将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:井伏鱒二

12080108 井伏鱒二はけっこういくつもの小説を読んだものでした。

2012/08/03 06:22NHKで黒い雨のことをやっていました。もちろん私は井伏鱒二の小説は読んでいます。井伏鱒二にしては内容(私は彼の作品はけっこう読んでいましたね。そういえば、太宰治の借金の申し入れの葉書などいっぱい読んだものでた。これは「太宰治全集」でです)が実に驚いたものでした。でもあの本ももう売ってしまいましたね。広島の原爆での黒い雨を思います。
「君原健二『私の履歴書』」の「中学の持久走で好成績 誘い断れず駅伝部に入部」を読んで、君原の走り方、そのときの苦しそうな顔を思い出します。
1208030112080302 やはりこの新聞を手にして、真っ先に「黒書院の六兵衛」を読みます。これで私が自分に確認したのは、御番士が御旗本で御与力が御家人なのだなあ。

 御旗本と御家人では分限がちがいますので、むろん儀式も同席はありえませぬ。また、同じ与力でも抱席(かかえせき)の家柄ならば、御番頭(こばんかしら)様の役宅にて行儀いたします。

  いつも私は感心してこの小説を読んでいます。

10103001 土曜日ですから、長女の家に妻と行きまして、もう大変です。大変というのは、孫は可愛けれど、そばで相手しているのが、もうものすごく大変なのです。

2010/10/30 07:50あと「読書さとう」を書かないといけないな。きょうは外国の作家をと考えています。誰にしようかなあ。井伏鱒二もやるつもりなのですが、でももう日本の作家を二人続けたから(つげ義春とさくらももこです。二人とも漫画家でした)、きょうは外国の人ですね。誰でいこうかなあ。
 今天気予報を見ていて、台風が心配です。次女ブルータスの家のそばに川があるから少し心配です。
2010/10/30 11:11けっこう時間がかかりました。どうしても午前4時から6時までが、実にブログをUPすることでもあらゆることがやりにくいのです。仕方ないですね。
2010/10/30 13:38もうここ長女の家に来てから3時間近くになります。このポメラはポコ汰とポニョにすごくいじられて大変です。それにIS01もいっぱいいろいろされました。

 この「周のポメラ」はもっと早くUPすべきですね。

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 周の詩歌の館「井伏鱒二『寒夜母を思ふ』」の5にて書きましたように、私は4月15日簡易書留を送付いたしました。本日4月18日13時53分に上の訂正の正誤表と、以下のA4封書が速達にて送られてきました。文面にあるように、インターネット上のパロル舎ホームページの次のページには、

   http://parol.co.jp/mtest3.shtml 画本 厄除け詩集

 次のことが書き加えています。

09041802

※「寒夜母を思ふ」の項に一部誤りがありました。すでにお買い求めの方には正誤表をお送りいたします。

 まずは、これですごく嬉しいです。私は気が短いので、「なんで私の指摘に何も言わないのかな?」とだけ思ってしまいました。
 それに、パロル舎の封筒で送られてきましたので、メールアドレスも判りましたので、そちらへ確認とお礼のメールを書きます。

 周の詩歌の館「井伏鱒二『寒夜母を思ふ』」 へ

09041502

 先週の8日に、私はこのことで、パロル舎へ、周の詩歌の館「井伏鱒二『寒夜母を思ふ』」の4 でのFAXを送りました。でも15日の今に至るも何の返事もいただいておりません。それで、きょう4月15日午後、私は上の画像にした文書を簡易書留にてパロル舎あてに郵送いたしました。
 もうインターネット上では、このことは、見られるようになっているのですが、パロル舎という出版社は、インターネットも見ないどころかFAXも見ないとしか思えません。
 まあ、書留なら無視するとは考えられませんので、その返事が来ましたら、またここで報告してまいります。

 それで、もともとのパロル舎のこの詩集の、この問題の部分をスキャンしました。この通り、ページの裏表を間違えて製本しています。09041504

(ええと、画像にページを入れました。この詩集は「1→2→3→4」で製本されているのですが、本当は「1→3→2→4」ではないのかということです)

 09041505私の好きな井伏鱒二の詩集が、これではなんだか許せない思いなのです。

  周の詩歌の館「井伏鱒二『寒夜母を思ふ』」の6 へ

09040801 今このことを、この本の発行元のパロル舎へ、指摘するために、ここの画像の文書をFAXしました。FAXするしか、私にはやりようがないのです。
 今後はどの本にも、発行元のURLとメールアドレスを記してほしいものです。

 
 周の詩歌の館「井伏鱒二『寒夜母を思ふ』」の5 へ

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 周の詩歌の館「井伏鱒二『寒夜母を思ふ』」の2 に書いたことですが、今この詩集を借りてきました。

