将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:中島敦

2017052421  この作家は、1909年5月5日〜1942年12月4日の生涯でした。もっと生きてくれたなら、どんなにいい作品を書いてくれたことでしょうか。
だが私は、当初この作家の作品をここで書くのに、何を書いていいのか決まりませんでした。
最初は、『光と風と夢』を考えたものでした。でも私には内容が思い出せません。書いていくうちに思い出せると思ったもので11031701したが(それがいつもの私のやり方なのです)、ここで『李陵』を思い出しました。でも書き始めてしまうと、『名人伝』『弟子』などを思い出します。そして『山月記』の文章が私の耳に迫ってきます。そして、『悟浄出世』『悟浄歎異』で沙悟浄の思いも甦ってきます。
そうですね。沙悟浄を思い出しましょう。私は前に、以下を書いています。
    中島敦の『悟浄歎異』

私は『西遊記』の中では、この沙悟浄が一番不可解なのですね。そもそも彼がどんな化物なのかということもよく判りません。彼は日本の物語では「河童」ということになっていますが、中国には河童なんかいません。
そして彼はいつも荷物持ちで、馬と一緒に留守番ばかりさせられています。この物語の、孫悟空、猪八戒、三蔵法師のように性格がはっきりしていなくて、何を考えているのかも判らないのです。ただ、この中島敦の小説で書かれることにより、この沙悟浄のはっきりした性格が私たちにわかってきたかと思っています。
沙悟浄が孫悟空と猪八戒の化かし合いの闘いを練習を見ている視線が私にはしきりに思い出されます。
中島敦がこの二篇の小説を書いてくれたからこそ、私たちは沙悟浄を知ることができたのだと私は思っているのです。私が高校1年のときに中島敦はそのほとんどの作品を読んだものでした。

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10101213 だんだん、自分のUPしたことを読んでも、この中宮崇という人物の言うことに腹が立ってきました。

明確な障壁や葛藤が時代ごとに存在した欧米と違って、日本の純文学ってのは、主に個人的な心の葛藤ばかりを扱っており

 これは例えば、欧米の文学ではどれを指しているのかなあ。日本の純文学って、誰等の文学をいうのでしょうか。

漱石なんてクズニートだの甘やかされたどら息子とかの話ばかりだし、太宰なんていうまでも無いでしょ。例外は、悔しいことに、支那文学を下敷きにした芥川や中島敦などのごく一部だけでしょう

 ここでいうこの漱石の作品を具体的にあげてくれないだろうか。「話ばかりだし」なんて、私は漱石の作品に「クズニートだの甘やかされたどら息子」の話って、なんの作品なのだろうか。全然思い当たりません。ちょっと中宮崇という人物はひどすぎます、馬鹿すぎるのじゃないのかな。
 芥川龍之介の支那文学を下敷きにした話って、何をいうのかなあ。「杜子春」って、中国のモデルになった話は、女にさせられてしまう話で、芥川のとはまったく違います。
 それに中島敦の支那文学を下敷きにした話って、何ですか?例えば、『李陵』なんか、下敷きの話は中国にはないですよ。司馬遷、李陵、蘇武の物語を描いていますが、あの物語は中国にはありません。中島敦が『悟浄歎異』・『悟浄出世』を描いてくれたおかげで、沙悟浄は、どうやら、どういう怪物かが判ってきて、でもこの日本では河童と言われるだけです。中国には河童なんかいません。
 もうただ呆れはてたばかりです。

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 今みましたら、以下しか書いていないのですね。このあと、読書さとうに「中島敦『悟浄出世』『悟浄歎異』」を書いたのでした。

