将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:三木成夫

2017052903 この回では、私の尊敬します三木成夫さんの会の会報を以下載せます。

Friday, July 20, 2001 4:14 PM
「三木成夫の会」 メール会報 003号

2001年7月20日
● *** 第10回三木成夫記念シンポジウム・盛会 ***
「三木成夫記念シンポジウム」世話人の一人であるである後藤仁敏氏(鶴見大学)からの情報によれば、同シンポジウムは7月16日(月)に10時から17時まで東京・お茶の水の順天堂大学で開催されました。三木桃子夫人などの関係者をはじめ、参加者は100名を越え、会場はいっぱいだったとのこと。 送られてきた講演要旨集「第10回三木成夫記念シンポジウム・発生と進化」によれば、発生学・解剖学などの専門的な発表(講演)とならび、例えば小谷幸雄氏(立正大学)の「生物機能としての五蘊−−冨永半次郎と三木成夫」や、音楽・美術関係の発表もみられる。
      ***********************************************
★お知らせ、情報、ご意見などございましたら、事務局までご連絡ください。
★多少でも三木成夫に関心があるであろう方に配信しております。
★このメール会報の受信を希望しない方は、ご遠慮なくその旨ご連絡ください。

「三木成夫の会」
代表: 八木洋一
事務局: 小阪清行   メール
Kiyoyuki.Kosaka@ma2.seikyou.ne.jp
三木成夫のホームページ:http://www.geocities.co.jp/Bookend-Hemingway/2397/
(第51号 2001.08.06)

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11051401  私の事務所のあるビルの1階に、夏から秋にかけていつも鈴虫が置かれています。管理人のお母さんがおいてくれるのです。私は、いつもその虫の音に「いいなあ」と思ってしまいます。9月のある日ちょうどエレベーターを一緒におりた18、9歳の女性同士がこの虫の鳴き声をきいて

    ここではこの季節になるといつも鈴虫が鳴いているのね。いい
 声ね。

と言っていました。あんな若い子たちも私なんかと同じ感性をもっているんだなと思ったものです。
  しかし、この虫の音をいい音と感じるのは私たち日本人の特徴であり、欧米人は雑音としてしか感じていないといいます。また日本とは同文同種などといわれる中国人や朝鮮韓国の人も欧米人と同じだといいます。日本人が虫の音をあれほど歌に詠んでいたりするのに、中国の漢詩には出てきたことがありません。邯鄲(かんたん)という虫が秋になると「リュウリュウリュウ」となくのを、私はいつも「つまんない虫なのに、鳴く声はいいな」と思っていますが、中国で邯鄲といえば趙の都であり、「邯鄲の夢」などというとまったく違うことを思い浮かべてしまいます。どうして中国人と私たちでは、こんなに感性が違うのだろうと不思儀でした。
  そうしたことを解き明かしてくれた本があります。

書 名  胎児の世界
著 者  三木成夫
発行所  中公新書

  この本のことは実は吉本ばばなの短編集「とかげ」についてのエッセイで知りました。

    あとは三木成夫さんという人の書いた本。なぜ生物にとって呼
 吸が大事なのか、といったことがやさしい言葉で説明されていま
 す。この人は昔、中公新書で『胎児の世界』という本も出してい
 て、それを読んで、人間の赤ちゃんは植物から人間になるまでの
 すべての進化の過程を、お腹の中で一通りこなしてくることを知
 りました。なんて神秘的なんだろうと思いましたね。
  (「課題としての短編集」「波」93.4月号に掲載  「ばなな
 のばなな」1994.1.25メタローグに収録された)

 そしてこの本を読んだばかりのころ、吉本(吉本隆明)さんの講演「心について」でさらにこの三木成夫さんの他の著書(「内臓のはたらきとこどものこころ」)からの話があり、「これはまずは三木さんを知っていて良かったな」と思わせてくれました。
  この虫の音のことを、次のように三木さんは書いています。

