将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:ヴィヨンの妻

11021211 私はこの小説を中2の時と、高2の時に読みました。それで先日北ケーブルテレビでこの映画を見て、そのときに青空文庫でこの小説を改めて読みました。実にいい作品ですね。そしてこのヴィヨンの妻がとっても好きになります。ヴィヨンはただのよいどれですが、その奥様は実にいいです。
 でもこの妻の夫であるヴィヨンは何なのでしょうか。ただの酒飲みの悪いだらしのない男でしかありません。
 とはいえ、太宰治は実にいいです。自分のこともあのように見ていられたのですね。いつも、太宰の奥さんって何だったのだろうとばかり思っています。もちろんこのヴィヨンの妻が太宰の奥様ではありません。でも私には、この小説の妻が太宰の求める女性だったのだろうと思うものです。
 でもでも残念です。39歳で自殺していなければ、あのあとも文学を書いていってくれれば、おそらく夏目漱石以上の作品を書いていただろうと思うのです。そのことがとても残念です。
 太宰治は、1909年(明治42)6月19日 ~1948年(昭和23年)6月13日の生涯でした。私は大学1年の夏休み(1967年)に、太宰の自殺した玉川上水を歩いています。

夫は、黙ってまた新聞に眼をそそぎ、
「やあ、また僕の悪口を書いている。エピキュリアンのにせ貴族だってさ。こいつは、当っていない。神におびえるエピキュリアン、とでも言ったらよいのに。さっちゃん、ごらん、ここに僕のことを、人非人なんて書いていますよ。違うよねえ。僕は今だから言うけれども、去年の暮にね、ここから五千円持って出たのは、さっちゃんと坊やに、あのお金で久し振りのいいお正月をさせたかったからです。人非人でないから、あんな事も仕出かすのです」
 私は格別うれしくもなく、
「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」

 この「ヴィヨンの妻」の最後の部分を読み、私はまた涙を流していました。(2010.02.06)

10122903 私はこの小説を中2の時と、高2の時に読みました。それで先日北ケーブルテレビでこの映画を見て、そのときに青空文庫でこの小説を改めて読みました。実にいい作品ですね。そしてこのヴィヨンの妻がとっても好きになります。ヴィヨンはただのよいどれですが、その奥様は実にいいです。
 でもこの妻の夫であるヴィヨンは何なのでしょうか。ただの酒飲みの悪いだらしのない男でしかありません。
 とはいえ、太宰治は実にいいです。自分のこともあのように見ていられたのですね。いつも、太宰の奥さんって何だったのだろうとばかり思っています。もちろんこのヴィヨンの妻が太宰の奥様ではありません。でも私には、この小説の妻が太宰の求める女性だったのだろうと思うものです。
 でもでも残念です。39歳で自殺していなければ、あのあとも文学を書いていってくれれば、おそらく夏目漱石以上の作品を書いていただろうと思うのです。そのことがとても残念です。
  1909年(明治42)6月19日 ~1948年(昭和23年)6月13日の生涯でした。私は大学1年の夏休みに、太宰の自殺した玉川上水を歩いています。

    夫は、黙ってまた新聞に眼をそそぎ、
  「やあ、また僕の悪口を書いている。エピキュリアンのにせ貴族だっ
  てさ。こいつは、  当っていない。神におびえるエピキュリアン、と
  でも言ったらよいのに。さっちゃん、ごらん、ここに僕のことを、人
  非人なんて書いていますよ。違うよねえ。僕は今だから言うけれども、
  去年の暮にね、ここから五千円持って出たのは、さっちゃんと坊やに、
  あのお金で久し振りのいいお正月をさせたかったからです。人非人で
  ないから、あんな事も仕出かすのです」
   私は格別うれしくもなく、
  「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいの
  よ」

 この「ヴィヨンの妻」の最後の部分を読み、私はまた涙を流していました。(2010.02.06)

