将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:チャンドラボース

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 一昨日の夕刊で、そしてテレビでもこのことを知りました。私はものすごく嬉しいです。私の父は大東亜戦争で最初は中国戦線にいましたが、いったん帰国し、仏印進駐で再び出征し、シンガポール攻略に参加し、泰緬鉄道を作り、「戦場にかける橋」を作りまして、その後部隊(茨城県から出征した部隊)が3つに分けられて、一つはビルマからのインド進出を目指したもの(これがインパール作戦)、フィリピンに向かう部隊(これは船が轟沈され全滅)、そしてスマトラ進駐する部隊で、父はこの3番目の部隊でいわば生きれたのです。インパールへ行った部隊は8割が戦死(病死もあったでしょうが)、フィリピンに向かう部隊は全滅で、偶然生き残ったわけです。15111106
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 私が昔お付き合いした女性のお父さんがこのときのインパール作戦に参加された方で、私がそういうことも知っていたので、詳しくお話したものです。そのお父さんが私が知っているので、喜ばれていたものです。
 このときインパール作戦でインドを目指した(一緒にインド人部隊もいました。これがチャンドラボースです。インドではガンジーと並ぶ独立の父です)ことが、実に大きなことでした。
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 その思いをつなぐ人が私にはアウンサンスーチーに見ているのです。
 アウンサンスーチーは長い間闘い続けました。その闘いは今も続くのです。今はミャンマーの方は大勢日本に、この東京にお出でになります。
 またそれらの方に「アウンサンスーチーさんの勝利おめでとう」と言っていくことでしょう。私はただただ嬉しいのです。

12111311 いやいくつものことを思い出すものです。

2012/11/14 04:3111月10日に朝4時に豊島郵便局(本局)に手紙を出しに行きました。すぐそばの郵便局のポストだと収拾されるのが10時35分なのです。
 今日経新聞が来ました。
2012/11/14 05:23もう今日の「黒書院の六兵衛」に関する私の思いは、私のブログにUPしました。いつもこの新聞の挿絵と、この「黒書院の六兵衛」という題字を画像としてUPしています。
 今日の「春秋」で書いてあることで、私は嬉しくなりました。

 2つの国の国歌を作詞・作曲した人がいる。1913年にアジア人として初めてノーベル賞を受賞シタ「タゴールだ。インドとバングラデッシュ。いずれの国も、タゴールが生前に作っていた歌を独立後に国歌とした。とものタゴールの母語、ベンガル語で書かれている。

 そうなのですね。私は嬉しくなりました。

 戦前の日本の軍国主義を批判したタゴールも、笑顔でみているかもしれない。12111312

 私は間違いなく、笑顔になっているタゴールの顔を思い浮かべます。そしてチャンドラボースとともにインドへ行こうとした私の父を思い出します。

 もう私の父が亡くなってものすごい時間が流れたのですね。

12100909  私の「周の掲示板」にnelu(かわふくG)さんから、次の書込みがありました。

今日は10月8日です。 投稿者:nelu(かわふくG)  投稿日:2012年10月 8日(月)14時20分41秒

 私は1948(昭和23)年5月30日に生まれました。父がスマトラ島の捕虜収容所から出られたのが、前年秋のことでした。それで父は自分の家に帰るよりも、母の実家へ帰ってきたのです。常磐線の佐貫駅に、母は兄を連れて(兄は昭和17年2月に生まれたから、この時が初対面でした)迎えに行ったのですが、帰ってくるはずの列車から降りてこないで(父は佐貫駅をよく知っていたので、窓から降りるということをしないで、ちゃんと降りて、反対側から、「おおい」と声をかけたようです)、みな(母と父と兄)が出会えたのです。 それで私が翌年の昭和23年5月に生まれました。父はすぐに戦前に勤めていた会社に復帰しました。
 父は中国戦線にも行っており、さらに帰国してサラリーマンをやり、また招集でベトナムのシンゴラに上陸して、太平洋戦争が始まり、シンガホール攻略線に参加し、その後タイからビルマへ行きまして泰緬鉄道を作りました。この鉄道を作ったことは父には大切な思い出のようでした。
12100910 だから、戦後の「戦場にかける橋」をよく見ていたものです。でもいろいろと、「事実はこうだった」といくつものことがあったようです。また父はチャンドラボースを大変に尊敬しており、ともにインドまで行きたいという思いが強かったようです。
 その後部隊が三つに分けられ、一つはフイリピンへ向かい輸送船が攻撃され全滅、一つはインパール作戦に向かい、父はスマトラ島へ向かったのです。インパールだったら、戦死していたでしょう。
 私が最初お付き合いした女性のお父さんが、このときインパール作戦に参加された方でした。そのお父さんは、私にはただの娘の彼氏なのに、このインパール作戦のことを詳しく聞いたりして、それで親しくなったものでした。どうしても12100913お父さんには、娘も妻もそうしてもそういう話はだめなようでした。私は「お父さんは、インパール作戦に参加しているんじゃないか」と言っても、娘ではどうしても関心はないものなのですね。
 またこのあとも書きます。今は出かけるところがあるのです。