著 書 厄除け詩集
著 者 井伏鱒二
発 行 株式会社日本図書センター
2006年3月25日 初版第1刷発行

 やはり、私が指摘した通りです。パロル舎の「画本『厄除け詩集』」は、明らかに間違えています。パロル舎に指摘すべきなんだろうな。

 周の詩歌の館「井伏鱒二『寒夜母を思ふ』」の4 へ

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 この一つ前の井伏鱒二の『寒夜母を思ふ』なのですが、私はここにUPしたように、この詩を読みました。
 でも実は、昨日私は孫の保育園の入園式に歩いて行きましたときに、詩句を思い出しながら「あれ、変だな」と思っていました。
 私が今読んでいるのは、以下の本です。

画 本 厄除け詩集
著 者 井伏鱒二
画・装丁デザイン金井田英津子
発 行 パロル舎
2008年12月25日 第一刷発行
定 価 本体2300円+税

 この本(ページがありません)には、この『寒夜母を思ふ』の詩は、その詩の連が、

  ところが母者は手紙で申さるる
  お前このごろ横着に候
  これをしみじみ御覽ありたしと
  私の六つのときの寫眞を送って來た

のあと(次のページ)が、

(A)
  鼻水ばかり流れ出る
  それでも詩を書く痩せ我慢

  母者は手紙で申さるる
  お前の痩せ我慢は無駄ごとだ
  小説など何の益にか相成るや
  田舍に歸れよと申さるる

  母者は性來ぐちつぽい
  私を横着者だと申さるる
  私に山をば愛せと申さるる
  土地をば愛せと申さるる
  祖先を崇めよと申さるる

その次のページが、

(B)
  私は四十すぎたおやぢである
  古ぼけた寫眞に用はない
  私は夜ふけて原稿書くのが商賣だ
  寫眞などよりドテラがいい

  私は着たきりの着たきり雀
  襟垢は首にひんやりとする
  それで机の前に坐るにも
  かうして前こごみに坐ります

  今宵は零下何度の寒さだらう
  ペンのインクも凍りついた

となっています。
 これは、明らかに、AとBのページの順序が逆じゃないのかな。今この「厄除け詩集」の別の出版社のものを、取り寄せていますから、そこではっきりすると思いますが、間違いなく、私のいう通りだと思います。
 しかし、こんなことで出版販売してしまうものなのですね。
 この出版社に問い合わせようと思いましたが、メールアドレスが判りません。FAXならできるから、しておきましょうか。

 せっかくのいい詩集で、いい画いいデザインなのに、残念です。

 周の詩歌の館「井伏鱒二『寒夜母を思ふ』」の3 へ

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 昨日、孫の保育園の入園式に歩きながら、この詩を思い出していました。
 そして、この詩の母者の詩句を思い浮かべて、もちろん私の母のことを思い出していました。

   寒夜母を思ふ

  今日ふるさとの母者から
  ちよつといいものを送つて來た
  百兩のカハセを送つて來た
  ひといきつけるといふものだらう

  ところが母者は手紙で申さるる
  お前このごろ横着に候
  これをしみじみ御覽ありたしと
  私の六つのときの寫眞を送って來た

  私は四十すぎたおやぢである
  古ぼけた寫眞に用はない
  私は夜ふけて原稿書くのが商賣だ
  寫眞などよりドテラがいい

  私は着たきりの着たきり雀
  襟垢は首にひんやりとする
  それで机の前に坐るにも
  かうして前こごみに坐ります

  今宵は零下何度の寒さだらう
  ペンのインクも凍りついた
  鼻水ばかり流れ出る
  それでも詩を書く痩せ我慢

  母者は手紙で申さるる
  お前の痩せ我慢は無駄ごとだ
  小説など何の益にか相成るや
  田舍に歸れよと申さるる

  母者は性來ぐちつぽい
  私を横着者だと申さるる
  私に山をば愛せと申さるる
  土地をば愛せと申さるる
  祖先を崇めよと申さるる

  母者は性來しわんばう
  私に積立貯金せよと申さるる
  お祖師樣を拜めと申さるる
  悲しきかなや母者びと

09040309 自分の6歳のときの写真を送られたりしたら、私なら困ってしまうな。母親には参りますね。私の母親もそうでした。いつも優しい母親でした。
 私が東大闘争で逮捕勾留されているときも、東調布警察にも、府中刑務所にも差入れに来てくれました(もちろん接見禁止ですから、面会はできません)。刑務所には、いくつも手紙をくれたものでした。
「お前の痩せ我慢は無駄ごとだ」という言葉は胸を打ちます。別に私はやせ我慢ではなく、普通に振舞っているつもりでした。
 府中から保釈になっても、それと同じ年の暮。、1969年12月10日にまた別な件で逮捕されました。母には大変なおもいばかりを負わせてしまったものでした。

