将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:ブルータス

1311260413112605
 私はこれは私が常に持っていますでこう書きました。

 私ははそこで最初に、「あ、おはぎちゃん、ブルータスちゃん(もちろん本名で言います)のパパだ」と三人の息子が喜んでくれました。三人の息子はモデルをやっていました。

 こう会話したのは、横浜の中華街の料理店の5階の大きな部屋でした。そこで彼らは国語の授業を受けていました(そこは無認可の学校でした)。
 そこで私は長男のアニーとおしゃべりしました。彼は弟二人と違って日本語が明確にしゃべられます。
 今は航空機の上で仕事をしているといいます。私が「もうモデルはどうするの?」という問いに、彼は

 モデルは背が185センチないと駄目なのです。ボクは183センチなので、もうあきらめて地道に働いていきます。弟たちは米国人ですが、僕はやはり我孫子人です。13112606

 そして、ニューヨークに「おはぎちゃんもブルータスちゃんも来てほしい」といい、「ニューヨークはそんな怖い街ではないです」といいました。
 思い出すなあ。彼が何度か、我孫子の我が家のマンションの1階から話してきて、「おじさん、中に入れて」というのに、ブルータスが「お前ら帰れ!」なんて強く言っていました。「おじさん助けて」という言葉で、結局は私が中に入れるのでした。13112607

 もうこの彼は今は取手市で家庭を持っているそうです。彼が日本人と言わないで、我孫子人と言ったのを強く覚えています。横浜の中華街もいつもこのことで強く思い出しています。

13082303 どうしても時々、リビングに来て日本テレビの番組を見ています。そして、どうしてもいろんなところで涙になっています。しようがないものですね。
先程電話しても、おはぎの家はでないのでケータイメールしましたら、すぐに折り返し返信があり、越谷に来ているとのことでした。孫に会いたくなります。
もちろん、じゅににも会いたいです。
ブルータスにもケータイメールしましょう。

13041311


  私はケータイメールはよく書きます。

2013/04/14 11:45今ブルータスにケータイメールを送りました。私のケータイメールはそんなに短くありません。いっぱい書きすぎかなあ。
2013/04/14 11:59今洗濯物を干しました。ばあばは王子教会へ行っています。もう帰ってくるはずです。
 ばあばが帰ってこないと、お昼飯になりません。早く帰ってこないかなあ。牧師さんとお話しているのだろうなあ。

 王子教会は、将門Webのサイドバーでリンクしています。

12072911 妻と買物に行きまして、過去のことを思い出していました。

2012/07/29 18:25今ブルータスにじゅにの可愛い服の画像を撮ってケータイで送付しました。これが一見簡単なにできるはずのことが、今の私にはすぐできないのです。もう私はどんどんお馬鹿になってしまっているようです。
 この画像が今ここに掲げたものなのです。
 サミットストアへ行きまして、いくつも思うことがありました。昨年3月の東日本大震災の直後に、ここ(サミットストア王子店)での買物でいくつも思いだしました。
 もう遠いことのようですが、いくつも忘れられないことがあります。本当はそれを一つ一つ書いておくべきだなあ。

 忘れられないことは書いておくべきですね。そうしないと馬鹿な私は忘れてしまいます。

郵便番号
 住所
   萩原たか子 様
                          2007年8月16日
                         周の住所
                               萩原周二
                         周のURL
                          周のブログURL
                         周のアドレス
                         周のスカイプ名
                         周の電話 周のFAX

 前略
 8月4日も11日もお見舞いに行ったのですが、起きなかったね。でも手を握ると、握り返してくれたから、気がついていたのかな。
12072805 7月29日と8月4日と11日のお見舞いのあと、我孫子駅前の「メヌエット」というケーキ屋さんに行きまして、ケーキを買って王子に持って帰りました。ケーキといってもババロアとかカスタードというものです。前のよう単に甘くないから、王子のお義母さんに最初食べてもらいましたが、あまりお気に召さなかったようでした。
 11日には、これまた新しくできた我孫子北口の「福一」という和菓子屋さんのお菓子も買いました。これも、王子の家に持って帰ったら、おはぎにもその彼のミツ君にも喜ばれました。
 こうして、我孫子の北口は美味しいお菓子屋さんができたわけで、おそらく新しい名所になると思いますよ。
 でも思い出せば、我孫子は、ずっと北口なんてなかったわけですから、ずいぶんこれで変わりましたね。驚いてしまうことです。
 14日の午後2時に、マサシから、お母さんが亡くなったことを電話もらいました。ちょうど、おはぎがポコ汰を連れておばちゃんのお見舞いに行くと言っていたところでした。だからきょう、うちのママとおはぎはポコ汰連れて行きますよ。
 それから、きのうは、ブルータスが彼のナオキ君と行きましたね。ひさしぶりにおばあちゃんに会いに行くのに、大変に残念だけど、もう仕方ないよね。
 13日には、ブルータスが結婚して住んでいる君津市へママと、ミツ君・おはぎ・ポコ汰とで行ってきました。私の家族がこれで全部で7人になったのです。
 まだ0歳のポコ汰なのですが、ブルータスに抱かれて絵本を読んでもらっていると、何故かおとなしくてよくブルータスの絵本を読む声を聞いて、絵をじっと見ています。もともと、「いい絵本を選んでくれたんだあなあ」と感心して見ていました。
 きっとブルータスにも、元気で可愛い子どもが生まれます。もうそのときのことを考えると、そのときが早く来てほしいとばかり思っています。これからまたその子とブルータスのことを見守っていてください。
 あちらへ、行って、久二おじいちゃんにはもう会ったかなあ。たぶん、そちらでも勝手な久二父でしょうが、なんとかつき合ってあげてね。そして、いつまでもおはぎブルータスのことを見ていてください。
 お疲れさまでした。さようなら。 早々

郵便番号
 住所
   萩原たか子 様
                          2007年6月12日
                         周の住所
                               萩原周二
                         周のURL
                          周のブログURL
                         周のアドレス
                         周のスカイプ名
                         周の電話 周のFAX

 前略
 またもひさしぶりの手紙になります。
 もうきょうなんか、けっこう暑いです。おはぎは同じマンションですが、あそこのほうが涼しいです。ここの部屋はどうしても暑いです。もう古い部屋で、そのままだから。しかたないよねえ。夏だもの。
12072703 うちの家族は、鹿児島にも住んだわけですが、はやり名古屋のほうが暑かったですね。ただ、このことは住んでみないと判らないでしょうね。今はもっと暑いんだろうなあ。言われることだけど、年々暑くなる年を感じています。このままいくとどうなっちゃうのかな。
 思い出せば、私が一夏過ごしたした府中刑務所も暑かったです。狭い独房なので、ただただ暑いだけでした。ただ中にいると、まったく外の世界のことが判らないので、ときどき面会に来られるかたの話はどうしても私には判らないことが多々あったものでした。
 ただ、私は保釈になってから、こうした拘置所なりに面会に行くときには、そうしたことを判った上でお話しするようにしていましたからね。私が中にいるときは全然無理解な人とは会っても、一応わざわざ面会に来てくれたからという感謝の気持は失わないようにしましたが、独房に長期勾留されているということがまったく判っていないとしか思えないという人もときどきいたものでした。まあ、でもこれは仕方ないことです。
 でも、こうして自分の母親にひさしぶりに手紙を書くようになって、昔を思い出しているのですが、いろんなことを振り返るようになりました。
 私は秋田というところは2カ所住み、名古屋は3カ所だが、鹿児島は1カ所だとばかり思っていましたが、私は原良町に下宿もしていたんだねえ。だから鹿児島は2カ所に住んだことになるんだ。
 浦和は2カ所だとばかり思っていたら、あそこは3つのところに住んでいるんだ。
 我孫子も勝手に3カ所だとばかり思い込んでいたけれど、我孫子の実家にも住んでいたのだから、4カ所なんだねえ。
 私がまったく記憶ないのが、東京の巣鴨に住んでいたということだけなんだけど、あそこはどこにいたのかなあ。私の孫のポコ汰が巣鴨で生まれたから、あのとき、何度も、「自分の住んでいたのはどこらへんだったのかなあ?」という気持でいっぱいでした。できたら、いつかそこ場所を知って歩いて見たいものです。たぶん、何かを思い出すんじゃないかなあ。 早々

郵便番号
 住所
   萩原たか子 様
                          2007年6月1日
                         周の住所
                               萩原周二
                         周のURL
                          周のブログURL
                         周のアドレス
                         周のスカイプ名
                         周の電話 周のFAX

 前略
 ちょっとしばらく手紙を書いていませんでした。どこに郵送したらいいのか判らなかったんです。きょうは、おはぎと孫のポコ汰が、あちらの実家へ行っています。あちらのお母さんにおはぎは可愛がられているんですよ。それはね、このあいだ結婚したブルータスも同じなんです。
12072606 ああいうふうに、相手のお家の家族に可愛がられているというのは、みなおばあちゃんと王子のおばあちゃんが育ててくれたおかげだと思っています。
 思い出せば、横浜で私は大学に入って大学1年の終わりの頃、我孫子に引っ越したものでした。でも私はいいのですが、マサシは横浜の鶴見まで通ったのだから大変だったね。あのときは高校2年の最後の頃だ。だから高校3年は大変だったろうなあ。
 私も我孫子というところは、中学高校の友だちもいるわけではないから、それほど親しい感じがする街とは言えませんでした。私はまた北浦和にアパートを借りて住みだしたしね。でもあの北浦和のアパートは1カ月も住まないうちに、東大闘争で逮捕されることになってしまったね。私が逮捕されて取調を受けていた東調布署というところは、一体東京のどこなのかさっぱり判りませんでした。「東調布」というから、調布市のそばなのかなあ、なんて思っていましたが、のちに、こののちというのは今から10数年前に、私が役員をしている会社が大田区にあって、そのときに税務調査があったときに、その税務署の職員に聞いたものでした。東調布署というのは、大田区の田園調布にあるんだね。驚いて、その日は、夕方わざわざこの東調布署を見に行ったものでした。
 外から、あのときの留置場の位置を確認しましたよ。でもよくあそこまで、みんな差入れに来たりしてくれたものでした。ばあもよく来てくれていました。まだ面会はできなかったけれどね。起訴されて接見禁止が解けたときに、友人が来てくれて、そして府中刑務所に移管になったときに、ばあは来てくれていましたね。あのときに、ばあは「こんな秋田犬を飼いだしたよ」と言ってくれました。私はシロのことがとても心配になって、そのことを聞いたら、「シロはこなくなっちゃったよ」と聞きまして、「ああ、またうちまた秋田犬を飼うのか」という思いで、でもシロのことばかりが気になりました。でもそのまたあとの面会で、シロがまたやってくるようになって、子犬の秋田犬に喧嘩のやり方を教えているなんて話を聞いたものです。
 あのシロという野良犬は、実に面白い頭のいい犬だったねえ。もうたくさんの思い出を残してくれた野良犬でした。 早々

郵便番号
 住所
   萩原たか子 様
                         2007年5月24日
                         周の住所
                               萩原周二
                         周のURL
                          周のブログURL
                         周のアドレス
                         周のスカイプ名
                         周の電話 周のFAX