    それは、いま申したことを、とくに音で精しく調べたものです
 が、ここには、民族の差という、のっぴきならない問題が出てま
 いります。つまり、電流を使って言語音と非言語音の脳内経路を
 民族のあいだで比較しましたところ、どうもわたしたち日本人は
 自然の音を左の言語脳で聞くらしい。
   これは、欧米人が、たとえば虫の音を一種の“雑音”として右
 の脳で受け止めるのと対照的です。むかしから自然の風物を“語
 りかける友”として眺めてきた日本人の生理を初めて自然科学的
 に実証したこの研究は、こころにしみるような業績ではないでしょ
 うか。
  (「妓龍燭悗硫鶺※;;\弧慎憶と回想 民族と里帰り「椰子
 の実」の記憶)

 そしてさらに他の民族も調べていくと、韓国や中国も欧米人と同じで、日本人と同じ脳の型をもっているのは、ハワイ、サモア、トンガ、ニュージーランド等のポリネシアだったというのです。
  これを読んだときに、私ははるかな昔、私たちの先祖が小さな舟に乗って、ポリネシアから潮の流れに乗って、台湾八重山沖縄本島を経て、この本州あたりまでやってきたのを思い出したような気になってきました。ちょうど柳田国男が椰子の実を見つけたときにはるかな南の島を思い浮かべたときの気持がそのまま分かるような気になってきます。また三木さんは、折口信夫の「妣(はは)が國へ・常世(とこよ)へ」という論文を引用していて、熊野の海岸に立ったときの折口の遠い南の国への感慨を記しています。まさしく折口も海の遥かな先に、私たちの先祖の姿を見たに違いありません。
  こうした遠い過去の記憶が、もともと私たちの中に存在しているということは驚いてしまうことなわけです。また次に三木さんは、血液型の研究から、民族間の血縁関係を調べた「血清学的位置による世界民族の分類」をあげて、わたしたち日本人はいわゆる「アジア人型」に属するのではなく、「ヨーロッパ人型」とのいわば中間といわれる「西アジア=東ヨーロッパ人型」の仲間だというのです。私はこれを読んでまた私たちの祖先が、はるかな昔中東の沙漠を駱駝に揺られて移動している姿が見えるような気がしました。
  この脳と血液のはるかな記憶を三木さんは、

     名も知らぬ遠き島より流れ寄る椰子の実ひとつ…………

     月の沙漠をはるばると旅の駱駝が行きました…………

という二つの歌で象徴させています。たしかに私たちの心の奥底にはこの二つの世界の記憶が潜んでいるような気がしてきます。
  そして私たちは、胎児のとき母親の胎内で、こうした過去の記憶を反芻するように思い出しているらしいのです。十月十日の間そうした夢を見続けているようなのです。

    生まれて目もあかない赤ん坊が、眠っているうちに突然おびえ
 たり泣き出したり、または何かを思い出したようにニッコリ笑っ
 たりするのを、わたしたちはいつもみている。それは、ほかでも
 ない、母の胎内で見残したそのような夢の名残を、実際、見てい
 るのだと久作(夢野久作のこと)はいう。
 ( 胎児の世界───生命記憶の再現再現について 胎児の夢)

 このときに見ているだろう夢が、舟の上や駱駝に乗った夢ばかりではなく、実に生物がアメーバだったときから植物、魚類、両生類、は虫類、鳥類等々を経て、人類に到った過程も見ているというのです。この著書では、人間の胎児が母親の胎内で、どのように顔を変えていくのかを点描で画いてあります。それはまさしく過去の進化した生物の顔をしているのです。魚の顔、恐竜の顔、鳥の顔…………、私には「やっぱり人間が鳥であったこともあるのだな」と思わせてくれました。
  人間はこうしてアメーバから人類までの記憶、あるいはポリネシアの海を渡っていたことの記憶だけではなく、人間が過去やってきたたくさんの記憶が残っているのだといいます。

