11101508 私はどうも酒をひとに注ぐのが苦手です。学生を終り、社会に出て、なんとか仕事上で飲む時に、なんとか相手に酒を注ぐことを覚えました。しかしどうにも面倒ですね。親しい人だと、もう最初だけはお互いにつぎますが、そのあとはもう何も気にしません。手酌もあるし、相手につぐこともあるしというところです。
 まあ相手に酒をつぐことが必要なのは、最初の時と、相手が女性の場合、時にはつぐようにします。やっぱりどうにも、いまも女性が独りで手酌する姿には、

  こんな女に誰がした

というようなメロディが浮んできてしまうからです。

 私の大学時代には、なんといっても飲めない人間とはひとりも会ったことがありません。大学へ入学したころは

  ワタシ、体質的にお酒はうけつけないの

といっていた、女の子がそのうち大学3、4年になるころには何故かすすめないと、手酌している姿を何度も見ることになったものです。彼女は体質が合わないのだから、私たちはけっして飲まそうとしたことなどないのです。でもいつか自分ひとりで口にするうちに、どうしてか酒が体質に合ったのか、体質が酒に合わせたのか、彼女たちも単なるのんべいになっているのです。  ときどきいまでもそんな彼女たちに会うと、いまでも「お酒はあんまり好きじゃないの」といいながら、けっこういつまでも一緒に飲んでいる彼女たちの姿があります。別に私たちは、いまでもけっして酒をすすめません。酒を注ぎません。だってそんなのもったいないもの。酒が好きでないのなら、それはいいことなのです。本当なら、世界の酒は減らないのです。
 私たちがどうして、酒を相手にすすめないかというと、やっぱりひとことでいうと、

  みんな貧しかった

ということがあると思います。貧しくて、みんなバイトばかりしているのに、それでも酒を飲んでいたという思いがあります。だから飲むときは、自分で勝手に飲めばいいので、相手に注いでいる余裕は無かったように思います。それに第一、他人(ひと)に酒を注いでいたら、自分の分がなくなってしまうのです。
 私のかなり何年か下に丹保君という、今は石川県の田舎で教員をやっている後輩がいます。彼は、埼大のむつめ祭の委員長をやりましたし、私がやっていた進学教室でもいい先生でした。ボクシングの4回戦ボーイもやっていました。落語研究会に所属していて、とても気持のいい、いい男でした。ただ問題がありました。大酒飲みなのです。
 彼が大学に入学して、最初の落研の歓迎コンパのときに、大量の一升ビンを前にして、新入生の彼は声をあげました。

  え、こんなに酒飲んじゃっていいの?

その声が異常だったため、これまた私の後輩である牧野という当時の落研とむつめの親分が、

  おまえ、飲めるもんなら、いくらでも飲んでみろ

といったそうです。丹保君は、「ほんとにいいんですか?」と確認したのちに、やにはに一升瓶に口をつけました。
  ………………………………、そしてとうとう彼はその一升を飲みほすまで、口を離しませんでした。……………、そしてその日丹保君は一人で、2升7合の酒を開けたそうです。そして、そのとき彼が口にしたのは、鯖の水煮缶1個だといいます。そののちから、埼大関係の飲み会では、彼がくるとなると、酒を隠すようになりました。

 そののち私も彼と始めてむつめ祭で会いました。私はうわさはきいていたのですが、会ってみてびっくりしました。酒を飲むのが、ちょうど喉が乾いているときのコーラやサイダーを飲んでいるような感じなのです。

  おいおい、そんなに飲まれちゃ、世界の酒が減る、もっと味わっ
 てゆっくり飲め

と非常にあせったものです。
 彼が一番の横綱でしたが、とにかく酒のみばかりでした。だから、人に酒をすすめるという風習はどうにもなりたたなかったのです。だから、「一気飲み」とかいう風習もまったくありませんでした。誰がそんなこと許してしまうのでしょうか。みんなそんなことやったら、もう酒が無くなってしまうではないですか。
  こんな空間にいたからでしょうか、いまも人に酒をすすめるのが苦手です。それでも社会へ出て、なんとか人に酒を注ぐことも覚えましたが、どうやら酒を注ぐより、注がれる立場になることが多く、これはどうやらうまく立ち回ってしまったなと思っています。