将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:三月書房

11092810 このごろ吉本さんが毎日新聞や朝日新聞でも読むことができて嬉しい限りです。それで次のような本が出版されました。

  吉本隆明資料集(鼎談・座談会をテーマ別にまとめたもの)
   <1>「芸術運動の今日的課題」(1956)花田×岡本潤×吉本
    「左翼文学」(1963)野間×花田×平野×吉本
    「戦後文学白書」(1964)磯田×平野×吉本
    定価 1,000円 猫々堂
  吉本隆明資料集
   <2>「映画合評」(1956)
    吉本、花田、武田、梅崎、若杉、佐々木
    定価 1,000円  猫々堂
  吉本隆明資料集
   <3>「映画情況への発言」 ※5月刊予定
   定価 1,000円 猫々堂

 それで、このあとも「吉本隆明資料集<4>」も出されるようです。以下のホームページで見てください。

(現在はありません)

 これで判ったのですが、この資料集は松岡祥男さんがおやりのようです。感謝します。
 それから以下の「三月書房」のホームページでもごらんください。

(現在はありません)

 この三月書房のメールマガジンもいいですよ。(2000/04/24)

07121201 私も鹿児島に住んでいました無法松の一生 の永田光男さんから、次のコメントをいただきました。

1. Posted by 永田 光男    2007年12月11日 16:16
丁寧な返コメントを頂戴し恐縮です。お友達の輪も広く長くて貴人物の良さが感じられ、何かの縁でこうした交流が出来ますことに感謝したいと思います。小生の大学は龍谷大学で、連れ合いとは同じ大学で知り合い40年近くなります。連れ合いは箕面市で無所属の議員をしています。福祉関係で長く活動をしていた関係で、自分の意思に反して議員活動をしています。地元では小生も福祉に携わる方々との人間関係が主です。その中には、学生運動から今なお社会運動的な活動をしている河野秀忠という稀有な人物もおります。もちろん、学生時代の友人とは今や飲み友達として箕面まで(実は友人関係で資金を出し合って「えんだいや」という居酒屋があります)来てもらって昔話や年齢から健康の話になります。
これからもブログを通しての交流を宜しくお願い致します。

 私は大学6年の7月に京都へ行きまして、立命館の活動家の方たちとはつき合いがありました。あのときには、私たちは4人で京都にちょうど1週間いたのでした。1週間後の祇園の宵山の日に、あとから来た5名と合流して、それから大阪の昔の活動家の自宅へ行ったものでした。あのときには、京都駅前で待ち合わせするのに、「ダークスーツにサングラス」で集まろうということで、なにしろスーツなんか持っていない貧乏学生ばかりですから、実に大変でした。最初行った4名は、ずっと一週間飲みっぱなしですから、それでもダークスーツにサングラスで、汗をかいては、さまにならないと、その前日からはビールは厳禁にして酒を飲んでいたものでした。
 その後も何度か京都には行っていますが、飲む店もいくつかいつも同じです。そうですね、とにかく、記憶がたしかなうちに、三月書房 には必ず行きまして、なにか本を買っています。
 孫がいますから、この孫と京都へ行けるのはいつのことかなあ、なんて思っています。

 思えば、大学から社会へ出て、あっという間のことでした。私は実にいくつもの会社、いくつもの業界を渡り歩きましたが、なんだか、それが実にわずかな時間に感じられます。
 私にとっては、秋田、札幌、名古屋、鹿児島、横浜と住んだ、子どものときのほうが長く、また大学は6年間でしたが、それも長い年月に感じられます。

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それで、私が彼Aと会ったときに、私は67年入学でしたから、大学2年のときに、東大闘争で試験の時期が勾留されていますし、大学3年の試験の時期もまた勾留されていましたから、大学4年で大学に戻っても、それでも成績は40数単位持っていました。
だが彼は、大学1年も2年も私と同じ時期で、試験を受けていませんから、たしか3年になったときに7単位しか持っていませんでした。試験も受けないのに、なぜ7単位あるかというと、とにかくなんであろうと、単位を認めてしまう教授がいたからです。
それで私はその後3年間で、卒業に必要な単位は取得しました。彼も3年間で所得しました。だから、相変わらず入学年の差が1年ありますから、私は卒業して働いていたときも彼は学生でした。
それで私が就職した1年目の秋に、会社の仕事で京都へ出張することになりました。それで私は突如、当時の彼女も京都へ呼ぶことにしました。お父さんに掛け合って京都から電話したのを覚えています。
そして当時Aは、京都の同志社大学の正門の前にあったレストラン六甲でアルバイトしていました。そこへ、私と彼女で訪れたものでした。思えば、あのあと彼が、三条丸太町の「赤垣屋」を最初に飲みに連れていってくれて、そのあと先斗町で串カツを食べ、最後四条の「リラ亭」に連れて行ってくれたなあ。
あ、そういえば、いや最初のしらふの時は本能寺近くの三月書房に連れて行ってくれたのでした。私はこのとき以来、京都へ行くと、必ずこの三月書房は訪れてなんかしら本を買っています。
でも思い出すと、あのときは彼は大学6年なのに、なぜ京都にいたのかなあ。彼はよく京都で働いていました。本当は映画の仕事をしたかったのでしょうが、でも、なんだか工事現場の高いところに登るような仕事をしていましたね。

