将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:下駄

11122005 テレビの報道番組で、全国の「荒れる成人式」を見ました。「なんで、今の若い子は成人式なんて出るのかな」という思いで、この数年いましたが、それでも私の娘二人の成人式昨年とおととしには、あんなことはなかったようです。1年で若者が変わったのかな。
 さてそれで、高松市の市長は、このときに市長あてにクラッカーをぶつけた若者5人を告訴だか告発だかするそうです。「威力業務妨害」だということです。でもこれって、間違っていませんか。テレビで見ていた限り、あの程度の妨害なら、職員が5人でもいて、「コラッ! やめないか」と声をあげて、身体で止めれば防止できていたことですよ。それでもやるのなら、「威力業務妨害」だろうが、「暴力行為」だろうが、とにかく違法な行為をしているのだから、職員がその当事者の若者を逮捕すればいいんです。
 刑事訴訟法に

  第二百十三条 現行犯人は、何人でも、逮捕状なくしてこれを
                逮捕することができる。

                        (「周の刑事訴訟法」を参照ください)

とある通りです。誰でも逮捕することができるんです。それを、もう事が終わってしまってから、警察を使うなんて、どうかしています。
 これはこういうことですよ。目の前で、女性が暴漢に襲われて、それを何もしないで見ていたのに、あとから、告発するのと同じです。あとからでは、その女性が犯されてしまった事実は消えないのです。自分たちの市長が、無謀な若者に犯されたのを黙って見ていて、それであとからよくまあ告訴とか告発ができるものです。あの職員たちは、なんで身体で止めなかったの。それが仕事じゃないの。
 私周は、小男でして、武道も何もしたことがありません。ただし、過去これに類似したようなことがあったことが何度かありました。なんかの集まりで、どうしてか若い奴で、訳が分からないまま、結果としてその集まりの邪魔になるような行為をしちゃう連中がいるんです。私は必ず、出ていきまして、それを止めました。もう面倒だから、酔って分けが判らなくなっているようなのは、最初からいきなり顔を殴ります。いきなりやらないと、私よりでかい奴には敵わないからなあ。やるときは、もう10数発両手で殴るよ。下駄でもはいているとそれで殴ります。手でやると手がいたいからなあ。
 情けない大人たちを見ました。

23744c5e.JPG 昨日は2万歩を越えて歩きました。でもあるところで、「下駄じゃないんですね」と言われて、急に下駄が恋しくなり、家に帰って変えました。それでまた娘の家へ行きました。ポニョははだしで遊んでいました。でもそれに何故か習って隣の家の女の子二人もはだしになり、とうとうポコ汰もはだしになりました。
 でもじいじは家に入りました。もうじいじはよく歩いたのよ(常時万歩計を持っています)。自転車に乗るより、歩くのがいいのですね。
 写真は昨日6月21日に撮りました。江古田の武蔵野大学の正門です。ここで教えている私の友人がいるのです。(06/22)

09041105 私がこの「周の散歩」を万歩計をつけて歩き出してから、気が付きましたことは時間をかけて歩くことではなく、距離を歩かないとならないということです。それから、昨日は暗くなってから、下駄っぱきで歩いたのですが、これも駄目です。やはり運動靴でないといけません。
 やっと足袋を脱いで素足で歩ける季節になったのですが、いくら歩いても、09041108それほどカウンタが伸びません。
 それで、最初は午後6時10分頃から歩き出しました。その頃のカウンタは100くらいでした。まだほとんど歩いていなかったのでした。
 飛鳥山公園まで歩いて、そ09041110して帰ってきたのでしたが、まだカウンタは6,000代です。でももう妻が夕食を用意しているだろうからと、帰ってきました。
 そしてまた私は午後9時15分頃から歩き出しました。09041113今度は運動靴です。そして、どうやら30分ばかり歩きました。そしてなんとか、10,000歩をクリアできました。
 きょうからも、改めて運動靴で歩き続けます。
 写真は、最初の飛鳥山公園と、次に歩いた親水公園と柳田公園です。

