将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:三浦和義

1112101111121201 昨日三浦和義さんがいわゆる「ロス殺人疑惑」という事件で、東京高裁の控訴審にて、無罪の判決がありました。一審の東京地裁では「無期懲役」の判決だったわけですが、まったくの逆転です。
 私はこのことで、強く思い出したことがあるわけです。それは1985年6月28日に行われ、「現代詩手帖」8月号に掲載された吉本(吉本隆明)さんと鮎川信夫の「全否定の原理と倫理」と題する対談のことです。のちに、この対談は次の本に他の3つの対談含めて収録されました。

書名  全否定の原理と倫理
著者  吉本隆明+鮎川信夫
発行所 思潮社
1985年11月30日発行

 この二人の対談の内容は、私にとって絶対に忘れられない内容なのですが、昨夜早々にベッドに入って、読み返してみました。
 そして読み終わったあとに、眠ろうとしても、次々に私の頭の中にこの内容と三浦事件のことが浮かんできます。眠っているはずなのですが、夢とも現実ともつかないように、浮かんできます。
 もうベッドを出て、リビングで寝ることにしたのですが、そこでも朝の5時まで、同じ夢を見ていました。夢とは、数々の吉本さんの言葉が、三浦事件の報道の新聞等々の活字の中に差し入れられた字のみの夢なのです。
 吉本さんと鮎川信夫といえば、実に気心の知れた友人同士でした。文壇がほとんどすべて「反核運動」にのめり込んだときにも(実にこのときの反核の署名には、日本で3千万人の人が署名したといいます)、二人とも適確な批判を展開していました。吉本さんにとっても鮎川さんにとっても、共に絶対に信頼できる相手だったと思います(もちろん、吉本さんにとっては大西巨人みたいな人も信頼できる人で当りまえの姿勢を貫いたわけですが、例えば親友とでも言っていい奥野健男は反核の署名をしてしまうわけです)。
 ところが、この二人が、この「全否定の原理と倫理」において、はじめて大きく意見が違ったのが、この三浦和義事件に対してだったのです。もともとは鮎川さんが当時の「吉本埴谷論争」への疑問から発しています。鮎川さんは、

  それは、埴谷のほうが、もうどうしようもないわけだけど、吉
 本さんがそこまでムキになって相手にする問題ではないんじゃな
 いの?

という気持があったと思います。吉本さんのほうは当然「そうじゃないんだ」というところなわけです。
 ところが、さらにこの三浦問題に関しては、それこそ鮎川さんはまったく吉本さんの言うことが判らないわけです。私なんかから見ても、鮎川さんともあろう人が、なんであんなことを言うのだろうか、としか思わないのです。鮎川さんは当時のマスコミと同じ視点で三浦氏を見ており、その視点から三浦氏を糾弾しています。吉本さんはそれに対して、それは違うよというスタンスで指摘していくわけです。私から見ても、どうして鮎川さんは、あんなになってしまったんだとしか思えないのです。

 吉本「鮎川さんの『疑似現実の神話はがし』の中の「批評と刀」
    や「文春」のコラムで扱われている三浦事件に関して、ぼくは
    鮎川さんに異論を持ったんです。(中略)それこそぼくが戦争
    体験から原則的に学んだところではね、つまり、本当に鮎川さ
    んが目で確かめ、手触りで確かめ、書類で確かめた上で、これ
    は確実だということがない限りは、人は人を犯罪者として否定
    してはいけないんだというのがぼくの原則の中にあるんですよ。
    仮りにその人が非常に確からしく犯罪者であったとしても、犯
    罪者であることはその人の死命を制することですから、これは
    もう本当に確かめてでなければそれを断定してもいけないし、
  また疑念を持ってもいけないと思うのですよ。(後略)」
(中略)
 鮎川「変な言い方かもしれないけれど、確証よりは、ぼくは人っ
    てものを見なけりゃいけないと思うの。ぼくの体験を言うと、
    どういうわけか以前、犯罪スレスレ人間をよく知っていたこと
    があったわけ。つまりわかるんだよ。例えば、人間にはどうに
    も隠せないものがよくあるでしょう。だから、こいつは人を殺
    した奴だなってことが確証がなくたってわかる場合があるの。
    (中略)三浦は様々な嘘の証言をしている。だいいち、常識で
    考えたって自分の愛人が行方不明になっている時、それを隠そ
    うとしたことはおかしいんですよ。行方不明になった愛人の捜
    索に協力するどころかそれをはぐらかそうとしかしなかったで
    しょう。まずぼくは人間としてこういう人は許せない。(後略)」
(後略)

 こうした内容でかなり二人は話続けています。私はどうみても、鮎川さんこそがどうかしちゃったんじゃないのかとしか読めてきませんでした。鮎川さんはこの本の最後で次のように言っています。

 三浦事件に関して、吉本と私の見解は、極端に対立している。
 (中略)
 三浦事件を、吉本がこのようなかたちで批判するのには、どうみ
ても out of character である。彼の見解が、本当にオリジナルな
ものであるかどうかに、私は疑いを持っている。あるいは私が間違っ
ているかもしれない。が、いずれはっきりする。

