将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:チーフプロデューサー

11051120 日経パソコンの1993年12月6日号に、「パソコンと出会って私は作家になりました」という見出しのインタビュー記事がありました。私は、「ああ、この人が宮部みゆきと並ぶミステリー界の女王といわれる高村薫か」と思ったものです。この作家のデビュー作が文庫本になりました。

書 名  黄金を抱いて翔べ
著 者  高村薫
発行所  新潮文庫
1990年12月新潮社より刊行

 電車の中やあちこちでの待時間に一気に読んでしまいました。これは話題どおりのすごい作家だなと思いました。今後この作家は全作品読んでいくつもりでいます。
 この作品は、大阪のある銀行の地下金庫から500キロの金塊を強奪しようという6人の男たちの物語です。この男たちは綿密に計画をたてます。その計画を組み立て、爆発物を調達することなどの細部にいたる描写には感心してしまいます。よくまあここまで、さまざまなことをよく取材し、それをまたよく表現できているなあというところです。また6人の男たちのひとりひとりの背景も興味深いものがあります。そしてこの男たちに共通しているのは、体制−反体制のどちらの秩序も拒絶する叛逆への強烈な意識です。それは男たちの過去の体験と、そして生い立ちもあるのだろうと思います。そうした過去からの脱出をこうした金塊強奪に彼等は賭けたのでしょう。
 計画の実行への過程を読んでいくと、その展開に思わず引き込まれていきます。まるで私もこの金塊強奪の仲間であるような気になっていきます。詳細な計画を練り、だがしかし、その実行の現場では、さまざまなことがおきてきます。そうしたさまざまなトラブルを克服していくのも、最初からの計画の一貫だといえるでしょう。
 私もこれを読みながら、自分が関わった数々のできごとを思い出しました。ちょうど私が大学5、6年のころの学生運動ではもはや官憲との非合法の中での闘いという雰囲気がありました。指名手配されている仲間を官憲の網の目のなかから脱出させるときの緊張感などはかなりなものがありました。そうしたとき、いきいきと俊敏に動きまわっていた数々の私の後輩たちも今はもう腹の出た中年のオッサンです。
 また私が組合を作って労働運動を指揮したときにも、さまざま綿密に計画をたてました。夜遅くまで組合員と話合いをして、ほぼ次の日の予定を決めたとしても、私たちはさらにその後、限られた仲間でさらに打ち合わせを行いました。その内容は先ほどまでの全体の話合いとはまったく違う結論を出すことも多々ありました。
 私がチーフプロデューサーとして、何人かのクリエーターと組んで仕事をやっていくときも同じでした。いくつも案を作っても必ずこちらのいい形になるように仕組んでいきます。相手(クライアント)の予算自体をこちらが読んでしまっているため(これは私だけがどこからかよんでしまっている)に、どうやってもこちらの思うままの見積りになっていったものです。ある大きな媒体二つ(新聞社と放送局)をうまくこちらのいうとおり動かしたことがあります。それは事前に綿密に計画を練っていたからなのです。
 そして私が大事だと思っていたのは、どんなことがあっても、すべってころんでもその現場では柔軟に最初の計画どおりできるような形(したがって私の場合は細部には何通りかの計画がある)にしていくことです。この作品での男たちにも、数々の思わぬできごとが襲ってきます。仲間が殺されたり、計画の一部が外部にもれてしまっているような不安も出てきます。それでも、かれらは突き進んでいくのです。こうまで彼等をさせるものは、やはりとにかくこうして自分たちと計画を実現することこそが、このどうにもならない世界を一時でも自分のものにすることができるからかもしれません。
 男たちのひとりひとりの描き方はなかなか見事です。私の想像では、著者がこの男たちをパソコンの画面に登場させてから、その男たちはまるで作者の手からは離れてしまうように、思い思いに動きまわっているように思います。その動きに合わせて作者はキーボードをたたいていきます。そしてその中のある男がなにかを思い出しているときに、作者はまたその男の思い出の中に入って、その思い出をまた打っていくのです。
 私には、その中で主人公の幸田という男の大学時代の思い出は、作者の読み違いなように思いました。幸田はおそらく、思想など信じないが左翼の周辺にいた特異な男なのではなく、思想など全く信じないが、ただ左翼の中に身をおいて激しく闘っていた活動家なように思えるのです。そうでないと、あのような現場での臨機応変の動きは無理などではないでしょうか。あのころの左翼の中には、そんな男が何人もいたように思います。

 この著者の力量には敬服します。ただ昨年の直木賞(「マークスの山」で受賞)の授賞式のときに、「私はミステリーを書いているつもりはない」と発言して、多くのミステリーファンの怒りや失望をかったようですが、私もそれは同様に思います。なんでそんなつまんないこというのかな。芥川賞と直木賞の区別ができにくくなっているように、さらにミステリーかそうでないかなんてことはどうでもいいのだけれど。私たちには、この作品のように読み応えのある小説をいつまでも書き続けてくれればただそれだけでいいのです。(1994.05.15)

