将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:ナミちゃんのブログ

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 いつもナミちゃんのブログを読んでいるわけですが、このUPの写真を今見ていまして、「あれ、俺のところでも桃があるんじゃないか?」と思いまして、今たくさんの用で、外を走り回っていまして、帰ってきた私は、今私の左隣を見て、写真を撮ったのです。それがこの画像です。
 私のところ、私の部屋にも桃があるのです。それでこれは何かなあ? たしか昨日の夜におはぎの家に行きました妻が持ってきたような思いがあります。私の部屋はいつも冷え冷えしていますので、冷蔵庫替わりになるのです。
 そうすると、うちがもらったものなのかなあ。長女から預かっているものなのかなあ。どっちにしても私は食べないから関係ないのですが、実に自分のすぐそばにあると不可思議ですね。
 あのね、とにかく不思儀なんですよ。昨日の夕食時にお酒を飲んでいたわけですが、たぶん、3合半くらい飲んだと思っていました。一升瓶をあけましたから。
 でもつい先ほど冷蔵庫の中に半合くらいのお酒がコップの中に残って、ラップがかけてありました。ということは、私はこれをそのまま残してしまったのですね。当然私はさきほど一気に飲み干しましたが。

 私はさきほど、図書館やスーパーやコンビニに行っていまして、帰るときに、「浦島」という料亭のそばを通るときに、「あ、ここで今度俺の親族で宴会やろう」と思っていました。浦島はたしか5人以上でないと使用できないのです。私の親族は、「大人が6人で、子どもが2人(今は一人はまだ生まれていませんが)」です。そうすると、ポコ汰には子ども用のものを、ポニョちゃんには、赤ちゃん用のものを用意してもらおう、それは何にするかなあ? なんてことばかり考えていました。そこで私の唄う歌まで考えていました。もちろん、詩吟もやるわけですが、「ポコ汰たちはまだ小さいから判らないだろうしなあ」なんてことを懸命に考えていたものでした。いやもちろん、おおばば(義母)の世話はどうしようかと、このことも真剣に考えていましたよ。

062c8dcd.jpg ナミちゃんのブログ上野動物園 を読みました。ナミちゃんが撮ってくれましたアザラシくん、シロクマくん、ペンちゃん、カバくん、キリンさん、ゾウくんの写真を見ました。とってもいい写真です。
 この写真とナミちゃんが書いている内容で、私も早くポコ汰を連れて上野動物園に行きたくなりました。
 私の記憶では、名古屋の東山動物園に入ったのは小学生の4、5年生の頃で、その後は少しも行きたいと思う場所ではありませんでした。でも自分の子どもが生まれますと、当然に連れて行きたくなります。
 でも連れて行っても、まだ小さいブルータスは、像の前でも肝心の像を見るよりも、自分の目の下にあった水たまりに、自分の顔が写っていることに歓声をあげていたものでした(このことを前にも、私はどこかに書いているのですが、それがどこだか判りません)。そのことが実に懐かしいです。
 それから、私の義弟の子どものタクヤ君を連れて、この動物園に行ったことも懐かしいです。途中で、妻や義弟や娘たちとはぐれてしまい、タクヤ君は、私の手をずっと握って歩いていてくれたものでした。それがもう実にいい愉しい思い出です。
 ポコ汰と夏に生まれてくるポニュちゃんを連れて動物園へ行けるのはいつのことでしょうか。2年後でもまだ無理かなあ。
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 ナミちゃんのブログいよいよ明日。。です。 があります。

いよいよ・・・明日はトン君とじゅんちゃんの結婚式です。

 もう大変に嬉しいです。私は娘が二人です。二人とも結婚しました。その結婚式がとても嬉しかったです。二人の結婚した彼のことが私は大好きでしたし、そして彼のお父さん・お母さんが素敵でした。私はすぐに大好きになりました。
 そして今は長女の息子のポコ汰のことがもう大好きです。そしてまた長女おはぎのもう一人、もう二人の子どものことも、次女ブルータスの子どものことも私はもう待ちかねています。じいじはみんなで温泉に行って、男組のじいじとポコ汰が二人で赤ふんをしていて、それを女性軍に見せるのが楽しみです。みんな感動しますよ。面白いよ。

 ナミちゃんは、私の埼玉大学の後輩です。私が大学5年のときに、私がたまたま偶然いました私のサークル部屋で初体面しました。1971年の4月かなあ。私のいたサークル部屋は、ただただ活動家がいる場でした。私が壁に下手な真っ赤な字で、「大亜細亜解放!」と書くと、その上にブンドの若者が「プロ独のもとに世界革命戦争勝利!」と書いて、さらにその上に解放派の若者が、青インクで(解放派だからね、社青同だからね)で「プロ統の旗の元に」なんて書く部屋でした。
 でもナミちゃんは、この部屋が気に入ってくれたのです。そしてナミちゃんは、すごく綺麗な娘でした。

 その娘のさらに子どもさんが、こうして結婚することに、とっても感激します。よかったね。そしてもっともっとお幸せになってね。私もとにかく、ただただ祈っています。

 本当におめでとう!

