将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:ランチョン

201804090311111008 私はもう30年通っているでしょうか。たぶん最初は、大学生のときに入ったかと思います。

店 名 ランチョン
住 所 千代田区神田神保町1−6
電 話 03−3233−0866
営業時間 11時30分から21時30まで(土曜日は20時30分まで、日曜祝日はお休み)
URL ビヤホール ランチョン

その頃からこのお店が火事になったり、また新しく綺麗なビルになったりしながら、ずっと同じ神保町の靖国道路沿いにあります。
ビアホールの生ビールというのは、ビールの継ぎ手の腕が問題なのでしょうね。私が最初行っていた頃のマスターのビールの味は忘れられません。その息子さんが店を仕切るようになられて、またまた時間がたってしまいました。
その息子さんも歳をとられました。でもなんだか、彼がビールを継いでくれないと、がっかりしてしまいます。
ここではよく友人と飲んだものです。偶然知り合いとも出会ったことが何度もあります。昼食時も夕食時も混んでいますから、私はよく午後1時半頃から飲んでいたものでした。親しい友人と、2階の窓際の席から靖国通りを見下ろして、ただただビールを飲んでいきます。ときには黒ビールを混ぜたりしながら、ビールを飲んでいます。なんとなく、この時がものすごく珠玉の時に思えてくるのです。私は過去、何度もこの時間帯に友人と長時間ここで飲んできましたが、不思儀なことに、そのときに話した内容はすべて覚えているのです。
そして次第に夕方になってくると、そろそろこの店も混んできます。「さてさて、どうしようか。どっかバーへ行こうか」とか「いや、いっそ赤坂まで行って、あそこで日本酒飲もうよ」なんて、私たちはいつもここから出発するのです。

