将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:ハルノ宵子

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 私の大好きな漫画家です。私が一番尊敬崇拝している吉本(吉本隆明)さんの長女です。私は発行されている作品はすべて読みました。もちろん漫画以外のものも読んでいます。妹さんが書いているこのお姉さんの内容もものすごく面白く嬉しいです。こうした姉妹がいるということに、ものすごく嬉しい思いなのです。
 彼女の作品はものすごく感激して読みました。こうした作品が描けることに、ものすごく感激興奮しています。
 彼女で一番思い出すことは、島成郎さんの葬儀のことです。また別に書きます。
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12031602 やっぱり私は、涙を浮かべています。その後いくつものニュースを読みました。

吉本隆明さんの次女・よしもとばなな「最高のお父さんでした」(スポーツ報知)
吉本隆明さん死去:大衆に寄り添った巨星 「現在」問い続け、全共闘世代の「教祖」(毎日新聞)
吉本隆明さん死去:晩年まで独自の思考を重ねる(毎日新聞)
よしもとばななさん、父・吉本隆明さんとの最後の会話をTwitterに投稿(アメーバニュース)
思想家・詩人の吉本隆明が死去、戦後日本の思想界を牽引(CINRA.NETニュース)
吉本隆明さん死去=戦後思想界に大きな影響−87歳(アパレルウェブニュース)
よしもとばなな 父吉本隆明氏死去「最高のお父さんでした」(デイリースポーツ)

  まだまだあるのですが、ここまでにします。

 この中で、アメーバニュースに書いてあったのが以下です。

吉本の次女である作家のよしもとばななは、自身のTwitterで「父は最後まですごくがんばりました。父が危篤なことを言えずつらい一ヶ月でした。一時はもちなおしたのですが」と経緯を明かし、「最後に話したとき『三途の川の手前までいったけど、ばななさんがいいタイミングで上からきてくれて、戻れました』と言ってくれました。もう一度、話したかったです」「最高のお父さんでした」と父への想いを綴っている。またユーザーに対しては「お父さんがまだいるかたは楽しい時を、そうでないかたは良い時を思い出してくださいね!」と呼びかけている。

 私は吉本(吉本隆明)さんの本はすべて読んでいるつもりです。よしもとばななさんの本も、ハルノ宵子さんの漫画もすべて読んできました。奥さまの和子さんに関して、私はインターネットで検索したら、次が出てきました。

   吉本隆明の愛した女、和子さん

 それでこれを読んでいて、「あれ、おかしいな。これは私の書いた文だ」と気がつきました。そうですね。これはたしか3年くらい前に、私が書いていた文章です。
 私も、二人の娘(もちろん、二人の娘の彼も)と、そして四人の孫を大事にしていきたいです。

11110505 前の「散歩の達人11月号」や「男の隠れ家12月号」で、吉本さんが御自宅の書斎で、液晶画面付きの器械で印刷物を読んでおられるグラビアが載っていました。
 これは「周の掲示板」でお留守居役様も教えてくれましたが、電子ルーペ「ルーカスW」というもののようです。京都三月書房のメルマガによりますと、

 前号でお知らせした「散歩の達人」は、その後仕入れることができましたがそれにも液晶画面付きの器械で印刷物を読んでおられるグラビアがありました。うちの地べたのお客の吉本読者には、糖尿病や、弱視で困っておられる方々がおられますから、もしこれが便利な器械だったらぜひお奨めして、もっと本を買い続けていただきたいと思い、吉本家にFAXでたずねてみました。
 ハルノ宵子さんからいただいた返信によりますと「あの拡大機は、うちに出入りの電気屋さんが見付けて来たもので、『フォルテシモ』という秋葉原の小さな会社の『ルーカス』という物です。…基本的にはカンタンな機械だけです。父にはシャープの液晶モニターを買いましたが、普通の家庭用のTVでも使うことができます。」とのことでした。
 つい液晶画面に目が行ってしまいますが、本体は吉本さんが右手で握っている懐中電灯のような形をした機械だったのです。これでスキャンして、TV画面に表示されたのを読むわけです。FAXされてきた説明書によりますと、14インチのディスプレイの場合、6倍か12倍の表示が選べ、さらに大画面のディスプレイですともっと大きく表示されるそうです。(32インチだと約14倍と28倍)

