将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:マディソン郡の橋

12121111 この「日本でヒットした主な翻訳文芸書」で、私が読みましたのは、「R・バック『かもめのジョナサン』」、「R・J・ウォラー『マディソン群の橋』」、「J・チアン『ワイルド・スワン」、「W・グルーム『フォレスト・ガンプ』」、「J・K・ローリング『ハリー・ポッター』シリーズ」、「D・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』」です。
 でもよく覚えているのは『ハリー・ポッター』くらいかなあ。電車の中で分厚い本を読んでいたものです。『ハリー・ポッター』シリーズは全部で7巻でしたね。

 これは今日の夕刊にありました。
  http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20121211&ng=DGKDZO49388550Q2A211C1BE0P00
 翻訳文芸書、ヒット作次々 国境越え価値観共有

 2012年10月24日
  ハリー・ポッターシリーズのことで

 ただまた私の読後感を書かないといけませんね。
 この中では『マディソン群の橋』と『ワイルドスワン』12121112に関しては、以下を書いています。

 2010年12月19日
 「天の夕顔」と「マディソン郡の橋」 
 
2011年02月25日
    ユン・チアン『ワイルドスワン』

 やっぱり私の「周の雑読」と称したものを書いていかないとならないです。それを書かないと本を読んだことにはならないと思っているのですね。

10121808  恋愛小説を二つ紹介したいと思いました。一つは昭和14年に発表された中河與一「天の夕顔」で、もう一つは何年か前にベストセラーになり話題になった「マディソン郡の橋」です。

書名    天の夕顔
著者    中河與一
発行所  角川文庫

  信じがたいと思われるでせう。信じるといふことが現代人にとつて如
  何に困難なことかということは、わたくしもよく知っています。それで
  ゐて最も信じがたいようなことを、最も熱烈に信じてゐるといふ、この
  狂熱に近い話を、どうぞ判断していたゞきたいのです。

 これが冒頭の文章です。「この狂熱に近い話」とは、熱烈なる恋の話なのです。語り手である主人公はある人妻に恋します。それが21歳のときです。彼女は7歳年上です。彼女もこの主人公を愛しますが、どうしても夫のことや子どものことで自由に振舞うことができません。主人公が38歳になったとき、あと「5年たったら……」といわれ、喜びますが、その5年たったとき、彼にもたらされるのが彼女の死です。

  考えてみると、わたくしは生涯の間、男と生れて来て、本当は何もし
  ませんでした。言ってみれば、一生を棒にふつたのです。功利の世に生
  れて来て、そこに生きる術を知らず、自ら自分を破壊に陥し入れたので
  す。恐らく世界一の愚かな男にすぎなかつたのです。
  だがたつた一つ、心をこめて、本当にあの人を愛しつゞけたというこ
  とだけは、少しの不安もなしに言ひきれます。総てを捧げて、心の限り
  で、思ひの悉くをつくして、あらゆるものを顧みないで……本当にあの
  人だけは愛しつゞけました。

 こんな哀しい愛の形は実はたくさんあることのように思います。誰もが自分だってそれを違う形にしたら、もっているのだと思います。だが、誰もがあるところで妥協して生きていってしまうわけです。小説の形でならこうして描いていけるのでしょうか。
 私がこの小説を初めて読んだのが、中学2年の時でした。余りに華々しい愛の世界が展開されるわけでもなく、それほどの印象も残らなかったのですが、いままた読み返してみてまた別なところから見ていけるようになりました。
 この小説が書かれ、発表されたのは昭和14年のことです。あの時代にただただ自分の恋した女性への愛の話だけを書いているこの小説の存在はやはりいいなと思います。小説の中では、主人公は軍隊へもいくわけですが、それについてはなにも書かれていません。おそらくはその当時の若者はみんなもっとこうした時代の中で、さまざまに流されていった訳でしょうが、この主人公のみは、ただただ愛する彼女のことのみを思い続けます。現実の世界ではこのようなことはまず考えられないことだったのでしょうが、きっとこの小説を読んだ若者はこの主人公の中に、もうひとりの自分を見ていたに違いありません。
 世界に、日中戦争、日米戦争がおきようと、「原発はよくない」とかいう連中がこようと、またさまざまな政治的情況が変化しようとただただ自分の恋する人のことを考えている存在なんて大切なことだと思います。現実にはたぶんその情況に流されてしまうことが多いのでしょうが、この主人公が生きた時代よりは、自分たちのことをまず第一義的なものと考えよう、公のことよりも私のことを優先して考えようという若者が増えているように思えるのは、少しは時代はまともにいい世界に向っているのかなと思います。