 私がいうとすれば、吉本さんの見解は決してオリジナルとかいうようなことではなく、あくまで原則的な見解であり、ごく普通の言い方です。まさしくそれが今「はっきりした」のではないでしょうか。
 この対談では、鮎川さんがなんだか、「死に急いで」いるような感じまで思ってしまいます。「吉本さん、もういいよ、俺は俺の思うところのまま行くよ」というような気がするのです。だが、私にはどう見ても無残です。
 この対談ののちに、もはや鮎川さんは吉本さんと再び会うことも話合うこともありませんでした。そのことを吉本さんが次のように述べています。

 鮎川信夫さん。
 死者にお別れするこの国の風習にしたがって、貴方への挨拶を申
し述べます。
 ほんとを申せば、もう一年余り前に、貴方は無言のうちに、わた
しへの別れの挨拶をされ、それは確実にわたしに伝わっておりまし
た。
 あるとき貴方は、善意の優しさを与えつづけるために、こらえに
こらえてきた長年の忍耐の辛さを放棄されて、本音の世界に入られ
たのでした。そのときから、貴方の晩年が始まったのだとおもいま
す。
 以後、貴方が書かれる時評の筆は冴えわたり、伸びのびとして表
情に溢れるようにおもわれました。それと同時に他者の心を自分の
なかに無限に繰りこんで、内部に均衡を作り上げる、かつての貴方
の方法とは異なった、即興の危うさのようなものも文脈のなかに混
じってゆくのを感ずるのでした。わたしは貴方が戦後にはじめて、
ご自分を野放図に解放されたのだとおもい、喜ばしさと一緒に、一
抹の寂しさをも覚えたのでした。
(「別れの挨拶──弔辞──」現代詩読本『さよなら鮎川信夫』思
潮社1986.12.17 「追悼私記」JICC出版局1993.3.25に収録)

 本当にこの対談が二人の最後だったのでしょう。このときには、夕方6時から実に5時間に渡る対談でした。そのあと、鮎川さんは吉本宅に一緒に訪れます。30分の約束だったのが、午前4時ころまですごしたようです。鮎川さんは吉本さんとは家族全員含めたつき合いでしたから、このときに和子奥様と、二人の娘さん(この二人がハルノ宵子と吉本ばなな)とも最後の別れを感じていたのではないでしょうか。

 今の今になって、私はやっと誰もがあの三浦事件を当りまえの視点で見ることができるのではないのかと思います。三浦さんという方は、確かに限りなく黒に近い人に思えたものでした。でもどんなにそう思えたとしても、私たちが彼を犯人と断定することはしてはいけないことなのです。そんなごく当然のことが深く確認できる時にやっと到達した思いがしています(上告審審議が続くのでしょうが、一つの結論は出たのではないのかな、と私は思っています)。
 今鮎川さんが生きていたとしたら、どのような思いを抱かれたことでしょうか。
 そんなことを私は夢の中でもずっと考えていました。吉本さんの弔辞の最後にこうあります。

  貴方の死と一緒に、戦後詩の偉大な時代が確かに終わりました。
                         (後略)

 このことが、今私も確認できたように思います。
      
 三浦事件そのものについて言えば、私は三浦さんが無実なのかどうかは、判りません。大久保さんは全くの無実でしょう。三浦さんについては判りません。ただたぶん無実ではないのかなあ、なんて気がしています。だが、法の建て前からいえば、三浦さんはこれこそ間違いなく、無罪です。これがどうして鮎川さんは判らなかったのかな。
 あれほどの詩と批評を書きながら、あの鮎川さんの晩年は無残としか私には思えないのです。だいいち、三浦事件って、そんなにまで鮎川さんが固執するほどの価値があったのでしょうか。

 ついでに、島田荘司がこの事件でノンフィクションを書いていまして、三浦和義無罪を主張(文庫になっていないから読んでいないため、詳しくは判らない。三浦さんは無実とまで言っているのかもしれない)しています。近ごろの島田荘司の発表する推理小説にはなんだか、その内容に呆れてしまうようなものを多々感じていましたが、これだけは、まだ彼が冴えているといえるのでしょうかね。(ただし、三浦氏はこの島田荘司の書く内容におおいに異議があるようです)。
 この島田荘司の内容についても、また少し検証してみたい気がしています。

b253dbb2.jpg 昨日は、ただただ驚きました。昨日はもう何も書けない状態に私がなってしまいました。三浦和義さんが、移送先のロスアンゼルスの警察の留置場で、自殺されてしまったというのです。
「なんで、こんなことが…………」という大変な驚きでした。
 三浦和義さんのことに関しては、これで、吉本(吉本隆明)さんと鮎川伸夫さんが別れてしまった原因でした。鮎川さんは、「三浦和義さんが、殺人犯人なのだから、許せないのだ」という態度であり、吉本さんは、「誰に対しても、犯人だと決めつけて、それを理由に相手を断定するのはいけない」という考えでした。
 私も数年前に、三浦和義さんにメールを送って、その返事をもらったことがありました。ただ、もう私の今使っているパソコンには、そんな昔のメールのログは残っていません。三浦さんに対して多くの方が非難をしていた頃だったと思います。数年前ですね。
 でももう、これであのもともとの事件が永遠に不明なものになってしまいました。
 今の私は、三浦和義さんの霊に、ただただ合掌するだけです。
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