将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:ローマ人の物語

11050211書 名 ローマ人の物語機屮蹇璽泙錬影にして成らず」
著 者 塩野七生
発行所 新潮社

 何年か前に夜の報道番組で、塩野七生が木村太郎の取材を受けていました。「いま一番関心のあるのは何」という質問に、「ユリウス・カエサルです」ときっぱり答えていたのが、私には非常に印象に残りました。そしてその次に年に、書店でこの本を見たとき、「これがそうなのか」と、すぐに手にとったものでした。

  知力ではギリシア人に劣り、体力ではケルト(ガリア)人やゲ
 ルマン人に劣り、技術力ではエトルリア人に劣り、経済力ではカ
 ルタゴ人に劣っていたローマ人

がなぜあれだけの大帝国を築けたのかということの解明がこの著書の目的であるようです。
 何故「ローマは永遠」と言われてきたのか、そもそもローマとは何なのかとは、私も常に思ってきたことなのです。
 私にとっての塩野七生とは、「チェザーレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」で鮮烈にデビューした(本当のデビュー作は別な作品ですが、私にはこの作品こそがそう思えるのです)ちょっと近寄り難い存在でした。数々の書物の内容も、テーマ自体は興味深いのですが、どうしても中にはいっていけない自分を感じてしまっていたものです。
 なにか「どうもこれは何がいいたいの」という思いをいつも感じてしまっていたのです。
 しかし、この「ローマ人の物語機廚如△修譴蕕了笋里海世錣蠅すべて解消した気がしたものです。これなら、彼女の「男たちへ」というような文章も嫌味で読むこともなくなってしまいました。私はこの本を読みおわったときから、彼女のファンになりました。彼女の歴史・ヨーロッパに対する姿勢が初めて判りはじめた気がしたのです。

 ローマはギリシアとキリスト教をその中にふくみ、この二つを「ローマ」という存在で全ヨーロッパのものとしました。

  人間の道徳倫理や行為の正し手を引き受けてくれる型の宗教を
 もたない場合、野獣に陥りたくなければ、個人にしろ国家という
 共同体にしろ、自浄システムをもたなければならない。ローマ人
 にとってのそれは、家父長権の大変に強かった家庭であり、これ
 こそローマ人の創造であることはどんなローマ嫌いでも認めざる
 を得ない、法律であったのだ。
  宗教は、それを共有しない人との間では効力を発揮しない。だ
 が、法は、価値観を共有しない人との間でも効力を発揮できる。
 いや、共有しない人との間だからこそ必要なのだ。ローマ人が、
 誰よりも先に、そして誰よりも強く法の必要性に目覚めたのも、
 彼らの宗教の性質を考えれば当然の経路ではなかったかと思う。
  ちなみに、ローマ人と同じく倫理道徳の正し手を神に求めなかっ
 たギリシア人は、それを哲学に求めた。哲学は、ギリシアに生ま
 れたのである。とくに、ソクラテス以後のギリシア哲学の流れは、
 このギリシア人の思考傾向の果実以外の何ものでもない。

  人間の行動原則の正し手を、
   宗教に求めたユダヤ人。
   哲学に求めたギリシア人。
   法律に求めたローマ人。
  この一事だけでも、これら三民族の特質が浮かびあがってくる
 ぐらいである。

 私はユダヤキリストの暗さにはどうしてもなじめませんでした。ギリシアローマの古典古代社会のほうがずっと親しみを感じてしまうのです。
 そして、そのギリシアとローマで、やはりローマこそがそのギリシアの存在をも、世界のものとできたのだと思います。アテナイとスパルタの抗争ばかりのギリシアが、アジアの大国ペルシアに勝てたとしても、あるいはアレクサンドロス大王がいたとしても、世界に向かってその存在の意義が大きくことであるのは、ローマがあったからこそだと思います。
 また興味深く読めたところとして、もしアレクサンドロスが、東にではなく西すなわちローマへむかったとしたら、歴史はどうなったろうかというところがあります。著者の出している結論は、細かく理由をあげて、やはりローマが勝利したであろうということになります。これには充分納得できるものがあり、さすがだなとうなってしまったものでした。