 この商品をの会社は、

   有限会社フォルテシモ

です。またこの

   電子ルーペ「ルーカスW」

のページには、

   ●ルーカスWを使う著名人●
   吉本隆明氏 ・・・詩人,思想家
   写真はルーカスWを使って新聞を読む吉本氏。
   (撮影:春木屋電機・菅谷氏)

ということで、吉本さんがこのルーペを使っている写真が掲載されています。

書 名 胸中にあり火の柱:三浦つとむの遺したもの
編 者 横須賀壽子
出版社 明石書店
定 価 2,500円11110115

 板倉聖宣、宮下真二、南郷継正ほか数十名による、三浦つとむの人と仕事についての文集。詳細な著作目録と略年譜がついている。
 吉本さんの「別れの言葉」は告別式の辞の再録です。
 ほかに吉本和子、多子(ハルノ宵子)、ばななの3人による書き下ろしの文も載ってます。(2002.08.30)

11012703 またこの漫画を読んでいるわけですが、この作品は、その前にある『天界の音』と並んで古道具屋の上柳千(せん)の話です。
 前にも思ったのですが、この千は、私には吉本隆明さんを思い出させます。一見何をやっているか判らないのですが、実は人類を破滅から救うようなことをひっそりとやってしまうのです。
 中にある「姉について」で、妹のよしもとばななが、で次のように言っています。

  姉は何だかよくわからないけど「愛」にあふれた人で、作品も
 そうで、その「愛」はとてもはげしく熱く巨大に今日も燃えつつ、
 大宇宙とつながっているようなのです。

 なんだか、このことが実によく判ります。
 でもできたら、また漫画の新しい作品を見せてもらえないかな。そのことを強く希望します。(2010.06.26)

11012702  この作家は、1957年12月28日に生まれています。
  私の好きな吉本(吉本隆明)さんの長女で、よしもとばななのお姉さんです。彼女の本はどこかにあるはずだと、今探しました。いえ我孫子の自宅の引越しで、本は大量に古書店に引き取ってもらったのですが、吉本さんの本とその他いくつかの本は持ってきたはずなのでした。
 この本『虹の王国』(JICC出版局)を今取り出してきました。
 でもだめです。またこの本の中の、この『緑の呪文』を読んで涙を流してしまいました。この最後のページに、主人公とエリンが腕を組んでいるシーンがあります。

  ありがとう… 僕の中の エリン
  約束だね… 一緒に野球を 見に行こう!

 このハルノ宵子さんの漫画はどれもいいです。私はそのすべてを持っているはずですが、どこにあるのだろう。
 この本のちょうど中頃に、妹の吉本ばなな(まだ「よしもと」じゃないんだ)が「姉について」という文を書いていてくれます。

  姉・ハルノ宵子は、放っておくと昔からとても乱暴者で大胆な
 ので、小心者の私にはとてもできないようなことをして笑わして
 くれます。……

 またハルノ宵子さんの漫画を読んでいきたい思いです。(2010.06.23)

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 ずっと夢を見ています。内容はね、実になんというかくだらないのです。ある会社の営業外収入の金利の計算をしていました。それはもう別途金利の内税金分は先にとらえていますから(源泉されている)、ちゃんと戻ってきます。その計算です。夢の中の会社も馬鹿にならない金額(赤字の会社だと全額戻ってきます)でした。