1bf856ef.jpg アラスアラサンのカメとカエル に書いた中で、「下駄を購入にひらいやさんに行きました。」と書きましたが、そのときの下駄がここの画像です。店のおくさまがこの写真にあげた下駄を選んでくれました。
 私は常に下駄しか履いていないので(でもこのごろときどき靴も履きます。ポコ汰を自転車に乗せるときは絶対に運動靴です)、思えばどのくらいの期間履いているのか判らないので、領収書をもらうことにしました。そうすれば日にちが判ります。あ、でもこうしてブログの日付でも判るのですね。
 いつも、下駄を購入するときのおくさまとの僅かな会話が私は大好きです。

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 ナミちゃんのブログこのUPがありました。

雨の上野へ・・国立西洋美術館へ。
ヴィルヘルム・ハンマースホイ展へ。

 私は美術なんて皆目判らない人間です。でも、そん私でもナミちゃんがこうして紹介してくれていると、見に行きたくなります。ちょうど昨年も行ってきたものでした。
 こうして紹介されていると、大変に刺激を受けて、自分でも見に行きたくなります。あ、でも昨年は、履いている下駄が注意を受けたのでしたね。

雨の上野・・上野は常緑樹も多く緑の中の銀杏がかなり色づいていました。
週末の上野公園は随分な賑わい・・今都美術館ではフェルメール展もやっているのでなかなかの人でした。。

 下駄は、足袋を脱いで、靴下をはけばいいのですから、いいのですが、問題は実際に行く日時なんですね。ちょっと思いあたらないのです。でもなんとかいってみよう。

 ナミちゃんは、こうしてちゃんと美術を見ているから、素敵な女性でいられるのですね。私もまねっこしなくちゃと思いました。

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7812431a.jpg ここの写真に掲げた靴が、15日に赤羽のイトーヨーカドーで手に入れた私の靴です。私はいつも下駄を履いていますが、でも下駄で孫を自転車に乗せては駄目だと言われています。実は、私は靴よりも下駄のほうが歩くのには、転ばない気持があるのですが、でも周りのみんなの信用が大事なことです。
 それでもうこの靴を履いて、あちこち歩いています。靴というのは靴下を履かないとならないので、少し面倒ですが、もう仕方ないですね。
 でももう私の妻もばあばとしてポコ汰を自転車に乗せているのですが、私はどうにもまだ信用がないのです。
 思えば、私はずっと下駄で歩いてきた人生でしたね。

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 この下駄を今履いて歩いていますナミちゃんから、次のコメントがありました。

1. Posted by なみんと    2008年07月23日 22:21
周さん〜今晩は〜☆★
素敵な下駄ですね。。
鼻緒の柄は矢絣かしら。。
洒落ています。周さんの雰囲気にあっているのではないでしょうか。
千駄木根津谷中日暮里西日暮里。。いいですね〜。数ヶ月前になりますが三河島から西日暮里の駅前を通って上野方面に出ました。
やっぱり。。好きです。

 えっ、「矢絣」なんてことはまったく知りません。今インターネットで検索して驚いたものでした。私しゃ、何も知らないのね。ナミちゃん、こういう阿呆にいっぱい教えてくださいね。
 三河島は、私の長女の教えている学校がすぐ近いのです。同僚には、我孫子から通っている先生もいます(この方が私の姪のみーねえと同じマンションなのです。それにみーねえの子どもと同級生の子どもさんもおいでになります)。
 でも上野までだとけっこう時間がかかるんじゃないかな。私の女性の友だちでも、湯島の会社からときどき根津千駄木谷中を歩いて日暮里まで行く方がおいでになります。いろんな街でいろんな店を知るのも実に素敵な思いです。そして私はその街をこの下駄で歩いているのです。

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d1024531.jpg ここに掲げた画像が、7月1日に購入した下駄です。ちょうど千駄木「浅野」に入りまして、すぐに三崎坂の「ひらいや」へ行きまして購入したものです。この店のホームページは、私のこのブログのサイドバーにバナーを置いています。
 私はいつもここで下駄を購入し、そして前の下駄と交換しています。
 それでこのお店で女将さんとお話しまして、彼女が私と同じお歳だということが判りました。私と同じ昭和23年生まれなのです。
08070202 しかし、もうこうして下駄に履き慣れると、もう靴を履く気持になれないですね。