でもその後彼も就職して、でもでも私と同じで、どこでもちゃんと雇ってくれるところもないので、自分で会社を作って、自分でやりだしました。こんなところは私と同じでした。

でもそんなことの中、私は彼の妹を知りました。私が72年の春、妹さんのBさんの紹介で、上中里の農業技術研究所でたしか5、6、7月とアルバイトをしたのです。このとき、Bさんととても仲良くなり、さらにその妹のCさんも知りました。
Bさんは、高校生のときに英語が不得意で困っていましたが、その替わりフランス語が得意で、のちにフランスに留学してたときに絵葉書をくれましたね。私は「フランス人も立ちションをするのか?」という疑問を投げていて、その葉書には「まだフランス人の立ちションは見ていない」と書いてあったものです。
やがて、Bさんは、このフランス語を活かして、スイス航空のエアホステスになったものでした。妹のCさんは、お姉ちゃんよりも、体格がよくて、将来は体育の教員になるんだと聞いていました。
そんなCさんの思いは、二人が一緒に来てくれた、埼玉大学のむつめ祭の暴力酒場ひだりで教えてくれていたものでした。
二人は一番お兄ちゃんが好きだったのです。でもお兄ちゃんは、なんだかまともではありません。その友だちの私も、一見普通の人に見えますが、でもでもやっぱりどこかおかしいと思ってきたはずです。

Aは、その後不動産の仕事をやり出しまして、それでその後も私とのつき合いが続きました。二人の妹も無事結婚して、いい家庭を築いていると聞いていました。
もうそれから、またまた年月がたったわけです。

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内臓のはたらきと子どものこころ
 三月記(仮題)この記事 がありました。そこに三木成夫の本の紹介がありました。

三木成夫は20年近く前に亡くなった人ですが、うちの店では1990年代の初め頃から突然売れだして、1992年に刊行された「海・呼吸・古代形象」は販売冊数累計が400冊程と、驚くほど売れています。この本は現在第9刷ですが、発行部数は5000冊から1万冊の間くらいと想像されますので、うちの店の販売シェアはちょっと信じられないくらい大きいようです。この本の売れ行きのすごいところは、発行後何年もたつのにコンスタントに毎年20冊ほど売れていることで、このような本はほかには例がありません。三木成夫の本は全部で10点近く出ていますが、どれもよく売れています。どれか1冊読んでみようということなら中公新書の「胎児の世界」をおすすめします。

 私もこの三木成夫さんのことは吉本(吉本隆明)さんの講演で知りました。吉本さんが紹介していた本では、『内臓のはたらきと子どものこころ』(築地書館)があり、私も早速読んだものでした。また 三木成夫「胎児の世界」も実に熱心に読みました。
 あ、思い出しましたが、谷中の「朝倉彫像館」に、この三木さんの説明された胎児の姿が絵になっているというのを聞いていたのですが、2004年の連休に家族で行ったのですが判らなかったな。5月2日の谷中歩き(2004.05.31) のことです。
 それで、この「海・呼吸・古代形象」も読みました。いい本でいい内容です。この本については、私の吉本隆明鈔集 に以下をあげてあります。

   三木成夫の業績
   マルクスと折口信夫と三木成夫の三人
   内臓系と体壁系

 私は吉本さんの紹介から知りました方ですが、吉本さんが言われるように、すごい人だなと思うのと同時に、もっと早くから知っておきたかったなあという思いばかりです。

 あ、それから、今年中になんとか、この三月書房にも行きたいものです。3年前に京都へ行ったときにも、ここへ寄ることはできませんでした。
 前には京都へいくと必ず寄っていた本屋でした。また必ず行きたいな。

b747eb38.jpg とにかく暑いですね。でも、義母にも大変に暑いのでしょうが、義母は冷房も苦手です。すぐに寒くなってしまいます。私なんかはただただ「暑い、暑い」と言っているだけなんですが。でもこの朝は何故か京都の夏を思い出して(メルマガで京都の「三月書房」のことを書いたからかな)、「まだ東京のほうが楽なんだよな」なんて思っています。(8/7)
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 私の一番好きな書店が、この三月書房です。ただ京都の寺町にありますから、今まで数えるほどしか行ってことはありません。でも京都へ行ったときは必ず寄るようにしています。

 思い出せば、私が最初に行きましたのは1973年のことだったなと思い出します。その後も何度か行きまして、何冊かの本を買いまして、そのときに店主の方を「あ、あの方が宍戸さんなんだ」と思っていたものでした。
 それから年月が流れて、もう店は息子さんがやられているということを知りました。そうしましたら、偶然私のクライアントの社長がこの息子さんと親友で京都で同じくラクビーをしていたのを知りました。
 その前から私は、ここのメルマガを購読していまして、ホームページも私のところからリンクして、またリンクされていました。そうしたところ、私のクライアントの社長が知り合いだということを知って驚いていたものでした。

 この三月書房のメルマガで、ブログができたことを知りました。

   http://3gatsu.seesaa.net/  三月記

 早速訪れてみました。「あ、これでできたら毎日更新してもらえればいいなあ」という思いです。早速ブログ将門のサイドバーにリンクしました。

 思い出せば、実にほんのときどき寺町のこの書店を訪れていたものですが、今度はいついけるのかな。前にはいつも前日は飲みすぎで、二日酔いでこの店で本を見ていたものでしたが、もう今後は二日酔いのこともないでしょうから、いわば素面の顔でちゃんと、この店を訪れてみたいものです。

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