    このように見てくると、人間のからだに見られるどんな“もの”
 にも、その日常生活に起こるどんな“こと”にも、すべてこうし
 た過去の“ものごと”が、それぞれのまぼろしの姿で生きつづけ
 ていることが明らかとなる。そしてこれを、まさに、おのれの身
 をもって再現して見せてくれるのが、われらが胎児の世界ではな
 かろうか。
 ( 胎児の世界───生命記憶の再現 再現について 胎児の夢)

  こうしてこの著書をみてくると、私たちは胎児のときに母の胎内において遥かな過去からきのうの過去までたくさんの夢をみているのだなと思いました。そうしてこうした夢を見終って、この世に生まれでてくるのだと思います。そしてまたそうした夢をもう一度、死ぬときに私たちは見るのかもしれないなと私は思っているのです。(1998.11.01)

11010707 子どものときから、私は自分以上に能力のある人たちをたくさん見てきました。「頭のいい人ってたくさんいるなあ」とそうした友人たちを見ていました。だから、きっとその人たちとは、このインターネットの世界で再会できるのだろうと思ってきました。でも少しもそんなことにはなりません。大学での活動家でも、「もうあいつは今、英語じゃなくドイツ語で喋るらしいぞ」とか「今NASAにいるようだ」とか「今日本へ帰ってきて、○○国立大学の教授だって」とかいう友人もいます。でもどうしてもインターネットの世界では出会えません。そんな人たちとは、過去私がどんなことをやっても「まだ、そんなところへいるのか。俺は、もうこんなことをやっているんだぜ」というような差を感じていたものです。でも今はどうなのでしょうか。

  何、まだインターネットなんて古いものをやっているのかよ。俺
  は、もう「瞬間移動法」で毎日火星と木星を往復しているよ。

とか言うのなら、判るんですが、そんなことは絶対にありえません。
 でも私は「どうしてなのかな、あれだけ頭のいい彼らが、なんでメールくれたりしないで、年賀状だけなんだ。しかもその葉書もまだ印刷屋使っているし。ホームページくらい簡単に作れる能力なんかあるはずなんだけれど」という思いなのです。このことが、私には重いしこりのような感じで思っていたものでした。「どうしてなんだろう?」
 その解答らしきものに、私は今出会えたというか、判ってきた気がしています。それは吉本(吉本隆明)さんと吉本さんに紹介された三木成夫さんのおかげです。人間には脳だけではなく、心があるわけです。でもその心というのはいったいどこにあるんでしょうか。もちろん脳で考えることも心の動きです。でも、それ以上に、心とは人間の内臓の働きなのではないかと私は気がついてきました。
 人間は、おそらくアメーバのようなものから次第に進化してきました。魚になって、両棲類になって陸にあがり、爬虫類にも鳥にもなりました。そして、人間は生まれるときに母親の胎内で、その過程をすべて体験してきます。母親が「つわり」になるときは子どもが両棲類の体験をしているときだと言われています。生物が海でのえら呼吸から、陸地に上がって肺呼吸になるときには、動物は大変に苦しい思いをしたのでしょう。だから、胎内の子どもも苦しいし、それが母親のつわりにつながります。
 胎内の子どもは、最初は魚の顔をしていまして、だんだんと両棲類、爬虫類と顔が変化してきます(三木さんの本には、それが点描で描かれています。また谷中の「朝倉彫像館」には、こうした像があります)。人間は鳥でもあったから空を飛ぶ夢を見ることがあるのでしょう。
 人間が植物であったこともあるはずです。だから私たちの身体にはその植物の器官が残っています。それが、口から肛門に至る内臓の働きです。この内臓の働きが私たちの心の大きなものだと思います。私たちが二日酔いで苦しんでいるときは、脳が苦しいのではなく、内臓が苦しんでいるのだから、私たちの心はそれで憂鬱になります。誰かに恋したとすると、脳で彼彼女を思い描くよりは、心臓が胸が心が痛んだり、嬉しくなったりしているのです。
 私はずっと、「脳で考えるのではなく、心で考えよう」と思ってきました。そしてその心とは、やはり内臓の働きだと思うのです。だから、「脳ではなく、内臓で考えよう」と思ってきました。ちょうど植物もさまざまなことを感じていることが判ってきています。植物にも心があるのだと思います。
 私は今、インターネットをやっていまして、そのことをものすごく感じています。「脳だけで判断しようという人間は、もうこれからは駄目かもしれないなあ」、と。
 そして、このことは、人間ということだけではなく、私の相手している企業でも言えるのではないかと思っています。「心で考える」経営コンサルティングができるはずだと考えています。(2001.08.27)