2010/04/10 06:47土曜日ですね。これから、このポメラで「読書さとう」を書いて行きます。

 中島敦は若くして亡くなっているのですね。思えば、私なんか、ただただ生きてきたのですね。無駄かな。

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中島敦の『李陵』で知られている李陵の詩です。この作品の『李陵』には、主人公李陵のほか、先に匈奴に使いして、北辺に閉じ込められる蘇武と、この李陵が匈奴に下ったことを非難する多くの中で、普通に弁護したために、宮刑にあってしまった司馬遷のことが書いてあります。
李陵は、漢の将軍として5千の歩兵を率いて匈奴に遠征しますが、匈奴の8万の騎兵とよく戦い、しかしついには匈奴に降ります。やがて匈奴の王の単于に丁重に扱われ、だがために漢では彼の家族はみな武帝の為に殺されてしまいます。
でも実は彼がこの匈奴に下る1年前に漢の使者として来て、捕まり北辺(シベリア)に囚われている蘇武がいました。
そして実は漢には、李陵を当たり前に弁護して、宮刑に会ってしまった司馬遷がいたのです。
このことは、以下の小説に書いてあります。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/1737_14534.html
中島敦『李陵』

その李陵の詩です。

別歌 李陵
徑萬里兮度沙漠 万里(註1)を径(わた)りて 沙漠を度(わた)り、
爲君將兮奮匈奴 君が将と為(な)りて 匈奴に奮(ふる)ふ。
路窮絶兮矢刃摧 路(みち)窮(きはま)り 絶えて 矢刃(しじん)摧(くだ)け、
士衆滅兮名已貴 士衆 滅びて  名已(すで)に貴(註2)つ。
老母已死 老母已(すで)に死せり、
雖欲報恩將安歸 恩に報(むく)いんと欲(ほっ)すと雖(いへど) も                             将  (は)  た 安(いづ)くにか帰(き)せん。

    (註1)萬里(ばんり) 遥かな道程。
(註2)貴(本当はこざとへんに貴、おつ) くずれる、おちる。

遥か彼方へ出かけて、砂漠を渡り、
漢の武将となって、匈奴と奮戦する。
路は行き詰り、矢玉も尽き果て、刀も砕けた、
母はすでに死んだ(実際には武帝に殺された)。
親の恩には報いたと思っているが、はたしてどこにもどればいいのだろう。

中島敦の『李陵』を読まれれば判りますが、李陵のこの匈奴での20年間は実に大変な年月でした。でも思えば、彼はここで確実に生きていけたのかなあ、と私は思うばかりです。

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 昨日私は秋葉原へ行ったときに、私の常に携帯していますカシオのXD-SF6200で、中島敦『山月記』を聞いていきました。もちろん、目ではこの電子辞書の画面を見ています。画面は縦書きで見ることができます。

 私はこの小説を読んだのは、高校1年のときであるし、この朗読でも前にも江守徹さんのCDでも聞いたことがありました。今回のは違うかたです。
 こう始まります。

 隴(ろう)西の李徴は博學才穎(さいえい)、天寶の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自ら恃む所頗る厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかつた。いくばくもなく官を退いた後は、故山、(くわく)略に歸臥し、人と交を絶つて、ひたすら詩作に耽つた。下吏となつて長く膝を俗惡な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺さうとしたのである。しかし、文名は容易に揚らず、生活は日を逐うて苦しくなる。李徴は漸く焦躁に驅られて來た。この頃から其の容貌も峭刻となり、肉落ち骨秀で、眼光のみ徒らに烱々として、曾て進士に登第した頃の豐頬の美少年の俤は、何處に求めやうもない。數年の後、貧窮に堪へず、妻子の衣食のために遂に節を屈して、再び東へ赴き、一地方官吏の職を奉ずることになつた。一方、之は、己(をのれ)の詩業に半ば絶望したためでもある。曾ての同輩は既に遙か高位に進み、彼が昔、鈍物として齒牙にもかけなかつた其の連中の下命を拜さねばならぬことが、往年の秀才李徴の自尊心を如何に傷つけたかは、想像に難くない。彼は怏々として樂しまず、狂悖(はい)の性は愈抑へ難くなつた。一年の後、公用で旅に出、汝水(ぢよすゐ)のほとりに宿つた時、遂に發狂した。或夜半、急に顏色を變へて寢床から起上ると、何か譯の分らぬことを叫びつつ其の儘下にとび下りて、闇の中へ駈出した。彼は二度と戻つて來なかつた。附近の山野を搜索しても、何の手掛りもない。その後李徴がどうなつたかを知る者は、誰もなかつた。

