将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:ミッチャンの店

11103008 私の「周の推薦の店」は私が1カ月に一度配信されているあるメルマガに書いているものをそのメルマガ配信後ここに載せています。
 ただ、前に書きまして、もうなくなってしまった店の場合は載せていません。ただ、その今はない店でも、その記録をとどめておきたいと思いました。今は存在しなくても、そこで飲んだ思い出は忘れたくないお店がたくさんあるのです。「周の思い出の中の飲み屋」というページを作ってまいります。
 最初は今はないけれど、いつもこのミッチャンと電話でお話している思い出の店です。

新宿3番街「ミッチャンの店」

店名  ミッチャンの店(本当は名前なんかない)
種別  飲み屋
住所  東京都新宿区歌舞伎町1丁目3番のどこか
電話  ありません

 ここはもうヒサンさの極地みたいなお店です。新宿ゴールデン街はいまもありますが、柳街は更地のまま、3番街も更地になっています。だがその3番街のはしのほうにまだなんだかあやしげな通があります。そしてその通の路上に10軒ばかり、1坪ほどの店がたこつぼのように並んでいます。その中の1軒、一番はしにあるのがこのお店です。
 まずゼンリンの住宅地図なんかみても、どこにも載っていません。電話はありません。4名はいるといっぱいです。だいいち店開くのが、午前12時半位からです。1時でもやっていないことあります。
 ゴールデン街で飲んで、2時過ぎころここらへんに、キャッチのおねえさん、オカマさんのなかをぬけてやってきます。でもミッチャンの店、明りはついてても、本人がいないことが多いんです。それで私はやにはに「ミッチャーン」っと大声で叫びます。何度か叫ぶと、いったいどういう連絡網になっているのか、大柄で厚化粧のミッチャンが走ってきます。
「ちょっと、もう大声出さないでよ、みんな迷惑なんだから...、でもしばらくね」なんていいながら、店開けてくれます。
 さてそれからまた飲むのですが、またそこでいろいろなことがおこります。ここらへんに飲みに来る人は、オカマ、キャッチのおねえさん、バー帰りのママさん、流しが仕事終って一杯とかが多いんです。一般の人では、職人、マスコミ人が多いかな。芸能人、スポーツ選手もいますね。当然争いごとがおきたり、相変わらず私は詩吟やるしにぎやかなことです。ミッチャンと別の店いったりして、いろいろ騒ぎます。とにかく面白い不思議な一帯ですね。
 このミッチャンのお店の上に、鈴木清順さんがオーナーだった「かくれんぼ」という店がありますが、そこのママで女優さんだった律子さんという人が、ここで何年も働いてながら、とうとうこのミッチャンのお店の存在を知らなかったのですよ。距離わずか10秒くらいですよ。あんなところの飲み屋の存在なんてわかりようがないみたいですね。
 それでもう朝7時くらいになるとさすがに、「もう仕事でしょう」なんてことで追い出されます。この7時くらいに、となりにいたオカマが、胸パット外しながら、「さて男に戻って働くか」なんて男顔になったりします。さっきまで、懸命にキャッチやっていたのに。
 でもミッチャンは美人なのかどうなのか、私はさだかでありません。素面でいったことないから、さっぱり分からないんです。だいいち何故ミッチャンっていうのかな。本名は別にあるし..ひょっとして、私が「ミッチャン」っていいはじめちゃったのかな。
 でも私の子どもたちにお菓子送ってくれたりする、やさしいおねえさんでもあります。

 以上が過去書きました内容ですが、現在はこの店はありません。そして他の店でときどきこのミッチャンと会って飲んでいたものですが、その店もまた閉店してしまいました。
 つい先週、このミッチャンと電話でお話しまして、「今度会って飲もうよ」なんて言い合っていたものです。

11100303 新宿で飲み始めてからもう20年をはるかに越えてしまいました。ほとんどがゴールデン街です。今はもうない3番街、柳街でもよく飲みました。西口のしょんべん横町(ごきぶり横町ともいう)でも飲みましたし、新宿2丁目のオカマバーやゲイバーのあたりでも飲んできました。3番街はなくなってしまったけれど、まだ風林会館の前の路地には入り込んでよく飲んでいます。今でも不思儀な不思儀な路地ですね。
 ただここ3年くらい前から、新宿のとくに歌舞伎町が非常に怖い町になってきました。ちょうど台湾マフィアが抗争を起こしたり、新宿のヤクザが外国人ギャングに撃たれたりしたころからです。
 歌舞伎町はやたらにキャッチが多いのです。ゴールデン街から12時すぎに区役所通りを渡って、歌舞伎町の馴染みのお店に行くのに、それこそたくさんのキャッチを振り払わねばなりません。もうそれこそのべつまくなしに、さまざまなキャツチが声をかけてきます。もう私はいつものことなので、けっこう私が顔を知られてしまったたキャッチさんもいます。先日は「なんだひさしぶりだね、1回くらいつき合ってよ」なんていう男性のキャッチに声をかけられました。
 ただ、昔は私を敵視していたキャッチのおばちゃん(といっても私より若いのだけど)が、どうしてか私の関係でミッチャン(前に店を紹介しました)の店にキャツチのお客を連れてくるようになり、彼女とは仲良くなりました。ミッチャンの店で見ていると、全然お客が捕まらないときもあれば、次々にお客を捕まえているときもあります。ミッチャンの店に来る人に、私が

