将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:パソコンの授業

12031704 私の「ハルノ宵子『緑の呪文』」にコメントがありました に書きました以下なのですが、ここを書きます。

私はパソコンにではなく、常時持ち歩いている「ポメラ」で上の文を書いていました。いえ私はポメラだけでなく、IS01もガラパゴスも常時も腰のベルトのデューロカーゴに入れているのです。孫がいつもそれで遊びます。

 私は1992年頃から、常時背中にリュックサックを背負っていました。中にはノートパソコンを入れていました。それで飲み屋等々で通信をやります(当初はパソコン通信、そののちインターネットです)。だから私は1992年から携帯電話を持ち、1993年からはPHSも持ち、これで通信をしました。そのときに、二人の娘と妻にもPHSを持たせました。私は松戸自主夜間中学でもパソコンの授業をやっていましたが、そこでもパソコンをPHSで通信したものでした。
 でも今は、もうノートも持ちません。もう私は以前の姿になることは決してありません。私は電車の中等で、ノートパソコンでインターネットをやっているのが、ものすごく古く見えてしまいます。「何で今ごろ、あんな古いことをやっているのかなあ」。IS01なら、そのままやれるのです。今日も東京湾の上でやっているでしょう。

11112324 昨日松戸自主夜間中学校のパソコンの授業がありまして、本日のフリーマケットを知りました。松戸自主夜間中学校は春と秋の年2回、夜中の活動費獲得のために、フリーマーケットに参加しているのです。私はいつもたこ焼きを焼いていました。だけどきょうは私は参加できませんでした。とても残念です。参加できなかったのははじめてです。
 このところ、土曜日は仕事になり、日曜日も必ず何かがありましてでかけており、本日は朝早くから自宅のことをいろいろとやっておりましたところ、珍しく家族4人がいるという事態でありました。それで、おそくなってしまったのですが長女の誕生日祝いをしようということになりまして、昼食に出かけることになりました。私は夜中と長女の誕生日祝いとをてんびんにかけ、普段なら躊躇なく夜中を選ぶところを、きょうは誕生祝いになってしまいました。何しろ、一家4人が同時にいて会食できるなんて、このあとの休みでも実現できそうもないのです。
 しかし、夜中も気になります。やっぱりいくべきだったかな。(1999/11/03 23:37:56)

11082802 本日は松戸自主夜間中学校のパソコンの授業です。そこで「安田弁護士の不当逮捕に抗議する!」のページもおおいに見せることになるかなと思っています。
 それと釈放要求のFAX(もちろん郵送でもいい)をぜひお願いします。これがそれこそたくさんになることが、かなり大事なことになってきます(この意味に関しましては、上のページに書いておきました)。(98/12/18 17:56:19)

松戸夜間中学ものがたり2(1995.05.28)新井
一斉授業は出たい人のみ参加するので、「ヘタにつまらない授業を行う」と誰も来てくれません。とくに登校拒否している人は、勉強じたいを食わず嫌いなので、一度も一斉授業には出て来ません。何とかしたいとは思いますが、むづかしいものです。とにかく<楽しい授業>をやっていきます。

11060202 たしかに難しいですね。私は昔けっこう大規模に進学教室をやっていて、しかも室長(会社だったから正式には代表取締役社長だったけど)だったので、たくさんの講師を使ったのです。それでいざとなれば私こそが一番生徒をひきつけられる授業を展開できないとならないわけです。もちろん父母の希望者にも見てもらいますから、そういうときこそ、いわば見せ場でした。それで今はまた仕事で、人前で喋ることも多いわけです。でも、やっぱりそれでも松戸自主夜間中学の一斉授業というのは難しいなと感じています。
 でもなんとか今はパソコンの授業をもっと魅力あるものにできたらなとのみ考えています。そしていつか私も別の授業をやってみたいなと思っています。

1104281393-02-10 02:55:54 TR通信・49
TR通信・49 松戸自主夜間中学の取材をしてきました
 いつも3人で仲良くかたまっている中学生(和尚さんの授業に出てプロレスラーの名前を書き込んだ子達です)は中学1年と2年の学年で、登校拒否をしており、中1の子は教師の暴力が原因で学校に行かなくなりました。
 可愛い子たちなので、楽しくながめていたのですが、どうして自主夜間中学に来ているのかという質問した時に、「馬鹿だから」という答えが返って来た時に、その落ち込んだ感覚が痛々しくてまいりました。
 学校に何か言いたい事はないかと質問したところ、ひとこと「なめるなよ」と言いたいという事だった。「なめるなよ」という言葉は、まったく正確な言い方だと思う。彼らはなめられたのだ。頑張っておとしまえをつけてもらいたいと思う。

 この子たちと接したとき、どうしてここへきているのかな、普通の優しい子たちなのにと思いました。これで訳が分かりました。松戸自主夜間中学の事務局の榎本博次さんから手紙がきました。その中に