2010/06/18 07:08さてこのポメラを書くつもりで、リビングにきました。
2010/06/18 07:53今「石川幸憲『キンドルの衝撃』」を読んでいました。きょうこれを読み終わるでしょう。でも昨日書いてまだ終わっていない手紙を完成してポストに入れます。
 きのうは「コラムさとう」も書きました。今後もさらに書いて行きます。書きたいこと、書くべきことはたくさんあるのです。私はどうしても、「ニュースさとう」は毎日、「読書さとう」と「歴史さとう」は一日おきに書いていましたが、コラムのほうはまだ自分の中でも決められないのです。
2010/06/18 22:30上に書いていますが、もちろん「コラムさとう」も書きました。それと、今朝3時半にブルータスにケータイメールしたのですが、もうこんな時間に打つのは止めます。ママに聞きましたら、そんなのはひどいということが分かりました。なんとなく、そんな時間には起きていることが私は多々あるのですね。
 明日の「読書さとう」に、魯迅『狂人日記』を書こうと思い、でも「あ、『野草』にしよう」と思ったのですが、さて『野草』のどこをどう書こうかと思って難しいと思いました。そうですよね。私のこの部屋にはもう中学2年のとき読んだ文庫本もないし、岩波文庫の竹内好訳の『阿Q正伝・狂人日記』もありません。あ、『野草』も竹内好の訳でしたね。インターネットで読めればいいのですが、『野草』は無理なのです。いや探しに探してないのですね。こんなことなんだなあ。
 この魯迅を書いたら、次はよしもとばななの『ムーンライトシャドウ』です。そしてそのあとは、ハルノ宵子の漫画です。何にしようかな。

 魯迅の『野草』も最初に読んだのは中2の秋でしたね。そのあと『阿Q正伝・狂人日記』を読んだものでした。

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 もう一つ書くべきことがありました。

まずは共同幻想論をと思っていますが、吉本さんの娘さんの本ばかり目に付きます。

 ええと私は吉本(吉本隆明)さんの熱烈なファンであるわけですが、その娘さんのファンでもあります。長女のハルノ宵子さんの漫画はすべて読んでいますし、次女の吉本ばななさんの小説もすべて読んできました。そうですね、私は『24人のビリーミリガン』(その続きも)も好きですが、でもでもやはり『マリカの長い夜』のほうがずっと好きです。
 思えば、そのことも書くべきだなあ。私が書いている「読書さとう」でも書いていくべきでした。ついこのごろは、私の読んだ本のことで、まったく私が感動もしていない本のこともたくさん書いているのですから、好きになった作品のことも書くべきですね。

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 私の「周の掲示板」に お留守居役様が、以下の書込みをしてくれました。

猫と一緒の写真付き  投稿者:お留守居役様  投稿日:2009年 4月13日(月)18時05分2秒

 それで私は、そこにレスしましたように、インターネット上で次を読みました。

 http://www.chunichi.co.jp/article/living/pet/CK2009041302000037.html
      吉本隆明さんとフランシス子 ゆったりと時間 濃密な相思相愛

でも、実際に新聞も手に取りたくなり、妻が帰宅してから、近所の新聞販売店へ行きまして、東京新聞の4月13日の夕刊を手に入れました。40円でした。
 すぐにスキャンしました。私のところはスキャナがA4までしか取れないので、ギリギリの大きさでした。東京新聞の4月13日夕刊の8面です。
 それをここに画像としてあげました。文章は以下の通りです。

吉本隆明さんとフランシス子 ゆったりと時間 濃密な相思相愛 2009年4月13日

PK2009041302100044_size0フワーと鳴いて、だっこをせがむんですよ」と吉本さん=東京都文京区の自宅で

★猫(メス 15歳)
 東京都文京区の大きな寺の隣に、知の巨人・吉本隆明さんの家はある。いまどき珍しく、玄関の扉は半分開けたまま。猫の出入りのためなのだろう。二階の窓辺から、三毛猫がこちらを見下ろしている。

 「これまでつきあった猫は数十匹になるでしょうか。私が小さいころは、よく猫が鼻水をなめてくれたものです」と笑う吉本さん。老思想家は、長いこと猫と親しく暮らしてきたのだ。

 この寺町には昔から猫が多かった。しかし、娘で漫画家のハルノ宵子さんがノラたちの不妊手術をして、だいぶ少なくなったという。

 いま吉本家の家猫は四匹。みな近所で保護したもとノラ猫だ。最初に客を出迎えたのは、白猫の「シロミ」。

 「子猫のときに事故で脊椎(せきつい)を損傷し、今も自力で排泄(はいせつ)することはできないので、人の手を借りています」。だれにでも人なつこいのは、そのためかもしれない。