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   昨日孫のポニョのところで実に大変でした。一体何度2階と3階を往復したことでしょう。小さいと言ってももう12キロあるのです。上で遊んで、「下に行け」ということで、降りると、「上へ行け」といいます。そして泣くのです。もう困り果てました。でも最後別れるときには、ちゃんと手を振っています。大きくなってから、この日のことをいっぱい言おう。
   写真は1月31日の木更津市民会館の中で私たちのすぐそばにいました私たちの次女ブルータスです。生徒のそばにいる次女は私たちの娘というよりは、もう実にいい先生です。
  さて、これから「読書さとう」に「太宰治『ヴィヨンの妻』」を書きます。(02/06)

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 昨日夕方長女の家まで歩いていたときに、考えたことです。私は自転車で行ったのですが、このときはあまりに真剣に考えたので、自転車を降りて歩いていきました。
 私周は、はいわゆる書評・感想文といったものを私のホームページにもブログにもUPしています。「周の書評」(これは私のホームページ内に、実ににいっぱいありあます)も「周の雑読備忘録」(これも私のこのブログにいっぱいあります)もたくさんあるのですが、私はそういう内容ではなく、私が spider job  蜘蛛業 に書いていく「読書さとう」というページをオープンさせたいと思ったのです。それで、私は自転車を押しながら考えていました。私は以下のような本の私の感想を書いてみようと思ったのでした。

 1.これはもう2度と読むことはないだろう。
 2.こんな本を誰が読むのかなあ? 無駄じゃないかな。
 3.大昔に私は読んだことは良かったのかもしれないけれど、そのことの記録だけは書いておこう。

と思ったものを書こうと思ったのです。まずほかの人は読まないでしょう。
 たとえば、私は思うのですね。二葉亭四迷なんて、今誰が読むの? おそらく『浮雲』だけで、誰も忘れているんじゃないかな。だから、私は『小説総論』のことを書きます。これは「坪内逍遥『小説神髄』」より、実にまともだなあと私は思っています。
 それから、私には、まず第一に「ツルゲーネフ『猟人日記』」が浮かびました。もう誰も読まないよね。
 それで、次のような作品が私には浮かんだものなのです。

ツルゲーネフ『猟人日記』
ゴーゴリ『死せる魂』
プーシキン『偽のドミトリー』
フランソワ・ヴィヨンの詩
『サン・ヌーヴェル・ヌーヴェル』鈴木信太郎訳
二葉亭四迷『小説総論』
井原西鶴『男色大鏡』
『十六夜日記』

 それで、私は「では最初はフランソワ・ヴィヨンを書こう」と思ったのです。でもこれは、私がたしか高校生のときに購入した筑摩書房の「世界文学大系」の「中世文学集」を探さないとならないと思いました。私は昔はもっていましたが、今はもう古書店に売ってしまったものです。
 ところがところが、昨日私の部屋の外側の廊下にくくってある筑摩書房の「世界古典文学全集」の括っている中に、この本があったのです。もう驚きました。私が我孫子から引越しするときも、吉本(吉本隆明)さんの本とこの世界古典文学全集のみは、捨てないことにして、あとはすべて下北沢の古書店に売り払いました。でもでもなぜか、世界古典文学全集の中にこの本が入っていたのです。
 それで、私はフランソワ・ヴィヨンの詩を読み始めました。昔府中刑務所の中で読みましたから、本の外側には、「5004番萩原周二」と鉛筆書きしてあります。
 それで読んでいくうちに、やっぱりフランソワ・ヴィヨンはとんでもない、いわば無頼漢といえるでしょう。当初私が思い込んでいたように、それほどひどい酔いどれではありません。
 でも、フランソワ・ヴィヨンを読むうちに、私はさらに太宰治の『ヴィヨンの妻』も読み出しました。それでこのブログのサイドバーにある青空文庫でです。私はこれをすべて読みました。もう一度読みました。
 そして、私は涙を流していたのです。
 この小説の中の夫の大谷もなんというひどい男でしょう。フランソワ・ヴィヨンもひどいけれど、『ヴィヨンの妻』の夫もひどい男です。
 でもでも、こうして書いていける太宰治は実にすばらしいです。この作品は、私が上にあげた3点には、どこもあてはまっていません。
 だから、さらに私は「読書さとう」には書けないことになってしまいました。
 それで、でも書いていきます。「太宰治『ヴィヨンの妻』」は、私のこのブログで、「周の雑読備忘録」として、「フランソワ・ヴィヨンの詩」は、「読書さとう」で書いてまいります。(佐藤隆家)