 前略
 きょうに午前中にまっちゃんから電話があり、28日に病院を移転すると聞きました。でもそこで簡単な手術して、また戻るんですね。
12072310 前の手紙の続きだけど、鹿児島のつぎが横浜だったね。
 実はね、私は鹿児島というところは少しも好きではなかったのだけど、鶴丸高校へ行ってからは実に面白い毎日だったから、けっこう鹿児島というところが気にいってきていたのでした。でもまた転校になりました。
 この横浜という街も面食らいましたね。まず私は皆が平気で話す言葉が標準語でなくて驚いたものです。なんだか、「…じゃん」という音(おん)ばかりが耳について嫌なものでした。でも入った学校には行きたくなかったのだけど、選んでくれた先生が鶴丸高校の卒業生だということで、あの先生と話して覚悟を決めました。
 この高校の2、3年のときのクラスの同窓会をすべて私がやっているのですが、今でも、その場で多くの人が私を鹿児島の出身だと思っているようで、もうこれにはげんなりします。あの人たちは思考法が実に堅くて保守的なんだよなあ。でも今になって、横浜の街を歩くと、なんだか懐かしくてなりません。
 我孫子の家の隣の娘さんの家族が中華街のあるビルの上のほうの部屋で、みんなで学校をやっているのだけど、そこへ行ったら懐かしい思いばかりでしたが、なかでも長男は実に私たち家族が懐かしいようです。おはぎ、ブルータスにニューヨークに来てくれって言っていました。彼は今航空会社で働いているのだけど、その前にはコマーシャルのモデルをやっていて、実にいい綺麗な男だと思うのですが、彼はアメリカ人のモデルというのは193センチ以上ないとだめだから(自分は3センチばかり足りないんだって)、その道はあきらめて、さらには母や父や他の二人の兄弟もアメリカがいいと思っているようだが、僕はやがて日本で生きようと思っています、なんて言っていました。彼は見た目はアメリカの白人だけど、心根は日本の我孫子人のようですね。私は我孫子も好きじゃないけれど、彼の前では、その私の本音が言えませんでした。彼には、我孫子というのは、うちの二人の娘やみーねえ、それに隣の怖い親父(の久二じじ)やばあちゃんの思い出だけで面白く懐かしいところのようです。
 でも彼は、おはぎとブルータスにニューヨークに来てほしい、ニューヨークは思われているほど、怖い街ではないです、と懸命に言っていましたね。私はおはぎとブルータスが子どもを連れてニューヨークを彼の案内で歩いてほしいな。そんな時がきっといつかくることでしょう。 早々

郵便番号
 住所
   萩原たか子 様
                         2007年5月20日
                         周の住所
                               萩原周二
                         周のURL
                          周のブログURL
                         周のアドレス
                         周のスカイプ名
                         周の電話 周のFAX

 前略
 きょうは柏の病院にいるのかなあ? あとでまっちゃんに電話して聞いてみます。
12072303 私は今、おはぎとブルータスにも手紙を書いていますよ。やっぱり、こうして父親から手紙をもらうということも、いいことだと思うんだね。
 我が家族は鹿児島にも住みました。思えば、家族としてはちょうど3年半ほどいたんだね。名古屋にいた期間と同じ長さですね。ただし、名古屋は3カ所に住んだから、東千石町だけに住んだのは、長い期間だったね。そして私だけは、そのあとも鶴丸高校で下宿していたから、私だけは小学校・中学校・高校と過ごしたのです。小学校と高校はわずかの期間だけど、中学が一つの学校だけというのは、私だけでしたね。兄のカンジは、秋田・札幌・名古屋の3つの中学だったし、マサシは、鹿児島・横浜の二つの中学でした。
 だから私には、かなりな思い出がたくさんあるのが鹿児島です。おそらく今でも天文館へいけば、いくらでも同級生に会えると思うんだね。
 私が26歳のときに、鹿児島を歩いて、本当に驚くくらい天文館で昔の甲東中学の同級生と再会したものです。
 ある飲み屋に入って、そこのママに、「ここにAさんという方がいませんか?」と言って、その苗字ばかりでなく、名前もあげたら、「えっ、Nは私の息子です。さっき、ここの来たのが息子です」といいまして、すぐに彼を呼んできたものです。数分前に、この店の業務用の大きな氷を運んできていたのが、彼でした。お母さんはすぐに、本人を呼んできてくれたから、彼が、「あっ、萩原じゃないか」と言って、「今も下駄はいているのか」と懐かしい表情になりました。もう風貌が変わっていたので、数分前には判断できなかったのです。
 そのお母さんは、すぐにばあちゃんのことを思い出してくれたよ。「お母さんはお元気ですか。あなたのお母さんのことはよく覚えています」といくつものことを思い出してくれました。
 もうそのあと、何人もの友だちに会えたものでした。中学2年3年と同じクラスだった黒岩君がラーメン屋になっていたのは驚きました。でもこの「黒岩ラーメン」が今では、大きなチェーン店になっているんだよ。
 いや、実は鹿児島で私たち家族がお会いした人たちは、みなその息子さんなんかが、店を継いでまた元気に活躍していますよ。もう懐かしい思いばかりがしてきます。やっぱり私たちがおつき合いした方たちは、鹿児島市で、すべてで頑張っている方たちでしたね。 早々

郵便番号
 住所
   萩原たか子 様
                         2007年5月16日
                         周の住所
                               萩原周二
                         周のURL
                          周のブログURL
                         周のアドレス
                         周のスカイプ名
                         周の電話 周のFAX

 前略
 たった今、まっちゃんと電話でお話しました。今度簡単な手術をするということですね。

12072210 もう5月も半ばです。きょうなんかずいぶん暑くなってきました。今いる王子の家で、ある部屋の冷房器械の調子が悪いので、明日見にきてもらいます。ちょうどおはぎのところも同じように調子の悪い機器のある部屋があるから、一緒に見てもらいます。こんなときに、こうしてすぐそばに住んでいることはいいなあ、と思いますね。
 こうして暑い夏になってくると、「暑い」ということで、名古屋を思い出します。あそこには3年半ほどいたんだね。そして南区若草町・千種区今池・北区大曽根と住んだね。夏は3年過ごしたんだ。その次に住んだ鹿児島よりも、この名古屋のほうがずっと暑かった思い出があります。鹿児島は陽射しは強烈だけれど、名古屋ほど蒸し暑くはなかったものでした。
 インターネット上で、今池にいたときに通った内山小学校の4年生の同級生を見つけて、メールしたのだけれど、彼には私のことが名前だけでは思い出せないようでした。私は日本中をあちこち歩いたわけだけど、同級生のことはどこでも覚えているんだけどね。
 名古屋といえば、小学校5年のときに出会った伊勢湾台風の思い出が強烈です。あれほど怖ろしい台風は他には知りませんね。今でも、あのときの台風の怖ろしい音はよく覚えています。
 普通なら、私たちの住んでいた家の壊れ方だとテレビにでも放映されるんでしょうが、あのときは、どこの家もそうでしたね。翌日は、実にいい天気だったのをよく覚えています。あのとき以来、我が家では台風が来るというときは、かなりな防衛策をしたものでした。でも実際に台風がきても、それほどの被害もなくて、いつも拍子抜けの気持になっていたものでした。
 私がこの名古屋の出身の人がいるところで、このときの「伊勢湾台風の歌」を唄っても、誰も知らないのですね。何でわすれちゃうのかなあ。担任の島先生が、「いつまでも、この台風のことを忘れないようにしましょう」と言って教えてくれたものです。あの先生は旅行好きの人でした。いつも、日本中を旅行したときの思い出を私たち生徒に話してくれていました。
 このときは六郷小学校でしたね。名古屋の最初は桜小学校でした。もうみなたくさんのことを覚えています。 早々

郵便番号
 住所
   萩原たか子 様
                         2007年5月11日
                         周の住所
                               萩原周二
                         周のURL
                          周のブログURL
                         周のアドレス
                         周のスカイプ名
                         周の電話 周のFAX

 前略
 手紙を1日に出してからもう1週間が過ぎてしまいました。なんやかやと忙しいものなんですね。12072104

 ブルータスがお嫁に行きまして、我孫子の台田の家を引き払わないとなりません。けっこう大変な作業です。当初は、あの大きなピアノをブルータスが持っていくということだったのですが、やはりそれは止めにしました。そうすると、あのピアノを廃棄しないとならないのです。廃棄するのも大変な作業です。
 あの台田のマンションに、私たち家族4人が引越することになって、あのピアノを王子の家から持ってきました。おはぎもブルータスも、あのピアノをよく弾いていましたよ。
 おはぎは、やがて音楽よりも美術が得意だということで、そちらに精進しましたが、おはぎはピアノが大好きでした。だから、小学校でオーボエをやって、先生になってからは三線をやっていますが、その基本にはピアノをやったことにあるのだと思っています。
 ブルータスはね、実はピアノにしろ何にしろ、音譜を見るのではなく、指で覚えちゃうのですよ。だからよく、我孫子の家で、テレビのアニメなんかの放送の曲をピアノで弾いていることがあって、私が「あの曲は何の曲だ。あの曲はテレビ番組で流れているだけで、音譜がないだろう?」というと、ママが、「あの子はね、音を指で覚えちゃうのよ。それで弾いているの」と言ってくれたものです。この能力は私には、全然備わっていないものです。
 思えば、この能力は私ではなく、マサシにはあるものですね。よく子どものときからハーモニカを吹いていたことを思い出します。それがああして尺八を自在に演奏できるようになったんだろうね。
 でも子どものときから、私にはない能力といか、私には想像もできない能力ですから、マサシが羨ましかったものでした。
 思えば、私たち3人兄弟はかなり違った性格と能力なのでしょうが、いつもマサシにはたくさんのことをやってきてもらっていました。親父の葬式のときも法事のときも、いつもマサシがすべてを仕切っていたね。私はいつもマサシの下で小回りよく動き回ろうと思っていただけです。
 でもいつも長男である兄貴のことは必ずあらゆることを支えているつもりですよ。これはマサシも私も同じです。
 思えば、こんな兄弟でよかったな。 早々

郵便番号
 住所
   萩原たか子 様
                         2007年5月1日
                         周の住所
                               萩原周二
                         周のURL
                          周のブログURL
                         周のアドレス
                         周のスカイプ名
                         周の電話 周のFAX

 前略
 今ブルータスの結婚式をビデオに撮ったものを見ていました。撮ってくれたのはミツ君です。DVDというもので、撮ってくれたので、今ママと見ていました。全部で2時間くらいあります。ブルータスの結婚式はとてもいい式だったよ。もう親として実に感激感動していました。
12072004 ブルータスは、本当にいい娘になって、そしていい教師になりました。もう私は嬉しいばかりです。これは、うちの二人の娘を育ててくれたたくさんの人がいたからだと思っています。
 そんな人たちが皆、ブルータスの結婚式の映像に中に映っていました。いないのは、我孫子ばあちゃんと、王子のおばあちゃんです。それにもちろん、久二じいも、八郎じいもいません。これは見ていて、いつも少しさびしくなるところです。
 でもこうして、私も二人の娘をお嫁に出すことができて嬉しいです。そして二人とも実にいい彼で、そして実にいいお父さんとお母さん、そしていいご兄弟がいてくれるのです。
 今は、娘たちの友だちを見ていると、結婚するのが、みなけっこう遅くなる人が多いようです。私の二人の娘は早いほうだよ。娘二人の友だちは私も昔から、よく知っているから、いつも「あ、あの娘は結婚はまだなのかしら?」って思っています。
 このブルータスの結婚式の映像には、おはぎのポコ汰も映っていて、ポコ汰が映像に映ると、ただただ私は嬉しくなっています。孫ってこんなに可愛いものなんだね。
 だから、ブルータスにも早く子どもができてほしいし、おはぎにも、早く、ポコ汰の弟か妹が欲しいです。
 二人にもっと子どもが出来たのなら、もう私はそれらの孫を一同に集めて、いろいろなことがしたいです。思えば、ばあちゃんには、孫が5人だったね。みな女の子ばかりだった。でもばあちゃんも、我孫子じじもただひたすらこの5人の孫を可愛がってくれたことを私はいつも見ていました。
 私もあんなことを、そのままやっていきたいのです。二人の娘に子どもがもっとできれば、もうとても嬉しいとても愉しいことになります。もちろん、みーねえや、しほちゃん、かなちゃんの子どもと遊ぶわけだから、この子たちの時代は、はとこ同士につきあいも活発になるのです。そしていつも中心に私がいるつもりです。   早々

郵便番号
 住所
   萩原たか子 様
                         2007年4月25日
                         周の住所
                               萩原周二
                         周のURL
                          周のブログURL
                         周のアドレス
                         周のスカイプ名
                      周の電話 周のFAX

