将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:五言絶句

14123014「荊軻を思い出しました」を書いていまして、あることを思い出しました。私の随分昔の思い出です。駱賓王の『易水送別』という詩です。
この詩人はウィキペディアによりますと、(640年? - 684年?)は唐代中国の詩人。「初唐の四傑」の一人。 次のようにあります。ここ以下に掲げたのが彼の次の五言絶句です。
易水送別  駱賓王
此地別燕丹  此の地 燕丹に別る
        壯士髮衝冠 壮士髪 冠を衝く
        昔時人已沒 昔時(せきじ) 人已に没し
        今日水猶寒 今日 水猶ほ寒し

        この地で燕の太子丹と別れたとき
      壮士の荊軻の髪は怒りで、冠を突き上げんばかりだった
      その時の人々はもはやもうあとかたもないが、
      今日もなお易水はむかしのままに、さむざむと流れている

こうしてこの詩を書きました。私には「司馬遷『史記』」は実に親しい思いのする書籍で、とくにこの荊軻はその顔姿が見える思いです。
  でもやはり、ちゃんと書いていこうと思いました。だからまた書き直しました。
ウィキペディアによりますと、この詩人駱賓王には七言絶句等々もあるらしいのですが、これしか書かれていません。私もこの詩しか知らない人です。
思えば私も唐代の詩人ということしか知らないのだなあ。14122910
この一番上の絵が彼です。続きを読む

6d4053fd.jpg

 小倉百人一首の「天の原ふりさきみれば春日なる三笠の山に井でし月かも」の阿部仲麻呂(698〜770)の歌は私が始めて覚えた短歌でした。
 ただいつもこの人を思うとただただその悲しい生涯を考えてしまうばかりです。

    無題   阿部仲麻呂
  慕義名空在 義を慕う 名空しく在り
  輸忠孝不全 忠を輸(註1)すも 孝全(まつ)たからず
  報恩無幾日 恩に報ゆる幾日も無し
  歸國定何年 国に帰るは 定めて何れの年ぞ

  (註1)輸(いた) 致すと同じ。まごころをもって人に対してすること。

  ただしい道を求めてやってきたが、空しい名声があるばかりである。
  唐の国に来ているのは君に忠義を尽くすためだが、孝行もできない。
  親孝行もできないのは、残念だ。
  果たして帰国できるのはいつの年になるのだろうか。

 この詩を、間に百人一首の短歌を入れて詠ってみたいと思います。どこで詠おうかなあ。
 いつも望郷の念が止むことはなかったことでしょうが、李白と友人になったことなどは、私には嬉しい思いになります。李白は阿部仲麻呂が亡くなったと思い込んでしまいました。事実は仲麻呂はベトナムから長安に戻ってきます。

6ce62297.jpg

 私はもうずっと髪を染めていますので、この詩を書いている時人の気持なんか分からなくなってしまっています。

   照鏡見白髪 鏡に照らして白髪を見る
          張九齢
  宿昔青雲志 宿昔 青雲の志
  蹉た白髪年 蹉た(さた)たり 白髪の年
  誰知明鏡裏 誰か知らん 明鏡の裏(うち)
  形影自相憐 形影(註1) 自から相い憐まんとは

  (註1)形影(けいけい) 肉体とその影

  昔から青雲の志を持っていたが、
  時期を逸して、もう白髪になってしまった。
  一体誰が分かろうか、澄んだ鏡の中に、
  映っている自分を見て憐れみの心がおきていることを。

 しかし、これを訳している井伏鱒二は見事に私たち同じ年代を描いているなあと思いました。白髪を厭う気持は、この訳詩を見て、実によく判ります。

  シュッセシヨウト思ウテキタニ
  ドウカスル間ニトシバカリヨル
  ヒトリカガミニウチヨリミレバ
  皺ノヨッタヲアハレムバカリ

 いえ、出世なんか、一度も考えたことはないわけですが、でもでも鏡のむこうの自分の顔につくづく年月を感じています。

続きを読む

2017041016

中唐の孟郊の詩です。
この題名の古別離とは、昔の楽府の題です。楚辞に「王孫不歸」という王孫(屈原)が帰ってくるのかどうかの女性の悩みがあり、この詩の奥さんも、それを悩んでいるのでしょう。でも、屈原なら、そんなことは決してないことでしょうが。この題名は「こべつり」と読めばいいのでしょうか。7ef7ca4c.jpg

