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Tag:トゥーキュディデース

12052303 私のトゥーキュディデース『ペロポネソス戦争』へ、大絶画さんから、以下のコメントがありました。

1. Posted by 大絶画   2012年05月13日 05:55
 萩原周二様

はじめまして大絶画と申します。
復刊ドットコムに岩波文庫版『戦史』がリクエストされています。萩原様をはじめブログをご覧の皆様の投票しだいで復刊される可能性があります。
投票ページへはURLからアクセス可能です。「商品あり」となっていますが実際は「重版未定」で投票も可能です。投票へのご協力をお願いします。
なおこのコメントが不適切と判断されたら削除していただいてかまいません。

 まず、こうしてレスが遅くなり申し訳ありません。言い訳すると、なんだかいつも気ぜわしいくらいにやることがあって、こうしてパソコンに向かっていられないのですね。
 でもこのコメントは書かれたあと、すぐに読みました。
 それで投票したいのですが、でもなかなか会員になれないのです。私が私のメールアドレスがうまく登録できないのですね。いえ、ちょっとメルアドを事情があって、私が替えたからだと思います。あとで、またやります。

 ただ、このトゥーキュディデースの『ペロポネソス戦史』に関しては、筑摩書房の『世界古典文学全集』と岩波文庫版があって、それぞれ、訳者も違うのですね。私は『世界古典文学全集』で読んだものです。
 私はヘロドトスよりもトゥーキュディデース(トゥキディデスと書いたほうがいいようだ)のほうが好きになれますが、これは両方読んでそう思いました。いや、双方にはいろいろと思うことがありますね。どうしてもトゥキディデスのほうが暗く感じるのですね。これは仕方ないのでしょうが。祖国アテナイが敗北していくのですから。

 しかし、やはりメルアドをちゃんと整理整頓していきます。

11020606 私はこの本を筑摩書房の「世界古典文学全集」で読みました。
 そこでは書名は「歴史」となっています。ちょうど私が1973年の4月30日に、鹿児島の港から、沖縄行きの船に乗るとき(もちろん三等客室の船の底の部屋でした)から読み始めたものでした。かなり厚い本なので、沖縄で飯場のベッドの上で読み終わったものでした。それ以前によんだことのある「ヘロドトス『歴史』」と比較して考えていたものでした。
 私が以前にこの書籍で、インターネット検索をしてみる(2009年12月)と、私のサイトが以下のように出てきました。

   http://shomon.livedoor.biz/archives/51715528.html
              「アフリカ的段階について」の2

 インターネット検索も今ではどんどん変化しているんだなあ、と感じたところでした。

 トゥーキューディデスが書いている「歴史」(岩波文庫では「ペロポネソス戦争」という題名になっています)は、この古典古代社会における戦争を描いているのですが、何故かアテナイの敗北までは書いてありません。
 そうなのです。この戦争の最後までは描いてはいないのですね。別に作者が亡くなったわけではありません。ただおそらくは、作者の祖国であるアテナイの敗北する姿を描くのが嫌だったのでしょうね。
 私が船の中で読んだところでは、二人のアテナイ兵とスパルタ兵2人づつがが、アドリア海の小さな島の湿原のような海の上で戦うさまが描かれていました。それがこの戦争の最初だったようです。(このシーンも沖縄の名護市の久志村の前の太平洋で類似を感じたものでしたが、今では、この著作のどこにこのことが書かれているのだろうか。私はこの戦闘のシーンはいつも思い出すことなのです)。
 私がその翌々日(なにしろ沖縄までは延々の船の中です)行きました、沖縄の太平洋岸もまったく同じような海でした。
 もう読むこともない、遠い本になってしまいました。(2011.02.07)

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 それで、まだ書かないとなりません。
 アジア的段階については、ギリシア=ローマの時代が古典古代と言われるものの前の時代だと思われます。ヘロドトスの「歴史」で描かれているペルシア戦争のダレイオス1世やクセルクセス王の側が明らかにアジア的と言われる段階です。
 次のトゥーキューディデスが書いている「歴史」(岩波文庫では「ペロポネソス戦史」という題名になっています)は、この古典古代社会における戦争を描いているのですが、何故かアテナイの敗北までは書いてありません。
 ただこの2つの歴史に関する書物は、古典古代社会であるギリシアとその前のアジア的な社会であるアジアの姿を描いてくれたかと思っています。
 ところで、では実際のアジアである中国では、例えば司馬遷「史記」では、一体このアジア的というのは、どこになるのだろうと思います。まさしく、「史記」で書かれている社会時代は、「アジア的」と言われるものなのでしょうね。
 でもヘーゲルーマルクスのいうアジアとはせいぜいインドまでなのですね。
 でもこの日本ではどうなのだと思うのですね。「吾妻鏡」で描かれている鎌倉幕府が、「玉葉」で書かれている鎌倉時代が、いわゆるアジア的のあとの封建制と言われるものなのかなあ、と思っています。関東御成敗式目がいわば、封建的法とすれば、律令がその前のアジア的なものなのだと言えるのだと思います。

 それでいつも、では「アフリカ的段階」と言われるのはどこなんだ、なんなんだと思ってしまうところです。
 ただ言えるのは、その昔のマルクス主義のいう歴史観では、もう理解外のことであろうと思うのです。マルクス主義のいう歴史観とはエンゲルスーレーニンの言うマルクス主義歴史観です。
 そして私には、いつもここで、島尾敏雄が浮かんできて、そして柳田国男を思い浮かべます。
 私は昔沖縄の太平洋岸の久志という村で、戦後始めて行われたハーリー祭りに参加していて、その舟の上で、そして祭りの最後に村あげての踊りの中で、「こういう姿が、いわゆる『アフリカ的』なものなのかなあ」なんてことを感じていたものです。

  「アフリカ的段階について」の3 に続く

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