4bc67c6d.gif 北陸大学教職員組合の友人からの年賀状 で書いたのですが、この友人の所属する北陸大学教職員組合のバナーを私のこのブログのサイドバーに置きました。「バナー」ではないのだと思いますが、とくにバナーがないみたいなので、文字でリンクするのもあんまり格好よくないしと思い、こうしました。大学の写真だろうから、わざわざこうしているのかなあ。いえ、あんまり目立たなくしているのかなあ。

          http://www.hussu.jpn.org/   北陸大学教職員組合

 前々から北陸には、旅行したいと考えていましたが、行ってみたくなりました。でも思えば、私はいつも下駄で歩いているから、雪が降っているのだろうから大変かなあ。

d35e8cc3.jpg メールをしましたら、すぐに返信が来まして、私はすぐにジャパンネット銀行から振込ました。もうすぐ出かけますが、郵便局や銀行に行って並んで振込するのは、実に大変です。だって私はあのATMでやると間違えてばかりなのですよ。
 だから、こうして自分のパソコン画面でインターネット上でやれるのが一番いいです。日本橋の混んでいる道を自転車で走って並んで、時間を気にしながら振込をやるのは、もうたくさんです。日本橋でもどこでも自転車でも、自分の足で歩くのも、気持よく愉快にやりたいものです。私は下駄ですからね。音をたてて愉快に歩きたいのです。

 でもこうして、すぐに返信をくれるのはいいです。それにグーグルメールは実に便利ですね。口座番号にしろなんにしろ、私はみなマウスでコピーして済みました。

 つまり私は文字を書いていないのです。振込金額ですら私は、相手の数字をコピーして貼り付けました。

 「周の掲示板」の支払いをしなくちゃあ へ

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9b7e2435.jpg 先週12日に、ここに写真を置きました下駄を買いました。これはクライアントからのからの帰りに、谷中により、「谷中工芸展」でのいくつかの店を見たあと、前に 下駄を千駄木夜店通りで見つけた で書きました店で買ったものです。
 このお店は、長くおやじさんが病気で休んでいたのですが、しばらく前から開店しているようになっていました。それでやっとこの12日にこの下駄を買えました。これはおやじさんが選んでくれたものです。この下駄は2,000円です。ただし、写真は昨日の夜撮ったものです。
 もう私は嬉しい思いばかりでした。
 この下駄を買って、その下駄を履いて、私は近くの アラスアラサンで、携帯電話入れと、名刺入れ(この名刺入れの中は、こうなっています)を買いましたものです。
 そしてそのあと、古書店で本を買って、浅野で飲んだものです。アメリカ人のラスベガスから来ている老年のご夫婦も来ていました。何か話したような気がしますが、記憶がとだえています。

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 私はずっと下駄を履いています。これでどこへでも行きます。でも困ったことが起きました。 そのうちに私の孫ポコちゃんも保育園に通うことになります。私の二人の娘は、最初から小学校に入学するまで、保育園に通っていました。これは私の両親がいつも自転車に載せて送迎していてくれました。
 もちろん、私もそういう気持でいるわけですが、長女は「パパが下駄だから、危険なので、頼まない」と言われているのです。私はいかに私の下駄のほうが安全なのか、私は靴だと替えって転んでしまう危険があるということをいうのですが、全然耳を貸しません。
 それで、私はここで、断乎下駄の偉大サをさらに強調するのかというと、実はそうではありません。娘がいう「スニーカーを履きなさい」ということに、もうすぐに従う気なのです。もう私はポコちゃんを保育園に毎日連れて行き、連れて帰ること(妻と交代でやることになるでしょう)をもう夢見ているのです。
 それで私は、長女にいいました。

 じじも、スニカーを履くから、ポコちゃんを保育園に送り迎えさせて

 それならいいということになったのですが、私がさらに

 でもスニカー屋って、どこにあるの? あったら買いに行くから

といいますと、「スニカー屋」というのはないそうです。運動靴屋でいいそうです。スニカーというのは運動靴なそうです。私はてっきり、スニカーというなにかナウイものがまた別にあるものだと思い込んでいました。運動靴でいいのなら、どこにでもあるじゃないか。
 なんだ、たいしたことじゃないのね。
 もう私は、スニカー履いて、ポコちゃんを自転車の後ろに乗せて保育園に通います。あ、もちろん最初は、自転車には乗せませんよ。
 自転車に乗せるのは、少し大きくなって、かなり練習してからです。

