今年(98年夏)の松戸自主夜間中学校のキャンプへ行ってきましたが、そこでも夜にいろいろなお話をしました。その中で、

 「民主主義」というのは、思想ではなく、あなたのいうとおり、シス
 テムなんだね

と私に言われた方がいます。ちょうど半年くらい前に、皆で激しく論争したときの私より5歳くらい上の方でした。また、NIFTY のあるフォーラムの会議室で「民主主義とは何か?」などという問いがあって、その後それへの解答がないままなのを見てきました。それに関して、「これが最適の本ではないのか」と思える本の紹介です。

11011110 私は昔から「民主主義」というと、どうにも好きになれませんでした。昔学生運動の流れの中で、構造改革派の中で「民主主義学生同盟」という組織がありました。私はこんな連中がいるのが信じられなかった。だって民主主義とは思想ではなく、政治制度なのだから、マルクス主義とか社会主義と名乗りあげることとはかなり違うのですよ。もっとも、この党派はその後、右派(日本のこえ)と別れ、「プロレタリア学生同盟」なんて形容矛盾な名前の党派を名乗り、さらには、緑のヘルメットを赤くぬり、「赤色戦線」などという組織になってしまいました。簡単に潰れましたが。
 よく三派・全共闘といいますが、本来は三派全学連と全共闘は全く別のものです。全学連はあくまで各大学の自治会の総連合ですから、民主主義の手続きを着実に遵守します。全学連の集会では自治会をもっていない党派は発言権はありません。左翼というと、かなりでたらめことをやる感じがしますが、三派全学連はその意味では戦後民主主義の申し子でした。三派というと実は五派プラスその他もろもろいましたが、社学同ML派と、第4インター(社青同国際主義派)は、自治会を掌握していなかったため、発言権がありませんでした。彼等はどうしても発言するために、会場でゲバルトのやりあいをして、その事態を説明するという理由のもとに、発言を始め、彼等の情勢分析、闘争方針を展開したものです。

 全共闘は全学連を「戦後ポツダム自治会は終焉した」ということで生まれてきました。したがってまったく民主主義的な手続きなど関係なく行動します。私などは、ちょうどその両方にいますから、よくその違いがわかります。しかし私などは、この全学連での学んだことはかなり良かったことであります。すなわち、クラス討論をしたり、投票をしたり、多数派になるという訓練をかなり経験したからです。私は労働組合を作って元気に暴れたこともありますが、私はその中で一番の過激派でしたが、私が会議の司会をやると、会社側にも褒められたものです。よくあれだけきちんと双方に平等にやれるものだと。
 私は民主主義はあくまでルールなのだという認識がありました。したがって、守るべきとかこわすべきとかいう思想としての対象ではないと思っていました。
 しかしいまこの民主主義というものを、まともに把握できない層がかなりいるのをみて愕然とします。いったい義務教育でまともに学ばなかったのでしょうか。そんな思いのとき、ある人の紹介でこの本に出会いました。

書 名 民主主義は人類が生み出した最高の政治制度である
著 者 橋爪大三郎
発行所 現代書館

 なんだか題名が恥ずかしい気がして、最初は電車で広げるのが嫌でした。でも第1ページから読み進むうちに、これは全く私が持ってきた思いをそのまま展開している本であることに感動していきました。ぜひ多くの方々に読んで頂きたいなと思っています。

 「民主主義」の旗を掲げよう。
 それが社会の「理想」だからではない。「平和と民主主義を守ろう」
 というのでもない。とりあえずそれが、もっとも現実的な社会の運営
 方法だからである。

 これが最初の「はしがき」に書かれている最初の文です。これだけのことですら私は他では読んだことがないように思います。そして次の文、

 「民主主義」の前提は、人間一人ひとりが自分の生き方を考え、つき
 つめ、決してそれを他人に預けないことである。その上で、いまの社
 会制度に責任を持ち、必要ならそれを作り変えていくことである。そ
 ういう、思考の輪郭のくっきりした、人びとの格闘が、民主主義を支
 える。

 この文章こそ、まさしく私たちが義務教育で、中学3年生までに学ぶべき民主主義の意味だと思います。私は中学で社会科の先生に教えて頂きました。
  さてこの本の中で民主主義のことを中心的に書いてあるのは、「陳腐で凡庸で抑圧的な民主主義は人類が生み出した最高の政治制度である」という章です。

  政治とは《おおぜいの人びとを拘束してしまうようなことがらを、
 決定すること》、これにつきる。

  民主主義とは、《関係者の全員が、対等な資格で、意思決定に加わ
 ることを原則にする政治制度》をいう。

  民主主義は、人為的な制度である。人為的だから、人間の自然な感
 情に逆らっても不思議はない。。なんて憎たらしいことを言う奴、殴
 りつけてやろう、と思っても、そうはいかない。相手が言論でやって
 いる限りは、民主主義である以上、めいめいに自制が要求される。そ
 ういう努力を惜しまず、民主主義を守り育てていかないと、民主主義
 はすぐ民主主義でないものになってしまう。
  民主主義は、われわれがそれを自覚的に選択し、そのあとも日々選
 択しつづけ、意識的に手をかけてやらないと、存在できない。