 前略
 ちょっと手紙を出すのを3日空けてしまいました。
 一昨日は嬉しいことがありました。くにちゃんの子どものポコ汰(ばばのひ孫だよ)がちょっとした病気で入院していて、でもきのう元気に退院したのです。もうとっても元気で、そばにいるだけで嬉しいです。
12071815 でもおはぎがいうのには、23日夜私が帰ったあと、パパは来ていたのですが、そこに看護婦さんが来て、その人がポコ汰に打つわけではないのですが、注射器を持っていたそうです。それで、最初はその注射器を見て、驚いた顔をしていましたが、あの痛い注射をされると思ったのか、「ワアッー」と大声で泣き出したようです。可哀想だね。
 その前にも、大きな注射を打たれたときは、大泣きしたと聞いていたので、そのときには、「よし、今度はそんな注射は、じじが代わりに受けるから」と思って、そう口に出しそうでしたが、おはぎやパパに笑われるので、黙っていました。

 この手紙に我が家族に関係した犬の思い出で、名古屋若草町にいたときに出会ったクロのことと、我孫子のシロのことを書きました。ずっと飼っていたケンのことも書きました。まだまだたくさんの犬のことを思い出します。ケンの奥さんだったヒデ(秀峰姫という実に綺麗な秋田犬だったね)のことは、もう忘れようがありません。実にきかない犬でしたが、ケンに惚れていたんだろうね。ケンとヒデの子どもは、何頭育てたでしょうか。たしか名古屋大曽根で5頭の子犬が生まれ、鹿児島では5頭と7頭が生まれたんじゃなかったかな。
 でももう子犬たちが少し大きくなってからは、ヒデお母さんのところへ寄っていくと、怒って寄せつけないところがあったね。ヒデとしては、針金のように尖っている子犬たちに、乳房を噛まれるのが嫌だったのだろうね。でもその代わり子犬たちは、大勢で父親のケンに襲いかかっていました。ケンは耳噛まれても尻尾噛まれても我慢していましたが、そのうち逃げ出します。子犬たちが、お父さんの背中から転げ落ちるところをよく覚えています。
 でもそれで遠くへ逃げ出したケンを、また子犬たちがみんなで追いかけていたのをよく思い出します。それでまた同じことが起きます。そのうちケンはまた耳を噛られ、尻尾を振り回されます。思えば、実に優しい父親だったんだね。 うちの二人の娘は、犬も何も飼ったことがないから、本当は飼ってあげたかったなあと思っています。早々

郵便番号
 住所(この日から医院の住所のページ)
   萩原たか子 様
                         2007年4月22日
                         周の住所
                               萩原周二
                            周のURL
                          周のブログURL
                         周のアドレス
                         周のスカイプ名
                         周の電話 周のFAX
 前略
 きょう会いに行きました。でもばあちゃんは目を開けてくれませんでした。でも義姉のまっちゃんの話だと、私のことは判っていると聞きましたよ。
 マサシにも会いました。今も相変わらず彼は真面目ですね。兄として、いつも私が存在していることが羞しい思いになります。
12071710 私の二人の娘、おはぎとブルータスもいつもおばあちゃんのことを心配しています。おばあちゃんが私の手をしっかり握っていてくれたよ、ということを今度も伝えました。
 きょうは、私たちがいなくなったあと、シホちゃんとカナちゃんとミチヨさんが来てくれましたね。みんな大好きなばあちゃんの孫と嫁です。私もみな大好きですよ。
 一昨日書いたことですが、きょうは、やはりまた突如思い出しました。名古屋の南区若草町にいたときに、我が家に、何故かクロという野良犬がきたよね。あのノラ公は一体何だったのかなあ?
 もちろん私は可愛がりました。そして近所の悪ガキたちも、みな可愛がりましたよ。でもあのクロは何故、我が家にきたんだっけ。
 クロも雄犬だから、うちのケン(剣光号という雄の立派な秋田犬)に恋したわけじゃないよね。でも、ケンに惚れていたのは間違いないなあ。「親分!」という感じだったのだろうね。
 いつも、このクロのことも思い出すのだけれど、私は何もいいませんでした。いつもいつも犬の記憶は、思い出すだけで、ただただ悲しくなってしまうだけなのです。
 実はあの頃、私は小学3年生のときだけど(もう4年生になったら転校しました)、私の友だちと何回か、あのクロと遠く遊びに行ったことがあるんだよ。天白川を遠く歩きました。そのときのある時に、クロは天白川に、突如落ちて、そしてそこはものすごく深い恐ろしげに流れが渦巻いているところでしたが、クロは最初はもがいていましたが、すぐに悠々と泳いでいたものでした。たぶん、最初は焦って、実際に焦ったが、私たち小さい少年が大声をあげているので、もう面倒なので、悠々と泳いだものでしょう。そんなクロが実に格好よかったものです。
 私の生涯で、たくさんいた秋田犬は、どれも懐かしい思い出に溢れていますが、それでもこの名古屋南区若草町で会ったクロと、我孫子で会ったシロのことが、私には一番大きな犬の思い出になっています。早々

郵便番号
 住所
   萩原たか子 様
                         2007年4月19日
                                            周の住所                                                                                      萩原周二
                                             周のURL
                                             周のブログURL
                                            周のアドレス
                                            周のスカイプ名
                                          周の電話 周のFAX
 前略
 今度4月23日にお見舞いに行きます。当日は、我孫子の台田のライオンズマンションの部屋のゴミの収集日に合わせた時間にいきます。もうあの部屋は誰もいないので、ゴミが資源の収集日に出せないのです。
 我孫子市は真面目な市だから、前日に出したりできないから、当日朝早く行ってやらないとなりません。
12071613 きのう19日の手紙では、「ブルータスは結婚して、彼の家の2階に今住んでいますが、その家に近くにアパートを借りて、5月から二人で住みます」と書きましたが、今月25日からということです。だから我孫子のあの部屋からいくつも持っていくものがあります。そしてそれが終わったら、あの部屋をすべてかたずけないとなりません。

 思い出すと、あの部屋に住みだしたのは、1992年で、おはぎが6年生、ブルータスが5年生でした。あの部屋が日当たりが良くて、広いので、二人が大変に喜んでくれたのを、よく覚えています。そして我孫子じじがよく来てくれて、部屋のかたずけ整理をよくやってくれました。
 じじは、フロントにいる管理人さんと親しくなって、あの管理人さんは、じじのことを、「すごい人だ」なんて言っていたのをよく覚えています。

 もうあんなに小さかった二人も、白山中学校へ行って、二人とも生徒会をやって、二人とも三年生のときには、副会長をやったのでした。あんなに小さいときには引っ込みばかりのおとなしいブルータスが、お姉ちゃんの応援演説をしたり、自分でもやりだしたときには、もうとても驚いたものでした。
 ブルータスは、保育園よりも小学校のほうがすっと面白かったそうです。でもさらに中学校はもっと面白かった。そして高校はもっと面白くて、そして大学こそはもっと最高だったようです。
 そしてまた就職して教員になったら、それがまた面白くてやりがいがあってもう実に面白く充実しているようです。
 そんなことを聞いていると(いや親の前ではあんまり話してはくれないのですが)、本当にこの娘をもって私こそが一番幸せなんだなあ、と思っているところです。早々

郵便番号
 住所
   萩原たか子 様
                         2007年4月18日
                郵便番号  周の住所
                          萩原周二                          12071604                 
           周のURL
          周のブログURL
          周のアドレス
          周のスカイプ名
      周の電話 周のFAX
 前略
 きのうもきょうもお見舞いにいけませんでした。
 王子のMのお母さんも、きょうの毎週水曜日はデイサービスがお休みで、一日家にいます。この同じマンションの4階におはぎ夫婦が住んでいるから、きょうは昼の12時少し前におはぎが、息子のポコ汰を連れて来てくれました。ポコ汰は今年1月3日生まれです。とっても可愛いですよ。この子は、ばあちゃんの3人目のひ孫です。みーねえのところが二人。そして次が、ポコ汰です。
 次は、マサシのシホちゃんか、私の娘のブルータスか、それともおはぎの二番目の子どもが早いか判りませんが、ばあちゃんの4人目にひ孫が生まれますよ。全部で何人になるのかなあ。おはぎは、子どもが4人ほしいと言っています。そしてたぶんブルータスにも4人の子どもができます。
 だから、ばあちゃんにはたくさんのひ孫ができるんだよ。
 ブルータスは結婚して、彼の家の2階に今住んでいますが、その家に近くにアパートを借りて、5月から二人で住みます。それが1階と2階が一緒にある部屋なんだって。私なんかのときには、考えもできなかったアパートだね。それで彼のご両親の家のすぐそばだそうですから、これは良かったなあ、と思っています。
 この部屋に住みだした頃、私もブルータスの新居に行ってきます。
 それと今は、ブルータスには、たくさんの手紙を出しています。そうすると、おはぎが「何で私には手紙がこないんだ」というので、おはぎにも手紙を出しています。ただし、切手は貼らないで、おはぎの部屋番号のポストに入れるだけです。
 昔、私が東大闘争で府中刑務所に勾留されていたときに、ばあちゃんは、よく手紙をくれたね。でも、私はほとんど返事を書かなかった。いや、その前の高校1年のときにも、鶴丸高校で下宿していた私にたくさん手紙をくれていたね。でもそのときも返事を書いていませんでした。今そのことをものすごく反省しています。だから今はこうして手紙を書いています。遅い反省ですね。 早々

郵便番号
 住所
   萩原たか子 様
                         2007年4月15日
                郵便番号  私の住所
                                       萩原周二                            12071405                      周のURL
           周のブログURL
          周のアドレス
          周のスカイプ名
      周の電話 周のFAX
 前略
 きのう、ブルータスに会えたね。ブルータスの彼にも、その彼のお母さんにも会えたんだよ。それできょうは、おはぎとその彼と一緒に来ました。
 おはぎの子どものポコ汰は、まだちっちゃいので、ばあばに預けてあります。
 きのうは、ばあちゃんの手を握る力が強くて嬉しかったよ。それでそばにいるときにいろんなお話をしました。
 秋田には3年半くらいいたのかなあ? それから札幌には2年半くらいいたよね。札幌の幼稚園には、私は7カ月居て、卒園だった。
 そのあと、名古屋には3年半、ただし3カ所住んだ。南区、千種区、北区だった。そのあとの鹿児島には、3年半くらいいましたね。
 それから、横浜にもちょうど3年半くらいだったかな。
 そうすると、ばあちゃんは、我孫子に住んでいるのが一番長いんだね。
 東京の巣鴨に住んでいたのは、どうくらいだったのかなあ? 私は小さかったから全然覚えていないよ。ただ、たしか6年くらい前に、浅草のほおずき市に行ったら、何故だか、「あ、ここには小さいときに来たことがある」って、なんだか光景が甦ってきたのよ。久二じいと、昭和24年くらいのとき、私を浅草のほおずき市に連れて行ってくれたことがあったのじゃないかなあ。

 それから、まだばあちゃんが子どもの頃、茨城の佐貫に住んでいたのではなく、いっぱい千葉県を引越したのでしょう。どこにどのくらい住んで、そう引越したのかは、私にはまったく知りません。元気になったら、そんなことも教えてください。
 私にもポコ汰という初孫ができたから、とても可愛いです。この孫を、ばあちゃんが、私の二人の娘やみーねえやマサシの二人の娘を可愛がってくれていたように、絶対に可愛がります。ばあやじいがあれだけ可愛がってくれたから、みんな実にいい娘になりました。
 だから、それを私もただただ真似していきます。 早々              

12051005 こうしてお花がそばにあると嬉しいですね。

2012/05/10 06:30もう朝はたくさんのことをやっています。今日は雨ということを聞いているのですが、今は雨は降っていないですね。新聞を見ても、テレビのニュースを見ても、いくつもの情報が得られるのですね。
 昨日はブルータスとじゅにが千葉リハビリテーションセンターに入院したのですが、私は昨日ブルータスにケータイメールしただけです。今日もしましょう。
 もうこのポメラでも、できるだけ多く単語登録するようにしています。
2012/05/10 06:46二日前にブルータスから、私の妻に届いた花籠ですが、ここにUPした写真のように、中にあった百合の花が開きました。ブルータスに教えたいな。この画像を見てくれればいいなあ。まだいくつかつぼみがありますから、このあともいつも楽しみですね。
 もう5分で7時になるのですね。