  歴史を叙述していくうえでのむずかしさは、時代を区切って明
 快に、この時代には何がなされ、次の時代には何がなされたと書
 くことが、戦記にあってさえ、不可能なことにある。
  不可能である理由の第一は、ほとんどの事柄が重なりあって進
 行するからであり、理由の第二は、後に大きな意味をもってくる
 事柄でも、偶然な出来事という形をとってはじまることが多いか
 らである。それゆえに、歴史は必然によって進展するという考え
 が真理であると同じくらいに、歴史は偶然のつみ重ねであるとす
 る考え方も真理にはなるのだ。
  こうなると、歴史の主人公である人間に問われるのは、悪しき
 偶然はなるべく早期に処理することで脱却し、良き偶然は必然に
 もっていく能力ではなかろうか。多くの面で遅咲きの感のあるロー
 マ人が、他の民族と比べて優れていたとしてよいのは、この面で
 の才能ではなかったかと思われる。

 このことが、たくさんの面から述べられています。ローマが何故勝利していったのかがすこしずつ分かっていきます。
 それにしてもこれからさらにこのローマの物語は、第一次ポエニ戦争、ハンニバルとの戦い、ガリア戦争、カエサル……………と続くわけです。この「機廚呂泙世修梁莪貶發任△襪砲垢ないのです。著者は2006年まで毎年1冊ずつ書き下ろし、全部で15卷の大作になるといいます。
 それにしても、この著書を読んで、私はこの著者のすべての作品を読んでみたいと決意した次第です。(1992.07.07)

題  名 21世紀の100人 塩野七生
    「文明の運命」を現代に問い15年かけローマ史に挑戦
著  者 井尻千男=日本経済新聞編集委員
掲載誌 日経ビジネス9月7日号86〜88ページ

11050107 塩野七生の作品を読むと、これはいったい小説なのだろうか、歴史なのだろうかと思ってしまう。それに「レパントの海戦」などというのを読むと、なんだこれはいったい、なにか知識をひけらかしたいのかなどと思ってしまった。それが「ローマ人の物語機廚鯑匹鵑如△い笋海譴楼磴Δ召隼廚せ呂瓩拭
 日経ビジネスではこの「ローマ人の物語」が7月7日刊行ということから、彼女を取り上げたものである。この日は彼女の誕生日であるという。これから毎年7月7日に2006年まで15年かけて、この「ローマ人の物語」を書き上げるということだ。これは大変なことである。結果として15年かかった、いや20年かかったという作品はいくらでもあるだろう。でもこれから15年やり続けると宣言することは、ちょっとなんという決意だろうかと感心してしまうだけである。
 しかもこの本がかなり売れているという。こんなに彼女のファンがいるわけないのだから、これは驚くべきことだなと思う。この現在の世紀末がローマの盛衰と同じ雰囲気をもっているというのだろうか。
 この紹介文を読んで、先に書いた「レパントの海戦」も、「コンスタンティノープルの陥落」「ロードス島攻防記」と連なる3部作であるという。私は耻いってしまった。他の2つも読んでまた論評すべきだろう。
 また今私が読んでいる「海の都の物語−ヴェネツィア共和国の一千年−」とい作品も大変に読み応えのある語り口である。私はこの本を電車の中だけで読むことにしているので、まだまだ読み終わるには時間がかかりそうだが、いやはや随分と私も地中海世界に詳しくなれました。
 私は何故この人はイタリアに生活しているのだろうと疑問であった。「戦後民主主義と60年安保抜きに語ることはできない」というところを読んで、それは氷解したつもりである。

  特にこの世代は大学生の時に60年安保闘争という騒動の中核
  になる。そしてこの事件を、それぞれの方法で総括しないことに
  は表現者になりえなかった。塩野の場合は、イタリアへ渡って総
  括した。日本とイタリアの距離は遠く、それ故にその総括は苛烈
  なものになった。60年安保どころか戦後的ヒューマニズムも近
  代もまるごと総括してしまったようである。

