将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:ワーテルローの戦い

11081404Monday, June 28, 2004 8:22 AM
どうぞお使いください

  こうして返事が遅くなりごめんなさい

 いえ、あの、礼状にまで返事がいただけるとは思っていませんでした。
 メールはご自由にお使いください。誤字はなおしておいてくださいね。

 私がだれにもわからないだろうと思うのは騎馬軍団のことなんです。これが五千騎もぶつかり合っ時にどんなふうに見えるか離れたところから観察して詳しくかいた人はいないんじゃないでしょうか。

 学生運動のことは一世代違うと本で読んだだけで戦国時代の情勢よりまだわかりにくいぐらいなんですが、宮崎学の突破者にかなり暴力的なシーンがあったように書いていましたが。広い範囲で起こったので場所によって違うのかもしれません。しかし今やほとんど伝説的な時と場所にいらっしゃったとは!!驚きです。私は浅間山荘事件の時中学生で、廊下ですれ違った国語の教師に、大人になっても赤軍派みたいなのにはいったらあかんで、といわれました。

 兵站の大事なことは水滸伝にもよくでてきます。日本軍は兵站は現地調達を中心にするという方針だったと何かで読んだ記憶があります。ひどいもんですね。クワイ川捕虜収容所とその反対のアーロン収容所は読んだことがあります。

 今回一番下までよく見たら確かにメールへのリンクのアイコンがありました。あの時はなぜか目に入っていませんでした。いつも詩の終わりまでしか読まなかったからでしょうか。お気づきでしょうが粗忽者です。MM

   Saturday, July 03, 2004 7:49 AM
Re: どうぞお使いください。

 まずは、これに返事を書きます。

私がだれにもわからないだろうと思うのは騎馬軍団のことなんです。これが五千騎もぶつかり合っ時にどんなふうに見えるか離れたところから観察して詳しくかいた人はいないんじゃないでしょうか。

 前のメールでも少し書きましたが、騎馬軍団の戦いに関しましては、たくさんの方が書いています。
 そうですね、真っ先に思いだしましたのは、ナポレオンの最後のワーテルローの戦いでの、最後の近衛軍団の突入です。英国ウェリントン軍にたいして、ナポレオンは、騎馬近衛軍団の密集突入を命じます。しかし、これはブュリッヘル率いるプロイセン軍を、友軍のグルーシー将軍の軍団だと思い込んでしまったナポレオンの判断ミスでした。また、実は退却まで考えていたウェリントン軍のナポレオン軍に対する集中砲火攻撃は、密集する騎馬軍団にはかなりな効果を与えたようです。このことは、いくつもの書物に詳細に書かれています。
 また思いだしたのは、カエサルとポンペイウスとの最後の決戦であるペロポネソス半島でのフェルサルスでの戦いです。この戦いでは、ポンペイウス軍5万4千の軍団だったのにたいして、カエサル軍は2万3千の兵力でした。しかもカエサル軍1千の騎馬軍団にたいして、ポンペイウス軍は7千の騎馬軍団であり、そして決定的だったのは、このポンペイウス軍の騎兵は、当時最強の騎兵だと言われていました。この騎兵たちは、ローマ貴族の若き兵士で、しかも当時イケメンの美男子ばかりを揃えているので有名でした。
 これにたいして、カエサルの作戦が周到に準備されます。たくさんの徒歩の特殊部隊を作り、騎兵の前に踊り出る訓練を何度もします。急に馬の前に現れて、そこで槍で、いきなりイケメンの騎兵の顔を狙うというやり方です。これを執拗に執拗に訓練します。
 これが、戦争当日見事成功します。ポンペイウス軍のイケメンの騎兵たちは、いきなり馬の前に飛び出してくる男たちに、驚き、かつ大事な顔を狙ってくる槍に、大事な顔を両手で覆って、馬を躍らせたり、落馬するものが続出したといいます。この中で、カエサル軍が勝利し、ポンペイウスは逃げ、エジプトへ逃れます。このエジプトでポンペイウスを伐つのが、エジプト軍で、ここでカエサルはクレオパトラと出会うことになります。
 この騎馬戦のことは、有名でして、たくさんの本に書かれています。そしてその原典といえば、プルタルコス「対比列伝」であり、カエサル「内乱記」です。両方とも、文庫本になっていますよ。また、今は、塩野七生さんの「ローマ人の物語」にも書かれています。
 ほとんど、こうした本は今文庫本で読むことができます。文庫本でなくても、図書館等で簡単に読むことができます。
 騎馬軍団といえば、ジンギスカンを思い浮かべますが、その騎馬軍団のあり様を詳細に書いてくれているのが、マルコポーロ「東方見聞録」ですが、この本は平凡社の「東洋文庫」(これは文庫本ではありませんが)にあります。
 その他、たくさんあるのですが、小説になっているものでも、「あ、これは古典からよく書いているんだな」と思うものがたくさんあります。栗本薫「グイン・サーガ」なんか、「あ、これは『甲陽軍鑑』と『北越軍記』からそのまま書いているな」なんていう戦闘シーンが、そのままあります。
 私が最初に思いだした近代の人でいいますと、日露戦争での秋山好古がいます。彼はロシアのコザック騎兵に対する戦いを予定して、ずっと学んでいくのですが、彼がプロイセンの「騎馬戦の得意な軍人は、アキレサンダー、ハンニバル、カエサル、ナポレオンだ(もっと名人を述べたのかもしれない、なにしろ記憶だけで私は書いていますから)」と述べる教官にたいして、「いやもう一人いる。それを忘れないでほしい」といい、「それは日本の源義経だ」なんて言ったといいます。思えば、義経の騎馬に関する考え方、戦い方も、たしかにすごいななんて思うものでした。

