将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:ハンセン病

13032704 こうして聖書を読みますと、なんどもハンセン病(癩病)が出てくることを感じます。あの病は神を語るものには大きな存在だったのでしょうね。それをイエスの言はものすごく私は感心します。ただ「イエスが手をのべ彼につけて『わが意なり、潔くなれ』と言ひ給へば、直ちに癩病されり」というのは私にはすぐには理解できないです。
 しかし、こうした病のことも私もちゃんと知っておくべきだなあとは感じます。

第5章
 群衆おし迫りて神の言(ことば)を聽きをる時、イエス、ゲネサレの湖のほとりに立ちて、渚に二艘の舟の寄せあるを見たまふ、漁人(すなどりびと)は舟をいでて網を洗ひ居たり。イエスその一艘なるシモンの舟に乘り、彼に請ひて陸より少しく押し出さしめ、坐して舟の中より群衆を教へたまふ。語り終へてシモンに言ひたまふ『深處(ふかみ)に乘りいだし、網を下して漁(すなど)れ』シモン答へて言ふ『君よ、われら終夜(よもすがら)勞したるに、何をも得ざりき、されど御13032705言に隨ひて網を下(おろ)さん』かくて然せしに、魚(うお)の夥多しき群を圍みて、網裂けかかりたれば、他の一艘の舟にをる組の者を差招きて來り助けしむ。來りて魚を二艘の舟に滿したれば、舟沈まんばかりになりぬ。シモン・ペテロ之を見て、イエスの膝下に平伏(ひれふ)して言ふ『主よ、我を去りたまへ。我は罪ある者なり』これはシモンも偕に居る者もみな、漁りし魚の夥多しきに驚きたるなり。ゼベダイの子にしてシモンの侶(とも)なるヤコブもヨハネも同じく驚けり。イエス、シモンに言ひたまふ『懼るな、なんぢ今よりのち人を漁らん』かれら舟を陸につけ、一切を棄ててイエスに從へり。
 イエス或町に居給ふとき、視よ、全身癩病をわづらふ者あり。イエスを見て平伏し、願ひて言ふ『主よ、御意ならば、我を潔くなし給ふを得ん』イエス手をのべ彼につけて『わが意なり、潔くなれ』と言ひ給へば、直ちに癩病されり。イエス之を誰にも語らぬやうに命じ、かつ言ひ給ふ『ただ往きて己を祭司に見せ、モーセが命じたるごとく汝の潔のために献物して、人々に證せよ』されど彌増々イエスの事ひろまりて、大なる群衆、あるひは教を聽かんとし、或は病を醫されんとして集り來りしが、イエス寂しき處に退きて祈り給ふ。
  或日イエス教をなし給ふとき、ガリラヤの村々、ユダヤ及びエルサレムより來りしパリサ13032706イ人、教法學者ら、そこに坐しゐたり。病を醫すべき主の能力(ちから)イエスと偕にありき。視よ、人々、中風を病める者を、床にのせて擔ひきたり、之を家に入れて、イエスの前に置かんとすれど、群衆によりて擔(にな)ひ入るべき道を得ざれば、屋根にのぼり、瓦を取り除けて、床のまま人々の中に、イエスの前につり縋(つ)り下せり。イエス彼らの信仰を見て言ひたまふ『人よ、汝の罪ゆるされたり』ここに學者・パリサイ人ら論じ出でて言ふ『穢し言をいふ此の人は誰ぞ、神より他に誰か罪を赦すことを得べき』イエス彼らの論ずる事をさとり、答へて言ひ給ふ『なにを心のうちに論ずるか。「なんぢの罪ゆるされたり」と言ふと「起きて歩め」と言ふと孰(いづれ)か易き、人の子の地にて罪をゆるす權威あることを汝らに知らせん爲に』――中風を病める者に言ひ給ふ――『なんぢに告ぐ、起きよ、床をとりて家に往け』かれ立刻(たちどころ)に人々の前にて起きあがり、臥しゐたる床をとりあげ、神を崇めつつ己が家に歸りたり。人々みな甚(いた)く驚きて神をあがめ懼(おそれ)に滿ちて言ふ『今日われら珍しき事を見たり』
  この事の後イエス出でて、レビといふ取税人の收税所に坐しをるを見て『われに從へ』と言ひ給へば、一切を棄ておき、起ちて從へり。レビ己が家にて、イエスの爲に大なる饗宴(ふるまひ)を設けしに、取税人および他の人々も多く食事の席に列りゐたれば、パリサイ人および其の曹輩の學者ら、イエスの弟子たちに向ひ、呟(つぶや)きて言ふ『なにゆゑ汝らは取税人・罪人らと共に飮食(のみくひ)するか』イエス答へて言ひたまふ『健康なる者は醫者を要せず、ただ病ある者これを要す。我は正しき者を招かんとにあらで、罪人を招きて悔改めさせんとて來れり』彼らイエスに言ふ『ヨハネの弟子たちは、しばしば斷食し祈祷し、パリサイ人の弟子たちも亦然するに、汝の弟子たちは飮食するなり』イエス言ひたまふ『新郎(はなむこ)の友だち新郎と偕にをるうちは、彼らに斷食せしめ得んや。されど日來りて新郎をとられん、その日には斷食せん』イエスまた譬(たとへ)を言ひ給ふ『たれも新しき衣を切り取りて、舊き衣を繕ふ者はあらじ。もし然せば、新しきものも破れ、かつ新しきものより取りたる裂も舊きものに合はじ。誰も新しき葡萄酒を、ふるき革嚢に入るることは爲じ。もし然せば、葡萄酒は嚢をはりさき漏れ出でて、嚢も廢(すた)らん。新しき葡萄酒は、新しき革嚢に入るべきなり。誰も舊き葡萄酒を飮みてのち、新しき葡萄酒を望む者はあらじ。「舊きは善し」と云へ13032707ばなり』