 次に登場したのは、小柄なトラ猫「ヒメ」。こちらは足が悪いが、シロミと元気に追いかけっこを始めた。その様子をやさしく眺める吉本さん。

 「実はシロミたちは私にあまりなつかないんです。私が別の猫ばかりかわいがっているから」

 吉本さんを独占しているのは、十五歳になるフランシス子だ。変わった名は、娘で作家のよしもとばななさんがつけたという。

 「この猫は最初、娘が引き取っていったんですが、娘の飼い犬と折り合いが悪く、こちらに戻ってきました」

 以後、吉本さんの仕事部屋を居場所とするようになり、外に出るのは食事やトイレのときだけ。吉本さんだけに心を許し、何年もふたりの時間を過ごしてきた。ハルノさんによると「相思相愛」の仲だ。

 「猫というのは遺伝的に穏やかなタイプと、原生的なタイプにいくつか分かれますね。この猫は、イリオモテヤマネコのように野性的です。猫は、若いころはまさにハンターでした。今でもなでていると時々かみついてくる。でもかむのは家族の中でも私だけなので、猫なりの親しみの表現かもしれません」

 フランシス子は猫白血病のキャリアーで、インターフェロンの注射を続けている。だが吉本さんのひざの上にすっぽりおさまったフランシス子は子猫のような目をしている。

 吉本さんが仕事をする間、いつも傍らの寝椅子(ねいす)で寝ているフランシス子。時折「フワー」と鳴き、だっこをせがむ。この穏やかな時間がいま、ふたりにとって最上の安らぎのようだ。 (文・宮晶子、写真・中西祥子)

 よしもと・たかあき 1924年生まれ。東京都出身。「共同幻想論」(1968)「マス・イメージ論」(1984)など多くの著書で昭和を論じ、戦後最大の思想家と呼ばれる。

 このフランシスコという猫のことは、吉本ばななさんが書いていたことがあったなあ、と思い出しています。
 でもこんなにただ、コピーしたばかりじゃ、東京新聞から怒られてしまうかなあ。

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 昨日は朝8時に我孫子の自宅へ着きました。
 それでまず真っ先に、いくつもの資源を出します。何度も、往復して持っていきます。そのあと8時40分に、キタさんが来てくれます。前に王子の家で、ゴルフ道具をいくつも引き取っていてくれていました。
 今回はパソコン本体が9つ、プリンタが2台、デスプレイが1台、スキャナが4台、オーディオが1揃い、ラジオコンポが2台、その他いろいろでもっていってもらいました。でもさすが有料もありました。これですべて出し終えて、午前9時10分です。
 それから、午後は下北沢のほん吉さんが古書を取りに来てくれるので、本を移動します。次女の部屋だったところに、古書を移動します。「これは持っていってくれないだろう」という古書が、私たち夫婦の寝室に移動します。でもこれがかなりな時間がかかります。途中で買い物に行きまして、やがて、昼食にして、テレビも見ながら読書もしながら待ちます。
 午後3時半に、ほん吉さんが来てくれます。大変に上野あたりが混雑していたようです。なにしろ、下北沢から我孫子まで車で来るのですものね。それから、たくさんの古書を梱包し、運び出します。これがけっこう大変です。
 私は吉本隆明の本と筑摩世界古典文学全集はすべてリビングに運んでいまして、その他はすべて次女の部屋に入れていました。たいした数ではないなあ、と思っていましたが、もう半端な数ではありません。
 そしてそれをすべて持ち出しまして、エレベーターに乗せ、外へ出して、彼女の車に積みます。このときにいろいろな本を手にして背表紙を見てしまいます。「あ、これはもう絶版だ」、「あ、この本は府中刑務所で読んだ本だ」、「あ、これがないと、漢詩作りができないじゃないか」等々、いっぱいの思いを抱きます。でももう仕方ないのです。
 思えば、こうして私が手にして運んだことはいいことでしたね。たくさんの思い出が瞬時に甦ります。
 車に乗せ終わりましたのが、午後6時半です。さて、それからちょうど会いました酒屋さんに、ビールの空き瓶を一ケース出しまして、あとは今度また整理に来ることにしまして、帰ります。
 さすが疲れましたが、帰りの電車では、ひさしぶりに、「ハルノ宵子『プロジェクト魔王』」の1巻、2巻を読みます。もう16年前に手に入れた本ですが、このあとはどうなるのだろう。ハルノ宵子さんは、もう書いていないのだろうな。島成夫さんのお葬式のときに、吉本(吉本隆明)さんを車に乗せて来てくれたハルノ宵子さんの顔を思い出していました。彼女に私は「私はハルノ宵子さん、あなたのファンです」と言っただけでした。
 あ、そういえば、我孫子への電車の中で、私は「週刊アスキー」と「鈴木由起子『天璋院篤子姫と和宮』」を読み終わっていました。これら本のことはまた別に書きます。
『プロジェクト魔王』を読み終わったときに、私は千駄木駅についていました。
 私は少々疲れたので、「浅野」で、その疲れをお酒を飲んで癒すことにしていたのです。