 私の印象では、もっと短い小説でした。こうして朗読になって、全部を聞いていますと。とても長く聞こえるのです。
 そして前から気になっていた箇所ですが、李徴が自分の詩を朗読するところです。

 袁參(この參は本当はにんべんがついています)は部下に命じ、筆を執って叢中の声に随(したが)って書きとらせた。李徴の声は叢の中から朗々と響いた。長短凡(およ)そ三十篇、格調高雅、意趣卓逸、一読して作者の才の非凡を思わせるものばかりである。しかし、袁は感嘆しながらも漠然(ばくぜん)と次のように感じていた。成程(なるほど)、作者の素質が第一流に属するものであることは疑いない。しかし、このままでは、第一流の作品となるのには、何処(どこ)か(非常に微妙な点に於(おい)て)欠けるところがあるのではないか、と。

 何故、袁參は、この李徴の詩をこう感じてしまうのでしょうか。しかし、この詩は小説でも記されてはいません。
 このあと、さらにここで、虎になった李徴が続けます。

 羞(はずか)しいことだが、今でも、こんなあさましい身と成り果てた今でも、己(おれ)は、己の詩集が長安(ちょうあん)風流人士の机の上に置かれている様を、夢に見ることがあるのだ。岩窟(がんくつ)の中に横たわって見る夢にだよ。嗤(わら)ってくれ。詩人に成りそこなって虎になった哀れな男を。(袁は昔の青年李徴の自嘲癖(じちょうへき)を思出しながら、哀しく聞いていた。)そうだ。お笑い草ついでに、今の懐(おもい)を即席の詩に述べて見ようか。この虎の中に、まだ、曾ての李徴が生きているしるしに。
 袁は又下吏に命じてこれを書きとらせた。その詩に言う。

  偶因狂疾成殊類 災患相仍不可逃
  今日爪牙誰敢敵 当時声跡共相高
  我為異物蓬茅下 君巳乗召気勢豪
  此夕渓山対明月 不成長嘯但成吼
  (召と吼のみは違う字です。表示できません)

 時に、残月、光冷(ひや)やかに、白露は地に滋(しげ)く、樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。人々は最早、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄倖(はっこう)を嘆じた。

 しかし、この七言律詩は、平仄も韻も対句もちゃんと出来ています。虎の身になった李徴がどうしてこうして作詩ができるのか、私にはもう羨ましいばかりです。

 でもこうして朗読で、文学作品をこうして再び自分の耳で聞くことも、実にいいことですね。

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 中島敦は、私は最初に高校1年のときに読んでいました。その『悟浄出世』と『悟浄歎異』を今朝思い出していました。そしてとくにその『悟浄歎異』の冒頭のシーンを思い出していました。
 だが実際に読んでみると、冒頭の悟空と八戒の変身の術の練習の場よりも、今の私には、そのあとの悟空を見て評価している悟浄の目と心のほうが面白いと感じました。

 我々にはなんの奇異もなく見える事柄も、悟空の眼から見ると、ことごとくすばらしい冒険の端緒だったり、彼の壮烈な活動を促(うなが)す機縁だったりする。もともと意味を有(も)った外(そと)の世界が彼の注意を惹(ひ)くというよりは、むしろ、彼のほうで外の世界に一つ一つ意味を与えていくように思われる。彼の内なる火が、外の世界に空(むな)しく冷えたまま眠っている火薬に、いちいち点火していくのである。探偵の眼をもってそれらを探し出すのではなく、詩人の心をもって(恐ろしく荒っぽい詩人だが)彼に触れるすべてを温(あたた)め、(ときに焦(こ)がす惧(おそ)れもないではない。)そこから種々な思いがけない芽を出させ、実を結ばせるのだ。だから、渠(かれ)・悟空(ごくう)の眼にとって平凡陳腐(ちんぷ)なものは何一つない。毎日早朝に起きると決まって彼は日の出を拝み、そして、はじめてそれを見る者のような驚嘆をもってその美に感じ入っている。心の底から、溜息(ためいき)をついて、讃嘆(さんたん)するのである。これがほとんど毎朝のことだ。松の種子から松の芽の出かかっているのを見て、なんたる不思議さよと眼を瞠(みは)るのも、この男である。

