼は他の大学へ行き、職業にもついていたのでした)後輩です。……いやいや、こんなことを言っていたのは私だったかもしれません。
 彼女は、チェーホフの死後半世紀以上も生きています。この日本にも来たことがあります。二人は、今モスクワのノヴォジェーヴィチー修道院墓地に並んで眠っています。

マリア・パーヴロヴナ・チェーホワ(マーシャ)(1863〜1957)
 このマーシャは、アントン・チェーホフ男5人兄弟に中にただ一人の女の子でした。この彼女が兄チェーホフの数々の手紙を収集します。彼女のこの努力がなかったら、私たちはチェーホフにの姿を知ることはできなかったでしょう。彼女は兄チェーホフのために、その一生を捧げました。
 上記のターニャがチェーホフの死後30年してから、マーシャへ贈った詩があります。

彼の妹、助手、友人であるあなた、
厳しい仕事も辛酸も彼とともにわかちあい、
周囲にさざめく青春も目にしたあなた───
彼にかわって新たな命の喜びを手にしなさい。
いまあなたは、彼の憩いだった小さな家で、
青い水面を 咲きこぼれる花壇がおおい
いたるところ彼の面影をとどめる庭に、
訪れるひと ひきもきらず
あなたに耳を傾ける 藤棚のもとで……
今またあなたは 昔のまま 彼と日々をともにして
みずからの勤めを誇りとする!
チェーホフの名と思い出とをとどめ
予見者チェーホフを 若者たちに語り継ぎたまえ。
       タチアーナ・リヴォーヴナ・シェープキナ=クペールニク
  1934年5月10日  モスクワ

 こんな妹を持ったチェーホフは、私にも心の中の大きな存在です。

 周の雑読備忘録「牧原純『北ホテル48号室ーチェーホフと女性たち』」へ

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 私がもう15年以上前に書いた文章に次があります。

93-04-14 周の文学歴史散歩3「ゲーテ記念館」
 ただ私はこのゲーテ記念館へ来て、まったく誤解していたことを初めて知りました。これは良かった。中学2年のころから間違って思い込んでいたわけです。
 ゲーテの「ファウスト」において、第1部で出てくるファウストの恋人はグレートヒェンです。彼女は第2部の最後に神との約束に勝ったとするメフィストフェレスと悪魔たちに薔薇の花を投げて、ファウストを天上に連れていきます。私はこの女性が何故グレートヒェンなのかが不思議でした。グレートヒェンという女性はゲーテ14歳のときの初恋の女性です。ゲーテより3歳年上でした。私がどうにも好きになれない嫌な女です。なんで、こんな嫌な女が「ファウスト」の最後に出て来てファウストを救うのだろうと思っていたのです。しかし、ゲーテ記念館の解説読んで分かりました。あの「ファウスト」のグレートヒェンとは、実際のゲーテ初恋のグレートヒェンではなく、私が一番好きなフリーデリケだったのです。ゲーテはやはりこの少女が一番好きだったし、贖罪の意識ももっていたのでしょうか。ただ作中の名前だけをグレートヒェンにしただけなのです。これで、第1部での彼女の叫びなどが、分かりました。あれはフリーデリケの叫びなのですね。
 私はこのことだけを知っただけで、なんだかとても嬉しくなり安心しました。いままでなんだか悲しい顔したフリーデリケだけだったのが、なんだかこれで救われた気がします。フリーデリケの頬が少し薔薇色になった思いがしました。

 これは私のホームページ内の、周の文学哲学歴史話 に書いている以下の中の一部です。

  http://shomon.net/bun/reki5.htm#goethe ゲーテについてのある推理

 このことを、私は昨日、周の雑読備忘録「牧原純『北ホテル48号室ーチェーホフと女性たち』」 に書いた、このチェーホフに関する女性たちを思うときに、私はまたゲーテの生涯の恋人だと私が考えていますフリーデリケのことを思い出していたのです。

