将門Web

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Tag:三皇

12110912 一つ前の『史記五帝本紀の前の伏儀と女カ』でも書きましたように、この神についても司馬遷は少しも書いていません。司馬遷はあくまで人間の歴史が書きたかったのであり、「神とかいうのは、俺は知らないよ」と思っていたでしょう。でも私は敢えて「司馬遷『史記五帝本紀の前の燧人』」という題名にしました。
 ただし、前回と同様に、司馬遷は少しも記していません。だが私は司馬遷も少しは話を聞いていたと思うのですね。ただ人間の歴史しか興味のなかった司馬遷はまったく書くことはありませんでした。私は司馬遷が、「人間の歴史を書く(しかも紙にではなく竹簡に)のに忙しいのだ。神とやらには興味がない」と思ったように考えるのです。
 この燧人(すいじん)が、火をおこし、食べ物を焼くことを人間に教えたそうです。そうすると、『伏儀と女カ』で書いたように、「女カが人間を作った」その前に火を教えたなんて、なんだか私には理解できないのです。おそらく司馬遷もそれらのことで、「書けない」と思ったのではないでしょうか。
 これで私の書いてきた司馬遷『史記五帝本紀』は終わります。
 明日からは、人間の歴史である『夏本紀』になります。ただし、最初の帝の禹(う)も不思儀さを秘めている人ですよ。

12110804 今まで「司馬遷『史記』の五帝本紀のことを書いてきました。この中国の歴史(いや司馬遷は、これが人間の歴史というのでしょう)が、書いてきたように、五人の帝によって始まったのです。『史記』でも司馬遷は、そのように書いています。
 でもこの「五帝本紀」の前はいったいどうなのでしょうか。
  それは三皇の時代といわれますが、五帝と同じように、この三皇が誰であるかというのはいくつものことが書いてあり、それを整理するのも大変なのですが、私はいわば想像するのです。
 まず『史記』の五帝本紀の黄帝のところで、最初に書いてあります。黄帝がまだ少年の頃神農氏が天下を治めており、その神農氏に黄帝(まだ軒轅と言った)は仕えます。
  その神農氏は、最後の炎帝という帝でした、この炎帝は神農とも同じ神になっていることもあります。だが司馬遷はそこらへんははっきり書いていません。私たちには、頼るべきは司馬遷しかいないのですが、彼自身が書いていないのです。
 この神農氏の世で諸侯は互いに攻めあい世は乱れたが、神農氏では抑えられないので、黄帝(まだ黄帝とは名乗っていない)はこれら諸侯を討伐した。とくに蚩尤(しゆう)という凶暴な侯を討伐し、さらには神農氏の最後の帝王であろう炎帝の子孫を滅ぼします。 この炎帝とは阪泉の野で三度戦い、ついに勝利しました。そのあと、蚩尤と戦い、ついに滅ぼします。それでみんなが軒轅を天子と仰いだので、黄帝となったのです。
 司馬遷は三皇のことは、ここまでしか書いていません。
12110805 よく任侠映画で組の何かの儀式のときには、掛け軸で「神農大神」と「天照大神」がかけられています。また任侠の道を「神農道」といったりします。
 ただし、私にはよく分からない神でもあります。そもそも私は顔も想像できないのです。

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