12110304  さて、私の書く司馬遷『史記五帝本紀第一』は、

  黄帝
  センギョク
  帝コク
  帝堯
  帝舜

に関しては、もうここで書きました。後の三人に関しては、「コク、堯、舜」と一字でよばれることの方が多いようです。
  ところで、センギョクは黄帝の子ども、昌意の子どもであり、黄帝の孫になります。帝コクの父は、キョウ極(きょうきょく)であり、その父は、黄帝の長子である玄囂(げんごう)なので、帝コクは黄帝の曾孫になります。
 帝堯は、帝コクの次男でしたが、兄の禅譲により帝位につきました。舜はセンギョクの七代の子孫だといわれますが、いわば普通の民間人でした。その舜が帝堯により、政(まつりごと)を任され、帝堯が亡くなったときに、一旦は堯の息子の丹朱があとを継ぎます(帝位につく)が、誰もその丹朱のもとへは行かないで、舜ばかりに来ます。そこで天は舜を薦めて、舜が天子になります。この「天が薦める」という意味が漢文では分からないわけでしたが、これはみんなが(民間人が)舜を次の天子としてほしいという願望で、天とは普通の庶民が薦めたことなのだと私の高校一年のときの漢文の先生が教えてくれました(ただし、そのときは「十八史略」の話)。
 私はこの丹朱も素直にそれを認めたものだなあと感心します。
 また舜の弟の象(しょう)ですが、これも最初には父と母と一緒に舜を殺そうとしたとあります。でも私は宮城谷昌光がけっして象を貶してばかりは書いていません(作品名が何だったか思い出せない)。象もまた兄舜を認めたのだろうと思います。
 私には丹朱は、まったくの他人であった舜を認め、象は結局は兄を認める、そのような優れた人物だったように思えます。