将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:ブルータスおばちゃん

12122211 このツリーには、おはぎ家族5人の絵がついています。みなおはぎママが描いたものです。
 でも実はポポは今は丸坊主頭です。この絵のようにはお兄ちゃんにはなっていません。私がなにか意見をいうと、怒ってじいじをたたきにきます。でもブルータスおばちゃんのところのじゅにを心配している言葉もじいじにはいいますから、いい子でもあります。
 でもとにかく、面白い子です。
 ああ、ものすごくお喋りな子でもありますよ。にいにいのポコ汰よりもものすごくお喋りです。
 でも面白いよね。今日はみんなで箱根に行くそうです。じいじのことも忘れないかな。
 あ、26日にじゅにに会いに行きますから、私のところでは26日までクリスマスということにします。だから26日いっぱいここにクリスマスの画像をUPします。

12072708 今日の7月28(土)に午後3時から7時まで「第17回きつね夏まつり」が開催されます。主催は「豊島いなり通り商店会」で協賛が豊島1丁目、2丁目町会です。
 昨日の朝刊に、このB5チラシ(1色両面色上浅黄紙)が入っていました。
 昨日の夕方、おはぎの家へ、このチラシを持っていったのですが、今日は越谷じいじ・ばあばの家に行くということですから、残念ですが、孫たちは参加できません。なんとなくちょっぴり寂しい私です。
 昨日は、おはぎママが帰ってくるのが遅くて、それで階段で「ママ・・・」と泣いていたポポですが、心配で見に行きましたら、もうミツ君パパと大声で笑っていたポポでした。
 その顔を見て私はものすごく嬉しかったです。
 私は東武ストアで、お菓子を買って行ったのですが、偶然ばあばに会えて、葡萄ももらって持参しました。それをすぐ12072705に冷蔵庫に入れて、いわば隠すのですが、ポポは、ずっと私に向かって、「ブドウ、ブドウ」と声を出し、私はなんとかとぼけるのですが、駄目なのです。
 私は昔ブルータスが「アメ、アメ」なんていいながら(そのときも、もうアメがあることをブルータスは知っていました)、迫ってきたことを思い出しました。ポポは、ブルータスおばちゃんの小さいときにそっくりです。

12052813 こうしてすやすや眠るものなのですね。
 でももうこのそばからは離れられません。このポコ汰が生まれたときに、駒込の産院へ行ったことをよく思い出します。次のポニョが生まれたときには、私の次女のブルータスと行きましたときには、ポコ汰は、じいじとブルータスおばちゃんと三人で買物に行ったものでした。懐かしいなあ。
  思えばいくつものことを思い出すものです。ブルータスのじゅにのときも鮮明に思い出します。
 思えばいろんなことがあったものです。

  いや、またぜんぜん違うことも思い出しました。そうですね。また書くこともあるでしょう。

09022201 SHIROのポメラ日記このUPがありました。

 家庭や地域社会での具体的な対策についていくつか書いてきましたが、ここでベースとなる心の問題に戻って少し書いてみたいと思います。
 私は趣味で心理学やカウンセリングの勉強をしているのですが、カウンセリングの理論の中で、「純粋性」「共感」「受容(無条件の肯定)」という言葉があります。

 自分の子どものことが、どんなに好きでも、その心が判ることはなかなかできません。いつもそのことを考えてきていたものでした。

(1)純粋性
 子どもに対する時に、自分の中で嘘をつかないことです。 例えば、大人の都合で言っているのに「あなたのためよ」とすりかえてしまわないことが大事です。
 「勉強しろ」と子どもに言う親は多いですが、それは何のためでしょうか。「あなたの将来のため」と言いつつ、自分が老後に支えてもらうためだったりしませんか?
 大人の中のこうしたすりかえは、子どもは敏感に察します。

 この「すりかえてしまわないこと」というのは大切ですね。そしてこういう大人の傾向はものすごくどこでも見てきています。でもでも自分の私もすりかえてきていたことを感じなければならないと思っています。