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20719dfc.JPGと言われました。

   これは新聞の折込チラシです。このチラシに載っている男が私に似ていると、長女は言います。でも私はこんなに若くないのですね。

 それと、この印刷、何故か版ずれしています。なんでかなあ。このイラストの男だけ版ずれしているんだよなあ。

  谷中の町を歩いているときに に書きましたが、私がこのとき行ったのが、このお店でした。

   オーダーメイド下駄・草履のひらいや

 ここは、前に 谷中で下駄屋さんを知りました で書きました下駄屋さんでした。これは3月9日に始めて行きまして、購入して、そのときから履いていたのでした。
fdece8fe.jpg ここで購入した下駄が、この写真のものです。
 この前に行って購入したのが「いつかなあ?」と判らなくなっていたのですが、このブログで書いていることで、3月9日だと判りました。そして翌日から履いていました。そうすると、私はちょうど4カ月と10日履いていたのですね。

 きょう少し飲みましたが にも載せましたその下駄の画像をここにも掲げました。
 実は私は、もう先日革靴を履いて歩いてみて、靴ではうまく歩けなくなっている自分に気がつきました。
 いや、これはまずい事態ですから、靴でも普通に歩けるように訓練するつもりでいますが、もうだんだん、とんでもないじじいになりつつありますね。いや、おそろしいことに私はこけて転んでしまうのです。
 でもこのひらいやさんで、下駄を買う瞬間のわずかな時間がとても貴重なときに思えたものです。

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 きょう少し飲みましたがナミちゃん が次のコメントをくれました。

1. Posted by なみんと    2007年07月24日 00:48
素敵な下駄ですね。鼻緒の色は焦げ茶ですか。
周さんはずっと下駄なんですね。ところで「飯田どじょう」というお店有名なところみたいですね。

 ありがとうございます。
 そうですね。私はずっと下駄です。学生時代は、ずっと下駄でした。この学生時代というのは、私の中学生の頃からのことです。大学でも下駄でしたが、デモ行くときは、さすが靴だったなあ。
 実は昨日谷中でこの下駄は買ったのです。それまで履いていたのは、この購入した店(このお店は、ここのサイドバーにバナーが置いてある 下駄・草履のひらいや さんです)で廃棄しました。このお店のご主人であるおかみさん(この方が実際に下駄を作っています)との会話が実に愉しかったです。

「どぜう飯田屋」に始めて行ったのは、たしか大学5年か6年のときでした。ただあの頃の店よりも、大変に綺麗なお店になりました。その綺麗な店になってから、もう何度行っているのかなあ。それとあの頃よりもお酒がいいですね。あの頃の日本酒は、私はあまり気に入りませんでした。
 私は泥鰌が好きで、同じく浅草駒形の「駒形どぜう」も好きです。たしか2年前に行きました。連れて行った女性が大変に泥鰌が美味しいと言ってくれました。両国の「桔梗屋」も好きです。
 こうして、泥鰌が食べられるのは、関東だからこそだという思いがあります。私はもともと泥鰌が好きになる女性は美人ばかりだという思いがありますよ。

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  赤羽のイトーヨーカドーへ行きました。前にも行ったときにも感じていたことなのですが、赤羽は変わりましたね。そのことを何度も確認しているのに、私はまたそのことに驚いています。
 それで長女夫妻にベビーカーを買いました。ポコちゃんをこれで乗せて歩いてほしいからです。いえ、実はもう私はこれを押して歩こうと考えているのですが、長女のところへもっていきましたら、ミツ君が懸命にいろいろと動かしています。もちろん、それは私は折込ずみです。私はあとで彼に教えてもらえばいいと思っているのです。
 でも、長女は、「パパには使わせない」と言っています。「エーっ!」というところです。「だって、パパは下駄で押して行く気でしょう。下駄じゃ、転ぶでしょう」というのです。もちろん、私は下駄で歩きますが、「下駄だから転ぶ」なんていうのは、偏見ですよ。
 本当に本当にこうした偏見には困ります。