08888551.jpg 毎日イライラすることですが、私のケータイにもどうでもいいメールが入ってきます。とにかく削除しますが、それでも入ってきます。削除するメールだと登録するばかりです。

2012/04/02 19:19いつも私の携帯電話のケータイメールにも削除すべきメールが入ってきます。もちろん、みな登録し2度と入らないようにしていますが、それでも日々入ってきます。なんとしてもちゃんと管理していかないとなりません。
 IS01のほうはまったくメルアドは誰にも公開はしていないので、大丈夫です。ただし、このIS01は今ではここで書いています「周のIS01ブログ」は、私の将門Webの中では一番多いカテゴリです。
2012/04/02 19:31今NHKでミャンマーのニュースを見ています。私の父はこの国のことをいつも考えていました。父があの戦争で戦ったところだからです。父はチャンドラボースとともにインドへいくつもりだったのです。私はいつもそのことを思い、いつも忘れませんでした。

 私の行く飲み屋さんでも、このミャンマーの女の子がいます。いつも私は上に書いた私の父の戦争を話をしています。

11112502 もうすぐ香港がイギリスから中国へ返還される。なんでもいいから、このときになんか言っておこうと思いました。
 まずイギリスは、あのような歴史的に汚い戦争で奪い取った領土を、今の今までよくまあ、汚く領有したものです。イギリスおよび欧米諸国の恥の歴史をそのままにしていた存在が香港でした。イギリスは単なるどろぼう、海賊の国でしかありません。まあ、これで少しはその恥の存在が消えるわけです。
 次に中国も、どうして今の今になって香港の返還なんていう事態になるのですか。なんでいままで認めていたのでしょうか。それならマカオの存在はどうするの。もう随分前からポルトガルは、マカオを中国に返還しようとしていました。だが中国が拒んでいました。マカオを奪還したのなら、当然香港も奪還しなければならないからです。香港が自国領でないことが中国には大変に都合のいいことだったわけです。こんな阿呆なことがありますか。

 思い出してほしいのです。香港は1941年12月の日本の対米英戦争で、一時的にでも、イギリスからは解放されました。東南アジアの諸国は、日本の進出によって一時解放されました。フィリピンは米国から、ビルマはイギリスから独立して、独立政府が樹立されました。インドも、チャンドラボースによるインド仮政府が樹立されました。
 日本が進出占領した東南アジアの国は、日本敗北ののちにも、独立していきました。日本により独立したバー・モウ政権は倒れましたが、ビルマはイギリスから独立しました。ラウレル政権は日本敗北後倒れましたが、フィリピンは米国から独立しました。インドは日本が支援したチャンドラボースは亡くなりましたが(いまもインドの国会議事堂には、ガンジーとならんでボースの像が立てられている)、ボースのインド独立自由軍の扱いのことから、インド全土に反英運動がおき、インドは独立しました。
 マレーシアも独立しました(ただし、最初はマラヤ連邦だった)。インドネシアは再び植民地にしようとするオランダ軍とそれを支援するイギリス軍と闘い抜いて独立を勝ち取りました。
 こうした流れの中で、例外はインドシナ諸国と、香港です。インドシナは戻ってきたフランスが米国の支援を受けて強力であり、完全な独立は達成できず、フランスとの戦争が長く続きました。そして、香港は、香港こそは、独立はしなくとも、当然中国領に戻るはずなのに、国民党政府も、中共政府も、そんな気はありませんでした。こんな馬鹿なことがあるのでしょうか。
 インドは、ゴアやボンベイという、いわば中国の香港にあたる植民地を、ポルトガルから実力で奪還しました。誰も、当然中国も香港を奪還するであろうと思っていました。それなのに、中国共産党政権は、香港もマカオも奪還しようとはしませんでした。こんな馬鹿なことがあるのでしょうか。イギリスがひどいどろぼうで海賊の国としても、中国はそれどころか自国の領土だろうが、住民だろうが、どうなろうと知ったことじゃないよという国なのではないのかな。
 そもそも、香港をどうして清朝は割譲してしまったのだ。林則徐は、清朝があてにならなくても、ゲリラ戦でもってイギリスと闘い抜き、香港を守るつもりでした。それを弾圧したのは、イギリスではなく、清朝ではないのですか。
 思い出してほしいのです。あの太平天国の乱を鎮圧するのに、イギリスのゴードン将軍が清朝の要請で大活躍していることを。アロー号事件もそうでした。中国は自分の政権の都合しか考えていません。手先として、イギリスをフランスを使おうとしているだけなのです。蒋介石のやった、第2次上海事変は、自分の国民をこそ殺戮しようとする作戦でした。
 もちろん、中国の政権がどうあれ、林則徐のような人がいたように、中国にはたくさんの素晴らしい人がたくさんいると確信します。なんとしても、そうした人たちの香港であり、その人たちの中国であってほしい、そうなってほしいと強く思います。

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