 またチェーホフをめぐる女性たちのこともちゃんと記しておかないといけないな、私がまたここで、ちゃんと把握しておきたいと考えたものでした。

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 大学生 (チェーホフ・コレクション)

書 名 大学生
著 者 アントン・チェーホフ
訳 者 児島宏子                                                           絵   イリーナ・ザトゥロフスカヤ
発行所 未知谷
定 価 2,000円+税
発行日 2005年11月10日初版発行
読了日 2008年1月16日

 これは以下でも読んでいました。

   http://shomon.livedoor.biz/archives/51250486.html 周の雑読備忘録「チェーホフ『たわむれ』」

 でもまたこれで読んでみて、またチェーホフを思いました。なんていうすごい作家なのでしょうか。

 ワシリーサが涕泣し、その娘が戸惑いを感じたのであれば、今しがた彼が語った1900年以前の出来事が、この瞬間あの二人の女たちに、荒野にやっと息づくこの村に、彼自身に、全ての人々に、不可避の現象として正に在るのではないだろうか。
 老女があのように泣いたのは、彼が人の心を動かす話術を駆使した結果ではない。
 彼女にはペテロが身近な存在で、ペテロの心中に去来したことどもに、心身とも深く衝たれたからであろう。

d6f37a39.jpg たしかに聖書マタイ伝のあのシーンはいつも胸を打ちます。でもおそらくチェーホフもまたサハリン島を訪れたときに、マタイ伝のあのキリストの声が甦えったのだろうと私には思えます。
 この22歳の大学生は、チェーホフその人の姿でもあると私には思えます。

小犬のカシタンカ

書 名   小犬のカシタンカ
著 者 アントン・チェーホフ
訳 者 難波平太郎
イラスト 田村セツコ
発行所 新風社
定 価 1,300円+税
発行日 2006年12月5日初版第1刷発行
読了日 2008年1月14日

 私はチェーホフは全作品を読んでいるつもりなのですが、でもこの作品も覚えていませんでした。ただ全集の中で読んでいた私には、たぶん気にも留めない作品だったのでしょう。
92a9c3d4.jpg 今改めて読んでみてチェーホフの優しさをものすごく感じていました。「あとがき」で、「外国語書を理解し翻訳できるのは必ずしも語学の力ではなく、ほとんど原著に対する共感と愛情、そして思い入れである」と書いているのが実によく判ります。
 それから、もう一つの作品「おでこの子犬」もいいです。最後に私は涙を浮かべていました。

すぐり (チェーホフ・コレクション)
すぐり (チェーホフ・コレクション)
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書 名 すぐり
著 者 アントン・P・チェーホフ
絵   イリーナ・ザトゥロウフスカヤ
翻 訳 児島宏子
発行所 未知谷
定 価 2,000円+税
発行日 2006年9月25日初版発行
読了日 2007年12月14日

 これは、やはりどうしてもすぐに読みきれませんでした。そしてまた今読み返していました。おそらく昔全集を読んだときにも、この作品は私には少しも面白く読めなかったことだろうと思います。
 しかし、今は少しは判ってきた気がしています。

 彼はおとなしい善良な人間で、私は弟を愛していましたが、自分を地主屋敷に一生涯閉じ込めるような彼の願いには決して同意できませんでした。人間に必要なのはたった三アルシン(約2メートル)の土地だけだとよく言われます。でも、三アルシンで充分なのはむくろであって、生身の人間ではないのです。街から、闘いから、実生活の煩雑さから逃れて、自分の屋敷に身を隠そうとするなんて、そんなのは人生じゃありませんよ。これはエゴイズム、怠惰であり、いわば、修道院生活です。まずは高尚な目的を持たない修道院生活ですね。人間に必要なのは三アルシンの土地でもなく、地主屋敷でもなくて、全世界、自分の自由な精神の特質と特色を、その空間の中で存分に振る舞える、森羅万象全体なのです。

