将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:マルクス

11042106  長谷部文雄の訳でした。私は中2の12月に鹿児島のある古書店で手に入れました。20円だったなあ。本の最後のページに氏名と読了日がが押印もして書いてあったものです。その人の名前も今も覚えています。みな昭和26年くらいの日時でした(実はこの人の本をいくつも手に入れていました)。
 思えば、マルクスの本では、これが最初に読んだのでしたね。その後、マルクスの本は読んで面白いと感じたものでしたが、この本は私には面白くは感じられないものでした。いや、面白くないというよりも私当時の私では理解できなかったのでした。
 でもこの本が最初に読んだマルクスの本で、その後いくつもの本を読むことになって行ったものでした。(2011.04.22)

11042103 大内兵衛と向坂逸郎の訳でした。非常に面白く読んだものでした。
  いや今から考えても、大内兵衛さんの訳のほうは面白かったですが、向坂逸郎さんの訳の部分は少しも面白くなかったな。あとで大学の頃、「あの本は全編アジ文だからよくない」なんてことをよく聞いたものですが、それは共産主義にシンパシーを感じているからだよ。私なんか最初から、少しも共産主義なんて大嫌いでしたから、この本は面白く読めたものです。実は、私は全編暗記暗誦できたものです。
 でもこのマルクスの本は面白いけれど、どうしてその思想にいかれてしまう人がいたのでしょうか。私は最初からそのことだけは理解できませんでした。
 それとこの本は鹿児島のセンバという古書店で購入しました。このことも懐かしいです。(2011.04.22)

10110918  吉本隆明鈔集19「ぼくは秩序の敵であるとおなじにきみたちの敵だ」へ、竹内正則さんから以下のコメントを頂きました。

1. Posted by 竹内正則   2010年11月11日 03:28
高校生だった私は、共同幻想論を呼んで衝撃を受けたのですが、

「気やすい隣人」という幻想によりかかる人間の哀しみ、
「秩序の敵であるとおなじにきみたちの敵だ」に存在する自己嫌悪的孤独感、
自分は、ひとり、であるという事実に震える夜です。

 竹内正則さんは、以下のサイトをやられています。

 http://blog.goo.ne.jp/yanagida_park
    東京北区の柳田公園にある不思議な遊具
 http://ryodan.com/books/
    旅団ブックス ryodan books オンライン古本店
 http://ameblo.jp/kmb-blog/
    くしゃまんべ店長・竹内のブログ

 ときどき拝見していますよ。
 そうですね。私なんかは、『共同幻想論』は大学生で読んだわけですね。中学高校のときに、柳田国男、折口信夫はもう知っていたわけで、でも吉本(吉本隆明)さんを知ってからは、この二人はまた違う大きな存在になったものでした。そうねえ、それとマルクスも違う目で見るようになったものです。今でも、その格闘は続いていますね。

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 吉本隆明鈔集「マルクスが当時の進歩的思想から頭一つだけ抜けていたところ」 に次のコメントがありました。

1. Posted by 一般法則論者    2008年05月15日 02:05
 マルクス主義は、昔も今もインチキなトンでも理論であることにはまったく変りがありません。
 で、まともな精神のヒトには理解しがたくて当然です。
http://blog.goo.ne.jp/i-will-get-you/
 一般法則論
 理屈で説明しています。

 なんとなく、少々応えるのも嫌な思いもあるのですが、とにかく少し書きます。
 マルクス主義とマルクスというのは、違うものだと思っています。私はヘーゲルーマルクスと流れる哲学と、エンゲルスーレーニンと流れるマルクス主義とは、まったく違うものに思えています。
 私はここで述べたことも、もともと吉本さんが言われることも、マルクス主義のことではありません。マルクスの哲学のことを言っているのです。
 私はフォイエルバッハについては、『キリスト教の本質』『唯心論と唯物論』しか読んでいません。それで20台前半に読んだわけですが、要するによく判りませんでした。でも、エンゲルス『フォイエルバッハ論』と、マルクス・エンゲルス『ドイツイデオロギー』(これもまたフォイエルバッハについて書いています)は何度も読みました。そして、マルクスとエンゲルスというのは、違うなあと思ったものです。
 エンゲルスーレーニンと流れるマルクス主義は、そのあとはスターリン主義と言われるものになっていきます。でもこれはスターリンがいけないのではなく、もともとこうして流れてしまうものだったと私は思います。だが、ヘーゲルーマルクスの流れる哲学の路は少しも揺るがないように思っています。