 さてこれをUPして、それからまたいろいろやります。

12021125 もうすぐ出かけます。思えば、私も髪に何かつけていくかなあ。私はいつも何もつけていないのです。でも少しちゃんんとするべきだよなあ。
 あ、孫たちと触れ合おう。それとブルータスに会えます。
 11時にでかけるはずです。

b0b75aba.jpg   今は13時41分です。食堂で食事しています。ブルータスに「先に食事してきて」と言われたのです。
  さて私が行ったら、じゅには眠っているだろうな。


  今は時間は15時57分です。帰りのバス亭です。 バスに乗りました。
  鎌取の駅のホームのベンチでばあばやおはぎにいいメールを書きます。ものすごく嬉しいです。今日はお天気もよく、もう最高の日です。
   じゅにはずっと眠っていて、「今日はお顔は見られないんだ」と思っていましたが、最後のわずかな時間に目を覚ましてくれました。もうものすごく嬉しかったです。

12013116  今は秋葉原です。
  もうじゅには今がカテーテル検査の真っ最中かなあ。もうじいじは帰るしかなかったのだよね。
  あとでブルータスにメールで聞きます。その時にじゅにの様子がじいじにはよく分かるのです。 あとでじゅにの様子をメールでよく聞きます。

  以上は電車の中で書いたものでしたが、今はテレビの前にいます。

12012901 いつもじゅにがちゃんとウンチができますようにと思っています。今日はいいウンチでした。

2012/01/31 06:55今ばあばと、じゅにのところのお隣にいる男の子のことを話していました。ただただ可愛い男の子です。
2012/01/31 13:52今じゅにのそばにいます。ブルータスは今食事に行きました。あ、でも行かないみたいです。
 私が食堂で食事を終えて、IS01を見ていましたら、お義母さんが私に挨拶して帰りました。私はちょうど私のブログの「周の漢詩塾」で、文天祥の詩を読みながら、「化して啼鵑(ていけん)と作(な)りて、血を帯びて帰らん」などと心の中で読み上げていたものです。思えば、これは私が高校一年のときに、図書館で筑摩書房の世界文学大系で、これらの詩句を読んでいたものでした。あの頃から文天祥はいつも私のこころのなかにいました。
 大学3年のときに、私は府中刑務所の中で、文天祥の詩「正気歌」は常に読み上げていたものです。読むといいましても、私は心の中にある詩をいつも読んでいたのです。
2012/01/31 14:51今はじゅにのウンチを出して来ました。
 いつもじゅにのことばかり思います。
 じいじがいつもじゅにのことを思って、こうして来ています。
 ああ、そういえば、今日はツイッターをやろうと思ってブログの見出しを書き出したのですが、UPする前にこちらに来るように歩き出しました。二日間はやっていなかったので、今日は帰ってからやります。携帯電話でもできるのですが、このじゅにのそばではできません。
 思えば、パソコンでやろうにも、私はいつも持って歩きません。今ではIS01でもブログを書くわけですから、いろいろとやるべきことがあるのですね。前には、私はパソコンを常時3つ持って(会社、自宅、背中のリュックの中)いまして、どこででもUPしたものですが、今ではそれがIS01に変わっているのです。
 ただし、このじゅにのそばでは、このポメラしかできません。このポメラは携帯電話機能は一切ないのです。
 だから、一旦データをパソコンに落として、USBケーブルをそれでブログにUPしているのです。
2012/01/31 15:36今ウンチを出してきました。
 今じゅには懸命にお口から食べました。次は歯磨きです。でも嫌がるのですね。

 いつもじいじはじゅにが大好きです。

12012212 ブルータスが待っているかなあ、なんて気になります。寒いですね。
 じゅには今日こそじいじに笑顔を見せてくれないかなあ。あ、バスが来ました。 バスに乗って、今医院へ向かいます。なんとなく、こんなに私が遅く来たのは始めてのことです。

  今は帰りのバス亭です。
  今は鎌取のホームのベンチに座っています。ものすごく寒いですね。
  もう電車に乗りました。
 なんだか今日はじゅにのそばにいた時間が少なすぎた思いがします。 王子に帰りましたら、いくつものことをやります。

12012201 今ブルータスが帰ってきてくれました。 今は16時22分です。

 食堂でばあばは食事をしています。昼食ができなかったのです。 思えば大変に遅くなりました。
  帰りにおはぎの家に寄るつもりでいましたが、食堂でばあばは食事をしていますが、ポコ汰は風邪を引いているということで、ポニョも同じだそうで、じいじがうつって、じゅにまで蔓延したら大変です。ポポはものすごく元気なようです。さすが、私のポポです。

 いや、私の孫は、みんな、じいじのポコ汰で、じいじのポニョで、じいじのポポで、じいじのじゅになのです。
 とにかく今は早く帰ります。

  もう王子まで早く帰ろうと思うばかりです。

12011518 今この一つ前に書いた泰緬鉄道のことですが、話したのは10年くらい昔で築地のことでした。
 私の友人だった堀雅裕さんとある飲み屋で、目の前にいる色の黒い素敵なミャンマー人の男の子と、色の白い綺麗な女の子と話したときです。私は彼に、「あの娘こそ、日露戦争で日本に敗北したロシア軍の中にいたロシア白軍の子孫だ」なんて言っていたのでしたね。思えば私はいつも目茶苦茶だなあ。

  今は外の控え室にいます。私はブルータスを呼びに来ました。お義母さんから頼まれたのです。ブルータスは、私の娘ながら、大変に信頼できます。
 私は、本人ながら、私自身が信頼できません。私はともすれば、どこででも眠っちゃうのですね。

11120109 今必死にプリンタが年賀状を印刷しています。私の年賀状に、おはぎ、ブルータスの年賀状がありますから、これは何日かかることでしょうか。そのあとに私の会社の年賀状も印刷します。それと今年は切手を貼らないといけないから、もっと時間がかかりそうです。(1999/12/25 22:51:40)

11112804  この日もいい子のじゅになのですが、とうとう眠りませんんでした。お義母さんやブルータスの腕の中では眠るのですが、ベッドだと目を開けてしまうのです。

2011/11/28 13:01もう私がここに来てから40分くらいが経っています。なかなか眠らないじゅにです。
2011/11/28 13:16今お義母さんが帰られました。それでブルータスが来ました。でもじゅには眠らないのです。
 仕方ないなあ。
 いつまでも眠らないのですが、やっぱり、お母さんとは一緒になんでも過ごしたいよねえ。
2011/11/28 14:14リハリビの先生が来てくれました。じゅには懸命にがんばっています。
 じゅにのそばでドキンちゃんもいます。ドキンちゃんも体操もするのです。
2011/11/28 15:37もうこんな時間です。もうすぐ私も帰らなくてはならないのです。なかなかじゅにとは接していることはできないのですね。でもじいじはじゅにとはいつでも会っていたいのですね。

 じゅにはあんなに多かったウンチの回数が減ってきました。だんだん治っているんだよね。

11111212 じゅにはえらいです。とってもがんばっているのです。

2011/11/14 13:22じいじはここに来るのは3日ぶりなのですね。この「周のポメラ」で判るのです。
 ここでブルータスがじゅにに読んであげている絵本はみな私は読んでいるものだと思っていましたが、私が知らない(把握していない)絵本もありました。
2011/11/14 13:40今はじゅにの体操の時間です。じゅには寝たきりですが、ママブルータスが体操をさせているのです。
2011/11/14 13:57じゅにはママの抱かれています。その前に、私がそばで見つめていたのでしたが、泣いてしまって、私はどぎまぎしていました。
 じゅにの体温は7度2分で、血圧は76です。私と100違うのだね。じいじも今日吉田医院で血圧をとったのです。最高血圧が176だったのです。私の血圧なんかどうでもいいのですが、でも少し気になります。
2011/11/14 15:15じゅには今看護士さんが、やってくれたのですが、少しも泣かなかったです。えらいな、じゅにちゃん。
 でもじいじは、少しおバカだから、いつもいろんなことが分かっていないのです。それを許してください。
 あ、今グーグルのバズをケータイで見ることはどうするのかと思いました。なんとか、今日調べてみます。
 分からないこと、知らないことがいくつもありますね。ちゃんと分かっていかないと困ります。
2011/11/14 15:32私も小さいとき、たぶん1歳の時かな、東京の巣鴨に住んでいるときに、疫痢にかかり入院したことがあります。言葉を発していたそうですから、0歳ではなく1歳だったのじゃないかなあ。そのときに私は、なにものかに、「あっちへいけ!」と叫んでいたそうです。それが疫痢菌だったと思います。私も赤ちゃんでも必死に闘っていたのでした。
 そしてそんな私を母が守ってくれたのです。そのことがもう大切なことです。私の大切な思い出です。いえ、私にははっきりした思い出ではないのです。でも私はそのことを忘れません。
 今私はたいしたことをじゅににはできていません。でも私はあのときの母を思い、今はなんとしてもじゅにを守るのです。

 この私の一歳のときの思い出を大切にしていきます。

11090501   Wednesday, November 03, 2004 9:43 PM
こちらこそ遅くなって申し訳ありません。
 十月は学園祭、運動会、修学旅行、遠足など学校と関係のある人は忙しい季節ですが、普通だともうなんの関係もないはずなのに先生はすべてに関係していらっしゃるんですねー。中でもいまだに母校の学園祭に出店していらっしゃるとはとは驚きました。こんな話は聞いたことがないです。ほかの学校では例がないのではないでしょうか。学校の職員の方も三十年前からずっと顔見知りの方がまだいらっしゃる訳ですか。昔の敵は今日の友とまでではいかなくても、なにやら懐かしいというところでしょうか。また一種の同窓会ともなっているのかもしれません。こういうのは絶対やるぞと強固に主張する人とそれに賛同してくれる人が数人はいないと続かないものですが、椎名誠とその仲間達の関係に似ていますね。その他、娘さんの勤めていらっしゃる学校の運動会やら、卒業なさった学校の父母会やら、なんて忙しそうなんだろうと驚いたりあきれたりしています。

 陳舜臣は検索してみるとものすごく著作が多いのに二作しか読んでいらっしゃらないとはちょっと不思議です。やはりその三国志に何か違和感を覚えられてあのではないでしょうか。その三国志はどうだったのか感想を少し教えてだけますか。三国志といえば宮城谷さんのが出ましたね。もうお読みになりましたか。私は蒼穹の昴が文庫になったので、ずっと以前から狙っていたものですから早速買って読んでいます。
 先生のエロイーズにも話したことのない美術品の売買とは何やらなぞめいていますね。きっとまた驚くようなエピソードがあるのでしょうね。
 私も人間の声というものには興味を持っています。なぜか教養や人格が現れるし、同じような性格の人は同じような声の場合がありますよね。声優や朗読というテーマはすごく興味があります。

   Sunday, November 21, 2004 1:47 PM
Re: こちらこそ遅くなって申し訳ありません。
 埼玉大学の学園祭とはずっと関係を続けてきたわけですが、もう私も56歳ですからね、もういつまでもやるべきじゃないかな、なんていう思いも抱きます。もう何もかも、みんな私の下のずっと年代になってしまいました。

その他、娘さんの勤めていらっしゃる学校の運動会やら、卒業なさった学校の父母会やら、なんて忙しそうなんだろうと驚いたりあきれたりしています。

 昨日は、私の次女が大学を出た最初の年に勤めた東京都文京区の小学校の「表現の日」(文化際のようなものです。2年前に私が行きました記録は以下です)がありました。

  ブルータスの学校での「表現の日」

 次女が帰宅してきて、私は知りました。前日私が帰宅できていたら、必ず行っていたのに残念です。前日は、私はもう飲みすぎで、泉岳寺、浅草といろいろ行きまして、もう帰宅できませんでした。
 私は娘二人がみている小学生に会えるのがとても嬉しいのです。もちろん、私は、先生である娘の父親だとばれないようにしますが、とにかく今の子どもたちはいいのですよ。「俺たちの子どものときより、いい子たちだな」なんていつも思えるのです。ただ、また今のほうが嫌なことも多くて、これまた考え込んでしまいます。ニュースでみる悲惨な事件ですが、実はもうどこでも起きる可能性があることのようです。さきほど、次女からは、次女の小学校のそばで子どもたちが、車に引きずり込まされそうになったり(つい2日前のことのようです)、男の生徒が不審者においかけ回されたりということがあったそうです。もう柏市の街の真ん中の学校なんですよ。そして警察は、犯人のただの一人も、捕まえていません。もう、悔しくて、悲しくて、恐ろしくてたまりません。