 そして塩野七生の特徴は、キリスト教に踏み込まなかったことである。そうすると必然的にキリスト教以前の古代ローマへ行き着くことになる。

  彼女が15年後に、ローマ帝国の滅亡とキリスト教の関係をど
  う描くか、それは彼女に課せられた最大の宿命だろう。

 まさしく、ここは私も大変興味深いところである。それを塩野七生が描くとき、私は59歳になっているわけなのだなと思う。それまでに私も過去を何らかの形で総括しなければならないのだろう。

  ところで、長い間フィレンツェに住んでいた塩野は、近々ロー
  マに引っ越すという。「ローマ」へ行くたびに地霊のようなもの
  を感じる」という彼女は、今度は歴史を飾った男たちを呼び出し
  て、あの遺跡だらけの街をゆっくりとこころゆくまで散歩するこ
  とだろう。

 たしかに彼女はこれで、ルネサンスの世界から古代ローマの世界に移り住み、あの時代を自由に歩き回るのだろう。そんな彼女を想像するとき、私はとても嬉しくなるのです。(1998.11.01)

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 私が 塩野七生「『古代ローマ』こそ帝国」を書いたときに、次のように書きました。

(ええと、私の書評を参照にしたいのですが、どうしてか私の将門Webが今開かないのだ)。

でも、もう回復したので、この前の文章に付け加えようかな、と思いましたが、もう時間が経っていますから、また別に書きます。
 私の 周の書評(塩野七生篇)

   http://shomon.net/books/nanami2.htm#roma2  ハンニバル戦記

に私が書いている内容です。実に私はこの塩野さんの描くハンニバルが好きです。

 私は実にこのハンニバルが好きなのです。だがプルタルコスの「対比列伝」(「プルターク英雄伝」として岩波文庫にあります)には、このハンニバルの列伝はありません。ハンニバルがプルタルコスの描くローマの英雄ではなく、ローマの敵であるカルタゴの将軍だからです。でもプルタルコスは、このハンニバルと戦い破れた将軍たちの列伝の中で、このハンニバルのことをたくさん書いています。
 そして間違いなく、プルタルコスもまたハンニバルのことが好きだったのだと思われます。

 実にプルタルコスはハンニバルと闘った将軍たちの列伝の中で、ローマの敵でありながらも、傑出した英雄であるこのハンニバルのことを生き生きと書いているように思います。だれしもが、このローマ最大の敵であった英雄のことは、何故か好きになるようです。

と私は書いていますが、実にハンニバルのことは、こうした人が歴史上いたことが実に嬉しいことであるわけです。私は人間として生まれてきたことは、こういう人を知ることができた。そしてそれはプルタルコスだけではなく、この塩野七生さんの、この「ローマ人の歴史」を読んでいても大きく感じるところです。

 読者の誰もが、このカルタゴの兵士たちと同じように、このハンニバルをゆっくりと眠らせるために音を立てないでいたいと思うに違いありません。

 この思いは誰も同じに思うのではないかな。私もまた今つよく思いました。
 そしてそうした私の思いを、再び確認させてくれた塩野七生に感謝します。

 思い出せば、私は岩波文庫の「プルターク英雄伝」を読んでいたのは、横浜で高校2年生のときに、週3回、京浜急行の日ノ出町の「山手英学院」という予備校に夜通っていたとき、読んでいたものでした。そのときは、私は独りで通っていましたから、英雄伝の中に列伝を設けていられないハンニバルのことを、いつも行間から想像していたものでした。

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 塩野七生が「ローマ人の物語」を完成終了させました。
 このときに、日経新聞の13日夕刊の最終面に、このことを書いています。大変に印象の残る文で、私は実に感激したのですが、その紙面がどこかへ行ってしまい、「あれ、間違って棄ててしまったのか」と大変な思いであちこち探し続けました。
 ようやく見つけました。やはり、私自身がちゃんと置いていました。だが、私自身が見つけにくいところにありました。

