11012510書 名  推定無罪
著 者  スコット・トゥロー
訳 者  上田公子
発行所  文春文庫

 この本を読むのにはかなり時間がかかってしまいました。いつも鞄の中に入れてはいたのですが、なかなかすすみませんでした。上巻の3分の2まで読みすすむのに約2か月かかってしまいました。しかし、そのあとはもう1日かかりませんでした。ほんの3時間というところでしょうか。私はあるページから夢中になって読んでしまったのです。それはこの小説の主人公がこの作品の中の殺人事件の犯人被告とされるところからです。

 主人公ロザーラ・K・ザビッチは地方検事局の首席検事補です。私には彼がこの小説のはじめから、何事にもたえず検事としての視線からしか見ていないところが、どうにも嫌なことと、そうした視線はかなり薄っぺらなものにしか思えないことが、どうにもページが進まなかった理由だろうと思います。
 ところが、キャロリンという美人検事補が自宅で殺害され、ザビッチがその事件の担当になります。そして事件を調べて行くうちに、被害者の愛人関係にあった自分にこそ次第に容疑が向けていかれることに気づきます。そして実際に犯人として起訴されてしまうわけです。今までは、検事として被告人席を見、陪審員席を見ていたのが、まったく逆の立場からまったく逆の席に座って見ることになります。自分の向い側には、自分を告発するかつての同僚である検事がいるのです。そうしたときに、世界はいったいどう違って見えてくるのでしょうか。
 過去の検事としての目では、なんでこうまで丁寧にやるのだと思っていた判事の言葉も、今ではまったく逆に聞こえるのです。

  検察官としてのわたしは、ラレン(判事)がきまってくりかえ
 すこの部分を、いつも耐えがたく思ってきたものだ。いま、ニコ
 もモルトも(二人ともこの事件担当の検事)青ざめていらいらし
 ている。判事の言っていることは正しいのだと何度自分に言いき
 かせても、それをこれほど強調して説明できる人がいるというこ
 とが信じられないのだ。           (「夏-26」)

 このラレン判事がいっているのは、陪審員候補から陪審員を択ぶ際に説明している内容です。これは法というもの、裁判というものの根柢を示しています。判事も陪審員もはじめは、被告は無罪だという前提から出発しなければならないのです。予断を入れず真っ白な頭でいなければなりません。マスコミ等々で、どう犯人が凶悪卑劣と報道されようと、判事や陪審員はそれらの情報は頭の中からすべて排除しなければならないのです。被告は無罪という前提から出発して、それを有罪か無罪かを決定するのは、検事側の数々の証拠や証人の証言をみてからなのです。
 ただ、いまこのことが、この裁判の原則が日本の裁判で徹底されているのかというと、なんだか自信なくなってきます。どうみてもいくつかの裁判では、裁判官が別な情報からの予断をもってしまっているような判決を見ることができるように思えます。裁判官だって、テレビも見れば、新聞も読むでしょうから、そうした情報を頭の中から消し去ることは無理なのだと思います。だが、ことことは裁判の原則なのです。あくまで裁判の過程で提出されたものだけから判断するべきなのです。
 とくにアメリカは陪審員制度ですから、彼等のような普通の市民がこの原則を貫くのは大変な努力がいります。だからこそこのラレン判事は執拗に丁寧に陪審員に説明しているのです。この説明にはかなり感動しました。こういったことをこのラレン判事のような言葉で、義務教育の社会科で教えてもらえば、法とか裁判の制度ということがよく理解できるのになと思いました。

 この作品の中の裁判では、あまりな検事側の杜撰なやり方のために、次第に検事側は、苦しくなっていきます。あまりに検事側は予断でもって判断してしまっているのです。しかしそれを明らかにできていくのは、優れた弁護士と主人公の動きです。過去の主人公が検事だったときには、こうしたことでもただそのまま通してしまっていたのです。今回が違うのは、自分が被告だからなのです。
 ついには、裁判官が陪審員の票決まで行かずに、審理自体を却下します。また同時に検事側も公訴を取り下げてしまいます。起訴自体があまりに杜撰すぎたのです。これで被告である主人公は無罪となります。だが、この被告人としておかれていた時に、彼の妻、子ども、彼自身はどんなに苦境の場に置かれたことでしょうか。
 そして大事なのは、この裁判によって主人公は無罪となるわけなのですが、それは法的に彼が犯人とはいえないということだけで、無実とはいえないのです。そしてこの裁判とは関係ないのですが、この殺人事件の真犯人はいったい誰なのでしょうか。
 この小説では裁判の過程を詳細におっていきますが、その中でだんだんと主人公が思いもよらなかったことがいくつも見えてきます。ここのところが、この小説をさらに重く深く読ませるところです。最後まで読んで、この小説の深さに感動した思いがありました。
 ハリソン・フォード主演で映画化もされました。ただ、映画を見る前にこの作品を読んでおいたほうがいいのでは思います。アメリカの司法制度など私たちには判りにくいところがあるからです。(1994.05.16)