将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:バス代値上げ阻止闘争

 ゴトさんの

01684  93-01-22 00:27:51 KCN00151  環境問題について ゴト

を読みましてさまざま考えました。

 1人の男の子が環境問題に興味を持っていました。
 彼は色々な話を聞くと、不安になって混乱すると言っていました。彼のお父さんは原発で働いているそうです。

 どうなのでしょう。私は、反原発デモで原発の警備員に「それでも人間か」というようなヒューマニズムは最低だと思います。戦時中の贅沢は敵だまがいの禁欲主義は馬鹿げていると考えます。そういう人たちよりは、今、原発を操作している人たちの方がはるかに真面目に、真剣に現実に取り組んでいます。

 これは私もまったく同様に思います。反原発派のヒステリックさには心の底から嫌になります。前に私が書いたのですが、

00004  92-06-05 05:43:53 KCN00060  反原発のこと 周
 よく反原発の人たちが、原発のまわりでデモンストレーションするときに、全員が横になって死んだまねするのがありますよね。あれなんていうのかな。
 何年か前に四国松山だとおもいましたが、そこでその行為をやっているのを、テレビで見ました。まったく「おやおやまたまた困ったものだな」と思いましたが、その映像の中で、外人の女性でしたが、アナウンサーに向かって「あんたも死ぬよ」と言ってました。「あんたらみたいに原発に無知なのには分からないだろうけど、そのうち原発に事故がおきるから、あんたも私も死ぬんだよ」とでもいいたいのでしょうね。そのときはさすが「おやおや」なんていってられず、その女性に激しい憎悪を感じました。なぜそんなにじぶんたちだけが真理なようなこと居丈高にいうんだろう。

と同じだと思います。

 彼らと別れた後で考えこんでしまいました。環境派がやみくもな不安を煽り立てるのを、真面目な人々は真に受けて、ひどい不安に陥る事がある。これは神経症的な不安です。

 これをやっているのが、広瀬隆のような反原発派であり、世界中にいる「環境保護派」です。

彼らにとって具体性とは、デマが書かれた汚らしいチラシを何枚配布するかという事、自分たち(の派)が多くの人々に支持されているのだという証拠の役にしか立たない署名を集める事、そして、最後は、やはり政治の場に出なくてはなどといって、選挙の票を集めるというたぐいの事だけです。

「トントン トンカラリンと 隣組み」と「反核は人類みんなの願い」などと署名を集め、異義を唱えるものには、「被爆者を冒涜している」とかいって脅してまわる。まったく「八紘一宇」「大東亜共栄圏」「鬼畜米英」といってまわるのとかわりない。
11062403 以前原発に反対して、東京電力に抗議し、原発を使っている電気は受けられないと、電気を拒否した生活を続けていた反原発派の家族が三多摩だかにいました。私はこれはいいな、よくやるなと思っていましたが、いつか「目的は達せられた」とか言って、東京電力の電気を使う生活に戻りました。え、これはずるいじゃないの、インチキじゃないのと思いました。「目的は達せられていない」はずです。原発は一台も休止したわけではないのですから。運動というのはそんなものなのですか。
 私自身のことで言いますが、私は1967年12月15日から、北浦和〜埼大大久保校舎の西武、国際興業のバス代が20円から30円に不当に値上げされたとき、圧倒的にバス代値上げ阻止闘争(最初からバス乗車拒否運動)をやり、それ以来25年余、あの路線バスには絶対に乗っていません。それがこうした運動のきびしさなのだと思っています。
 私はこんないいかげんな連中が、「地球のため」だとか「緑」のためだとかいって私たちを脅してくるのを絶対に許さない。
 ただ、私も過去書いたことで不十分だったところがあります。ゴトさんが

 私は牛乳の紙パックが良くないとも、発泡スチロールのトレイが良くないとも思いません。それの回収でも再利用でもやるならやればいいのです。

といわれたところなのですが、これは私が

00044  92-07-26 03:11:55 KCN00060  私のゴミと資源問題中間総括 周
 そうなんですよ。はたして、我孫子のように、四国善通寺のように徹底して分別していったら、いったいゴミは少なくなっていくのですか。下手をしたら、逆にゴミを増やし、資源を無駄に使うようにしむけているのではないですか。
 一生瓶で飲んでいれば、ビール瓶で飲んでいれば、ほとんど98%くらいはリサイクルできてたんじゃないですか。それが、いつの間にか、紙パックになり缶ビールになり、いったいどうしてなんだ。紙パックもアルミ缶も再生できる。だけど大変に資源使うわけですね。
 この疑問なのですよ。昔牛乳はみんな瓶でしたよ。あれは96%くらいリサイクルされていたんじゃないかな。いま紙パックになって、どうなんでしょうか。紙パックの資源回収を柏市もやるようになると、再生できるんだから、もっともっと紙パック商品が増えるでしょうね。