陳 舜臣は検索してみるとものすごく著作が多いのに二作しか読んでいらっしゃらないとはちょっと不思議です。やはりその三国志に何か違和感を覚えられたのではないでしょうか。

 いえ、陳さんには、特別「違和感」というような思いはないのです。ただ、なんとなく、それほどのめり込めないのですね。なんでかな。
 少し考えますと、以下のように思いました。
 私は、中国の漢詩を読むのが好きで、それも漢文という日本の古代からやって来た読み方で読んでいます。また漢詩だけではなく、たくさんの文章も漢文で読むのが好きです。ただ、これは間違えていけないのは、私自身にも間違えるなよと言い聞かせることは、このことは中国のことをよく理解できるためにやっていることではありません。日本人である私が、日本人の漢文という方法で中国の古典を読んでいるのは、あくまで、日本人の古典ともなってしまった中国の古典を理解するためにやっていることなのです。あくまで、日本の文化を知るためにやっていることなのです。いくら漢文を学んでも、中国のことを理解できるようにはなりません。日本のことを知りたいからだけのことなのです。
 それで中国人が書きました、文学なり、評論なりを、訳文で読んでみますと、かなり、我が日本とは違う国、違う風土、違う歴史の中国を感じます。私たち日本人が思い込んでいる中国とは、本当の中国とは、まったく違うもののようです。私が好きな漢文というのは、あくまで、日本人の抱く「中国」を見せてくれるだけなのです。
 ところが、この陳さんが書かれている小説の中での中国は、私が漢文で知ってしまっている「中国」と同じなのです。「中国の人なのに、なんで、こうなのかな?」というところが、私が彼の小説にのめり込めないところなのかななんて思ってしまいました。

三国志といえば宮城谷さんのが出ましたね。もうお読みになりましたか。

 現在第1巻を読み始めました。たくさん、思うことがあります。やはり、私はおそらく、この宮城谷さんの「三国志」が世界最大、最高の「三国志」になるかと思いました。

私は蒼穹の昴が文庫になったので、ずっと以前から狙っていたものですから早速買って読んでいます。

 現在、第4巻を読んでいます。
 上に書いたことに関係するのですが、この「蒼穹の昴」は私たちが過去読んで来た数々の中国ものの小説とはあきらかに違いますね。私が知ってきた日本の古典である中国の数々の漢文から生まれた小説ではなく、中国の実際の近代の歴史から書かれている小説のような感じを受けます。
 思えば、こうした思いをまたまとめて書いていかなくてはならないな、なんていう思いを今抱きました。

先生のエロイーズにも話したことのない美術品の売買とは何やらなぞめいていますね。きっとまた驚くようなエピソードがあるのでしょうね。

 ええとね、私のエロイーズといえば、ちょうど学生のときからつき合った女性なのですが、この女性には、この府中刑務所での、加藤道子さんのことを話さなかったということです。それで、この美術品の売買のことは、もう私が結婚して子どももいる時期のことなのです。はっきり書かなくて申し訳ありません。ただ、たしかに、この美術品に関しては、驚くべきエピソードはありますよ。とても大変に面白い話なので、また別に書きますね。

私も人間の声というものには興味を持っています。なぜか教養や人格が現れるし、同じような性格の人は同じような声の場合がありますよね。声優や朗読というテーマはすごく興味があります。

 私も同じです。そういえば、この加藤道子さんの思い出を、私のサイトの中にある「三上治の世界」でも、以下に書いてくれています。

   ある女優のこと

 今では懐かしく思いだす加藤道子さんの声です。萩原周二
(第225号 2004.12.06)

11082709  斎藤喜博『教育学のすすめ』へ「樹界の旅人」さんからの以下のコメントがありました。

1. Posted by 樹界の旅人   2011年08月24日 08:21
ご無沙汰しています。北浦和の近代美術館でお会いした者です。その節は、展覧会においでいただきありがとうございました。
お孫さんが、ずいぶん大きく成長されたのですね。
周さんに勧められていた「ブログ」をやっと開設しました。よかったら覗いてください。
→アメブロ・「樹界の旅人」
お互いに48年生まれの大学が同窓。
周さんのご活躍をお祈りいたします。

  おひさしぶりです。あのときは、実に懐かしい思いです。その後インターネット上でも「樹界の旅人」さんや、娘さんの関係を拝見してきました。またインターネット上でも以前から、このサイト「樹界の旅人」は見ていましたよ。
 私は私のブログのサイドバーに以下のように記されているように、孫は今4人です。

ポコ汰は1月3日生まれ
4歳7ヶ月24日♪
★5歳の誕生日まで129日★

ポニョは8月2日生まれ
3歳と25日♪
★4歳の誕生日まで341日★

ポポはいくつになったの?
ポポは1歳3ヶ月16日♪
★2歳の誕生日まで258日★

じゅにはいくつになったの?
じゅには生後9ヶ月8日♪
★1歳の誕生日まで84日★

 今日は、長女おはぎの家族5人と赤羽に買物に行きました。
 明日は妻と次女ブルータスの娘のじゅにに会いに行きます。じゅにはどうしてか、今千葉こども病院という医院に入院しているのです。もう病気になってから100日を超えました。
 ようやくじゅにの笑顔が見られるようです(次女からいくつもケータイメールが来ているのです)。明日も見られると、ものすごく期待しています。
 このまだ一歳になっていないじゅににも、私は手紙を書いています。まだじゅには赤ちゃんですかから、読めないのですが、でも読めるようになったら、「じいじ、どうしてこんなに手紙をくれたのかな?」と思うと思っています。もう明日で29通目です。もちろん、そのママとパパにも書いていますよ。
 いや、私が出来るのは手紙を書くことくらいなのです。やがて「じいじは、これくらいしか出来なかったのだ」と思ってくれればいいのです。
 明日じゅにの笑顔が見られることをおおいに期待しています。

 ああ、私は斎藤喜博は、大学時代にもたくさん読んだ教育者です。でも一番感動して読んだ本の名前が分からなかったのでしたが、20数年後に、この本を再発見して、また読んでみたものでした。斎藤喜博は、やっぱり私には批判もありますが、でもでも、総じてやっぱり好きな教育者です。

11081003 まだ千葉県こども病院にいます。いつまで待たされるのでしょうか。じゅにのために待つのはいいですが、これでは本当に参ってしまいます。
 もう19時44分です。ただただ待っています。ブルータスがときどき妻にケータイメールをしてきます。当然です。
 あ、そういえば今日はまだ昼食がまだだったのですね。 もうナオキ君だけが面談して、もう大変な時間が経っています。

d3afdac7.jpg  もう時間の経過するのが速いです。もう17時30分になります。なんでこんなことなんだろうか。
 ただただ時間が経過するばかりです。 今17時35分です。お義母さんが帰って来ました。ブルータスは熱があるようです。 少し前(44分です)に、ナオキ君が来ました。
 もう大変ですね。ただただじゅにのことばかり考えます。
  また涙になってしまいます。もう私はどこでもいつでも涙ばかりです。

110710 私の4番目の孫じゅには、今千葉こども病院で懸命に病と闘っています。最初何がなんだか分からない感じでしたが、今も原因は分かりませんが、どうやら、7月19日に一般病棟に移れました。
 もう、以下のUPをしてから、随分時間が経過しました。

私の孫のじゅにが原因の分からない病気で入院しています

 もうすぐ2カ月が経過しているのです。
 たった今ブルータスは妻に電話してきました。電話では泣いていたようです。
 もう私もどうしたらいいのか分かりません。でもひたすら祈るばかりです。ひたすらじゅにが少しでも元気になるように祈るばかりです。

 ここに掲げた画像は、じゅにが今もいる医院です。

11070709 ケータイを忘れることがあるので、首から下げるのではなく、腰のベルトにつけるようにしました。

2011/07/08 08:07「おひさま」を見ていて、涙が出てきます。どうしてこんな悲しいことばかりなのでしょうか。
2011/07/08 12:31私の娘ブルータスにケータイメールを出しました。ただそれは今朝の7時28分に送りました。いつもじゅにのそばにいるブルータスも、私からのケータイメールで少しは和んでくれるかなあ、という思いなのです。じゅにに「じいじはこんなことを書いてきているよ。おかしいね」と言ってくれればいいのです。
 そういえば、昨日私は東京社会保険病院へ行ったのですが、そのときにケータイを忘れていました。首からぶら下げるというのが忘れてしまうのですね。今週の日曜日にもブルータスとじゅにのところへ行くときにも忘れていました。だから、もう首から下げるのではなく、ベルトに下げることにしました。これなら忘れないでしょう。

 この腰につける限り私は忘れません。

11062704 私はノートパソコンも持っていますが、もうデスクトップばかり使っています。いえ、デストトップといいましても、ノートよりも断然小さいし、買うのも安いのです。

2011/06/28 07:56これを昨日書いていまして、パソコンだと簡単に検索で調べることができます。簡単なことでもやれるから便利なのですが、こうしてリビングでやっていますともう駄目ですね。もう私の頭の中はまともなものは収納されていないのです。困ったなあ。
2011/06/28 08:00「おひさま」を見ます。また私は涙を流してしまうのかなあ。
 私の娘ブルータスも一見強い子です。でも泣いてしまうところも知っています。そのことをいつも思います。じゅにのことを考え、私も元気な顔でいるようにします。

 もうブルータスは、じゅにのところへ行っているかな。また会いたいです。

11061814 もう先週のことになりますが、府中市のじゅにが入院した医院で、面会が終わったあと、ブルータスが泊まっていたマクドナルドハウスへ行きました。妻の荷物を取るためです。もちろん、私は中の部屋には入れません。入り口までです。
 ブルータスが管理人の方に、「父なんですが、ここで待つだけですが、いいでしょうか?」ということで、管理人の方にOKしていただきました。
 そのときに、私が撮りました画像が、2011年6月18日のポメラの2 から 世界を理解できてからやるという考え(2004.10.04)までの画像です。
 それで、真っ先に撮りましたのが、ここの画像です。
 私は最初に、これを人間だと思っていて、でも「何で動かないんだろう?」と思っていて、建物の中に入って分かったものでした(周はあんまり視力がよくないのです)。
 とても綺麗な建物で、とても素敵な宿泊場です。私の妻も2泊しました。ナオキ君も泊まりました。私は何故泊まれないかというと、いびきがひどいからです。私は可哀想な父親なのです。

66b0cda7.jpg  家族控室で待っています。ブルータスがこないかなあ。ここもただ待つだけですね。思えば待つことばかりでしたね。
 でもこの医院は実に綺麗でいいです。本当にこうして医院は綺麗なことがいいです。
  今ブルータスが来て私が控室の番号を間違えていたことを指摘されました。思えば私はとろいな。全然とろいです。バカですね。 じゅにに笑われちゃうな。     
 私のケータイの画面をじゅにに替えたいのですが、どうやったらいいのか分かりません。
 私には分からないことだらけです。
 バカなじいじでもこれでUPします。

11060804 その後どうなったか、きょうブルータスから聞きました。ブルータスもきょうその本人と会って聞いたようです。
 ブルータスの友だちは、もうスポーツクラブの退部届を出したわけですが、その後、そのクラブの担当の先生は

  やめるなら、ぶっ殺してやる

という脅しの言葉とは違って、何も言わないそうです。その子としてもまだまだ怖いのですが、今のところ何もなければまずは良かったなというところです。
 これは私が推測するのですが(まったくの推測です)、おそらく私が

  中村好成県教育長の体罰容認発言
  中村好成県教育長の体罰容認発言の2

で述べました件が大きいのではないでしょうか。これだけマスコミに体罰容認発言問題を書かれているときなわけで、こんなときにはどうみてもおとなしくしているだけなのではないでしょうか。
 しかし、今後もかなり見ていかなければならないと考えています。
 それで、私が

  Re.エコも怒っています

にて書いたことを再度確認したいと思いました。

 まずこの生徒は私の娘の友だちです。私はあくまで娘を通して聞いていきます。どのような経過になったのかは、あくまで私は娘を通して聞いていくしかありません。

ということですが、この生徒は私の娘であるブルータスを信頼したから、話を打ち明け相談してきたわけです。ブルータスは自分ではどうしたらいいかわからず、夜中私にポロっと話したわけです。そこで私は娘にはある程度の言い方をしました。だが、この段階で私がこの友だちに、「その先生をとっちめてやるから、一体どいつだ」(私はこうした迫り方になるでしょう)と聞いていくのは、ブルータスとその友だちの信頼関係を壊してしまうことになるだろうと推測します。彼女は私に相談しているのではなく、ブルータスに相談したのです。本来なら、自分の父母に相談する内容でしょう。ただお父さんは現在単身赴任とのことです。
 あくまで私は娘たちの友人の間の信頼関係を大事にしたいと考えました。
 それで、

そうですね(1995.09.10)
よく似た話しを子供から聞く事があります。また、PTAや保護者会の一員(公式にではない)から聞く事があります。この段階の情報はどう扱えば良いのでしょうか?