(2)共感
 子どもが感じている感情や、今の心のありようを、大人も一緒に感じていくことです。例えば子どもが「つらい」「大変だ」と言えば、まずは同じようにその気持ちを感じてみましょう。
 大人から見たら「何だ、そんなこと」と思うようなことでも、子どもにとってはとても辛く、大変なことがあります。本人が感じていることが、その本人にとっては真実なのです。(「心的現実」と言います)
 完全に子どもと気持ちがイコールである必要はありません。「共感してくれている」「一緒にいてくれる」大人の姿勢が子どもに伝わるだけでも、信頼関係を作る大きな意味があります。

 このことは、自分は子どもたちの気持を感じとることが出来ていたのかなあ、と考えてみます。いや出来ていたのかは、実際には判りません。でも感じとろうとはしていたと思っています。それにしても私はにぶい親父だったから、子どもたちには伝わっていなかっただろうなあ、と思っています。
 でもこれからでも、そして孫の場合も今こそこういう姿勢を持っていきたいと考えています。

(3)受容(無条件の肯定)
 子どもの話の内容、感じていることなどを、無条件に尊重して受け入れていく、という態度です。「そんなのおかしい」「普通は〜」などと否定せずに、まずは子どもの話を聴いて受け止めましょう。
 例えば、携帯メールをしょっちゅうやり取りしている子どもは、大人の目からは「おかしい」「変だ」と見えるかもしれませんが、子ども達にとっては「やりたい」「必要だ」と思う気持ちがあるのです。大人の価値観で否定した所で、その気持ちが無くなる訳ではありません。
 「メールなんてしてるあなたはダメだけど、やめたらOk」「テストで○点取ったら○○を買ってあげる」などは「条件付き肯定」で、子どもは「本当の自分をわかってもらえない」「受け止めてもらえない」と感じてしまいます。
 あなたは自分の子どもを愛していますよね? それは「顔が可愛いから」「成績がいいから」「自分の言うことを聞いてくれるから」といった「条件付き」ではないはずです。自分の子どもだからこそ、無条件で愛しいものでしょう。
 現実社会に出れば「働きが悪かったらクビ」といった「条件付き肯定」ばかりです。せめて自分の子どもには、無条件に受け入れてもらえる幸福を、子ども時代に十分味合わせてあげましょう。心の拠り所になる幸せな子ども時代があってこそ、厳しい現実社会に耐えられる大人になれます。

 ケータイメールはそれこそ私からやっています。今は手紙もたくさん書いています(ただし、この2月は誰にもあまり書いていません)。孫にも、手紙もケータイメールもたくさん出していくつもりです。もちろん、姪にも甥にも、たくさん書いていきます。そのさらに子どもたちにも書いていきます。そしてもちろん、多くの友人たちにも書いて行きます。

まとめ
 もちろん、上の3つは理想であって、実際に子どもの前でその態度で居続けるのはなかなか難しいことです。
 しかし、「できない」と開き直ってあきらめるのではなくて、やはりその理想を意識して、それに向かって努力しないといけません。子育てに迷った際に、向かうべき方向を示すコンパスになるのではないでしょうか。

 うん、こんなふうには行かないよな、とは思います。でも「その理想を意識して、それに向かって努力しないと」と自分に言い聞かせます。いや、もう私はいっぱいメールも書くし、和紙の手紙もいっぱい書きますから、どんどんとやって行きます。「あの大おじちゃんは、いつもパソコン・インターネットをやっているから、こんなにメールや手紙を書いてくるんだな」とみな判ってくれるでしょう。
 それにまた今度の連休には、次女の家のほうに長女家族みんなと行きます。いや連休にならないと、みなの都合がつかないのです。でもそのときには、私の孫二人は、もう保育園に行っているときなのですね。
 その連休にときに、私のポコ汰がブルータスおばちゃんにどんなお話をしてくれるのでしょうか。今からそのことが、そのお喋りを聞くことが、待ち遠しくてなりません。

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c737f2d4.jpg かずばばの顔は見ましたが、早く周じじに会いたいです。いつ来てくれるのかなあ。ボクには、ばばが二人に、じじも二人いるけれど、周じじが一番おそいんじゃないかな。
 それとブルータスおばちゃんにも会いたい。みんなに早く会いたいよ。
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