学生運動のことは一世代違うと本で読んだだけで戦国時代の情勢よりまだわかりにくいぐらいなんですが、宮崎学の突破者にかなり暴力的なシーンがあったように書いていましたが。

 ええと「突破者」で、社青同解放派(および中核派やブンドマル戦派)が革マル派に、早稲田構内にてゲバルトで負けるシーンがありますね。あのとき、頭から流れる血をものともせず、ものすごいアジテーションを展開したのが、大口昭彦です。彼は、当時全共闘(のちの全共闘時代の全共闘とは違います。正式には早稲田大学全学中央闘争委員会といいました)議長で、雄弁会で、剣道4段でした。現在はずっと私の会社の監査役です。その他、あの「突破者」に出てきます早稲田の活動家は、みな私の顔見知りか友人です。大口さんは、今は弁護士さんですが、実に頑張っていますよ。私も彼の仕事を手伝い(「これは、俺がやるんではなく、経営コンサルタントがまだやり直せると判断できる経営状態じゃないの」と判断されるとき、私に仕事がきます)、また私も裁判等々を彼に任せることもあります。そういえば、彼は今も剣道が好きですが、何故か今は、柔道を真剣にやっています。なんでかなあ。
 また「突破者」を書いた宮崎さんとは、この作家になる前からの友人です。彼は実は学生時代は、私たちのまったくの敵であった日本共産党の軍事組織の長であったわけですが、ある浅草でやる大きなイベントのときに知り合いました。でもなんだか「あいつは、元日共だぞ」という情報で、最初の最初は警戒したのですが、知り合うと(当然、日共はとっくにやめていて、否定している)、もうとてもいい男です。ただ、彼は全然酒が飲めないので、その点は残念です。
 ただ、何かあると、「それは周ちゃんに頼みな」なんて、言ってくれて、その相手が私のところを尋ねてきますよ。
 まあ、こうした活字になる活動家も、名もない活動家も、みなたくさん友人です。

兵站の大事なことは水滸伝にもよくでてきます。日本軍は兵站は現地調達を中心にするという方針だったと何かで読んだ記憶があります。ひどいもんですね。

 ひどいです。ただし、これは第2次大戦時に、そういう日本軍になってしまったという感じですよ。インパール作戦での、牟田口中将の「ひよどり越え作戦」なんていう言い方からが、私には許せません。