 私は自分の子どもが行っているところなら、おそらくまず相談できる先生がいます。私の娘の友だちのことだったら、そのようにします。本来はその子の親が考える問題ですが、私ならそうします。そして、私自身の娘が当事者なら、聞いた途端に相手の教員を殴りに行きます。私より腕っぷしが強そうだったら、出刃包丁か鉄パイプでいきなり殴ります。なんだったら、火つけてやってもいい。あるいは、もっと巧妙にその教員を徹底的に社会的に葬るかもしれません。とにかくそいつは私の娘に「ぶっ殺してやる」などと言い放ったのですから。
 私はこのクラブ顧問のようなやくざよりひどいような教員は本当にごく一部だと思っています。大部分の先生方は、もっとまともないい先生方だと思っています。事実何人も、何十人もの当り前の先生方を知っているつもりです。だから、相談できるはずだと考えています。だが、私の娘の行っていない学校、私の大学の後輩等々のいない学校は残念ながら見当がつきません。

事実確認の可能性は・・・重大な事件・事故が発生し警察などが動かなければ事実の立証は出来ないのかな?

 警察が介入した段階で、もう事実の立証ができない事態になっていることがいくらでもありますね。だから、私たち親がしっかりしないとならないでしょう。だがこれは、一般的な刑事事件でも同様に思います。被害にあうかもしれない私たちがしっかりしていないと、大変なことになります。法は私たちの不断の努力で守られているものなのですから、被害を受けて、あとから法の救済を待つのではなく、その場で闘わなければならないのだと思います。私たちはみなそうであり、未成年である子どもたちを守るのは、その保護者である親であると思います。
 これからますます、そうした姿勢が問われてくる社会になってくるように思っています。

11060402 今ブルータスに聴きました。ブルータスの中学の同級生で、ある県立高校に入って、あるスポーツクラブに入っていた子がいるのですが、あまりにそのクラブの担当の先生が怖いので、きょう退部したいと申し出たところ、その担当教師から

  やめるなら、ぶっ殺してやる

と脅されたそうです。その子は私も顔を知っている子です。15歳の女の子に、こうしたセリフをやくざでも吐くでしょうか。
 その子はそのスポーツは大好きらしいのですが、あまりに先生の指導が怖いのでやめたくなったのです。「組ぬけるんなら指つめるぞ」とでも脅しているよりひどいことです。
 この東葛地区にある普通の県立高校です。ブルータスも、「そんな先生が本当にいるんだ」と驚いています。
 私も、すかさず、

  〇〇ちゃんに手出したら、すかさずパパが行って、そいつをぶ
  ん殴ってやる

と言ってしまいました。いや殴らなくても、とにかくメタメタにしてやります。絶対に許さないぞ。
 教員がこんなセリフを吐くこと自体が犯罪ではないのですか。15歳の女の子が、人生で初めて味わう「やくざもん」からの「恫喝」です。もうそれこそ怖くて相談してきたらしいのです。でもやくざだって、こんなにひどくはないよ。
 でもなんか少しでも手出したら、この私が自転車ですぐ駆けつけて、メタメタにしてやります。もうそうなったら、あらゆる手を使いますよ。

201702201410月19日の文教大学父母教千葉支部の研修会で、私の次女のブルータスが講演した内容が以下の通りです。全部で22分の講演でした。親馬鹿なのかもしれませんが、なかなかいい講演だったかと思いました。ぜひたくさんの方に読んでいただきたいなと希望します。11053013

はい、みなさんこんにちは。私は今柏市立○○小学校で教員をしております、ブルータスと申します。文教大学を平成14年に卒業し、卒業して2年目になります。現在3年生の担任として、子どもたちと共に学ぶ毎日です。本日は教員採用試験合格体験談と言うことで、去年の話になってしまいますが、話させていただきます。よろしくお願いいたします。
まず始めに、レジメのほうはお手元にありますでしょうか? A4二枚をホチキスでとめてあるものです。こちらをごらんになりながら。お聞きいただけるといいかな、と思います。
11052901
1.はじめに「現役合格はできなかったけれど、やっぱり受かって良かった千葉県!」というわけで、私は大学4年生の教員採用試験初受験の時、東京都を受けました。一次試験で見事敗退し、卒業後は姉の紹介で東京都文京区で、普通学級に通う自閉症児の介助員をしておりました。教採の勉強をしながら働く毎日でした。「やっぱり地元、千葉だよな」というわけで、千葉を初受験、合格することができました。教採に関しては一浪して合格したわけですが、やっぱり生まれ育った千葉県で教師になれて、本当に良かったと思っています。

2.教員採用試験についてお話します。
「倍率?そんなの関係ないです」というふうに書きました倍率が低いから受かった、倍率が高いから落ちた、などと言いがちですが、はっきり言って倍率なんて関係ないと思わないといけないと思います。教員になるだけの力があると認められた人が合格し、教員になるにはまだ早いと思われた人が落ちるのです。倍率なんて気にしないで、自分の夢に向かって突き進んでほしいと思います。

「論文対策に励んだ一次試験」
一時試験は7月の第1週か第2週日曜日に行われるのです。筆記試験が主です。
筆記試験のほうは、「教員養成セミナー」という問題集があるのですが、これや高校入試用の問題集、パスラインなどで筆記試験の勉強をしました。私は仕事をしながらの試験勉強でしたが、介助員というわけで担任を持っていたわけではなく、勤務時間も短かったので勉強の時間は十分にとれたと思います。
千葉県は論文が重視されていると言う噂を聞き、論文対策に励みました。ここで注意していただきたいのはあくまで噂ですので、信じ込んで論文だけしか勉強しないなんてことのないようにしてください。
ただ、「千葉は人物重視」というのは本当です。ですから、一次試験に集団面接や論文があるのだと思います。論文対策としては、インターネットで論文添削をしてもらいました。「 Fight!!(ファイト) 教員採用試験」というサイトがあるのをご存知でしょうか。そこのホームページでは、論文を書き込みし、いろんなひとに添削してもらえます。他の人の論文を読むことができるので、書き方などとても参考になりました。ヤフーなどの検索エンジンで、「Fight!!教員採用試験」と検索すれば出てきますのでごらんになってください。

     Fight!! 教員採用試験    ファイト教員採用試験

あと、同じテーマでも何度も書き直しをする。完璧な論文を書き上げることが大切です。試験にどんなテーマで出てきたとしても、使い回しができる、自分の言いたいことができるということが大事です。とにかく論文は練習だと思います。
集団面接に関しては、10分かそこいらで、5、6人の受験生を見るということで、試験官は限られた時間で、印象とか笑顔とかリラックスした感じとか見ると思いますので、練習が大切だと思います。
次に、「とにかく楽しかった二次試験」と書きました。マット、集団討論、模擬授業、適性検査、個人面接、次の日に水泳を行いました。実は千葉は受験番号が「現役組」と「講師、社会人組」に分かれているのです。
現役組は1,000番まで、1,000番からは講師・社会人と別れています。それで、集団討論、模擬授業で一緒になった5人の方は私より年上の方ばかりでした。OLをしていた人、講師を10年やっている人、警察官をやっている人などさまざまでした。「全員で合格しようね」と言い合い、とても暖かい雰囲気で、集団討論、模擬授業を行うことができました。とても楽しく、勉強になった一日でした。
集団討論は、集団の中の個を見る。他人の意見の受け入れ方、自分の意見の主張の仕方、などを見ていると思います。中身が浅い討論にならないよう、人の意見を良く聞いてそれに対する意見を述べていく、という風にしていくと中身の濃い深い討論になり、40分という時間があっという間で、良い討論ができました。
模擬授業は授業の中の「個」を見ます。お題は例えば、「4年生の子どもが、雨の日廊下で滑って転んでしまった。その子は保健室にいる。クラスの子どもに朝の会でどんな指導をするか」など、ものすごく具体的な場面が設定されています。そして、生活指導がほとんどです。お題が出されて、考える時間が3分か5分しかありません。うまく展開できないなんて当たり前なんです。大きな声とか、堂々とした態度、明るい表情ができていればOKかなあと思います。あとは、他の受験者が子ども役をやってくれますので、子どもにどんどん発言させて助けてもらうといいと思います。教師だけべらべらしゃべってお説教するような授業はつまらないものになってしまいます。子どもに聞いたり発言させたりするだけで、「この人は子どものことをよく考えている」と思われます。
個人面接は、個を見ます。試験官に直接自分をアピールできるのはここしかありません。分からないものは「わかりません、勉強します」と正直に言った方がいいです。というのは、なんとなくとか、あいまいに答えると、「どう思っているんですか」とつっこまれるからです。知ったかぶりは信用されません。

というわけで、教員採用試験についてお話しました。
教員採用試験はたしかな情報を手に入れることが大切だと思います。先輩の話を聞くのもいいと思います。また越谷校舎の就職課の「過去問」、1次試験の体験談、2次試験の体験談がファイルされていますので、それがすごく役にたちますので、ぜひ見ておいてください。
またヤフーの掲示板などで、教員採用試験の千葉のトピックスがありました。そこで情報交換しているのを見ていました。ただインターネットはいろいろな人が出入りしますので、気をつけたほうがいいかなと思います。

ここからは教員一年目の私が思うことを話させていただきます。

3.教員一年目「教採合格、ここからがスタートだ」
教員採用試験に合格しても、良い先生になれるのか、現場で使えるのかが問題なのです。教採合格がゴールではありません。教採にどんなに良い成績で合格しても、現役で合格したとしても、「いい先生」にならなければ意味がないのです。「どんな教師になりたいのか、どんなことを子どもたちに教えたいのか、どんなクラスにしたいのか」という具体的な思いを持って、教員採用試験に合格してほしいと思います。
11052902
「初めての担任、まずは学級開きから」今日いらっしゃったみなさんの中には、現在、二次試験の結果待ちという方もいらっしゃると思います。「受かったら、4月までどんな準備をしておけばいいんだろう」と悩む人が多いだろうと思います。私も実際去年悩みました。そのとき現役合格をしていた友達に聞きました。すると「遊んでおきな」という答えが返ってきました。私はそれは違うだろう!と思ました。
もちろん、「遊ぶ」ことも大事なのですが、私は、学級経営や授業に関する本を買い、勉強しました。学級経営、授業についてはやりながら勉強すればいい、という考えもあります(もちろんやりながら勉強していますが)が、初任者は初任者でも、りっぱな教師です。給料をもらって子どもたちに教えている、立派な教員です。
子どもたちはどの子も平等に教育を受ける権利を持っています。他の先生より下手な授業を受けなくてはならない子どもたちはかわいそうなんです。だから子どもたちのために、私たち教師の卵は、人一倍勉強しなくてはならない、ベテランの先生方に少しでも追いつこうと頑張らなくてはならないんです。担任を持つ可能性の高い方は、「学級開き」について勉強しておいてください。
始業式からの3日間が一番重要と言われています。なぜかというと、どんなやんちゃ坊主でも、3日間はおとなしくしているからです。様子をうかがっているからです。その3日間のうちに、学級のルールや組織を作らなくてはいけません。「シャーペンは持ってきてもいいのか」「給食は残してもいいのか」など、大人にとってはとても些細なことが子どもにとっては重要です。そこらへんを適当にしていくと、学級は崩壊します。
私は思います。学級崩壊やいじめは全て担任の責任であると思います。「いじめはぜったいに許さない」ということを声高にし、叱るときはちゃんと叱り、ほめるときは大いにほめて、一人一人と遊び、語り合っている教師のクラスは崩壊なんてするわけが無いのです。学級担任は本当に責任重大です。毎日毎日実感しています。