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07121203 掲示板に寅吉さんからの書込み へ寅吉さんから、以下のコメントをもらいました。

1. Posted by 寅吉    2007年12月12日 00:30
早々のコメントありがとうございます。私は1953年11月生まれの54歳です。周さん達の年代を常に遅れて歩き、周さんが学生運動にのめり込んでいるときは田舎の高校を中退して上京、製本工場で働いていた頃かと思います。吉本さんの著書に出会ったのはその頃でした。私は自己の身勝手な行動を正当化する手段として、詩人吉本さんに傾斜していったのだと思います。「固有時との対話」が何よりも好きでした。憧れで吉本さんが当時、根津(だったと思う)にお住まいの頃、一度だけお伺いしました。2階の書斎で先客の労働組合い関係の2人が熱心に相談され、飄々とお答えしている姿を私は奥様が出された日本茶を啜って黙って聞いていることしかできませんでした。今でも娘のばななが向いの部屋で赤い三輪車にのっていた記憶が妙になまなましいのです。

 あ、なるほどそうすると、1953年(28)ですと、私の埼玉大学でいえば、また元気な活動家がたくさんいました。私が6年のときに入学された人たちですね。ただもうその頃は、活動家と言っても、いわゆる学生運動は停滞していて、でも埼玉大学には、むつめ祭という学園祭をずっと私たちの先輩の時代から後輩の時代までやっていて(なんと今も現実にやっています)、とくに私は6年のときの1972年のむつめ祭は、私の出したテーマが統一テーマ(今はメインテーマという)でした。

   狂わせたいの
   ───花弁はうずく、女は叫ぶ、俺の墓はどこだ!!───

というものでした。いくつかのマスコミではこのテーマはとりあげられました。
 この翌年1973年(私は就職していて、印刷工でしたが)のむつめ祭のメインテーマが、

   いついつまでもおともだち

でした。前年以上にマスコミがとりあげ、とくにNHKが取材に訪れ、番組に顔も出た私は、そのあと何人もの方から、いわれたものでした。
 そういえば、1971年のむつめ祭のテーマも私の出したものでした。

   呼狂呼賊任他評
   ───わがなすことはわれのみぞ知る───

 これは、上の句は、黒澤忠三郎の七言絶句の『絶命詩』の一句目のことであり、サブテーマは坂本竜馬の『世の中の人は何とも言わば言え わがなすことはわれのみぞ知る』の短歌からとったものでした。

 でも小さいときのばななさんにも会われているのですね。私は吉本ばななの熱心なファンでもあります。お姉さんのハルノ宵子さんの書かれる漫画のファンでもあります。

 私が学生のときも、そのあとも「吉本(吉本隆明)さんとは、全然合わない人だ」といわれ続けたものでしたが、ただただ吉本さんの本を読むことだけを続けていたら、もう私に対して、そういう批判の声は聞かれなくなりました。

 私の掲示板にも書きましたが、どうかブログを初めてみてください。パソコンとインターネットをやるのには、一番適しているのが、このブログを毎日書かれることだと思いますよ。

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