クワイ川捕虜収容所とその反対のアーロン収容所は読んだことがあります。

 クワイ河マーチというのが、「戦場にかける橋」のテーマ音楽ですね。でも私の父は、あの音楽も、日本軍の兵士(名前と所属と出身大学まで正確に言っていました)が作曲したものだといいます。それをアメリカは盗んでしまったのですね。それに、あの映画の最後は、まったく事実と違っています。泰緬鉄道の橋は爆破されたのではなく、今もビルマ(ミャンマーといわなきゃいけないのでしょうが、昨日1軒目で飲みに行った店にも、この国の女の子がいて、私もこの泰緬鉄道のことを喋るのです)や、タイの人が日常生活で使っています。
 アーロン収容所に関しては、私は以下を書いています。

  会田雄次「アーロン収容所」

 そうですね、もうたくさん言いたいこと、いうべきことがあります。イギリスという国は大嫌いですが、米国ほどひどくないところがあるのかもしれません。米国は、イラクで、悲惨でひどいことをやっていますが、あれはあの国の建国以来のものです。日米戦争の大平洋での島々で、日本軍がほぼ玉砕しているところが多いのですが、あれは日本軍が勇敢だったからではなく、米軍が残虐だったからです。アメリカの原住民たるインディアン掃討戦における米軍の残虐性が、この日本軍に対しても、そのまま出ています。それは、米軍の従軍看護婦だったヘレン・ミアーズ「アメリカの鏡−日本」やリンドバーク日記で明らかです。(ただし、ヘレン・ミアーズの本は、米国ではずっと長い間発禁状態でした)米軍が、スー族やシャイアン族やアパッチ族にたいして行った虐殺残虐行為を、日本軍にたいしてそのままやっているんですよ。そして今は、イラクでまたやっているんです。 またメールしますね。萩原周二
(第204号 2004.07.12)

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 もうこのポメラはいいのですが、でも漢字変換が不満です。

2010/05/18 06:59こうしてテレビのニュースを見ながら、このポメラに向かっています。この「周のポメラ」以外にもいくつものことを書いています。
2010/05/18 07:08「ナポレオンの愛した女、ジョゼフィーヌ」のことを書こうとしていました。きょうが6月18日だと思いこんでいまして、「あ、ワーテルローの戦いのあった日だ」なんて全くの思いこみで考えていました。駄目な私です。
2010/05/18 07:36今NHKテレビで新しい「振り込め詐欺」の手口の話をしていました。でも電話ではまずすぐ分かりますよね。昨日電話してきたNTTドコモの代理店というところには、インターネットとブログ作成の話をしました。ケータイでは、私が登録していない電話番号にはでないようになっています。でもなぜかそういう電話番号からいくつか入っていて、「うるせいな」なんて思っていましたが、思えば私がケータイ番号を変えてそれで年賀状に記した人がいるのでした。だから考えてみれば、私の年賀状通りにケータイしても私がでないわけです。私も「なんか変だな」と思っていたら、この通りでした。でもそういう方は、私のインターネット上のブログにコメントください。折り返し、私がコメントを返して、そしてメールします。それに私のメールアドレスも書きます。それで互いにメール交換できます。こうしてメール交換してそれで実際に連絡取れた友人もいます。ただしそれは私の同級生の一人だけですが。
2010/05/18 07:53さて、また「ゲゲゲの女房」です。私の大好きな連続ドラマです。昨日恋がうまくいかなくなるような彼のことが心配です。でも間違いなく、うまくいくはずです。それだけがものすごく私の願うことです。いつも経過が気になってばかりいるドラマです。
2010/05/18 09:57もう10時になりますね。とにかく時間の経過するのが早いです。「ちぃー散歩」は私の好きな街町屋です。思えば私も何度も歩いた街ですね。いいなあ、私もまた歩きたいな。
 町屋を歩いたことをいくつも思い出しました。

 いつも「ちぃー散歩」は面白いです。私の歩いたいくつもの街を思い出しています。

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