 これは、レフ・トルストイの『人にはどれだけの土地がいるか』をチェーホフが批判しているわけです。私があの小説を読んだのは、19歳のときでした。でも私には少しもトルストイの思いは理解できませんでした。私たちは、むくろではなく、必死に足掻いている人間なのです。
 その思いは、今もひしひしと感じます。チェーホフはいわば、今も生きているのですね。

 私が昔、チェーホフの全集を最初から読んでいくと、だんだん読むのが辛くなっていったものでしたが、その理由(わけ)が今始めて判った気がします。チェーホフは今も生きていて、私が日々出会っている現実を鋭く見てくれているのです。

c9647294.jpg きのうは、けっこういろんなことをやっていました。私の母の喪中の葉書をすべて出せたことは、まず良かったことです。
 このところ、チェーホフの小説を読み直しているのですが、なんだかとてもいいですね。ただ、電車の中で読んでいますので、ときどき涙が溢れそうになり、それが一番困ります。そしてかならず、その私の思いを私のブログに書くようにしています。
 写真は、今現在の王子の家の玄関にある花です。(12/11)

少年たち (チェーホフ・コレクション)



書 名 少年たち
著 者 アントン・P・チェーホフ                                 絵   エカテリーナ・タバーフ
翻 訳 児島宏子
発行所 未知谷
定 価 2,000円+税
発行日 2006年2月25日初版発行
読了日 2007年12月10日

 この本には、もう一つ、「小さな逃亡」があります。
 私はチェーホフが大好きです。でも自分が「チェーホフが好き」ということはほとんど言う機会がありませんでした。それはいわば当然のことだったからなのです。ロシア文学のことは、誰もドストエフスキーとトルストイのことしか知らず、でもしつこい私は、どこかの飲み屋で、ウクライナの人に、「私が好きなのは、チェーホフかなあ」というと、誰もどうにも答えなかったものでした。誰ももちろん、チェーホフが好きに決っているのです。
07121102 このアメリカにも行こうという少年を描くチェーホフは何なのかなあ。もちろん、少年はシベリアを越え、アラスカを経て、カルフォルニアに行って、インディアンと一緒に戦うのだ。でもでもサー………、それは無理なんだよね。

 この「小さな逃亡」を読んで、私の小さなときの思い出が甦りました。いつも秋田も札幌も雪国ですから、病院に行くのも、大変なことでした。私たち二人が雪の中、橇で帰ってくるのを、母はずっと待ってくれていました。思えば、思い出せば、私が一番駄目だったのですね。

 でもサ、駄目なのは私で、私の弟は、あの雪の中、実にしっかりしていました。弟はまだ幼稚園生でした。私がただただ駄目だったのです。
 いつも忘れません。

たわむれ (チェーホフ・コレクション)

 

 

 

 昨日はたくさんのことがありました に書きましたように、私は昨日の夕方この『たわむれ』を読んでいました。

書 名 たわむれ
著 者 アントン・P・チェーホフ
絵   ユーリー・リブハーベル
翻 訳 児島宏子
発行所 未知谷
定 価 2,000円+税
発行日 2006年2月25日初版発行
読了日 2007年12月10日

 そして、この本には、もう一遍『大学生』が入っています。
 それでまず『たわむれ』ですが、私が次のように書きましたように、

 これでは、あの小説のチェーホフとは違う……、と思いながら、私は涙を流していました。

 この『たわむれ』はチェーホフはいくつも何版も書いたようで、その内容がかなり違います。この純真としか思えない乙女を、この青年がいわばからかっただけなのか、そしてそのことをこの青年が思い出しているだけなのか、というところもあり、またこの青年が、このナージェンカと結婚をするというものもあるようです。
07121101 おそらくチェーホフは、こんな乙女ナージェンカをからかう気持ちもありながら、それでも彼女のことがたまらなく好きになってしまったのが、私たちのチェーホフなのです。