槌田敦「環境保護運動はどこが間違っているか?」
 私もこの「ゴミと資源、環境問題」を考えてきて、例えば、牛乳パックの回収なんていうのはどうかなということにきずきました。あれを回収すればするほど、パック製品を増やしていくだけなのです。酒は一升瓶、ビールも瓶で飲んでいればいいのに、あれがパックになったり、缶になったりで、どういうことなのでしょうか。瓶のほうがきちんと再回収リサイクルされていたのです。それがなぜ今のようになったのでしょうか。牛乳は瓶でなく紙パックになったとき、新鮮な牛乳ではなく古い牛乳を飲まされるようになったのだという著者の指摘は、かなり目を見張らせるものがあります。
 同様に自治体が現在はやっていないトレーの回収をするようになったら、もうこれはとんでもないことになるでしょうね。それこそトレーを使った商品があふれてしまうでしょうね。リサイクルできるのだから、もうそれこそどんどん使ってもいいというおすみつきを与えるようなものです。

とUPしたところかと思います。本来は紙パックなどを使用するようになってしまった以上、もう元にはもどせないとは思います。ただやみくもにリサイクルできるとばかり、自治体がその回収をやるのがいけないのではと私は主張したいのです。トレーは現在イトーヨーカ堂他では回収していますね。私はそれを生産した企業なりがそれを回収しろといいたいのです。そうすれば、紙パックなどは、もっと再生しやすいような生産をしていくと思います。
 さきほど牛乳やジュースのパックをきれいに切って整理したのですが、生協のもの以外にはみんなポリエチレンフィルムがラミネートされていますね。あんなものが付いているから、再生するのに莫大なエレルギーを使うことになるのです。しかもその回収を自治体がやってくれるのだから、もうあとはどうなったっていいという姿勢です。自治体が余計なことするほど、「地球はよごれる」のです。
 なぜ「ちりがみ交換」屋さんがいなくなったのでしょうか。あれでみんな採算とれていたはずなのに、自治体が私たちの貴重な税金使って余計なことやっているのです。もっとやることがあるはずなのに。
 私がここで述べていることは、かなりな広範囲に及びすぎているかと思います。ただ、私たちは地球とか科学とかいったことからの環境問題を明確に捉えることと、身近に毎日ゴミと資源を仕分けしていることなどの問題を整理していくべきだと思うのです。
 槌田敦「環境保護運動はどこが間違っているのか?」を読んで、かなりすっきりしたのかというと、実は逆なのです。この槌田さんはどこか違っているのではないのかとまで思いました。せっかく環境保護派の誤謬性をかなり適確に指摘しながら、自分自体がまた環境保護派の誤謬性を体現しているように思えます。これがいまの環境問題のむずかしさなような気がします。
 どうも分かりにくい文章になってしまいました。いいたいことはたくさんあるのになにかまとまらないというところでしょうか。(1993.01.22)

11042110 1864年4月21日〜1920年6月14日の生涯でした。
  私は大学1年のときに『職業としての学問』『職業としての政治』『儒教と道教』を読みましたが(他のウェーバーの入門書も読みました)、この本が一番読み応えがありました。ちょうど私は大学1年の12月15日からのバス代値上げ阻止闘争の最中に、バスチャーターした観光バスの中で車掌をしながら、この本を翌1月になって読んだものでした。
 ちょうどこのバスでエンタープライズ闘争にも日比谷公園に行きましたが、その時にも、この文庫本を持っていたものでした。訳は大塚久雄でした。この大塚さん自身の本もいくつか読んだものでした。
 いや昨日(2010.05.28)か一昨日の日経新聞の一面の「春秋」で、『職業としての学問』のことが書いてあり、内容を思い出していたのでしたが、どうしても私には中では面白いと記憶があるのがこの本だったわけです。
 資本主義の発達には、マルクスのいう下部構造だけの問題ではなく、宗教というものカルヴァンの教えが有効であり、カトリックやルッター主義では駄目だったのだというのが分かるような思いになったものでした。(2011.04.23)

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