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 本日の亀山郁夫さんの文章 へのコメント へさらに目森一喜さんから以下のコメントがありました。

1. Posted by 目森一喜   2009年09月20日 15:28
太宰の奥方というと「おえ」さんですね。「おえ」さんというのは、自宅で、太宰が声をかけると、ふすまがスッと開き、三つ指ついた奥方がお茶を出すのですが、太宰は「おえ」と呼ぶだけなのです。ある編集者がそれを聞いて、奥方の名前は「おえ」さんと言うのだとずっと思っていたのです。でも「おえ」というのは太宰の訛りだったのです。
そういう風にいい奥さんに、男というものは耐えられないですね。
太宰は、まだいくらでも書けたし、本人が嫌になるほどの大作家になって行っただろう人ですね。

 うーん、これにレスを書くのは難しいです。そうねえ、相手によって、かなり人生が替わるということもあるかなあ、と思っています。これは男性でも女性でも言えるのじゃないかなあ。このことは大事だよなあ。
 いや、たぶん、そういう「いい奥さん」に耐えてしまう男もいるのだと思うよ。夫に自分の人生を合わせてしまう女性も多い感じがしますしねえ。
 それで私が判らないのは、この「おえ」さんが、太宰の書いた『ヴィヨンの妻』の妻なのかなあ?
 私が思うのに、太宰の奥さまは、結局はフランソア・ヴィヨンのような男の妻にはなれなかったし、太宰治もヴィヨンではなかったと思うよ。でもでも、もうもっと生きてくれていたら、もっとたくさんの文学作品を残してくれたろうね。
 それがものすごく残念です。

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「今 2:22」に、その鈴さんから以下のコメントがありました。

1. Posted by ひとみ   2009年09月18日 04:53
周ちゃん おはようございます
今日は 4時に 目が覚めてしまいました
(眠るって やっぱり 大変?なのかな)
私も 太宰治は好きです
昔 彼のものを 読破しました
今度「ヴィヨンの妻」がドラマ化されますね
(映画でしたっけ?)
見たいと思っています
どうぞ お元気で(^−^)
                ひとみ

 私も太宰治は好きです。そして今はますます好きになっています。最初に読んだのは中学生そして高校生のときですが、大学での学生運動で東大闘争で逮捕起訴されたときに、彼の全集をすべて読みました。井伏鱒二への借金の申込なんかの葉書もいっぱい読みましたよ。
 昔、たしか法が改正されて登記所が混んで混んで仕方のないときに、渋谷登記所で、こんなことがありました。係の人が「津島さん、津島○○(女性の名前でした)さん、青森からおいでの津島さん……」と呼んでいるのです。でも何故か、相手は現れませんでした。私は、「あれっ、津軽から、ヴィヨンの妻が来ているのかな?」なんて思ったものでした。
「ヴィヨンの妻」の、私はこのもともとのフランソワ・ヴィヨンの詩集は読みました。私が府中刑務所の中にいるときに読んだものです。もう目茶苦茶な酔いどれは、こうしてフランスの中世にもいるのですね。彼は今になるも、その最後はどうなったのか判っていません。
 フランソワ・ヴィヨンもどうしようもないくらの酔いどれでしたが、太宰治ももうどうしようもないくらいの酔いどれですね。
 でもこのごろは、私は思っているのです。ヴィヨンの妻というのは(これは太宰治の妻のほう)、ひょっとすると、そんなにいい人ではなく、太宰治こそが素晴らしい存在だったのではないかと。
 太宰治の作品は、青空文庫ですべて読めます。私もときどき読んでいますよ。いつか私の孫のポコ汰に、彼のいくつかの童話を読んであげようと思っています。