 下駄で歩いているじじを見れば、ポコちゃんはいつも喜ぶはずです。

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 私は 由比ヶ浜大通りで買った下駄 で書きましたように、この下駄をこのところずっと履いていました。でもこればかり履いているので、だんだんと下駄がちびてきました。さて下駄を買いたいのですが、王子のどこでも売っていません。着物を売っている店はいくつかありますし、そこで足袋は買えますが、下駄はありません。雪駄は売っていますが、下駄はないのです。
 それで、またこの下駄を買うために鎌倉の由比ヶ浜大通りまでいくかと思っていました。
 ところが、12日の夕方、千駄木の浅野に行くときに、夜店通りで、この下駄屋を見つけました。また違う日に来ようと思いましたが、自分に「違う日っていつのことだ」と自問して、また戻って店に入りました。
 店のおやじさんは、すぐにこの写真の下駄を選んでくれました。今思えば領収書をもらっておけば良かったな。領収書があれば、その店の名前も住所も判るからです。今では、もう店の名前すらわかりません。

 浅野で飲んだあと、もう1軒行こうと歩くなか、「そういえばさっきの下駄屋さんはここらへんだったよなあ」と思って道を行き戻りしましたが、もう日が暮れていて、お店も灯を落とすと、もう判らなくなってしまうのです。
 ここの画像が、その私の買いました下駄です。でもとてもいい下駄です。2,000円でした。
 また近いうちに買いにいかなくちゃと考えています。

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 やはり、足袋にしてからいいですね。義弟と妻が日本キリスト教団王子教会の「召天者記念礼拝」に行くのに、忘れ物をして午後12時ちょっと前に私が届けました。
 またたった今は、王子郵便局とサミットストアにも行きました。足袋をしていると、実に軽快に自転車で走れます。
 こうして、王子の街をあちこち走っていますと、実にいい街だなと感じます。

 今この王子教会のブログを読みまして、11月12日の週報コラム「ひだり手」で次を読みました。

★王子教会の礼拝の説教で丸2年をかけてマルコによる福音書を読んできました。今日でマルコによる福音書を全部読み終えることになります。改めて読み通してくる中で、新たに気づかされたこともありました。
★マルコによる福音書は他の福音書に比べて、イエス様の「言葉」よりも、その立ち居振る舞いに焦点が当てられていることが多いような気がします。

 思えば、私が聖書では「マタイ伝」の次によく読みましたのは、この「マルコ伝」でしょうか。

 以下マルコ伝の第15章です。

三時にイエス大聲に『エロイ、エロイ、ラマ、サバタクニ』と呼ばわり給ふ。これを釋(と)けば、わが神、わが神、なんぞ我を見棄て給ひし、の意(こころ)なり。傍らに立つ者の或人々これを聞きて言ふ。『見よ、エリヤを呼ぶなり』。一人はしり徃きて、海綿に酸(す)き葡萄酒を含ませて葦につけ、イエスに飮ましめて言ふ。『待て、エリヤ來りて彼を下すや否や、我ら之を見ん』。イエス大聲を出(いだ)して息絶え給ふ。聖所の幕、上より下まで裂けて二つとなりたり。イエスに向ひて立てる百卒(ひゃくそつ)長、かかる樣にて息絶え給ひしを見て言ふ『實(げ)にこの人は神の子なりき』

 でも、もう少し引用したいのですが、やっぱり文語で舊字で書くのは大変なんです。
 思えば、学生運動をやっている学生の頃、少しのキリスト者に会って話をしたことがあるけれど、もう少し話しておけば良かったな。

 あ、足袋をした下駄で自転車で走るのはいいなあ、という話から違うことになってしまいました。

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 私は昨日夕方、妻に言われましてビールを買いに(義弟が四国から来るからです)、王子駅前の東武ストアまで行きました。自転車に乗っていきますと、すぐそばです。