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08022302「マルクス主義について」目森窟 Memorix/ さんから 周さんも大変です というトラックバックをいただきました。ゴトさんが次のように言っています。

無知が傍若無人に振る舞うのはよくある事だけれども、この人がそのたぐいでない事を願う。

 まったく同じことを思います。マルクスの「無知が栄えた例(ためし)はない」という言葉がありますが、そして吉本さんが使われるのですが、それはよく理解できます。
 私たちも、いや少なくとも私はもっと学んでいかなくてはならないのだといつも自分に言いつけています。

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07020702 マルクスの唯物論というのはそんなに進歩的じゃないですよ。だからユダヤ人問題のような宗教的な問題に対して、当時の急進的な人間の間では、キリスト教だろうがユダヤ教だろうがイスラム教だろうが、全部すっ飛ばしてしまえばいいじゃないかというのが一般的な意見だったのですけど、マルクスはそうじゃなくて、要するに、宗教的なものを否定して追っ払ったって人間の解放とは同じじゃない、それは革命と関係ないんだっていうのがマルクスのユダヤ人問題についての論旨ですね。だから、あまりに馬鹿らしい進歩的なことはいわない人です。ユダヤ人問題ってのは、ヨーロッパの部落問題です。人間の歴史というのはそういうのをなかなか払拭できないです。だから、今でもそうだと思いますよ。ヨーロッパ人は上手に進歩的なことをいっていますけれど、心の底にはユダヤ人とユダヤ教に対する差別感があって、なかなか消えていない。そういうことがありますね。マルクスはそういう意味では無茶なインチキをいわないし、真っ当なことをいっています。(『生涯現役』2006.11.20洋泉社終章「老いの思想」)

 え、私はこれで、やっとマルクスの「ユダヤ人問題を論ず」が少しは判った気持になれました。結局私は長年何も判っていなかったのですね。羞しい話です。だが、これでまたちゃんと読み返してみようという気持が湧いてきました。年をとってくることも、本当に無駄なことばかりじゃないのですね。もっと学んでいこうと、そのことだけを思い浮かべています。

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 人間が外界に対して手を加えるときに、人間は価値を増殖するためにしか行動しないわけですよ。どんな場合でもそうなんです。そうすると価値を生じるってことは、どこをどう押したって、利潤というものがつきまとうことを意味するわけです。人間が動いたら、そこには必ず利潤がつきまとうんですね。もちろん、利潤としてどう扱うかという問題は残りますけれども、利潤を得るためにしか人間は動きませんし、精神だって働きませんから、利潤がつきまとうこ
と自体はきまっちゃっているんです。
(『生涯現役』2006.11.20洋泉社第ニ章「老いのことば」)

 多くのマルクス主義者はこのことを間違って認識してしまった。一人マルクス自身はこうした誤りを犯してはいなかった。「無知が栄えた例はない」とマルクスが叫んだというこのは、この時のことなのかと改めて深く気がついた次第です。

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 やはり親鸞という人はたいへんな人ですね。ひとえに普遍的で、信仰か無信仰かというのは区別していなんです。親鸞はいまだに古くならないし滅びない。相当普通的なことをそのときどきでいっていたのだな、あんなことはちょっとできないなと感じます。
 ぼくはマルクスのことも偉いとおもうのですが、彼がもってのは、一、ニ世紀です。いまはあの人の思想は危ないとおもいます。ところが親鸞というのは、いまだに古くなったということはないわけです。
(『還りのことば』2006.5.1雲母書房「環相の視座から」)

 これは私が何人もの思想家を見ても、時間がたつにつれて危ういなと感じてしまう人ばかりなように思います。いや、すごい思想の持ち主だな、と思う人が、数年、数十年でそうなってしまうのです。それが、この親鸞だけは違うということなのでしょう。私には吉本さんそのものも、いつまでも古くならないし、滅びない人だと思っています。

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