将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:パトリシア・コーンウェル

12103012書名  検屍官
著者  パトリシア・コーンウェル
訳者   相原真理子
発行所 講談社文庫
定価  680円(これは私の読んだ時期のものです。今は違います)

 最初にこの本を手にとってときから、タイトルからしてサイコスリラーであろうと思っていました。どうにもこうした残虐な殺人事件がこれでもかこれでもかと出てくるスリラーは読むのが最初から嫌になってしまうのですが、これはそんなに単純な作品には思えませんでした。
  主人公は女性検屍官ケイ・スカーペット、舞台は米国バージニア州リッチモンド。作者は警察担当記者として犯罪記事を長く書いてたのち、バージニアの検屍局でコンピュタープログラマーとして働いていたということですから、自分の知っている世界を縦横に描いているといえるかと思います。

 リッチモンドで数カ月の間に4人の女性が殺されます。この4人目の屍体の現場検証にケイが立ち会うところからこの話は始まります。すべて残虐な殺し方で同一犯人によると思われます。担当の刑事ピート・マリーノとケイとはどうにもうまがあいません。何故かマリーノはインテリ嫌いで実地的な勘によるのか、4人目の被害者の夫を疑っています。ケイはあくまで科学的な分析から犯人像に迫ろうとしています。ケイには、とてもマリーノのやり方が嫌でたまりません。これはかなり面白い組み合わせです。この二人の対立は最後まである緊張感をもって継続されていきます。マリーノのような刑事のみが事件を解決するスリラーだって多々あると思うのです。12103013

 この刑事以外の人物もひとりひとりがかなり特徴があり存在感をもっています。これらの描き方はかなり見事であり、また読んでいる私たちにも、けっして主人公であるケイのみが真実を解き明かしてくれるかどうかは判らないところです。
 何者かが検屍局のコンピュータに侵入していることが判ります。そして捜査資料が何故かマスコミにもれているようです。辣腕の女性記者アビー・ターンブルを問いただしますが、彼女は何も明かしません。次第にケイは立場が悪くなっていきます。
 しかし、5人目の被害者が出てしまいます。しかもそれはアビーの妹です。段々とどうしてかケイに犯人が迫ってきている感じが読んでいるものに伝わってきます。私はこの人物こそ真犯人だろうと思っていたのが、最後に見事外れてしまいました。いや思わず著者の手法に感心してしまいます。

 主人公ケイは40歳の離婚女性であり、しかも勝手な妹の子どもを預かっています。ケイも当り前の人間ですから、プライベートな時間と空間では好きになれそうな男性と付き合います。しかし、この凶悪犯は、どのような時間と空間にも出現してくるかもしれないのです。
 こうしたスリラーを読む度に、アメリカって怖い国だなとか、ウチの娘は日本に生まれてよかったなとか、たった今アメリカへ行っているあの娘は大丈夫かなとか、誰もが考えるようなことを私も思ってしまいます。しかし、この作品はそうしたアメリカの残虐な事件が、本当に恐怖を与えるのは、事件そのものの残虐さよりも、この作品に登場する人物の間に生じる疑惑や不信による恐怖なのだということを教えてくれているように思います。残虐な事件があるからアメリカ人はすぐに銃をぶっ放すのでは12103103なく、誰も彼も対人間に対して不信感しかないのだから、その恐怖感が引き金を引いてしまうのだと思うのです。この作品の中で真犯人が判っていく過程で、登場人物の中にさまざま人間的な信頼感が復活できた形があるように思えるところが、なんにしても救いがあるように思えました。
(この作品を読んだのは、発売されたばかりでしたから1992年1月だったと思います)

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「電話とメールのことで」で、今度はケータイ電話とメールのことで を読み直してみて思い出したことがあります。

 パトリシア・コーンウェルの小説で、ケイ・スカーペッタが言っている内容で、この電話のことが書いてあったことを思い出したのです。どの小説だったかは思いだせません。
 以下のようなことを、スカーペッタが思っている内容でした。
 スカーペッタが誰かに(誰だったかは思い出せない)電話しても、その相手の電話は留守録になっています。スカーペッタのところに電話がかかっても、いつも留守録になっています。いつも、相手の留守録と自分の留守録に延々と伝言が録音されているというようなシーンです。でもこれはよく判りますね。たまたま、電話に伝言が話されていたときに、自分がいて、その相手が話をしたかった相手だと電話にとびついて、話し始めます。
 ここまではいきませんが、この私たちの携帯電話も似たようなものになってきていますね。私も自分の家族とも簡単には話せません。だからケータイメールが一番活用されます。でもこうしてケータイメールが活用できるからいいのです。
 ただもう65歳を過ぎている方で、携帯は一切できない方がいます。そういう方との連絡は非常に大変です。そして、そういう方への連絡で、ある方に連絡していても、もう一人もう二人の相手に、こちらの連絡が届いていない場合があります。その相手側も電話で連絡をとるのが大変なのでしょう。携帯も持っていない相手だと、日中は家にいないと連絡のしようがないのです。
 実はこれは遠い話ではなく、ごく私の身近にある話です。実は上のことでは、きょう午後出かけることの話です。
 だから私は誰にでもケータイメールを使うことを強力に薦めています。そうしないと、連絡ができないから、仕事上でも生活の上でも、非常にやりづらいばかりです。
 でも思うんですが、私の年代以上は、まずやはりパソコンを駆使してほしいな。まず普通に文章が書けるようになってほしい。しかもそれには、ワープロなんか使わずに普通にテキストでやってほしい。
 つい昨日も私より年上の方が、大きな添付ファイルのついたメールをくれました。何百通にメールの中にこれを見つけました。ワードの拡張子がついていたのですが、このマシンだと私も開けますから読めます。訃報の連絡でしたが、あんな大きなメールは、ケータイメールでは取れません。見られません。

 とにかく、なんとかしてほしい。なんとかなってほしいものです。
 まずパソコンを普通に使おうよ。そして次にはケータイメールを普通に使おうよ。

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