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 ただ、ぼくの知人には、でもこの人はそうはならなかったんだなぁという人がたった一人だけいます。島尾敏雄さんです。あの人は、前線基地でいつ特攻にでなければいけないかわからないという場面にいながら、撃ち落とされた飛行機から落下傘で降りて開かずに死んでしまったアメリカ人兵士の遺体を見捨てずに、身分証明を見つけて、ついでに墓を立てたという人です。驚くべき冷静さといいますか、そんな場面にいてよくそれだけのことができたと、これは俺には真似できないよと思います。こっちは鬼畜米英でいっぱいだったわけだし、それでいて、じゃ特攻隊に志願するのかというとその勇気はなかったわけだから、情けない、かなわない、及ばないよという思いがありますね。そこまで冷静になれたらたいしたもんだと思うけど、おれにはそれはないというしかない。(『生涯現役』2006.11.20洋泉社第ニ章「老いのことば」)

 ここの「そういうこと」とは、一見正常で健康的な人たちが、「ある局面に立ち至れば、死ぬの殺すのなんてことを平然とやってしまう」ということを言っています。これは私たちでもよくありがちなことである。吉本さんも同じだという。だが、この島尾敏雄は違っていたのだ。これを読んで、吉本さんが何故島尾敏雄にこだわっているのかが、また別な面で判ったように思えている。

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