 私もこの映画は見てみます。

 その帰り、二人の男が相合傘(あいあいがさ)で歩いている。いずれも、その逝去(せいきょ)した老大家には、お義理一ぺん、話題は、女に就(つ)いての、極(きわ)めて不きんしんな事。紋服の初老の大男は、文士。それよりずっと若いロイド眼鏡(めがね)、縞(しま)ズボンの好男子は、編集者。
「あいつも、」と文士は言う。「女が好きだったらしいな。お前も、そろそろ年貢(ねんぐ)のおさめ時じゃねえのか。やつれたぜ。」
「全部、やめるつもりでいるんです。」
 その編集者は、顔を赤くして答える。
 この文士、ひどく露骨で、下品な口をきくので、その好男子の編集者はかねがね敬遠していたのだが、きょうは自身に傘の用意が無かったので、仕方なく、文士の蛇(じゃ)の目傘(めがさ)にいれてもらい、かくは油をしぼられる結果となった。
 全部、やめるつもりでいるんです。しかし、それは、まんざら嘘(うそ)で無かった。
 何かしら、変って来ていたのである。終戦以来、三年経(た)って、どこやら、変った。

 以上は、太宰治の「グッド・バイ」です。太宰治は、こうして、私たちにグッド・バイしたのでした。

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 一つ前にUPしましたように、この記事が毎日新聞にありました。吉本(吉本隆明)さんの顔写真もあります。
 たぶん、やっちゃいけないのでしょうが、以下全文をコピーします。6911b861.jpg

 今月19日は小説家、太宰治(1909〜48)の生誕100年に当たる。次々と愛読者を招き入れ、今も色あせることのない作品世界の魅力は何か。没後60年を超えた「永遠の人気作家」は、どこにいて、どこへ向かうのか。ベテランから若手まで4人の文芸評論家が、さまざまな視点で語る。初回は「若いころから大ファンだった」という吉本隆明さんに聞いた。

 ◇本質知る反問の人 親密な文体の背後に重さ
 以前から「青年期に心から没入した」作家の一人に、太宰を挙げてきた。

 「どの作品も隅から隅まで読みました。太宰が死んだ直後、同じ大学で親しかった奥野健男(太宰研究で知られる文芸評論家。故人)と2人で酒を飲んで追悼しました。『誰も太宰の本質を理解していない。分かっているのは、おれとお前だけだ』と話したものです。それくらい好きで、嫌いな作品は一つもありません」

 衝撃的な死から60年以上たった今も読まれ続ける秘密は何か。

 「文体の親密性が特質として挙げられると思います。しばしば<軽さ>と見られるところでもあります。だけど僕は<軽さ>と見るのは知識人の間違いで、親しさの密度が濃い文体なんだと解釈しています。実際は夏目漱石にも決して劣らない重さをもっています」

 では、その隠れた重さは、どこから来るのか。

 「生涯の経歴と作品を総合して考えると、太宰は『人生をやっちゃった』後に本格的に書き始めたといえます。思想的には学生時代に左翼運動に深入りしましたし、女性との関係では生前に2度心中事件を起こしています。心中事件について太宰を悪人のように言う人もいますが、僕はそこにも太宰という人間の受動性、<人間らしさ>が含まれているのを感じます。一人の作家になる前に人間が普通やるようなことは大抵やっちゃったというのが特徴で、これは岡本かの子や宮沢賢治など、僕が敬意を払う文学者はみんなそうです」