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新聞名 図書新聞第2904号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年2月7日
読了日 2009年2月1日

 和泉優作さんの以下で、「久美薫 『宮崎駿の時代 1941〜2008』」があります。

無意識に刷り込まれた宮崎駿ブランド――純粋な作品評価の必要性

 マンガ版『ナウシカ』については十四章中、二章が割かれている。この作品の分析には唸らされた。マンガ版『ナウシカ』は一九八二年に連載が始まり、途中、映画版『ナウシカ』、『となりのトトロ』、『魔女の宅急便』、『紅の豚』などの映画作品の製作の為に何度か中断し、一九九二年に完結した長編作品だ。この作品の連載期間中に宮崎氏の中で起きた変化を、著者は映画製作、社会情勢による思想の変化、マンガアニメ文化の推移などと結びつけて鮮やかに浮かび上がらせる。例えば、宮崎氏が東映動画時代の組合活動で挫折したマルクス史観を、森林メカニズムを中心とした生態系システムと重ね合わせて蘇らせようとしたという見方や、そうやって苦労して蘇生させたマルクス史観がソビエト崩壊やユーゴ紛争などの現実によって再び崩されていくという宮崎氏の苦悩を、主人公ナウシカの作品後半の姿が色濃く表しているという指摘など、興味深い論を次々に展開していく。特にラストシーンでのナウシカの右と左で印象の違う「引き裂かれた瞳」の分析は秀逸だ。マンガ版『ナウシカ』の解体は本書の終わり二章で行われている。これを読んだあと、もう一度宮崎駿初監督作品の分析から読み直してみると、宮崎作品の核になる思想、技術の巧みさ、ジャパニーズ・アニメーション文化の中の位置がきれいにイメージできる。マンガ版『ナウシカ』の分析に関しては、本書での内容を深化させ、新たなトピックを加えて一冊の本としてまとめることも期待させられる興味深い論考であった。

 私は、あの「風の谷のナウシカ」という作品は、どうにも判らない思いがありました。この久美薫さんの本もぜひ読んでみようと思ったところでした。
 でもマンガ版ナウシカも、宮崎駿さんの作品だったのですね。私はそんなことも知らない人間なのです。

 秋竜山さんの「読書絵日記」の「思い出せない記憶、の巻」で、「茂木健一郎『脳と仮想』」のことが書いてあり、私も早速よまなくちゃと思ったところです。三木成夫の講演で、「思い出せない記憶」ということを書いてあるのです。三木成夫さんのことなら、なんでも読んでいかなくちゃと思っている私です。

 それと、「日本の警察機構のグロテスクな構造を浮き彫りに――高橋玄監督『ポチの告白』高橋玄監督」という文章を書いている藤田五郎さんって、渡哲也の歌を書いていた藤田五郎さんのことなのかなあ? 違うのでしょうが、ものすごく気になります。

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 わが家のおかあさん2008.02.23 に准人さんから、以下のコメントをいただきました。