11021411 5月18日に「第5回千葉YMCAチャリティーラン」がありました。前日夜から雨が降り続けて、とても心配でした。この雨を見ながら私が思い出したことがあります。

 私が赤坂で広告制作会社のチーフプロデューサーやっていたときの話です。あるクライアントの全国紙の全15段の広告制作をやることになりました。確か掲載は1月の15日。
 それで、ちょっとめんどうなクライアントなもので、11月末からまず最初8点くらいプレゼンテーションしたんですね。普通なら3点くらいで、しかもそれのほうがクライアントのためにはいいのですが、ここの社長はくせがあって、ろくに打ち合せもしないのに、カンプのプレゼンだけ求めるのです。カンプ見てからいろいろ注文つけだすのです。それが分かっていたから、8点くらいだして、これが全部けられても、そのときの相手のけなしかたから、考えていってそのあと2点くらのプレゼンで決るだろうという作戦だったのです。会社のデザイナー4名の総出演と外注のコピーライターの努力でいろいろ自信作ができました。
 ところが敵もさるもの、ひどい人で、いっこうにOKしないのです。それになにかこういうコンセプトでやってくれというようなことをひとつもいわないのです。住宅に関連した会社だったのですが、「とにかく人にとって、家は一生で一回しか買えない大事なもの」くらいしかいわないのです。
 それでいったい何点カンプつくりましたかね。全部で80点くらいだったか、とにかくもうアイデアだって、枯渇してしまいますよ。しかもタイムリミットがあります。
 なんと1月になって、もう期限的にぎりぎりだというときのプレゼンテーションで、

 社長「もうわかってねえな。家ってのは、一生の大事な買物だか
   ら……」
 私「だからそれを充分考えてあると思うのですが、たとえば社長
  はどんな、家の大事さをどう表現されると、ああいいなと考え
  るのですか」
 社長「それを考えるのが君らだろう。たとえばだな、家を買った
  人が、部屋に座っていて、雪見障子ごしに庭を見ていて、日の
  光が空けた障子の間から射していて、それで、ああ俺はこの家
  を買えたんだなと思えるような……………」
 私「分かりました、それでいきましょう」
 社長「でも間に合うのか」
 私「やります。すぐまずカンプ作ります。それでOKなら、これ
  は写真でいきますから、ぎりぎりだけどやりますよ」

 もちろん私とアートディレクターで、ちょっと目配せしたりして話しているわけですが、さあこれからが大変です。
 カンプOK、コピーほぼOK、あとは撮影です。私はプレゼンの際の社長の話のときから「これは私の詩吟の関係のどこかの家でやればいいだろう」とひらめいていたのです。
 しかしその家をさがさなくてはなりません。しかしこれはというところないんですね。雪見障子、日本間、日の光がうまい具合にさす、当然日本庭園、こんな条件のところ短期間ではむずかしいですよ。それで、私の頭には最終的にどこも無理だったら、うちの親父の自宅を使おうと思っていたのです。ただ雪見障子と日の光が問題です。親父にきいたら、床の間の部屋は雪見障子は使ってないが、ほかの部屋にあるとのことで、それをもってくればよい。最後の日の光ですが、その部屋は、庭の方向だと日がうまく射すのが午前9時なんですね。でもカメラマンが、とにかく強力なストロボでも使って、やってしまおうと決定しました。
 さて、スケジュール的にはリミットの日、私とディレクターとカメラマンと助手、午前8時に我孫子駅に集まりました。しかし天気予報のとおり、小雨の天気。一同がっくり。でもやるしかない。バルカーという、ストロボを圧倒的に強力にしたものを、カメラマンは4台もってきてくれた。それだけじゃない、カメラマンは、日本間にあうような座布団とか、いろいろな小物まで用意している。なんせもうスタイリストやとっている時間も予算もなかったのです。ただ、カメラマンがいうには、バルカーがいかに強力でも日の光にはとうていかなわないそうな。そのカメラマンは照明に関してもプロでしたから、本当は日光が欲しかったのです。
 それでいよいよ現場、うちの親父、おふくろ、兄嫁見守る中、バルカーを庭にすえていろいろポラロイドどり、親父たちも絵になるような小物いろいろ出して協力。ポラみて、「やはりバルカーだと弱いね、なんとか太陽出ないかな」などと言って、一同空を見上げたとき、奇跡が起きたんです。急に雲が晴れて、太陽が姿現したんです。すぐさま撮影開始。約8分で太陽は雲の中にはいってしまいました。それからバルカーつかっても撮影。 いや一同感動しました。あんなことあるんですね。でも鈴木さんというカメラマンがそのときいってました。

  こういうことってあるんですよね。みんなの気持ちがひとつに
 なると、こういうこと起きるんですよ。

 それから必死にやって、見事全15段完成。社長よろこんで、その広告をパネルにしてくれということで、社長室に早速かざりました。全国の支社支店にも。それに私の親父のうちにも。
 でも本当にこんなことあるのですよ。みんなの思いが一つになるときに、こうして一見不思儀なことが起きるものなのです。

 雨の天気見て、こんなこと思い出しました。(2002.05.20)

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