 ここのお店は決して安くないよ。適当に切り上げたほうがいいよ。

なんて、ミッチャンのいないところで言ったりしています。
 でも特別ひどいボリ方をするわけではなく、まあ朝電車が出るまで飲んでいるにはいいんじゃないかなと思うところも私にはあります。そしてキャツチが手数料を取るのも当然だとも思っています。ミッチャンの店に客を入れてくれるオカマのキャッチがいますが、彼もどうみても美形ではないので、どこかのお店に勤めるわけにもいかないだろうしな、と同情してしまいます。
 さてそれで、こうしたキャッチさんは私は別にいいのではというか、仕方ない存在ではないのかなと思っているのですが、今の新宿歌舞伎町は、こんな悠長なキャッチではなく、怖いキャッチがそれこそ大勢いるのです。昔なら、もう明け方はキャッチなんてもう活動をやめていたものです。それが、朝5時でも6時でもそれこそ暴力的な連中が何組みもいます。
 私もこんなことがありました。朝5時半頃ミッチャンの店を出て、駅に向かって行きました。ちょうど靖国通りに出るあたりで3人のおばちゃんのキャッチが声をかけてさらに私の手を引きます。「飲んでいかない」というのですね。そして強引なのです。いくらなんでも女性といっても3人の力は強いのです。そして、私には悪い癖があって、「そんならわざとひっかかってやるか。どうなったってしらねえぞ」という気持がわきあがってしまいました。それで、すぐ近くの飲み屋(クラブというところだね)に連れ込まれました。おばちゃんたちは退散します。さて、私は騒ぎ始めます。ビールを注がれても、騒ぎ続けます。そして立って大声で喋ります。ホステスやボーイが来ても,手を振り払い、こずきます。そして、もうここらへんで退散しないと、怖いお兄さんでも出てくるなというところを見計らって、ドアを蹴破るようにして出ていきます。だが、追いかけてくるホステスがいたので駅には向かわず、またミッチャンの店へ向かいました。あのミッチャンの店のある路地には誰だって簡単には入れないでしょう。でも執拗に追っかけてきましたが、私がミッチャンの店に入るとあきらめてしまいました。ミッチャンに訳を話すと、

  そうよ、周さん、今は新宿は怖いのよ

といいます。確かに実力で店に連れ込もうなんて、いつものキャッチなら絶対にしません。でもしばらく飲んでまた私は同じ道を歩きました。今度はもう彼女たちは姿を消していました。

 さてさて、それで私がここに書きたいのは、どうみても一番たちが悪いのではというキャッチのお話です。
 私のゴールデン街での友人たちも数々の失敗を繰り返しています。ちょうどゴールデン街を出て区役所通りに差しかかるころに引っかかるのが多いようです。一般的には女性がらみの手口が多いようです。でもどうしてそんなのに引っかかるのかなと思う人も多いかもしれません。でも次のようなキャッチをあなたは避けることができますか。
 私の友人の話です。彼はもう何度もキャッチに引っかかった経験があり、もう十分反省もしています。ゴールデン街でけっこう飲んで、もうタクシーで帰ろうかなというところでした。でも区役所通りで、少し酔った初老の紳士に声をかけられました。

  あ、社長、いや社長じゃないかな。喜んでよ。私に孫が生まれ
  たんですよ。はじめての孫で、明日お土産を持っていくんだけど、
  一緒に祝って飲んでくれない。

 その老人の手には孫に渡すであろうお土産がぶら下げてあります。いかにも嬉しそうなその老人の顔を見ると、友人は「それは良かったね」ということで、「でももう家に帰らなくちゃ」というのですが、

  それなら軽く一杯だけつき合ってよ

という嬉しそうな顔に、じゃ一杯だけならというので、付いていくことにしました。その老人は、じゃ簡単にというので、近くのビルの駐車場まで歩いて、
ウォッカを差し出しました。ウォッカを一杯くらいなら、一気に飲んでもたいしたことはない(彼は酒は飲み慣れているし、ウォッカなんかどうということはないと思っている。小さなグラスだし)ので、二人で「はじめてのお孫さんに乾杯!」と飲みました。
 さて、それでどうなったでしょうか。そのあと友人には記憶がありません。気がついたときは、もう朝なっていて、東海道線の小田原にいたそうです。サイフ他がすべてなくなっていました。彼はその日大阪出張だったので大変な事態になってしまいました。彼がいうのには、飲んだウォッカに何か薬が入っていたのだろうというのです。そうでないかぎり、1杯であれほどになるわけがないのです。
 私はこの話を聞いたときに、非常に腹が立ちました。人の優しい気持を逆手に取るなんて許せない行為です。私は悔しくて悔しくて泣きました。そして、私の友人のこんなことをしたこの悪辣な老人を捕まえてやると決意しました。
 それから、私は何度か新宿へ行くたびに、私の知っているキャッチに頼んでみました。こんな変わった遣り口は必ず彼らの間で、知れ渡るのではないのかと思ったのです。ミッチャンにも頼みました。私もわざといろいろ歩き回ってみました。
 でも、私の知っているキャツチのおばちゃんがいうのには、どうにも分からないというのですね。