 <人間らしさ>をうかがわせる具体的な作品についても語ってくれた。まずは『富嶽(ふがく)百景』。

 「富士の見える宿で文士らしく執筆に励もうとした作家(太宰)が、仕事がはかどらずごろごろしていると、その宿の娘に『ちっとも進まないじゃないの』とたしなめられる場面があります。娘は文学を知らない人として描かれています。こういう無償の善意から励ましを与えてくれる人間像を、自らの対照として必ず登場させています」

 『みみづく通信』にも太宰の特徴を示す場面があるという。

 「少し売れるようになり旧制新潟高校に初めて講演に呼ばれた時のことを書いた短編です。講演の後、文学の好きな学生たちと雑談していて、作家になった理由を『他に何をしても駄目だったから』と答えると、一人の学生が『じゃあ僕なんか有望だ。何をしても駄目だから』と調子に乗って話します。すると太宰は真顔になって『君はまだ何もしてないじゃないか』と言う。いかにも太宰だと思わせるところです。何か自分の琴線に触れることがあると、それを言わずにはおれないんです」

 話は、吉本さん自身の体験につながっていく。

 「学生時代に一度、彼の戯曲を上演するため了解を得る口実で会いに行ったんですけど、その時、あまりに軽く振る舞っているのを見て、『太宰さんは、重たい時ってなかったんですか』と聞きました。そしたら、キッとなって『いや、おれはいつでも重いよ』と答えました。そして『男の本質は何だか知ってるか』と聞いてきました。いい加減なことは言えないと思ったので、『いや、分かりません』と答えると、太宰は『男の本質はマザーシップ(母性)ということだ』と言ったんです。その反応から、いつも本質的なことを考えていて即座に言える人だと分かりました。世間が考えているような人じゃないなあ、と。相手が誰であっても、すぐ切り返す反問の仕方は太宰の特色です」

 そういう意味で「思想性を持った小説家」と評価する。

 「戦後に無頼派と呼ばれた太宰と坂口安吾、織田作之助にはそれぞれ思想性がありますが、太宰ほど総合的で本格的な思想家、革命的な文学者はいません。つまり、世の中がひっくり返るようなことが起こっても『分かり切ったことだ』と言えるだけのものがあります。晩年には『斜陽』『人間失格』など、意識的に構築した優れた作品も残しました。でも太宰文学は全部読まないと誤解されてしまうところがあります。今のように経済危機が叫ばれる時代には、よけい軽すぎると見なされやすいかもしれませんね」【聞き手・大井浩一】09053031

 私は今まで全集をすべて2回読んだものでした。
 そうですね、私が比較的それほど好きでないのは、『斜陽』くらいですね。あとはすべて好きです。いや彼の日記はそれほど熱を込めて読めなかった思いがあります。
 そうですね、今私が好きだと思える作品を思い出せるだけ以下にあげてみます。

ヴィヨンの妻
右大臣実朝
黄金風景
お伽草子
女の決闘
グッド・バイ
新釈諸国噺
惜別
走れメロス

 こんなところかなあ。
 昨日目森さんが、日本近代の作家では、この太宰治と漱石が一番ではないかと言っていましたが、私もまったく同意します。
 でもこの新聞の『みみづく通信』に書かれていることは、私もいつも自分に言われていることばに思えています。

すると太宰は真顔になって『君はまだ何もしてないじゃないか』と言う。

 私はいつも羞しくなってきます。
 そして太宰治と吉本さんは、実際にあっているのですね。太宰の家に吉本さんが行き、一度目は留守で、2度目に訪れたときに、また留守でした。困ったなあ、というときに、家から奥さまに挨拶して帰ると、そこで、お手伝いさんが、「私が言ったっていわないで」ということで、「あの人は駅前の屋台で飲んでいますよ」と教えてくれるのです。そして付け加えます。「あの人はとってもいい人ですよ」。もう私は涙が浮かんで仕方なかったものです。