 それからもう一つの『大学生』です。これは王子から秋葉原までの電車の中で読み終わりました。大学生のイワン・ヴェリカポーリフキーが寒い厳しい大地の中をずっと歩きながら、ある家によります。そこには、ある未亡人のワシーリナとその娘ルケーリアがいます。
 そこで、このイワンが話し出すのが、もうそのときから1,800年以上前の『新約聖書』のマタイ伝でのペテロの話です。
 私が前に、以下に書いた話です。

   めばえ幼稚園のことで思い出しました へコメント

 この中の『マタイ傳福音書』第26章のお話です。イエスがペテロに、「鶏が泣く前に、お前は私の言うとおり、私を三度否定するだろう!」と言ったという話です。
 イワンはまだ22歳の大学生です。でもこのイワンの話を聞いて、母親のワシーリナは、涙を流し、娘ルケーリアは顔を赤らめるのです。
 これは、チェーホフは「サハリン島紀行」を書いたことと大いに関係するのかもしれません。冒頭の厳しいロシアの大地の姿は、チェーホフの見たサハリン島流刑地の姿でもあったろうと思われます。

 チェーホフは読めば読むほど、たくさんのものを、この歳になった私には、思いもよらないものを与えてくれています。

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 午前中喪中葉書を秋葉原のヨドバシカメラに買いに行きました。欲しいソフトの新しいバージョンも買いました。それで帰えってきて、印刷して出しました。あと残り240通は本日切手を買いまして貼って出します。
 その秋葉原の帰り、王子駅北口の酒屋藤やで、お酒を買います。それがいつも何度も買っているお酒なのです(でもきょう買ったのは、その中でもまた違うのです)が、店主とわずかなお話の中でも私は嬉しくなります。
 そして家に帰って印刷している中、買い物に行きます。王子サミットストアで、来ているはずの長女家族に会えません。でも妻からの用があり、ミツ君に電話できました(おはぎはケータイを家に忘れていた)。それで私はいとしいポコちゃんの手を握ります。
 妻がおはぎに頼んでいた花を買うのを私も選びます(もちろん、おはぎは私に合わせない賢い普通の娘です。だから私が言う花と違うのを買う)。私は図書館に寄って帰ります。
 そして私はテレビの「笑点」を見て、やっぱり笑いながら、図書館で借りたチェーホフ「たわむれ」を読みます。
 もう当然この話はよく知っている内容です。
 そして私は、このチェーホフはよく理解できるはずでした。でも小説の中身の終わりは違うのです。

 わたしはなぜあんなことを言ったのか、なぜあのような戯れに興じたのか、歳をとった今となっては、わたしにもわかならい……

 これでは、あの小説のチェーホフとは違う……、と思いながら、私は涙を流していました。でも私は笑点を見ていて、笑いました。私の涙が不都合だったからです。
 そして当然、お酒を飲んで、飲みながら、結局NHKの「風林火山」を見て、川中島の戦いにおける上杉謙信と山本勘助を思いました。やっぱり従来言われていたように、川中島の第4回目の大戦争は、武田軍の勝利ではなく、上杉謙信のほうの勝利と言えるのではないかな。江戸時代は、徳川政権だったから、どうしても武田信玄を誉める必要があったから、「いろいろとあったが、結局は信玄側の勝利といえよう」というわけだが、あの戦いはどう見ても謙信の勝利です。いえ、明治以降も、そして今もあの戦いは、信玄の側の勝利といいたいのだろうが、戦いの最初から最後まで、すべてを仕切っていたのは、謙信しかないと私は思っています。

 それにしても、チェーホフにはいつも泣かされます。やっぱり、チェーホフは本気で私に涙を流させてくれます。彼の本心は何なのだろうか。

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 周の雑読備忘録「チェーホフ『可愛い女』」 のことで、『可愛い女』をまた考えていました。たぶん、チェーホフは、この女性を書いた最初は、「こんな馬鹿な女はどうしようもないものサ」なんていう気持だったのだろうと想像します。
 でもでも書いてしまうと、この小説のオーレンカは、実に実に可愛い存在です。チェーホフ自身も、自分がいわばからかうような気持で書いたはずの、このオーレンカのことが、いとおしくてたまらなかったのじゃないかな。
 児島宏子さんは、次のように言っています。