次です。「初任者研修、勉強になります」。
初任者研修ではすばらしい先生方からいろいろなことを学びます。千葉県立神崎青年の家所長林佳男先生が話されたことを紹介させていただきます。

良い教員になるための7か条

(1)あいさつができる、あいさつは心を開いて、相手に迫るという意味があります。「おはよう、こんにちは、おやすみ、いただきます、ごちそうさま、さようなら、ありがとう、ごめんなさい」言えてますでしょうか?
(2)返事ができる、私は先ほど名前を呼ばれた際、「はい」と返事をしました。返事をすると呼んだ方も安心しますし、自分もしゃきっとしますよね。
(3)よく食べる、食べると言う字は人を良くすると書きます。問題傾向にある子どもは好き嫌いが多いというのも否定はできません。食べることを楽しみ、食べ物に感謝する、そんな人間でいたいものです。
(4)服装が整えられる、外見を整えることで、中身も整います。例えば、私は今日スーツを着てきましたけれども、これがもし、金髪にミニスカートなんてはいてきたら、やっぱり、「あの人大丈夫かな、信用できないな」と思いますよね。場に合った服装や、常識のある服装が、ちゃんとできる、当たり前のことのようですが、とても大切なのです。
(5)バランス感覚がある、人と合わせることのできる力と書きましたけれども、例えばここで「最近気になるニュースはなんですか」と聞いたとき、ほとんどの人が、「児童誘拐事件の多さ」についてあげたとします。その中でたった一人、「荒川のたまちゃんが気になります」とか言ってしまう人はバランス感覚がないのです。ちょっと変なのです。場を読む力、合わせる力はないとやっていけません。
(6)生きる力がある、生きる力とは頭の働き具合であり、知恵であります。生きる力の育成は子どもだけではありません。教師も知恵袋をたくさん持っているといいですよね。
(7)耐える力がある、逆境の中に生きて強くなれとおっしゃっていました。どんな困難でも自分の修行だと思って頑張れる人間でいたいものです。

私はこの7か条を聞いて、常に基本から見直すことが大切だなと感じました。他にもさまざまな先生方から勉強させていただいています。初任者研修の日は丸一日クラスの子達と会えないことが多いのですが、そんな日はけんかがあったり、問題があったりすることが多いのです。そうやってクラスの子どもたちを犠牲にしている分、迷惑をかけている分、たくさん勉強して帰ってこようと思っています。
私は、この7か条は、特に教員ということでなくとも社会人一般にあてはまることではないのかと思います。

4.その他として2つ書きました。
「落ちてしまった、臨採すべきか、勉強すべきか」
落ちてしまった人はとても悩むことだろうと思います。私は東京都で介助員をしていましたが、そこで経験した一年間は、今まで生きていた中で、一番勉強になった一年でした。
私の担当していた男の子は、超多動で、一言もしゃべれず、目も合わない、字も書けない、そんな重度の自閉症児でした。でもどうせできないから、と思って、チャンスを与えてあげなければ、何もできないのです。
例えば、「おはよう」というたった一言のあいさつにしても、言えるようになるかもしれないという希望を持ち、「おは・・・」まで言ったのです。すると「よう」というようになる。繰り返していくうちに「萩原先生おはようございます」と言えるようになりました。それは、どんな子どもであっても同じなのです。指導者があきらめず、チャンスを与えてあげること、きっかけを作ってあげることが大切なのだということを学びました。
そして、いろいろな先生を見ることもできますし、いろいろな子どもたちと接することもできます。
こうして、現場に出ていれば、「どんな先生になりたいのか、どんなことを子どもたちに教えたいのか、どんなクラスにしたいのか」などが、想像しやすくなり、明確になってきます。

「アルバイトはやっぱり塾講?」ということで書きました。
大学生、アルバイトしてますでしょうか?学生でいながらも社会経験ができると言うのが、アルバイトです。ぜひいろいろなアルバイトをしてください。教員になりたいからやっぱり塾講?という考え方もありますが、私はやりませんでした。某ファミレスでウェイトレスをしていました。とても忙しい店で、きつい仕事でしたが、ものすごく勉強になりました。教員になった今でも生かされていると思います。

5.おわりに「大学時代の友達は宝物!文教ばんざい!」というわけで、私は大学時代女子硬式庭球部に所属していました。
テニスに汗を流し、勝利を目指し、同じ夢を追いかけた友達とは、今でも月に一回飲み会をしています。仕事での失敗を話したり、悩みを話したり、ばか騒ぎをしたり、大笑いしたり、社会人になったからこそ、そんな仲間を大切にしなくてはならないと思います。仕事場ではそこまでの友達はなかなかできません。
そして、そんな友達と出会わせてくれた文教大学にはとても感謝しています。卒業後も二次試験対策で大変お世話になりました。文教ありがとう、文教ばんざい!

私は、日々思うことなのですが、本当に教師になってよかったと強く思います。子どもと遊んだり、授業したり、毎日が楽しくてしょうがないです。というわけで、私の合格体験談は以上です。
ご参考になったかどうかわかりませんが、最後に一言、「皆さんは絶対に合格します、ぜひ、良い先生になってください」
どうもありがとうございました。

続きを読む

11052514 じゅにに会って、何を話しかけようかと思ってばかりです。

2011/05/26 06:06今日はじゅにに面会に行きます。面会できる開始時間が決まっていますので、それに合わせて行きます。なかなかこの時間を間違えないように行くのが大変です。ちゃんと調べていかなくちゃあな。
 ブルータスはとにかくじゅにのことが大好きです。もちろん、そうした二人も、ナオキ君も私は大好きです。
 面会できるのは、両親と祖父母です。だから私たちが行くのは当然なのです。
2011/05/26 06:37今ホームページ等を印刷しました。西国分寺からのバスは時間が書いてありません。もうただ行くしかないですね。
 先日面会に行ったときに、先生が声をかけてあげることが大事だと言っていましたので、今日も私はいっぱい声をかけてきます。
2011/05/26 07:35いくつかのことを決めました。あ、今日はじゅにと会っていっぱい声をかけます。

 じいじの話かけることは面白いぞ。じいじは府中はけっこうすごしたところなのだよ。

11050505 7日に妻と次女が妻の東京王子の実家へ行きました。義父と義母にブルータスは学級通信の「ポレポレ」を持って行きました。義父はそれを読んで大変に喜んだようです。もうかなりな号数が出ていますから、読み応えがあったことだと思います。義父も文章を書くのが好きなので、きっと自分の血なのかな、なんて思ったのではないでしょうか。それから次女は彼氏の実家に泊まりに行きました。彼のお母さんに気に入れられているブルータスですから、なんか「あのお母さんにブルータスをとられちゃうかな」と私は不安なのですが、やはり1週間頑張って働いていると、彼にいろいろなことを聞いてもらいたいのでしょうね。
 長女のおはぎは8日夕方帰ってきました。私もちょうど1分前に帰宅したところへ帰ってきたのですが、何故か、「忘れ物をした」ということで、また今帰ってきた道を探しに行くといいます。そしてそれから2時間後、「見つかった」というので、帰ってきました。「北千住で座った駅のベンチにそのまま置いてあった」そうです。それは、彼氏のお母さんにもらった手作りのブローチでした。よくそのまま置いてあったものです。
 二人とも、彼氏のお母さんに気に入れられるのはいいのですが、結婚してもやりませんよ。うちの近くに住んでください。

a8962006.jpg 24日に次女のブルータスが今年3月まで勤めていました小学校の運動会へ行ってきました。ブルータスは「え、パパも来るの?」なんて言っていましたが、結局二人で仲好く出かけました。ただし、私は気が短いので、娘より先に家を出ましたが、娘が出てこないので、リュックサックを背負ったままマンションの前をぐるぐる走っていました。娘に「そんなことをやっていると、通報されるよ」なんて言われました。
 ちょうど開会式のときに学校に到着しました。娘はお母さん方や卒業生たちに囲まれ歓迎されています。私もすぐ「萩原先生のお父さんですね」と言われました。「あれ、なんで知っているんだろう」というところなんですが、思えば私はもうこの小学校へは何度も来ているんですね。

 ブルータスは障害のある男の子を見ていたのでが、今年の4月からは彼のことを見られなくなってしまうので、同じ文教大学卒の親友を替わりに推薦したのです。採用は本来教育委員会が決めることですが、ブルータスは必死に校長、教頭に頼みまして、彼女を採用してもらいました。彼女ならば、その子のことを、ブルータスもいつでも知ることができるからです。
 それでその子には、その親友がずっとついていてくれます。ものすごく大変なんです。行進のときも、いくつもの競技のときも、彼女がいつも手をつないでいます。なんとか、彼もやってくれるのですが、ときどき音楽がなると、座り込んでしまったりして、彼女(のりちゃんといいます)は大変だけれど、懸命にやっています。彼も頑張っているのです。
 もうそれを見ていて、私はもう堪らなくなります。もうのりちゃんと彼の懸命さに涙が出てくるのです。でも狭い小学校の校庭です。後を向いて、涙をふくことができません。54歳の親父が目を真っ赤にして涙を流しているなんて、おかしく、羞しいですよね。懸命に他のことを考えたりしてごまかしていました。
 でも、また二人を見ていると涙がこみ上げてきて、「ちょっと羞しくて困ったな」というときに、ゴールデン街の飲み屋のママさんから電話がありました。すぐ、校庭の端へ行って電話に出ました。「あ、なんとか助かった」というところでした。ちょうど10時14分のことでした。

 でものりちゃんたちだけでなく、たくさんのいいことを見ました。3年生のある男の子が80m走で靴が脱げて転びました。この運動会は、実は皆上履きをはいているんです。だからときどき上履きが脱げてしまう子が出てきます。「あの子は負けず嫌いなんだろうな」なんて想像したのですが、その子はずっと悔しがって泣いていました。でも午前中の最後の方の競技での低学年リレーで、アンカーだった彼は先頭でゴールをかざりました。「良かったな」と思っていましたら、彼はそのまま走り続け、担任の女の先生に飛びつきました。その先生も喜んで飛んでくる彼を身体で受けとめます。子どもが思いきり抱きついて、それをしっかり受けとめられる先生がいます。「ああ、とってもいい先生なんだろうな」なんて私は思いました。
 このことは、そのあと食事したときに、ブルータスも私と同じ光景を見て、私と同じことを感じていたのです。それは私がいつも飲みに行くお店の昼の定食を口にしながら話したことでした。店のマスターもママも、私の次女にはじめて会って、大変に喜んでくれました。
 さて、それで私はこの日の文教大学父母教の代議委員会に出席するために、越谷へ向かいました。

 ただ、この運動会で、たくさんの子どもたちに「萩原センセイ!」と話しかけられているブルータスの姿はとてもいい絵でした。「ああ、やっぱり先生になって良かったんだな」としみじみ思ったものです。

 先日、妻が風邪をひいたときに、次女が置いて行ったメモが以下です。

 ママへ
 ごめんね。三線(さんしん)に行ってきます。ベランダのそうじは私もやるので、今度やろう。
 月よう日の夜また来るよ。
 もし元気になっていたら、スパゲティ食べに行こうね。
 はやく元気になりますように。      さよこより

tawara



(上のイラストは「たわらちゃんといいます)

「たわらちゃん」というのは、次女のブルータスが中学生のときに書いていた漫画です。中学生の「たわら」という名前の女の子で、彼女は柔道をやっています。身体が小さいのですが、頑張り屋の子です。好きな男の子がいるのですが、打ち明けたくても、それができないで、そのことでなんだかまた柔道に向けて頑張っています。
 そのたわらちゃんが、両手を握り締めて「ファイトー」と妻に呼びかけているイラストが入っています。
 この手紙を見て、私も風邪をひきたくなりました。

11040409 いやはや寒くなりました。娘二人は、ブルータスは帰ってきますが、姉のおはぎは帰ってきません。土日も学校に出て成績つけをやっているようです。図工の全員の成績を絶対評価でつけるわけなので、時間がかかるようです。
 ブルータスからは、見ている男の子のことをよく聞きます。

   ぶるぶる日記   2002/12/05(木)毎日感動してしまう

 彼が、給食を全部食べられるようになったといいます。もうものすごく嬉しかったようです。A君は偉いなと思います。
 実は当のブルータスは小学校低学年の頃は、嫌いな給食は、みなわざと机から落していたようです。自宅でも、嫌いなものを押入れの中に流していたりしていたものでした。手ごわい子どもだったなと思い出します。それが今は先生として懸命にやっているんだなと思います。
 給食でもなんでも、無理強いするのはいけないけれど、粘り強く努力することを教えていくことはいいなあ、感激することだなと思います。

11022006 まだまだ寒いですね。長女も次女も風邪をひいたみたいですが、元気にやっています。次女は沖縄の石垣島や竹富島や小浜島へ大学の卒業旅行ということで行ってきました。

  沖縄って、また同じところへ行きたいと思うだろう?