 この『悟浄歎異』には『沙門悟浄の手記』という副題がついています。そのことも今朝知りました。
 悟浄という化け物は、『西遊記』の中でもあまり性格がはっきりしません。いつも、三藏法師と馬のそばでで、三蔵と荷物を守っているだけです。もっぱら悪い奴を退治に出かけるのは、悟空と八戒だけです。
 そして悟浄を中心人物としてえがいたのは、この中島敦だけです。だがもちろん、それは悟浄が見つめている他の3人の人物、悟空、八戒、三蔵法師をどういう風に悟浄が見ているのかということのみです。
 最後に、以下のようにあります。

なぜか知らないが、そのときふと俺は、三蔵法師(さんぞうほうし)の澄んだ寂しげな眼を思い出した。常に遠くを見つめているような・何物かに対する憫(あわ)れみをいつも湛(たた)えているような眼である。それが何に対する憫れみなのか、平生(へいぜい)はいっこう見当が付かないでいたが、今、ひょいと、判(わか)ったような気がした。師父(しふ)はいつも永遠を見ていられる。それから、その永遠と対比された地上のなべてのものの運命(さだめ)をもはっきりと見ておられる。いつかは来る滅亡(ほろび)の前に、それでも可憐(かれん)に花開こうとする叡智(ちえ)や愛情(なさけ)や、そうした数々の善(よ)きものの上に、師父は絶えず凝乎(じっ)と愍(あわ)れみの眼差(まなざし)を注(そそ)いでおられるのではなかろうか。星を見ていると、なんだかそんな気がしてきた。俺は起上がって、隣に寐(ね)ておられる師父の顔を覗(のぞ)き込む。しばらくその安らかな寝顔を見、静かな寝息を聞いているうちに、俺は、心の奥に何かがポッと点火されたようなほの温かさを感じてきた。

 どうか、この悟浄も見事インドへ到達できることを祈ります。

 思えば、『西遊記』自体は、私が1970年1月に、埼玉県警の朝霞署の留置場の中で読んだものでした。そのときも、『西遊記』の中でも、何も語らない悟浄の思いを考えていたものでした。

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07060403英雄ありて―中国古典紀行
書 名 英雄ありて
著 者 陳舜臣
発行所 講談社
定 価 1,500円
発行日 昭和58年6月28日第一刷発行
読了日 2007年6月3日

 史記の旅、三国志の旅、唐詩の旅、西遊記の旅、水滸伝の旅という章があります。思えば私は、水滸伝というのが一番知らない世界かなと思いました。水滸伝というのは、歴史ではなく、いわば創作の中の世界なのですね。いや、西遊記も創作の世界ですが、何故か親しんできました。だが、水滸伝に関しては、そもそも水滸伝そのものを読んでいないということがあるのかな。吉川英治の水滸伝もたしか未完だと思いましたね。
 ただし、そういう意味では、三国志(もちろん三国志演義)も西遊記もその物語の終わりが曖昧ですね。正史三国志での最後というか(歴史書だから、終わりという章はないといえます)そういう感じのものも、西遊記の終わりもなんだかはっきりしません。
 この「西遊記の旅」で、筆者が次のように言っています。

   西遊記の三蔵法師一行のなかで、この沙悟浄はいささか気になる人物である。

 このことは私もずっと気になっていたことでした。一番沙悟浄という化け物ははっきりしていません。何か失敗をしでかし、それでも元気に戦うのは、悟空と猪八戒であり、沙悟浄はいつも地味な存在です。なんだか、悟空と猪八戒が言い合いをしながら化けているシーンを、沙悟浄が見つめている雰囲気があります(これはでも中島敦の小説のシーンにあったな。『悟浄出世』『悟浄歎異』だった)。
 そんなことをいくつも思い出していました。

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