 授業を受けさせていただいた3人は、あの日初めて「松戸自主夜中」に来た生徒たちです。「授業を受けさせていただいてとても楽しかった」と言っておりました。昨日の2日(火曜日)にも、あの生徒3人は、楽しそうに揃って登校(?)してきました。

とありました。嬉しいですね。2月5日にいったときも3人で来ていました。私は「今度プロレスの話をしようぜ」と言っておきました。でも私がラッシャー木村で、彼等が馳浩やムタで、全然かみあわないかな。「週刊ファイト」を買って、こんどこれで話そうかとも思ったのですが、あれにはかなりダイヤルQ2の広告が出ていて、どうも彼等の前ではひろげにくいですね。「週間プロレス」にしようかな。
 彼等にはプロレスの雑誌を見て話するのが、最初は教科書といえるのかもしれません。こんなにプロレスに異常に執着しているおっさんもいるのだと分かったら、彼等はきっと嬉しいと思うんです。松戸自主夜間中学で見ていると、いわゆる学校の勉強をするのではなく、先ずは彼等とさまざま話をすることが最初にやることのような気がします。
 これから先生になろうとしている大学生の女子学生が毎回ひとりくらいずつボランティアに加わってきます。それはいいことだなと思います。単なる教育実習の経験だけで教師になるよりはいいと思います。
 それと和尚さん、ゴトさんから言われて思ったのですが、パソコンの授業で毎回1度は柏市民ネットにアクセスして、アクセスした人に1つずつでも質問をしてもらいませんか。パソコンのことでも、学校のことでも、プロレスのことでもなんでも。そしてその問に、皆で答えていきませんか。そして次回またそれを彼等にみせましょう。そうしたら、彼等のいったことをこんなに何人もの人がみているんだということが、実感として分かると思います。松戸自主夜間中学に参加できないおおくの柏市民ネットの人も、こんな形で触れ合うことができるのではないでしょうか。先日のeco さん、若林さんをはじめとする皆さんのコメントは、今度印字して松戸自主夜間中学に持っていきます。

09022502「大人の皆さんへ:(9)怒る回数を減らすには?〈時間割りを作る〉」斎藤さんが以下のコメントをくれました。

1. Posted by 斎藤史郎    2009年02月24日 23:55
「SHIROのポメラ日記」の斎藤です。
いつも親切なコメントをありがとうございます。
周さんは夜間中学で教えられていたのですね。そんな経験豊富な方にていねいに取り上げていただいて、かえって恥ずかしい思いがします。
夜間中学と言うと私が思い出すのは、山田洋次監督の映画「学校」と、夜間中学存続運動をしていた高野雅夫さんのことです。
実は私は高野さんと面識がありまして、と言うより息子の生くん・大くん兄弟と付き合いがあります。
東京で過ごした学生時代に、大くんが編集長、生くんが事務担当で作っていた”十代が創る十代のための雑誌”「ヒストリーズラン」の編集スタッフを1年間やっていました。
「ヒストリーズラン」の思い出は、個人ホームページの方で書いています。よかったらごらん下さい。
http://homepage2.nifty.com/shiro_/zakkan/16.html
当時十代だった私にとっては、とても大きな体験でした。
その編集部で、雅夫さんともいろいろ話したものでした。僕らは親しみを込めて「ガフさん」と呼んでいましたが。
その後Uターンして東京から離れてしまってご無沙汰していますが、最近、雅夫さんと大くんの親子で「父の遺書、僕たちの新書」を出しています。
http://www.amazon.co.jp/dp/4788090244/

 いえいえ、私はパソコンの授業を毎月1回、7年間やっていただけです。私の友人の和尚さんという人と二人で、カリキュラムを作ってやり続けました。私の作成した自作パソコンを置いて、それでやっていたものでした。
 このパソコンでパソコン通信をやるのに、最初の最初は携帯電話でやっていたものでしたが、お金がかかりすぎるので、PHSを手に入れたものでした。
 それで最初は、netmeetingをやっていたものです。南米や米国やロシアやタイの方とお喋りしたものです。カメラを使うと映像もみられますが、これは少し危険でした。相手の人がいきなり脱いでチンチンを見せびらかしたりするからです。授業で見せられないよね。
 私の長女もまだ高校生でしたが、来てくれたものでした。

 でも、夜間中学というのは、最初の最初は実際に「字が書けない」、「字が読めない」人が来ているところだったのでしょうが、私が関わった頃は、中国残留孤児の方が日本語を習うところと、そして一番多くなったのが、不登校の子どもたちの学びの場だったのです。次第にその子たちが増えていきました。
 その不登校とは、みな「いじめ」により、学校へ行かなくなった子たちです。そしてそれは中学・高校だけでなく、小学生も増えていきました。だから小学生も来ていましたよ。
 私は松戸自主夜間中学校を主宰されている藤田恭平先生を尊敬していました。だから、自分の授業以外でも、できるだけ、ここの行事へは参加していました。