09053032『駈込み訴え』で、最後ユダがイエス・キリストを売ります。そのときの、ユダの顔は、実朝を暗殺した公暁の顔にそっくりに思えます。私はいつも鎌倉を歩いて、このことを思い出しています。由比ヶ浜で、蟹をむしゃむしゃ食べている公暁のいうことが、イエスを語るユダと同じに思えています。

 私は府中刑務所にいるときに、フランソア・ヴィヨンの詩をすべて読みました。そしてヴィヨンの妻たる太宰の奥さまを思いました。ヴィヨンもめちゃめちゃな生涯の人でしたが、太宰だって同じですよね(いえ、奥さまからみればそうなのです)。
 私が登記に関して、すべて変更になったときに、渋谷法務局で待っていたときに、マイクでで、「青森県の○○さん」と女性のことの呼出がありました。私はそのときに、「あれっ、太宰の奥さんが津軽から出てきているんだ。早く呼出に応じればいいのに……」なんて思ったものでした(もちろん、そんなわけはありません。でもなぜか、このときに津軽から出てきていた女性がいたのでした。でもそれと太宰を重ね合わせて思うのは私くらいです。そしてでもその女性は出てきませんでした)。

『惜別』では、私は魯迅の『藤野先生』よりも好きです。私は魯迅も大好きな作家ですが、この『惜別』も大好きですね。

 また鎌倉を歩いて、実朝のことを思い浮かべようかなあ。

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 カチカチ山を思い出した で、二つとも(瘤取りじいさんとカチカチ山)太宰治の「お伽草紙」に関して思い出したものでした。これはぜひとも以下で読めますから、読んでみてください。太宰治の魅力が必ず判るかと思います。

  http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/307_14909.html 太宰治「お伽草紙」

 太宰治は今も実に人気のある作家だと思います。とくに、若い女性が高校生の頃好きになるのかなあ、と私は思っています。でもそんな若い女性もやがて、太宰から去ってしまいます。
 でも私はこの年になっても、太宰治が好きです。
 太宰治を読んだのは、最初は中学2年のときであり、高校1年のときにもかなり読みました。でも、私が一番読んだのは、大学2年のときの、東大闘争での府中刑務所の勾留中でした。このときに、筑摩書房の「太宰治全集」を日記等含めてすべて読みました。
 この「お伽草紙」も面白かったのですが、「新釈諸国噺」も実に面白かった。1969年の7月に読んだときのことを、太宰治の小説をいくつもを思い出した に書いています。

 その他、私の好きな作品を思い出してみました。

「ヴィヨンの妻」 私はちょうど、このフランソア・ヴィヨンの詩を読んだばかりのとき(3月に差し入れてもらった筑摩古典文学大系の「中世文学集」で)でした。私はこの15世紀のフランスの無頼・放浪の詩人が大変に好きになれたものでした。その詩人が、今日本にきて、今こうしてその奥さんが語るのかなあ、なんていう思いをいだいたものです。

「右大臣実朝」 この「右大臣」というのを、何故か「ユダヤ人」と読んだ人がいるというので、「何故日本の貴族源実朝をユダヤ人なんて錯覚するんだ」と怒っていた人がいたのでした。私はこの作品は何度も読みまして、好きなものですから、その話自体がバカバカしい話でした。

「女の決闘」 チェーホフの作品でも好きだったのですが、この太宰の作品はまた非常に面白かったものです。

 私が横浜の高校にいたときに、同じクラスの女性で、この太宰治のことを「いくじなしの自殺(しかも心中)をするような人」と言った人がいたのですが、そのことに私は反発し、そしてそのことについて、私は今から5年前のクラス会で指摘しまして、太宰治の魅力について語りました。

 ええと実は今ポコちゃんのそばに来たのですが、食事でもありますので、書いていられません。また別のときに書きます。

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