 この「新しき葡萄酒を、ふるき革嚢に入るることは爲じ」というのも本当は私にはよく分からないです。よく使われるのですが、私には分からないのです。葡萄酒がよく分かっていないからかなあ。なんとなく自分に頼りなく感じています。

11042816  モームは1874年1月25日〜1965年12月16日の生涯でした。フランスのパリ生れということで、「イギリス人の作家なのに、こうしてゴーギャンのことを書いたんだなあ」という思いが(少し疑問でした)が氷解した思いです。
  私はこの作品を高校2年生のときに読んでいます。最初に『人間の絆』(中野好夫訳)で読みまして、次にこの作品を中野好夫訳で読んだものです。私の思いでは。『人間の絆』より、この作品のほうが強い印象がありました。題名「月」は夢を、「六ペンス」は現実を意味するということです。
 サラリーマンを何故か棄てて、タヒチへ行って絵を書き出してしまうゴーギャンのことを書いています。ただし、読んでいても少しもゴーギャンのことをよく描いているとは思えません。なんだか、「嫌なやつだなあ」としか思えないのです。
 この頃、ゴッホが自分で片耳を切ったことになっていましたが、実はゴーギャンが喧嘩して切ったようだということを知りました。ゴッホがかばっていたのですね。
 この作品の中でも、このゴーギャンはどんな人物かよく判りません。そのゴーギャンはタヒチでこの作品の中で最後大きな壁画を描いています。だがそれは彼の遺言で燃やされてしまいます。それを描いたゴーギャンはハンセン病にかかっていて、驚くことにその彼には目が見えなくなっていたはずなのです。
 実際にゴーギャンはタヒチではなく、マルキーズ諸島で亡くなっていますし、この作品ではゴーギャンはイギリス人になっていますが、実はフランス人でした。その他いくつもの点が違いますが、私たちにはゴーギャンとはもはやこの作品での姿だと思ってしまいます。(2011.04.28)

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