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11100107 私のこれまた親しい飲み友だちを紹介します。
 彼は私よりたしか4歳下ですから、昭和27年生まれでしょうか。ちょうど私たちの全共闘時代が終った何もない時代で、彼はその空虚感が嫌で大学を中退したようです。彼は鹿児島出身で、鹿児島市内の城西中というところから鹿児島中央高校に入りました。私は鹿児島の人間ではありませんが(私は茨城生まれの尊皇攘夷派です)、甲東中学から鶴丸高校に入りました。
 実はなんでこんなことを書くかというと、私が鶴丸高校の試験を受けたときには、のちの中央高校で受けたのです。鶴丸高校というのは、戦前は第1中学であり、戦前戦後と名門でした。この高校が戦後樋之口町という幕末の多くの英傑を出したところにあったのですが、私が高校へはいる昭和39年に、戦前の中学のあとへ移転することになりました。新規の綺麗な立派な校舎へです。樋之口町の古い校舎へは、新設の中央高校を作ることになったのです。おもえばひどい話ですね。新設の高校を新しい校舎へ作るべきではないでしょうか。鶴丸高校だけが大事だということだったのでしょう。
 そして面倒くさいことに、私たち生徒にとっては、この古い校舎の方が大変に愛着があり、上の思惑とは別に、「なんで中央高校とやらが、あそこへ入るのだ」と不満だったのです。
 そんな思いがありますから、彼と初めてあったときにそんな話ばかりでした。私の甲東中学といえば、鹿児島の天文館が学区であり、あそこらへんの商店の息子娘たちがみんないました。その人たちは中央高校のほうに行くのが多かったわけで、泊氏の同級生の話をすると、私の知り合いの息子とか弟だというのがたくさんいました。
 そして私と飲まれると分かると思いますが、私は尊皇攘夷倒幕反薩長派なのです。鹿児島なんて大嫌いなのです。
 ところで、彼とは赤坂にあるジャパン・クリエイティブ・アソシエーション(JCAと省略する)という広告の制作会社で会いました。私は制作の管理の責任者であり、私は「課長代理」と「GENERAL PRODUCER」という名刺を持っていました。実際にはこの会社はある広告代理店のハウスエージェンシーであり、社長は4つの会社の社長であり、基本的には親会社のみにいて、このJCAは実は私がすべて仕切っていました。
 私とクリエイティブデレクターで泊氏を面接したかと思います。彼は広告制作の学校にいたことはなく、すべて職場で覚えてきたということで、だから系統的な勉強はしたことがないという正直なことをいうわけでしたが、私は全く気にいりました。早速採用ということにしました。それからの付き合いになります。もう15年を超えるでしょうか。
 彼が入社してきて、たしかその日に歓迎会で飲みました。随分飲んでいいたい放題(すなわち鹿児島の悪口)をいう内に、多分2次会のあと私と歩いていたら、私の前歯1本が取れて、どこかへいってしまいました(私は前歯2本が差し歯であり、ときどきとれます)。そのとき、彼は随分酔っていたのに、地面を這うように私の歯を探してくれたのです。これには大変に嬉しかったものでした。
 そしてそのあと、たぶんゴールデン街で飲んで、それから最後は彼のアパートへ泊りました。そして次の日(次の日は土曜だったな)また出社するときに、彼は昨日と同じ場所へ来て、また地面を這うようにして私の歯を探してくれるのです。当然見つかりませんがね。私は感動感激しました。
 それからはもうよく飲みました。そして当然よく仕事をしました。ほとんで毎日夜遅くまで仕事をしました。彼は私の知る限り、一番腕のいいデザイナーです。グラフィックの面でもピカ一ですが、エディトリアルの面でも緻密です。そして次のようなことがあります。
 デザイナーをはじめとしてクリエーターというのは、どうにも普通人はいません。会社に全くネクタイをしてこないように、営業的なセンスなどありません。だから仕事先には私のような人間が行って、いろいろと気を付けなければなりません。でも私がいても、相手に不快感を与えてしまうようなクリエーターが多いものです。そうした中にあって、彼だけは実に出来た人でした、必要があれば、ネクタイをしてこれる人です。相手と普通の会話のできるクリエーターです。これは実に得難い人材だと確信できました。
 とんでもなく面倒な要求をしてくるクライアントがいます。私は懸命に相手に合わせるようなふりをして、その実こちらの思うとおりにやりとげようとします。だけどせっかくのこの努力を無にしてしまうクリエーターが多いのです。本当は無茶を言うクライアントが問題なのですけれどね。そんなときに彼と組んでやれる仕事は実に安心できるものでした。
 その後私は別な仕事に入り、彼とも仲々会えなくなりましたが、連絡だけは私のほうから勝手にとっていました。酔って彼のアパートへ行ったことも何度もあります。彼もフリーになったところで、彼のメインクライアントが神田地区にあります。だからときどき彼と昼間から神保町ランチョンで生ビールを飲む関係が続いていました。そこでいろいろな話をしてきました。デザイナーの制作の仕事のこと、関係なく文学や歴史や映画や吉本さんの話やパソコンのこと、とさまざまです。そのランチョンのあとは、またいろいろな飲み屋へ行ったものです。また私はいろいろな友人を紹介してきました。
 また飲んでいろいろな話をしていきましょう。その時が実に愉しい嬉しい瞬間なのです。

11100105 いやはや、毎日めまぐるしくいろいろなことがおきます。なんだか事務所にも自宅にもゆっくりいることができません。なんでかな。結局みなたくさんの問題があるからなのよね。
 そういいながら、本日は午後1時すぎから3時すぎまで「ランチョン」で飲んでしまった。なかなか顔だけはあわせるけれど、飲む機会の作れない友人が我が事務所に来たからです。ほとんど前日に徹夜だったという彼に、ただただ、ひたすら、「あと1杯でやめようか」と言い続けて飲んでおりました。
 このごろ、なにかと「とにかく会ってみてくれ」ということが多くて、私はなんだか訳が判らないから、なるべく冷たい態度でいようと思うのだけれど、一旦会うとね、そりゃ「情が移る」ではないですか。そして私は結局深みにはまることになります。でもいいのだけれどさ。
 本日これから、花篭を買って、そしてそれを届けにいきます。私は花を買うという行為ははずかしくて仕方ありません。でも素敵なお花屋さんがいるのです。彼女がすべてやってくれるのです。そして届けてくれます。だから私は恥ずかしくない。私の行く飲み屋のママたちには何故か誕生日に花が届けられます。だからみな私に優しい。だけれど、それで図に乗る私はいつもいつも、誰が聞いていなくても詩吟をやることになります。1曲はみな聞くのだけれどね。私はそれもう何曲もやるからね。つまり私の贈る花篭は、詩吟(とそして軍歌と革命の歌と仁侠の歌)がセットになっているのです。(99/04/05 17:35:45)

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