 でも私がやがて不満になったのが、ここが、どうしても「日本国憲法擁護」「現在の自民党政権批判」等の主張が大きかったことです。私はそれがだんだん不満になって来たものです。
 若い子から私のことを、「この人は昔は新左翼だったかもしれないが、今は右翼だ」という声を露骨に聞いたものでした。私は若きときから、一貫として同じ主張です。私はマルクス主義には与したことは一度もありません。でもどうして、そんな自分の主義思想が、この松戸自主夜間中学校の運動と関係あるのでしょうか。

 山田洋次監督の映画「学校」も見ましたよ。いい映画だとは思いましたが、どうしても現実とは違います。実際に今の公教育の現場である「いじめ」から逃れてきてしまう子どもらのことは描いていません。

 高野雅夫さんは、何年か前の5月3日の憲法記念日のときに、松戸自主夜間中学校に来てくれました。私は何か質問をして、高野さんが、「今は答えられませんが、後でお酒を飲みながら話しましょうか」と言われたかと思っています。肝心の私の質問の内容は忘れてしまいました。
 その他、くだらない質問はしましたね。「写真に写っている頭に冠っているのは、ヘルメットか、そして黒ヘルか、どうしてなのか」なんてことをでしたね。もう私の個人的な興味だけでした。

 私はとにかく、できるだけ多くの方たちが、パソコンを使って、よりいい学校を造って欲しかったつもりでした。でもでも、残念なことに、多くのスタッフの方も、子どもたちも、少しもパソコンには興味がなかったようです。このことは、もう大変にがっかりする思いばかりでした。

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『続いている「絵本の会」』に、ナミちゃんが次のコメントをくれました。

1. Posted by なみんと    2007年12月13日 00:15
周さん!今晩は。いつも私のブログを読んでくださり有り難うございます。ブログを始めて・・丸七ヶ月が過ぎ相変わらず楽しくやっていますよ。書く事が楽しくて・・書きたいことが沢山!です。
周さんにはいつもトラックバックをしていただき嬉しく思っています。また皆さんからのコメントでとっても勉強になる事が多くてブログを勧めてくれた周さんに感謝です・・本気ですよ<笑>
絵本の魅力を知っていただきすご〜く嬉しいです。
あの時の記者さんは周さんのお友達だったんですね。

 コメントをありがとうございます。たしかにナミちゃんのブログはコメントが多いですね。私はコメントというと、どうしてもわずかな量しかかけないので、ナミちゃんのところへも、少ししかしていません。でもトラックバックなら、自分のところで好きかってに書けるので、どうしてもトラックバックのほうがやりやすいのです。
 ただ、私のところは見てくれる方は確実にいるわけですが、コメントはどうしても少ないのですね。これは私が魅力あることを書けていないのだと思って、日々反省しているところです。
 そういえば、きのうもあるところで、ブログで何をUPしたらいいのか、という話をしていました。別に自分が面倒だという方法でやることはないのですよ。私はいっそ、「ここのある商品をすべて毎日デジカメ写真で紹介していったらいいのではないかなあ」とお話しました。その画像と名前をあげるのは、そんなに面倒なことではないはずです。

 私も絵本を読むことを知って、大変に嬉しいです。私がほとんど知らなかった世界でしたね。もっと読んでいかなければなりません。そして私の孫のポコちゃんが、もう少し大きくなると、実際に絵本を見て読めるようになるでしょうから、私も一緒に仲良く愉しく読んでいけます。

「あの時の記者さん」というと、まずナミちゃんを最初に記事にしたのは、朝日新聞ですね。あの記者もお会いしてことはありますが、彼は、どうしてもパソコンが嫌いで得意でなく、やがて新聞もすべてパソコンで書いていくようになるというのを嫌がっていました。だから、そんなパソコンを使う世界ではなく、「絵本を読む」ということを紹介したいという思いが強かったようです。私が実に仲良かったのは毎日新聞の記者です。彼もナミちゃんを取材に行ったことがあるかと思います。
 この毎日新聞の記者さんとは、実に仲良くなりました(いえ、実は私と殴りあったこともあるのですが)。この方はそののち長野県に転勤になり、そして今は千葉県に戻ってきています。自宅は今は、千葉市です。
 この毎日新聞の記者が、私に松戸自主夜間中学を教えてくれて、それで私はそもそもそんな存在をまったく知らなかったわけで、すぐにその松戸自主夜間中学校へ、友人の和尚さん(これはハンドル名です)と一緒に行きました。そしてその行った日の翌週から、彼と二人でここで、パソコンの授業を1カ月に一度担当するようになりました。それが何年続いたでしょうか。けっこう長く続けたものでした。
 何人もの生徒たちの前での、パソコンの授業ですから、みんなが興味を持つようにと、Netmeetingをやりまして、海外の人たちとの会話(無料の電話と考えればいい)もけっこうやりました。その授業でパソコンを自作することもやりました。
 けっこう新聞の取材、テレビの取材を受けまして、私の顔をテレビで見たというので、連絡をくれた昔の友人も何人もいます。私とパソコンというのが、どうにも理解しがたいようでしたが、まあ、思えば仕方ないですね。

 思い出せば、たくさんのことがあったものでした。

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