 わが友ナターリャ・デェミードヴァが描くオーレンカを眺めて私ははっとした。オーレンカはリカことリーディア・ミジーノヴァを思わせる。ロシア人の多くは今でもチェーホフが好きだったのはリカだったと信じて疑わない。

 やっぱりそうだったんだろうな。リーディア・ミジーノヴァは大変に美貌の女優さんだったようです。そして彼女はチェーホフの死後もずっとチェーホフを愛します。
 『可愛い女』のオーレンカは最後自分の子どもではないサーシャを可愛がります。私は母親ではないし、女でもありませんが、自分の孫のポコちゃんのことを、このオーレンカと同じ思いで可愛がっていきます。

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可愛い女
 私は 周の雑読備忘録「浦雅春高『チェーホフ』」に次のように書いていました。

 でも私が思ってきていた、「チェーホフは面白い」……「けれど、だんだん読むことがつらくなる」………「けれども、また読んでみるべきだなあ」ということだけは確かなようです。だが今度は、おそらく辛い思いばかりが私に降りかかってくるばかりな気がしています。

 でも「読むのが『辛い』というのは嫌だなあ」と思っていて、でも筑摩書房の松下裕訳の「チェーホフ全集」もないし、新潮社の「チェーホフ全集」は過去何度も手にして読んでいまして、どうにも気が進まないのです。
 でも昨日の朝王子図書館に行きまして、以下の本を手にしまして、「これを読んでみよう」と思いました。そして午後から出かけたときに、電車の中で読み終わりました。

書 名 可愛い女
著 者 アントン・P・チェーホフ
絵   ナターリア・デェミードヴァ
翻 訳 児島宏子
発行所 未知谷
定 価 2,000円+税
発行日 2006年1月10日初版発行
読了日 2007年12月7日

 この訳者の児島宏子さんが、この本の最後に「『可愛い女(ひと)』のこと」という文章を載せています。私はこの文を読んで涙を流してしまいました。今も涙が出てきます。

 私はかつてオーレンカが嫌いだった。男性に惚れ込むと、分身のようになる女性なんて愚かなこととしてしか考えられなかった。チェーホフの繊細な人物表現、内にこもるたくみなユーモアに気づくこともなかった。人間を観念でのみで考えていたからなのか、オーレンカを封建時代の女と思いこみ、この作品を何か取るに足らないものと受け止めてしまっていた。
 後年大分たってから再読して、たちまち困惑と混乱に陥ってしまった。今度は無性にオーレンカが好きになっていたからだ。思わず「まあ、なんて可愛いひとなの!」と私は呟いていた。

 これは、私が最初中学生のときに読んでいた思いと同じことを感じました。私もそのときには、少しもこの物語を面白いとは感じていませんでした。
 でも私は昨日この小説に実に読みふけりました。私が実にすべて知りきっているはずのチェーホフなのに、なんてこんなに引き付けられてしまうのでしょうか。
 とにかく私は、またこのチェーホフを読んでいきます。

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 きょうは、午前10時に世田谷の用賀での待ち合わせでした。もちろん、時間の9分前に行きましたが、いつもたくさんの思いがあります。車中で、「玉川線」なんていう言葉が出て、私は知らないわけですが、なぜか違うことを思い出していました。私は小学校5年の頃の、名古屋北区にいた頃の、瀬戸線です。名鉄瀬戸線というのかな。でもあの頃は「瀬戸線」としか言っていなかったように思います。
 ここの社長さんも、お母さんの介護をずっとやっています。私がこの会社を作り、その会社の役員になったのは、社長との関係もありますが、このお母さんとお父さんが何故か私を認めてくれたことがあるのだろうと思っています。
 私は、そのあと、また地下鉄に乗って、延々また別な会社へ行き、また別なことをやっていて(もちろん、その途中でチェーホフを読んでいるのですが)、そしてまた明日のことを考えています。