古別離 孟郊
欲別牽衣 別れんと欲して が衣を牽く、
今到何處 今は 何れの処にか到る。
不恨歸來遲 帰来の遅きを 恨みず、
莫向臨僑去 臨僑(註1)に 向かって去ること莫かれ。

(註1)臨僑(りんきょう) 僑ではなくたくみにおおざと。男性を誘惑するところ。

出発に際して あなたの衣を引く、
あなたは今どこへ行くのですか。
帰ってくるのが遅くなっても恨みませんが、
臨きょうにだけは行かないでほしいのです。

これを井伏鱒二は次のように訳しています。

ワカレニクサニソデヒキトメテ
オマヘコレカライヅクヘユキャル
カヘリノオソイヲウラミハセヌガ
ヨシハラヘンガキニカカル

最後結句を、浅草の裏の「吉原辺が気にかかる」という妻の言葉にしています。

続きを読む

 司空曙は中唐の詩人です。司空が姓です。2字名の姓というのは中国では珍しいですね。もっとも私は諸葛亮孔明を思い出しましたが。

   別盧秦卿(ろしんけいに別る)
          司空曙
  知有前期在 前期の在ること有るを知れども
  難分此夜中 分れ難し この夜の中(うち)
  無將故人酒 故人の酒を将って
  不及石尤風 石尤風(註1)に及ばずとすることなかれ

  (註1)石尤風(せきゆうふう) 別れを惜しんで旅人の行く手を阻む向かい風。

  やがて終わりがくることを知ってはいるが、
  夜のうちには、別れ難い。
  友だちと酒を飲んで、
  風を呼んでくれば、このまま飲めるぞ。

9b4278dc.jpg いやはや、この五言絶句をどう訳そうかと、苦労して、でもうまくいきません。でも井伏鱒二の「厄除け詩集」では次のようです。

  ソレハサウダトオモッテヰルガ
  コンナニ夜フケテカヘルノカ
  サケノテマヘモアルダロガ
  カゼガアレタトオモヘバスムゾ

 あ、これでいいな。井伏鱒二ってすごいなあ、という思いになりました。

続きを読む

c3deed9a.jpg 昨日私のブログで李白が10歳の時に作った詩を紹介しました。五言絶句なのに、最初の二句が律詩のように対句になっているのですね。親は李白のこの才能に嬉しかったでしょうね(ただし、このときの父親は李白の2番目の親で、血はつながっていません)。自分の子どもや孫が示す才能に喜ぶ親の気持がよく判ります。(5/04)
続きを読む

dd7abb58.jpg

 李白が10歳のときに、始めて作った詩がこの作品です。

 母から、蛍が燃え尽きても、懸命に燃えたものが、天上に輝く星になるのだと聞いて、その場でこの詩を即興で作ったと言われます。

  螢火(十歳即席) 李白
 雨打燈難滅 雨打って 灯(ともしび)滅(き)え難く
 風吹色更明 風吹いて 色更に明(あかる)し
 若飛天上去 若し飛んで 天上に去らば
 定作月邊星 定めて 月辺(げっぺん)の星と作(な)らん

 雨に打たれても 灯火のように消えず
 風に吹かれれば なお燃え上がる
 もしも天上まで飛んでいけば
 きっと月とともに輝く星となろう

 この詩は五言絶句なのに、最初の2句が対句になっています。律詩ではありませんから、ここを対句にする必要はないのですが、こうして対句になっています。実に見事です。
 そしてその対句が見事であるだけではなく、そのあとの句も見事です。少年である李白の志が高潔なのを感じます。
 この詩を作ったときに、題の下に「十歳即席」と書いたとされています。

 李白の生涯というのは、杜甫の生涯ほど私は知りません。でも「李」という姓は、唐王朝の「李」と同じ(初代皇帝は高祖李淵、2代目は太宗李世民です)なのですね。今私は始めてそのことに気がつきました。
 日本と違って、中国の性は、驚くほど少ないのです。だから同じ姓の人は同じ親族だと考えられています。
 李白もまた、この唐の皇族と同じ姓だということが大きなことだったのだろうなと推測しました。

続きを読む

↑このページのトップヘ