 でも当然そのときは、下駄を履いていきました。この下駄は 由比ヶ浜大通りで買った下駄 なのです。でもそこに次のように書きましたように、

 さて、これで王子の街を歩くぞという気持でしたが、ところがところが今の都会は大変ですね。面倒ですね。

 下駄には問題があります。

1.今のマンションのようなところでは、実に歩くと、音がうるさく聞こえてしまうことです。
2.秋から冬になると、素足では大変に寒くなる。

 まず1は、どうしても気になってしまいます。大変に音が大きい。今はこうしてどこもちゃんとした床になっちゃったからかな、なんて思いました。このマンションの廊下も玄関も大変に大きな音がしてしまいます。いや街自体がそうです。それで、どうしても意識が委縮しがちです。
 2の寒さのことですが、学生の頃は真冬でも雪の上でも下駄だったのですが、よく平気だったよなあ、と思いました。でも、もう私は孫がもうすぐできる歳です。そうしたら、目森一喜さんから、足袋を履くことを勧められました。それで我孫子の自宅へ行ったのですが、先週行きましたときには、すっかり忘れ果てていました。それで、昨日ブルータス用のテレビ受取に我孫子の自宅へ行きましたときに、この足袋を2足持ってきました。
 それで、この昨日夕方始めて足袋を履いて下駄で自転車に乗りました。実に快適です。この2の問題は解決です。

 それで王子の街を自転車で乗って走っているときに、下駄を履いていた学生のときを思い出しました。
 今の王子のマンションの廊下を私が下駄で歩くと、大変にうるさいなという思いです。でも思えば、私が学生時代下駄で歩いていたときも、考えてみればうるさかったはずです。埼玉大学の校舎でも、私の下駄の音はうるさかったのでしょうね。あの頃は全然そんなことを気にしていなかったのです。思えば、いけない学生だったなあ。
 私は教育学部の中学校課程の社会科専攻生で、東洋史専攻でした。それで私の卒論は、一人の先生が担当でした。私が6年のときは、私だけが卒論専攻なので、あの先生はいつも困っていたようです。そもそも私がいっこうに先生の研究室に現れないのです。
 あるときに、自分の学部の前を歩いていたら、地理のN先生といういい先生が、「こら萩原、E先生が君が来ないから困っているよ。あの先生は下駄の音がすると、君じゃないかと研究室を飛び出しているんだ」と私の身体を捕まえて、手をひっぱってそのE先生の研究室に連れていきます。
 そこで、その研究室に入ると、その先生が、「一体今年は卒業する気があるのか」と聞いてきます。私は「まあ、どっちでもいいんです」なんて言っていますと、

 それじゃ、大学は8年いられるから、まだいいんだよ

というので、私が

 じゃ、来年は7年生だから、あんまり授業もないから思いきり暴れてやるかな。この校舎も封鎖されたことないから、私がやるかな…。

というと、

 やっぱり絶対卒業してくれないと困るよ。

というのです。思えばいい先生だったな。
 それからだんだん思い出すと、私より2年下の同じ専攻生の女の子たちが、この先生が飲み会で帰ってしまうときに、「本当につき合いの悪い先生ね」と批判していたのを思い出します。いやそんなことないよ。彼はいい先生でした。彼の専門のモンゴル帝国時代の東西交流史の内容も私は詳しく思い出します。

 私は昨日自転車の上で、その女の子の思い出の中の顔に、「そんなことないよ、いい先生だよ」と話しかけていました。
 思えば、あのE先生は、学内で学生運動で集会等々が開かれると、いつも私の姿を探していたんだろうな。でもそのそばに行くのは、怖いし、そして宴会ではいつも私の詩吟と軍歌をいやというほど聞かされていたことでしょう。
 私はそういう宴会の場にいつも着物姿でいきましたから、ようするに、いつもわけの判らない学生だったろうな。
 あ、あの先生と偶然会ってしまうことを想定して、「元朝秘史」を読み直しておこう。

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 昨日外出したときに、私はいつものように下駄で出かけました。でも、きのうはまだ11月なのに、けっこう風が冷たいのです。下駄を履くというのはけっこう大変なんだなあ。
 学生のときから就職しても下駄でいましたが、あの頃が真冬でも下駄で平気でしたが、この歳になると、冬に下駄で貫徹するのは大変なことですね。今も部屋の中にいるのに、素足だと冷たいです。

 こういうことで、年齢を感じてしまいます。

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 私の 由比ヶ浜大通りで買った下駄まっくまっく のプラムさんからコメントをいただきました。