書名    マディソン郡の橋
著者    ロバート・ジェームズ・ウォラー
訳者    村松潔
発行所  文藝春秋社
定価    1,400円

 これを読んだ人の感想をきいてみると、まったく感動している人と、なんらつまらない話だと見る人とが極端に2分されているように思います。この話を知って、夢見るように感動する人と、こんな話現実にあるわけがないじゃないかと思う人とが極端に別れるように思います。そしてそれはその人のもっている「恋愛」というものへの感じ方の違いなように思います。
 人は大いに恋愛に燃えることも、革命とかいうことに情熱を燃やすこともあります。ほとんどそれにしか眼に入らないときもあるでしょう。だが、しだいにそうしたことが「生活」という前にかすんでいってしまうのが、大部分の人の人生であるかと思います。「思想でメシは食えない」ように、恋愛でもそれのままにだけに生きて行くことはできないのです。だからこそ、人はそうした自分の熱い思いを何かに表現しようとするときに、いくつもの詩を作ったり、小説の中にその思いをこめるといえるかと思います。
 そうした作品を読む側がひきつけられる要素といったら、次のことが考えられます。まずそこに描かれていることが、読者にとってもけっこう同じ思いの体験を呼び覚ましてくれることです。もうひとつは、その作品の描いているところの時代を読者の前に生き生きと再現表現していてくれることです。
 この作品ではまずその第1の点ではかなりな成功をしていると思われます。誰もがいや大部分の人が、なんらかの恋愛の経験はあるわけであり、しかもそれがけっして自分の思うような結末にはならなかったことも経験しているわけです。だからこそ、人はその作品の出来事の成り行きに自分のあることを引き合わしてみる体験をすることになります。
 またもうひとつの点なのですが、優れた文学作品は読んでいる側に、その時代の像とその中で生きざるをえない作中人物の姿を明らかにしていくことから、読んでいると、私たちはどんどんその時代に引き込まれていくような気持になっていくものです。
 この点がこの作品では、どうしてもはっきりと描けていないところのように思います。いったい何時の時代なのかよく判断できないように思います。いや、何時の時代でもいいようにも思います。もちろん、キンケイドのもっているカメラ技術や幌つきの橋の風景のことなどから時代を見ることは可能です。彼は過去に日本軍と戦ったであろうことも明らかです。またフランチェスカの農村での生活の仕方からも、時代を読み取れといわれればできるかもしれません。でもこの点からはやはり私には不充分に思われるのです。多分この物語はどの時代背景でもいいのかもしれません。しかし本当はどうなのでしょうか。キンケイドとフランチェスカのこの純愛物語が、アメリカのある時代性というものを明確に描かないと出てこないような出来事ではないのかなと私は思ってしまうのです。ここがどうしても、これを単なる夢物語、空想物語と思ってしまう人がいるところなのでしょう。
 たぶんこの二つめの点をもっとこの作者が描けていたならば、もっとたくさんの人がひきつけるられる作品ができていたように思います。何故彼は結婚していたのに離婚してしまっていたのか、彼女はどうしてそのまま彼と一緒に行かなかったのか、などという点が浮き彫りにされたように思います。そうしたことは、彼彼女の個々の資質の問題というよりも、彼等が生きている時代の制約なように私は思うからなのです。


 こうして、二つの恋愛小説を見てきました。時代も国も違う作品です。だが私には同じような思いを強く感じてしまうのです。
 私は人生は一度しかないのだから、若い時は一度しかないのだから、なにかやりたいように生きようというような考えを好みません。いやそれは嘘の考えなように思えています。毎日一見決まりきったようなことを繰返す生活の中にこそ、私は真実がある、人間が生きる価値があると思っています。そうした考えからすると、私はこの二つの小説の男女の愛の姿はいいものだなと思ってしまいます。毎日の決まりきった生活とは、一見簡単に過ぎていくことのように思えて、その実は大変なことがらの連続であることがいえるかと思います。そうした毎日の大変なことがらの一つとして、こうした愛の物語がどの個々人にも訪れることは、それはもちろん多々あることだろうと私は思っているのです。(1998.10.01)


 なお、私は以下の文章も書いております。

 中井三好
 「『天の夕顔』のかげで───不二樹浩三郎愛の一生───」

 ここで、私は次のように書いています。

私はこの愛の小説が、作者中河与一の経験した恋なのだとばかり思っていました。しかし、この中井三好さんの書かれた内容で、私は初めて真相を知りました。できたら、多くの方に、この本を読んで、あの愛の物語の真相を知ってほしいと思います。

 私も真実を知って良かったと思っています。(2010.12.19)

10110211 今朝は「読書さとう」で、「ロバート・ジェームズ・ウォラー『マディソン郡の橋』」のことを書きました。映画も良かったですね。
 私は以下のように書きました。「キンケイドとフランチェスカのこの純愛物語が、アメリカのある時代性というものを明確に描かないと出てこないような出来事ではないのかなと私は思ってしまうのです」。本を読むことはいいことです。そしてその読んだことの思い出を書くこともいいことです。
 写真は、11月02日の午後3時27分の御茶ノ水のある理髪店で、文鳥を撮りました。ここではいつもこうして文鳥が居て、飛んでいたりします。(11/05)

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