 介護って、実に大変なことなのです。そしてどうしても言葉少なく、自分だけでやりがちです。そうではなく、誰にでも大きく喋りましょう。
 私は4日にも飲んだお店で、そこのマスターのやっている介護の実態を思いだし、話しかけました。私の今の現状も話したのです(でも私はよっぱらいだから、何を話したかよく覚えていない)。
 でも、私は「俺もつらいんだ」とは決して話しませんが、「俺も毎日、こんなことだよ」というのは話します。それで相手の話もたくさん聞くのです。そして何故か、私は話をすべて覚えているのです。

 またやり抜きましょうね。

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 昨日の寝床の中と、きょうの電車の中だけで読み終えました。実にチェーホフと一緒にすごせた時間でした。

書 名 チェーホフ
著 者 浦雅春高
発行所 岩波新書
定 価 700円+税
発行日 2004年12月21日第1刷発行
読了日 2007年12月5日

 私がチェーホフを読んだ時期というと、中学生のときと、大学の4年、そして5年、6年のときになります。なんで大学のときに時間がかかったかというと、この「チエーホフ全集」は、最初こそとても面白く読めるのですが、だんだん読んでいくと気持が暗くなり、全部読み通すのは実につらかったという思いがあります。
 それで、でもこの新書を読んで、また私のチェーホフに関する総整理をしていました。

 デビュー当時に話を戻せば、チェーホフは『隣の学者への手紙』を皮切りに、すさまじい勢いで作品を書きまくった。わずか四十四年という短い生涯に書いた小説の数は五百八十篇、戯曲は七本の多幕物をふくむ十七本。ほかに私信が四千四百通。その間病気をしたり、外国旅行にもでかけているのだから、いったいチェーホフはいつ生活をしていたのだろう。
 大半は短編とはいえ、五百八十篇という小説の数はやはり尋常ではない。しかも、うち四百五十篇近くは一八八〇年から一八八六年のわずか七年のあいだに書き上げられている。一八八〇年は十二本、一八八一年が八本、一八八二年が三十二本と数は少ないが、一八八三年に入ると作品の数は一挙にはねあがって百八本、一八八四年には七十四本、一八八五年には百八本、一八八六年には百十一本を数える。その後一八八七年には六十五本と作品の数は前年にくらべて半分程度に落ち込み、以後その数は年間一桁台を推移する。
(第一章 3『届かない手紙』)

 私はこれを、チェーホフに関することを少しでも覚えておきたいから書いただけです。それにしても、実に実に多作な作家だということを、前々から思っていました。文の量だけなら、ドストエフスキーやソルジェニーツィンのほうが多いでしょう。
 でもこの作品の数だけは群を抜いています。実は、私も実に手紙を大量に書いていた人間でした。とくに、1969年だけでも私が出した手紙の数は200通を超えています(もっとも、刑務所の独房に長くいた年でしたからね)。
 でもこのチェーホフにはかなわない気持ちが浮かびます。そしてその手紙、とくに女優の奥さんへせっせと出している手紙は読んでいて、なんだかそのときのチェーホフの気持ちをいつも考えていたものでした。
 今も私はこのインターネットでのメールもケータイメールも実にたくさん書いていますが、現実にプリンタで打ちました手紙も書いていて、もちろん切手を貼り出しているわけです。
 でも、あの1969年やそのすぐあとの時代は実に汚い字でせっせと手紙を書いたものでしたね。
 しかし私は、このチェーホフの実際の手紙を読んで、もうただただ驚いたものでした。私なんか全然たいしたことはないのです。私の書いた内容の質が話にならないのは、当たり前ですが、書いた量でも私なんかチェーホフにくらべれば話にならないのです。

 私は 周の雑読備忘録「阿刀田高『チェーホフを楽しむために』」 に次のように書きました。

 いや、それでこの阿刀田高さんの読まれるチェーホフはいいですね。もう私もすっかりちゃんと読み直してみようと思うばかりです。そして今度は、筑摩書房の松下裕訳の「チェーホフ全集」で読もうと思っています。これだけチェーホフを読み込まれる方が現実にいるのですから、私も読み直してみようと思うばかりです。