 民主主義は手続きを重視する。民衆の意思決定を形成するための手続きが大事なのです。この手続きの正しさを踏みにじる傾向をなくすことが民主主義なのです。

  日本の(戦後)民主主義は、いくつかの理由によって、大変虚弱で
 体質の弱いものであること。そして率直に言って、「民主主義を守ろ
 う」とか「民主主義はは大切だ」と言ってまわっている思想家や団体
 に、ちっとも魅力がないこと。そういうイメージが民主主義にこびり
 ついている。だから、民主主義の肩を持つなんて、ちっともカッコウ
 いいことではない。
  けれども、われわれの民主主義を、せめてもう少しタフで成熟した
 ものに変えていくことが、いまの日本にとって重要だ。ちょっと考え
 てみると、そのことはよくわかると思う。もっと日本人は、おとなに
 なろう。政治の責任を分かちあおう。そのために骨身を惜しまない人
 間が、何千万人も出てこないと、日本は少しも生きやすい社会になっ
 ていかない。そして尊敬できる社会になっていかない。

 まさしく民主主義は守るものではなく、私たちが日々つくるものであると思います。陳腐なもので、そして政治であるから抑圧的なものであるとしても、私たちがつくりあげていかなければならないのです。
 なんだかこの本を読むと、誰でも頭の中が整理されスッキリした感じがするのではないでしょうか。そうです。こういう言葉であたりまえのことをもっと早く説明して欲しかったのです。

 私は今もいろいろなところで、驚くような誤解とつき合ってしまいます。国会や地方議会で行われているものだけが政治だと思い込んでいる人が大勢います。民主主義を素晴らしい思想だと堂々と言ってしまう人がいます。それが私よりも年上でしかも社会的にも「人を教える立場にある」人なのを見ると、心の底から嫌になってきます。「あなた方は一体何を学んできたのだ、そして下の世代に何を教えようとしているのだ」

  言わしていただければ、テレビ等々で感じるのは、民主主義の本質を理解できているのは、むしろ保守的な言動を言っている方のほうであり、左翼進歩派と思われるほうこそが「こいつ判ってねえな」と感じることがしばしばです。私はこの連中はむしろ左翼保守派とか左翼守旧派というべきかななんて思っています。でも中学3年生の段階で知るべきことなのになあ、と情けないと思うばかりです。
 だからこそ私は自分が関係するところでは、この民主主義のやり方を厳守するようにしています。今年夏に松戸自主夜間中学校に関する「松戸市に夜間中学を作る市民の会」の総会があったのですが、私が議長を担当しまして、このことは厳格に追及しました。また私は住んでいるところのマンションの管理組合の理事をやっているのですが、これまた総会(いろいろとみんなで決めなくてはいけないことがたくさんあります)にて、確実にやるようにしています。
 それから私自身の仕事である経営コンサルティングでは、株主総会等々ということで、これまた民主主義のやり方が大事なことになります。私は会社の取締役間の闘いの相談もよくあるのですが、基本は「株主の多数派が勝利できます」ということであるわけです。だが、当然多数派からの相談ではなく、少数派からの相談もあるわけで、そうした場合にこそ、この民主主義の手続き上の問題が、こちらの大きな戦術になります。
 また、私自身の家族でも同じだと思っています。3人以上の人間が集まる場所では、なんらかのことで意見が異なりかつ決定する必要があるる場合には(これは夫婦で決めていいこと、すなわち子どもには関係ない場合は別です)、やはり民主的な話し合いと手続きを遵守するようにしております。

 この本を書いた橋爪大三郎氏は現在、かなりな評論を書かれ、かつテレビにもよく出て来られます。私はかなり注目し、かつ評価しております。この方は実は私と同じ三派全共闘の活動家でした。左翼の活動家出身には、今もどうしようもなく訳の判っていない連中も多いのですが、こうして原則的な勉強をかなり着実にされているんだなと感じる人も何人かはいるものです。私は全面的に彼を評価するわけではありませんが(ときどき、これは私と意見が違うなと思うときがあります)、今かなり評価できる学者だと思っています。

 そのほかこの本の中で述べられている文章はすべてなかなか読ませる文章です。そしてこの文の表現方法も著者はかなり考えていると思えます。
 また読んで感心したところに次のようなことがあります。「正義の根拠はどこにあるのか?」という章です。

 「同じものは同じように扱う。異なったものは異なるように扱う」と
 いうものです。同じ人間なのに異なった扱いをして差別するのは不正
 義である。それとは逆に、たとえばハンディキャップを負っている人
 を健常者と同じように扱うのも不正義である。

 これはかなりあたりまえのことを言っていますが、これだけの認識に到達している人がどのくらいいるのかと思うと悲しくなります。性別人種民族宗教出身地学歴等々の違いで人を差別するのは間違いです。だが同時に車椅子に乗っている方たちを私たちが普通にその椅子を押さないことはこれまた間違いなのです。
 ここらへんのことは、家庭でも普通に教えていくべきことだと思うのです。
 何度も読み返していきたい本です。(1998.11.01)