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 ナミちゃんのブログ雪の朝〜♪〜 がありました。あ、我孫子は雪なんだ。私は自宅はもちろん我孫子なのですが、でも今は東京北区王子ですし、この我孫子の雪なんてまったく想像もできませんでした。
 でもナミちゃんの おんどりキャビンの屋根にも積もっています という写真を見ますと、我孫子の兄の家に庭にも雪が積もっていることを思い出しました。
 あの家に雪が積もると、私の娘二人も、みーねえも大騒ぎになります。雪が面白くて愉しくて仕方ないのです。私も雪が降ると、何故だかうきうきしてきます。思えば、私は鹿児島にも沖縄にもいましたが(そして沖縄は大好きですが)、でもやはり私の心も身体も雪国のほうが好きなのです。雪国に向いている人間なのです。
 秋田でも札幌でも、雪の中で汗びっしょりになって遊んでいたことを思い出します。私の弟はわずか2歳しか違わないのですが、そうした思い出はないでしょうね。だから、弟はスキーをした思い出もないし、雪が実に愉しいものだという思い出もないでしょう。
 私の弟はスケートはものすごく上手です。でもそれは雪国のものではなく、鹿児島でローラスケートをやっていて覚えたものなのです。
 私もその頃ローラースケートをやって、そのあと大学5年くらいで、普通のスケートをやったものでした。でも私はスケートで転んだことはありません。みな幼稚園、小学校1、2年で覚えたスキーのおかげです。
 私は30歳をすぎてから、ボードセ−リング(ウィンドサーフィン)を始めましたが、なんでもスポーツの苦手な私でしたが、これはものすごく親しめました。それは幼いときのスキーを身をもって覚えたことは、繋がっているのだと思いました。

 海の上と雪の上が同じなのですね。

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 毎日必ず読んでいます ナミちゃんのブログこのUPがありました。

一月に一度の「絵本の会」に参加して・・もうかれこれ・・二十年近くになるかしら。
発足してから今年で二十三年目かな。

 すごいね。私はナミちゃんは、埼玉大学の私の5年生のときに出会ったとっても綺麗な少女でした。でも、彼女の住んでいるところが私と同じ我孫子市だということに驚いたものでした(でも私はその頃は、我孫子にはほとんど居なかったものでした)。
 それでたしか1993年の頃、同じパソコン通信の仲間で毎日新聞の記者から、ナミちゃんが小学生に絵本を読んであげるということをしているという記事が新聞記者仲間の朝日新聞にあるというので、私も読んでみたものでした。この記者が、「この記事にある子は埼玉大学出身だというから、周さん知っている人じゃないの?」と言われまして、記事を見ると、それがナミちゃんでした。
 その前からナミちゃんは、ずっと絵本を何人もの子どもたちに読んであげているんですね。私はその頃から、パソコンでパソコン通信をやり、そしてインターネットが開始されると、私も自分のホームページをたちあげて、何もかもパソコンで処理するようになりました。
 ただし、酒を大量に飲むこと、しょっちゅう大声で歌い出すこと、本も大量に飲むことは、全然変わりません。でももう歳をとって、酒は少量になりましたし、歌声も(昨日ゴールデン街での私の声を思い出すと)小さくなりました。ただ本を読むのはほぼ変わりません。ただナミちゃんのおかげで、絵本を読むことを知りました。このことは、ナミちゃんに大声で感謝したいことです。
「絵本」というのは、私には、私の読書する本には入っていなかったのです。自分に孫ができて、ナミちゃんから何冊もの絵本を送ってもらって、それをポコちゃんに読んであげて(でもまだ小さいから、よく判らないようです)、私も絵本が実に魅力のあるものだということが判ってきました。

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もりのかくれんぼうもりのかくれんぼう
書 名 もりのかくれんぼう
作   末吉暁子
絵   林 明子
発行所 偕成社
発行日 1978年11月1刷
読了日 2007年11月17日

 これもナミちゃんブログで紹介されていた絵本です。
 とってもいい絵本です。私は、けいこがもりの多くの動物たちやかくれんぼうとかくれんぼしていて、ふと現実の世界に戻るところで、涙が浮かんでしまいました。けいこがおにいちゃんに会えたのはいいのですが、動物たちやかくれんぼうがどこに行ってしまったのでしょう。

 長女のおはぎが二つくらいのときに、言っていたことです。その頃住んでいた我孫子の小さな家では、家の中にママと私の他にも何人もの人がいて、それがおはぎには見えていたようです。「わたしはママは二人いるんだ、と思っていたの。でもまだ喋られないから、それを言えなかったの」というのです。「ここにいたの」と部屋の中を指さすのです。それはおはぎが2歳の頃に喋ってくれていたことです。おはぎは0歳のときに、そんな何人もの人と会っていたようです。
 でももうそのことは覚えていなかかなあ。
 だから、このけいこの体験した不思儀なことは、この私にはよく理解できてしまいます。ただし、この私はもうそんなものに出会うことができない、つまらない大人なのです。
 絵がとっても素敵です。思い出せば、私の二人の娘も、我孫子のこうした森の中を大勢の子どもたちと歌を唄いながら歩いていたものなのでしょう。二人がまだ保育園生の頃のことです。

 思い出せば、私が保育園や幼稚園に行っていた秋田市や札幌市では、私の娘のように、森の中を歩いたことはないなあ。二つとも、つまらない都会だったもの。
 でもでも、こう書いてきて、秋田でも札幌でも、森があったことを思い出してきました。そこを歩いている自分を思い出してきました。母と手をつないで歩いていたことも思い出します。あれはどこに行くときだったのだろう。たしか、秋田で、どこかの海岸に行こうとしているんだ。だから私が4歳の頃かなあ。

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