と私がいうと、その通りだといいます。それはどうしてかというのを、今度ゆっくり話そうかと思っています。「家族全員で、沖縄へ行きたいね」ともみんなで言っています。ただ、次女はまた今月末に彼氏と沖縄へ行くようです。私もついていきたいな。

11020501 このところ、雨の日が続きましたね。でもきょうはどうやら晴れそうです。やはり天気は晴れたほうがいいな。
 私の次女ブルータスが教育実習で、夜懸命に教材を作っています。それがきょうは(きょうの朝近くまでやっていた)、可愛いカードをたくさん作っていまして(立体のカード)、さらにそれの説明の絵の入った文書をパソコンで作っていました。子どもたちが可愛くて仕方ないようです。

11012710 本日朝、次女のブルータスは大学時代の友人たちと韓国旅行に行きました。昨日ブルータスと、この旅行の費用のことを話していましたら、けっこう安いのですね。やはりこの冬ですから、寒い韓国に出かける人は他の季節よりも少ないのかな、なんて思ったものです。
 そこで、思いだしたことがあります。随分前の話ですが、ある人が、冬になると中国旅行に行く人が少なくなり(冬の北京はものすごく寒いそうです)、航空機会社もホテルもみんな困っているのだが、なにか、冬の12月に北京旅行するよなアイデアがないかというのですね。それで、すぐさま私が答えたのが次のような内容です。それは「北京のクリスマス」という旅行の企画です。

  中国にキリスト教が伝わったのは、2世紀の終り頃だと言われ
  ているがネストリウス派のキリスト教は7世紀の最初に中国に入っ
  たと言われている。このキリスト教徒が実は、その後約1500
  年に渡って、中国でひそかに信仰を続けていた。そして実は今も
  北京の街の片隅で、毎年ひそかにキリストの生誕を祝うために、
  厳冬の真夜中美しい儀式を続けている。これは実に神秘的な儀式
  であり、それを見学することができるようになったこれを「北京
  のクリスマス」となずけ、旅行の企画とする。

 私はさらに滔々と喋りました。このネストリウス派のキリスト教は景教と言われて、実は我が日本にも入ってきていた。だから、聖徳太子が厩戸皇子(うまやどのおうじ)と名前をつけられたのは、実は西方の偉大なイエスキリストという聖人が馬小屋で生まれたというのを聞いていたからだ。
 それで少し乗ってきた相手が、「それはいいと思うのだけれど、本当の話なの?」というので、「何言っているの、こんな話は嘘っぱちだよ。今俺が考えた話だよ。でもこの北京のクリスマスを見事作り上げて(デッチアゲともいう)それで飛行機が1、2台飛べばいいんじゃないのか」と言いました。
 でもこれを相談してきた旅行社は、「そんな破廉恥なことはできない」という返事だったようです。もう根性ないよなあ。
 厳冬の北京の街の片隅で、キリストの誕生をひそかに祝う、中国のキリスト教徒っていいじゃないの。そしてそこには、誕生を祝うための料理と中国のワインが必要です。北京の冬の12月でなければできない企画ですよ。
 でも思えば、そのあとも、今度はこのネストリウス派のことをいろいろと聞いてくる人がいて、またいろいろと答えたものでした。(2005.01.03)

11011401 私の次女ブルータスが大学に入学して、そのときのことを私は以下に書いています。それで私はきょうここに掲げたこのハガキを見つけたのです。

 私の次女は、もう赤ちゃんができています。「じゅに」というハンドル名です。それで今朝10時35分にケータイメールをくれて、じゅにの顔写真が添附されています。もう私はその写真を見て笑うばかりです。彼にそっくりなこと。そしてブルータスの顔も思い浮かんできます。もうポコ汰やポニョも見ているかな。ポポは見てもよく分からないでしょうが、きょう私がおはぎの家に行って、見せて説明します。
 以下に書きましたが、

ブルータスがパーマをかけた(1998.03.15)
http://shomon.livedoor.biz/archives/51890735.html
ブルータスは本日退院です(1998.05.09)
http://shomon.livedoor.biz/archives/51891328.html

 こんなときもあったのですね。
 それでそのときのハガキが、ここに掲げたものです。

 このハガキにある、「元気になったら鳥ぎん」に行こうね!」というのは、鳥ぎんの銀座本店です。私の義父が好きな店で、私たちは、義父に何度も連れて行かれました。私の二人の娘も何度か行っています。
 私たちが最後に行ったのは、日比谷野外音楽堂で、ザ・ブームのコンサートを家族4人で見に行ったときでしょうか。もう6年くらい前かなあ。
 ブルータスもおはぎも、ここのやきとりは大好きで、二人ともここでモリモリ食べます。私はひたすらビールを飲んでいましたものです。義弟ともみんなで一緒に行ったことがあります。ブルータスにも、おはぎにも大変にいいお店で、実に楽しい時間だったことでしょう。そういえば、私の埼大の後輩何人かと入ったこともあるなあ。
 今度は、おはぎとブルータスの彼と、そして4人の孫も一緒です。たぶん、ポコ汰もポニョもいっぱい食べられるだろうな。私はビールもお酒も控えめに飲むことでしょう。(2011.01.14)

 もう11月もこんなにたってしまいました。速いな。
 もうリンクしてありますから、ご存知の方が多いかと思いますが、私の次女
のブルータスが

   I'm brutus(もう当初とは違って、今は違うサイトに移りました。リンクしているのは現在のサイトです)

というホームページを11月6日にオープンしました。
 そこでの「ブルータス君」というキャラクターが以下です。これは鳥なんでしょうね。
brutus そのほか、このブルータス君の友だちには、「キリキ君」とか「チィーちゃん」、それに「海ぼうず」とか「サメ」とかがいますから、そのうちに登場させるそうです。
 ブルータスはホームページを作るという決意だけはしていまして、12月1日正式オープンにしようと言っていました(これは長女のホームページも同時にオープンしようということでした)。10月の末のある晩(23日)に珍しく早く帰って来たブルータス(いつもは12時頃帰ってくる)に、「おい、ホームページを1ページだけ作っておいたぞ」と私はいいました。ただの真っ白なページに、「いつも元気だ、ごきげんブルータス君!」という文字とメールアドレスを入れただけのページです。
 それで、「じゃ、やってみるか」ということで、ブルータスのホームページ作りが始まりました。エディタは「ホームページビルダ2001」です。
11011005 最初は壁紙の探し方と貼り付け方からです。インターネットでの壁紙サンプルの置いてあるサイトを検索することを教えまして、それを取り込むことを説明しました。その説明くらいで、あとはホームページビルダのマニュアルをブルータスの部屋に置いておきました(ところがブルータスはマニュアルを全然読まなかった)。
 約2時間たったところ、今のホームページの表紙の原型と言えるようなものを<BR>作っていました。「ブルータス君」のイラストもパソコンで描いてありました。そこで私も、「もうこれをサイトにUPしちゃおう」ということで、そのやり方を教えました。そして、別なページへのリンクの仕方を教えるうちに、また2時間くらいで、他の3ページが出来ていました。私はリンクのやり方とか画像の貼り付け方は教えましたが、その作業の中で、内容の文章もでき上がっていたのには、「これは早いな」とおどろきました。
 それで、でもまだ公開はしないということです。掲示板ができないとまだ公開できないということです。そこで無料掲示板のことも教えました。
 私としては、私が作ろうとしています、自分のドメインサーバーがCGIが使えるので、そこで掲示板を作ってあげようかなと思っていました。ただ、そのサーバーが使えるようになるのは11月4日です。
 ただ、ブルータスはいろいろと忙しくて、帰宅が遅く、10月中はなかなかホームページ作りが進みませんでした。でも11月になると、帰宅すると、メールを書いたりしたあと、あっと言うまに、またホームページが増えているという感じになりました。
 3日にはカウンタを付けまして、いよいよ掲示板なのですが、私のドメインサーバーが使えるようになるのは9日に延長されました(そしてまた延長で、12日になってしまった)。
 それで困ってしまい、4日に「神田会ネット」のホームページを管理していますぱらむさんに、ホームページに掲示板を置いてもらえるようお願いしました。それで掲示板のCGIはダウンロードしてありましたので、すぐにUPしましたが、これが開きません。5日にぱらむさんの会社に行きまして、いろいろと説明を受け、かつやってもらいまして「I'm brutus掲示板」が出来上がりました。ついでに、私の長女のほうの、「おはぎ屋掲示板」も設置してもらいました。
 それでブルータスに伝えますと、もうこれで正式オープンにしてしまおうということになりまして、6日には私のホームページでもリンクしだしました。それにもう学園祭だったブルータスは、「ブルータス君」のイラスト入りの名刺を作ってありましたので、もらった人は「あ、ホームページ作ったんだ」と気がついたことでしょう。
 ただ、ブルータスは父である私と似たのか(実は長女のおはぎも同じだけれど)、帰宅が遅く、かつ外泊もよくしますので、ホームページを作っている時間がないはずなのですが、帰ってくると、一気にやっています。だから、内容がどんどんと追加されて行っています。これは見ていると、驚くほどの進化(進化といえるのかな)です。これから、もっと内容が増えていくはずです。私も妻も愉しみにしています。
 それと「I'm brutus掲示板」に、たくさんの方が書き込みしてくれまして、ありがたいことです。私の「周の掲示板」においでになる方が何人も書き込みいただきまして、親としては、これまた実に「ありがたいな」と感激しております。
 思えば、親馬鹿なお話ですが、これは私は「親馬鹿」と言われても構わないと思っています。何と思われようと、とにかくブルータスのホームページが充実してたくさんの方々に見てもらえれば私にはとにかく嬉しいことなのです。 あとは長女の方ですね。長女も次女も昨夜はアルバイトで12時すぎに帰ってきたのですが、長女のほうはプールでの指導員(次女ブルータスはレストランのウェイトレス)なので、疲れはててしまい、メールの返事くらいで終わってしまうようです。
 でも、とにかくおはぎも12月1日にはホームページをオープンさせるよう頑張らせます。それと、私は妻にもホームページを作ってほしいのだけれど、やってくれないかな。
 私は、日本中の人は、いや世界中の人が、みな自分のホームページを持ってくれたらいいなあと思っています(もちろん、持ちたくない人は持たなくていいわけだ、当たり前だけれど)。そうしたときに、字も書けなかった蝦夷(えみしと読みます)だった私の先祖も、平将門公も「よくやったな」と言ってくれるような気になるのです。
 さてさて、私も、もう少しちゃんとホームページの更新をしなければいけませんね。

↑このページのトップヘ