 でも実際に私は昨日王子図書館(私は図書館は、まさしくさっと行って、すぐに帰ってきます。だってもうあちこち行くところがたくさんあるのですから)に行きまして、チェーホフ全集を探したのですが、やはり新潮社の「チェーホフ全集」であり、筑摩書房の松下裕訳の「チェーホフ全集」はありませんでした。でもそれは仕方ないので、『狩場の悲劇』のある第3巻のみ借りてきました(私は他の本も何冊も借りているので、この1巻しか借りられないのです)。
 でも、やっぱり、この今の歳になって読み直すのは大変な感じがしました。
 それから、『狩場の悲劇』は、原卓也さんの翻訳されたものでした。思えば、原卓也さんにもいくつかの思いがありますね。いえ、留置場の中である窃盗犯と、この原卓也さんのことを話した思い出があるのです。

 でも私が思ってきていた、「チェーホフは面白い」……「けれど、だんだん読むことがつらくなる」………「けれども、また読んでみるべきだなあ」ということだけは確かなようです。だが今度は、おそらく辛い思いばかりが私に降りかかってくるばかりな気がしています。

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 以下は、私がチェーホフの『狩場の悲劇』に関して、少しだけ書いた記録です。私のインターネット内のホームページのサーバー内に置いてあったものです。
 とにかく、私はチェーホフをすべて読み直します。以下は私が大昔書いたメモです。そして肝心の『狩場の悲劇』に関しては、何も書いていないのです。

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92-06-07 10:51:31  周推薦20 チェーホフ「狩場の悲劇」

書 名 狩場の悲劇
著 者 チェーホフ
訳 者 神西清、原卓也、池田健太郎
発行所 中央公論社「チェーホフ全集第3巻」

 チェーホフには大量の小説があります。戯曲には「桜の園」「三人姉妹」など有名な作品がありますが、小説はそのほとんどが短編ばかりでとくにこの作品はというのはありません。だがチェーホフはいいんですね。チェーホフは実にひとつひとつの作品より、全集で全作品を読むべき作家なのですね。
 中央公論社「チェーホフ全集」は実に全16巻。小説は全部で500以上あるのでしょうか。ただ15巻目の書簡などは、1巻全部が女優である奥さんへの手紙ですが、毎日毎日書いてある手紙を読むと、本当にこの人は奥さんのこと愛していたのかなんて思ってしまいます。いや内容は熱愛なのですが。
 それでチェーホフの描いている世界は現在の私たちの日常なのですよ。ただかれの全集を読んでいくと1巻2巻3巻……、と非常に楽しくていいのですが、6、7巻あたりになるとだんだん暗く落ち込んできます。あまりにわたしたちのこと書いているからです。そのなかで、わりと面白く読めるのが、この「狩場の悲劇」です。
 この小説は、チェーホフ唯一の長編であり、推理小説です。そのころは探偵小説と言われていたのかな。そして他のチェーホフの作品とは、随分違った印象を与えてくれます。登場人物がチェーホフらしい感じがしないんですね。
 内容はお読みになるのが一番だと思います。たぶんだれでもすぐに最後まで読んでしまうような推理小説であると思います。
 ただ私この小説よんでから、ウォッカ飲むとき(よく飲むんですが、そして私はどんな酒もストレートで飲みます)、氷の入った水ではなく、必ずぬるい水を飲むようになりました。
 チェーホフにこんな言葉があります。

 罪悪は酒を飲むことにあるのではなく、酔いどれを助け起こさないことにあるのだ。

 私は千代田線で終点我孫子駅で眠っている酔いどれを必ず起こすようにしています。
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 今私は、その「狩場の悲劇」のすべてのシーン、描き方もすべて鮮やかに思い出すことができます。でもそれをちゃんと文章で書かないと、どうにもならないのです。

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