1. Posted by 准人    2008年02月23日 21:06
周さん、お久しぶりです。准人です。憶えておられますか。
近況というほどのことはありませんが、その報告は、近いうちに、
掲示板の方に書かせてもらいます。
メルマガは欠かさず拝見しておりますが、ブログの方は、あまり
読んでおりません。ごめんなさい。
周さんが、三木成夫さんのことをなんて書いているか気になって、
ブログにやってきました。
しかし、三木成夫でブログ内検索してもヒットしません。
あ、「胎児の世界」かと思いましたが、こっちもヒットしません。
そんな訳ないと思うのですが、特にブログでは三木さんのことを
書いていないんですかね。(サイト内検索はいくつかヒットしました。)
エントリーに関係なくてスミマセン。申し訳程度ですが、お孫さんは
目に入れて痛くないって感じですか。

 おひさしぶりです。そしてここに書いていただいてありがとう。
 私も三木成夫さんは、よく読んできたつもりでしたが、そうかこのブログでは書いていないのですね。
 それで私は自分が書いたものでさえ、もうインターネットで検索してしまいます。三木成夫さんについては、以下がヒットしました。

   http://shomon.net/books/books15.htm#mikitai 三木成夫「胎児の世界」

 もう私は三木さんの本を多数読みまして、あちこちで会話には出てくるのですが、書いていたのはこれだけだったのですね。羞しいです。
 だから言われるとおり、このブログでは3年間三木成夫さんのことは書いていません。
 できたら、准人さん、私の掲示板に書かれるよりも、ご自分でブログを開設されたほうがいいと思いますよ。ブログで書いてみると、たくさんの発見ができてくると思っていますよ。
 孫は本当に可愛いです。昨夜も、私のために、ポコ汰とそのお母さんおはぎも、ここへ来てくれたのですが、私が外で飲んでいて会えませんでした。
 きょうは会えます。でもすぐに私は我孫子へ行きます。私の義姉にも、弟夫妻にも、姪のみーねえにも、みーねえの二人の息子にも私は手紙を出していますから、またいろんなことをいわれるでしょうね。

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内臓のはたらきと子どものこころ
 三月記(仮題)この記事 がありました。そこに三木成夫の本の紹介がありました。

三木成夫は20年近く前に亡くなった人ですが、うちの店では1990年代の初め頃から突然売れだして、1992年に刊行された「海・呼吸・古代形象」は販売冊数累計が400冊程と、驚くほど売れています。この本は現在第9刷ですが、発行部数は5000冊から1万冊の間くらいと想像されますので、うちの店の販売シェアはちょっと信じられないくらい大きいようです。この本の売れ行きのすごいところは、発行後何年もたつのにコンスタントに毎年20冊ほど売れていることで、このような本はほかには例がありません。三木成夫の本は全部で10点近く出ていますが、どれもよく売れています。どれか1冊読んでみようということなら中公新書の「胎児の世界」をおすすめします。

 私もこの三木成夫さんのことは吉本(吉本隆明)さんの講演で知りました。吉本さんが紹介していた本では、『内臓のはたらきと子どものこころ』(築地書館)があり、私も早速読んだものでした。また 三木成夫「胎児の世界」も実に熱心に読みました。
 あ、思い出しましたが、谷中の「朝倉彫像館」に、この三木さんの説明された胎児の姿が絵になっているというのを聞いていたのですが、2004年の連休に家族で行ったのですが判らなかったな。5月2日の谷中歩き(2004.05.31) のことです。
 それで、この「海・呼吸・古代形象」も読みました。いい本でいい内容です。この本については、私の吉本隆明鈔集 に以下をあげてあります。

   三木成夫の業績
   マルクスと折口信夫と三木成夫の三人
   内臓系と体壁系

 私は吉本さんの紹介から知りました方ですが、吉本さんが言われるように、すごい人だなと思うのと同時に、もっと早くから知っておきたかったなあという思いばかりです。

 あ、それから、今年中になんとか、この三月書房にも行きたいものです。3年前に京都へ行ったときにも、ここへ寄ることはできませんでした。
 前には京都へいくと必ず寄っていた本屋でした。また必ず行きたいな。

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