 それで、これは全文引用したい文章です。でもそうもいきませんので、以下とくに私が印象に残るところです。

『ローマ人の物語』を書いたのはハリウッド映画の惨酷で退廃的なローマ像に疑いをもったからです。私たちは学校でギリシャ文明を模倣したのがローマだと教わった。しかし三百年しかギリシァがもたなかったのに、知力で劣るローマがなぜ千二百年も持ちこたえたのか。私はいつでもそうかしらと疑うのです。素直にはなれないのです。

 これは私も同じ思いでいたものでした。教わる歴史の上では、絶えず優秀なギリシアと、退廃的なローマ人の歴史を聞かされてきたものでした。
 私は大学で、西洋史の小貫徹先生(この方には、私の芝浦工大事件での情状証人にもなっていただいたものでした)に、講義の中で質問をしたものでした。
 私は次のように聞き、話しました。

 ギリシアは分裂した都市国家でしかなく、マケドニアにすら支配されてしまい、最終的にはローマ帝国に飲み込まれてしまう。でもどうしてもギリシアを支配したはずのローマでも逆にギリシアにこそ飲まれてしまった印象を持ってしまう。こうした印象を日本人すら持ってしまう。これは何だということなのだろうか。私も、どうしてもローマではなく、ギリシアのほうが好きになってしまう。………………これはどういうことなのか。

 先生の応えは、よく覚えていないが、私と同じような印象をどうしてもギリシアとローマには持ってしまうというようなことを言われました。
 私は例として、ギリシアだと、アテナイにおいて、ソクラテスとプラトンが会話している様を想像するが、ローマだと、手首を切ってローマ風呂が血に染まっていく姿しか想像できないともいいました(これはタキトゥス「年代記」の印象。私は東大闘争での府中での勾留中に、この本を読んでいました)。

 だがだが、先生も私もそこで、でもこの私たちの抱くギリシアの像も、それはやはりローマがあったからこそなのだというところを話しました。ローマが永遠と言われるのも、そういうところなのでしょう。
 そして、私にはやはりタキトゥスの描くローマは実に偏った印象でしかないと思うのです。

 象を連れたアルプス越えなどの、ナポレオンと並ぶ名将にローマ軍が勝てたのか。日本人として興味がわくところですね。ハンニバルはローマに連戦連勝しながら、結局、息の根を止められなかった。ハンニバルが期待したようにはローマの同盟国が離反しなかった。柔軟なローマは次第にハンニバルの戦術を自分のものとしていった。

 私も小学生のときから、このアルプス越えをしたハンニバルが好きでした。そしてこの塩野さんの「ハンニバル戦記」も好きです。
 でも、この塩野さんの書かれたハンニバルのことを読んで、私もハンニバルの物語に、涙を流しながらも、「結局はローマが偉大だったんだなあ」ということを強く感じていたものでした(ええと、私の書評を参照にしたいのですが、どうしてか私の将門Webが今開かないのだ)。

 現実的で開放的なローマ人は、何であろうと神にしてしまい、征服した民族が信じていた神まで自分たちの神々に加えました。征服した属領を友好国にし、英才を登用し、属州出身の皇帝までを輩出した。ほかの民族にもチャンスを与えたのです。いざとなればローマ市民でつくる軍団が出陣して広大なローマに領土を守った。これがローマの「パクト・ロマーネ」であって、共同共栄の精神による他民族の運命共同体だった。

 ギリシア神話とローマ神話とは違う神々のはずだったのに、ゼウスもユーピテルも同じ神というか、むしろゼウスの性格そのものが、このローマ=ギリシアの神のようです。
 そして、実はキリスト教こそはローマが存在したからこそできあがったものだと私は思っています。

 そうしたことを、すべて私に再確認し、教えてくれたのは、この「ローマ人の物語」です。

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