1. Posted by プラム    2006年10月27日 13:46
周さんが、下駄が無いって騒いでいたので、気にして靴屋さんの前を通ると覗き込んで見るとあります、ありますよ。
人形町駅すぐ側の草履さんには、どっしりした高そうな下駄が並んでいますよ。
春日部でも見かけたよぉ〜。
でも、今回買った下駄は鎌倉でのものだから、履くたびに鎌倉を思い出しませんか。
あ、鎌倉を下駄で歩くのもいいかもしれませんよ。

 ア、そうか、人形町ならあるんだ。ちゃんと見ておけばいいことですね。今住む王子も、私の自宅の我孫子も、下駄を売っている店は思いつきません。
 私が最初に鎌倉に行きましたのは1970年の8月だったと覚えています。私は大学4年生でした。その後大学5年、6年と何度か鎌倉を歩いています。そのときはすべて下駄を履いていましたよ。
 私は京都の街も、沖縄の街もすべて下駄を履いて歩いていました。鹿児島に行ったときに、私の中学時代の友人たちが、「あ、今も下駄履いて、歩いているんだ」と驚いていたものです。あれは1974年の5月のことでしたね。

 これからあちこちを下駄で歩くつもりでしたが、例えば、今住んでいる王子のマンションなんか、下駄で歩くと、廊下での音が気になるのですね。

 それとやはり、着物で歩くことだよなあ。私は大学5、6年の頃は結構着物姿で歩いていたのですが、もうそういうこともなくなってしまいましたね。第一、今はノートパソコンをいつも背負って歩いているじゃないですか。あれを着物ではどうするかというのが問題です。いえ、実は創作着物を作っている方に相談したことがあるのですがね。
 彼女考え込んでいたなあ。
 私はね、着物でも似合うリュックサックを作ってほしいのですね。

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 私はずっと下駄を探していました。
 しかし下駄がないのです。まず下駄屋がありません。それから和服の関係の店でも雪駄はありますが、下駄はおいていないのです。これは浅草まで行かないと駄目かな、なんて思っていました。
 私は中学生のときから下駄でした、もちろん、中学校へは運動靴でいかなければなりませんが、普段は常に下駄でした。
 高校に入学した鶴丸高校でも、運動靴でしたが、生徒会で、生徒が下駄を許可しろと大声でみんなで叫んでいたのを覚えています。当時新設された鹿児島中央高校では、皮靴をみな履いてもいいようになっていて、それが高校の一つの売り物だったようですが、鶴丸高校では、みな下駄を主張していたのです。

 その後、私は横浜の横浜東高校に転入し、でもここでも普段はずっと下駄を履いていました。そして大学もずっと下駄でした。
 でも思いだしても、私はどうだったのか思い出せないことがあります。いつも下駄を履いていたのに、いざデモへ行くとなると、運動靴だったわけですが、運動靴はどうしていたのかな。どっかに置いていたのかな。大学内にずっといたわけだから、どっかに置いていたのかな。
 東大闘争に行ったときには、一体下駄はどこに置いていたのかな。今もこれがさっぱり解明できません。
 それで府中刑務所から保釈で出所して、また逮捕され、また保釈で出所した70年の4月の頃は、赤羽の雪印でアルバイトをしていましたが、あのときは下駄だったと思いますが、靴はどこに置いていたのでしょうか。靴がないと、デモとかゲバルトのときに困るよね。どうしていたのかな。
 北浦和の路上で、何故だったか民青の阿呆を、下駄で殴った思い出があります。だって私よりがたいのいい男なんだもの。下駄で顔を殴ったら、次には警官を連れてきたものでした。

 それで就職しても、相変わらず下駄履いていました。会社の面接受けるときも下駄でしたね。
 沖縄へ行ったときに、さらに南島へ行くときに、南西航空のエアーホステスが私の下駄を見て困っていました。でも仕方ないからそのまま乗ったと思いましたね。

下駄2 この写真の下駄を鎌倉の店で買いましたときに、ご主人は嬉しそうな顔をしていましたね。ずっと解説をしてくれました。でも私は、ずっと昔から履いているのだから、そんなことみんな知っているんだって。でも私は嬉しいから、お話を聞いていました。
 あ、この店の名前ですが、今調べても判りません。領収書をもらっておけば良かったな。しまったなという思いです。あ、また下駄を買いにいけばいいのか。

 さて、これで王子の街を歩くぞという気持でしたが、ところがところが今の都会は大変ですね。面倒ですね。

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