 今の歌舞伎町は私たちでも怖いのよ、昔と違うのよ

ということなのです。彼女たちの知らない連中が何人もいるらしいのです。そしてもうたぶん別の町へ行ってしまったのでしょう。
 こんなキャッチがいます。新宿歌舞伎町ではとにかく構えて歩いていきましょうね。

 最後に、私があるゴールデン街の店で聞いていた話です。
 ある店で午後7時台に入って飲んでいると、同じ街の店のママが入ってきました。私が飲んでいる店のママに署名をして欲しいというのですね。「お客さんがいるから、また明日にでも来ようか」というのを、ママも私も了解したので、話始めます。同じゴールデン街に暴力キャッチバーができたので、その店に出ていってほしいという署名なのですね。その店ではキャッチした客に睡眠薬を入れた酒を飲ませて、法外な料金をふんだくったりしているらしいのです。しょっちゅう客とのトラブルで警察が来るが、警察では「民事不介入」でどうにもなりません。でもその署名を求めに来たママのお店もキャッチバーなのですね。

  私たちのように真面目にキャッチをしている店と、あんな暴力
  キッチバーが同じに見られては堪らないのよ

ということなのですね。確かに優しい顔をしたママさんでした。あとで聞くとゴールデン街では、固定客をまったく持っていない店というのもあるそうで、そうした店はお客をキャッチするしかないのだそうです。だから誰かに頼んでお客を無理に呼び込んだりする必要があるわけですが、そうであっても、私たちは真面目なキャッチバーであり、不良キャッチバーとは違うのだというのですね。私は妙に感心して納得してしまいました。
 そうなんです。とにかく、ミッチャンの店で、他には引っかからないように頑張って飲んで行きましょうね。

11091510  18日松戸自主夜間中学を早めに早退しましたのは、唐牛真喜子さんを囲む忘年会があり、私はその幹事でした。でも仕方ないから、2次会から参加しようと考えていたのですが、おもいもかけず全国から大勢の人が集まり、しかも私が司会だなどというので、どうしても早退することになりました。
 それでいろいろ面白かったのですが、とにかく4次会まで終って、結局ゴールデン街を経て、ミッチャンの店に入ったのが19日の午前4時。そこでまた結構な大激論をするという、楽しいことがありました。
 先客に、元気で美形で男っぽい喋り方をするオカマがいまして、どうしてか乃木希典の旅順攻略戦の話になりました。実に2時間半から3時間くらい話していたかな。私は乃木が好きなのです。相手は、どうせ乃木のことを、司馬遼太郎の影響で、そして旧陸軍参謀本部の判断と同じで、評価しないのだろうと思っていました。まあ大体はそうだったのですが、またこのオカマのさまざま詳しいこと詳しいこと、いささか感動の思いがありました。人は当然見かけによらないものですね。でも嬉しくなりました。今度かなり学習してから、彼のお店にいこうかな。司馬遼太郎では話にならないから、どうしようかな。児島壌「日露戦争」は、かなり詳しいとはいっても、あれだけではつまらないですからね。陸軍参謀本部編纂の「日本戦史」だけでも、何故か不満ですね。 なんていいながら、もう本屋でさまざま探してしまいました。もういくつか読んでいます。日露戦争の戦前戦後の、どこらへんで、日本は勘違いしたのかというのが知りたいのです。それにまたあの美形のオカマとも、論争したいし。
 それで、その論争のあと、勿論また彼とは再会を約して別れましたが、どうせ私が土曜で休みというので、また8時ころから、ミッチャンと喫茶店兼飲み屋に行きました。そこは、もう朝のさまざまな新宿人のたまり場なんですね。キャッチのおねえさん方がグループで総括していたり、ヒモが女待っていたり、そしてさらにそれらの女性やオカマに金貸している男がうろうろしていたりして、まさに新宿の縮図です。でもそこの雰囲気は、前に行ったときは妙に暗いのですが、あの日は変に明るいんですね。なんだかそれが、今年のさまざまな情況を象徴しているように思えました。あの明るさはなにか危険です。「アカルサハホロビノ姿デアロウカ」(源実朝の言葉)という感じです。少なくとも、新宿のあの飲み屋街あたりは、かなり変わるでしょうね。それが新宿の飲み屋だけではないのかもしれません。
 今年のおわりに、こんなこと思ったのでした。

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