 周の詩歌の館「井伏鱒二『寒夜母を思ふ』」の2 へ

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 私はもうずっと髪を染めていますので、この詩を書いている時人の気持なんか分からなくなってしまっています。

   照鏡見白髪 鏡に照らして白髪を見る
          張九齢
  宿昔青雲志 宿昔 青雲の志
  蹉た白髪年 蹉た(さた)たり 白髪の年
  誰知明鏡裏 誰か知らん 明鏡の裏(うち)
  形影自相憐 形影(註1) 自から相い憐まんとは

  (註1)形影(けいけい) 肉体とその影

  昔から青雲の志を持っていたが、
  時期を逸して、もう白髪になってしまった。
  一体誰が分かろうか、澄んだ鏡の中に、
  映っている自分を見て憐れみの心がおきていることを。

 しかし、これを訳している井伏鱒二は見事に私たち同じ年代を描いているなあと思いました。白髪を厭う気持は、この訳詩を見て、実によく判ります。

  シュッセシヨウト思ウテキタニ
  ドウカスル間ニトシバカリヨル
  ヒトリカガミニウチヨリミレバ
  皺ノヨッタヲアハレムバカリ

 いえ、出世なんか、一度も考えたことはないわけですが、でもでも鏡のむこうの自分の顔につくづく年月を感じています。

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中唐の孟郊の詩です。
この題名の古別離とは、昔の楽府の題です。楚辞に「王孫不歸」という王孫(屈原)が帰ってくるのかどうかの女性の悩みがあり、この詩の奥さんも、それを悩んでいるのでしょう。でも、屈原なら、そんなことは決してないことでしょうが。この題名は「こべつり」と読めばいいのでしょうか。7ef7ca4c.jpg

古別離 孟郊
欲別牽衣 別れんと欲して が衣を牽く、
今到何處 今は 何れの処にか到る。
不恨歸來遲 帰来の遅きを 恨みず、
莫向臨僑去 臨僑(註1)に 向かって去ること莫かれ。

(註1)臨僑(りんきょう) 僑ではなくたくみにおおざと。男性を誘惑するところ。

出発に際して あなたの衣を引く、
あなたは今どこへ行くのですか。
帰ってくるのが遅くなっても恨みませんが、
臨きょうにだけは行かないでほしいのです。

これを井伏鱒二は次のように訳しています。

ワカレニクサニソデヒキトメテ
オマヘコレカライヅクヘユキャル
カヘリノオソイヲウラミハセヌガ
ヨシハラヘンガキニカカル

最後結句を、浅草の裏の「吉原辺が気にかかる」という妻の言葉にしています。

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 司空曙は中唐の詩人です。司空が姓です。2字名の姓というのは中国では珍しいですね。もっとも私は諸葛亮孔明を思い出しましたが。

   別盧秦卿(ろしんけいに別る)
          司空曙
  知有前期在 前期の在ること有るを知れども
  難分此夜中 分れ難し この夜の中(うち)
  無將故人酒 故人の酒を将って
  不及石尤風 石尤風(註1)に及ばずとすることなかれ

  (註1)石尤風(せきゆうふう) 別れを惜しんで旅人の行く手を阻む向かい風。

  やがて終わりがくることを知ってはいるが、
  夜のうちには、別れ難い。
  友だちと酒を飲んで、
  風を呼んでくれば、このまま飲めるぞ。

9b4278dc.jpg いやはや、この五言絶句をどう訳そうかと、苦労して、でもうまくいきません。でも井伏鱒二の「厄除け詩集」では次のようです。

  ソレハサウダトオモッテヰルガ
  コンナニ夜フケテカヘルノカ
  サケノテマヘモアルダロガ
  カゼガアレタトオモヘバスムゾ

 あ、これでいいな。井伏鱒二ってすごいなあ、という思いになりました。

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 今朝もテレビの前に座ると、こうしてポメラを書いています。

2009/03/14 08:15今「だんだん」を見始めました。おばあちゃんの「めぐみ、教えてくれて、だんだん」という言葉が私は嬉しいのです。
 義母のことをずっと思います。亡くなりました私の母を思い出しています。私は一体何ができるのでしょうか。一体何ができていたのでしょうか。
 やはり、どうしても涙が出てしまいます。
 テレビを見るときは、必ず本も読みます。「井伏鱒二『厄除け詩集』」の司空曙の詩を読んでいます。
2009/03/14 08:31金賢姫のニュースを見ています。田口八重子さんと横田めぐみさんの顔写真を見て、どうしても涙が出てしまいます。

 なんとなく、テレビを見て涙ばかり流している私ですね。

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 韋応物(736年 - 791年?)は中唐の詩人です。ウィキペディアで、このようにありました。思い出せば、私は神田の古本屋街にて、彼の詩を探していたことがありましたね。いや、この詩のように「二十二員外」なんていうのが、よく判らなかったのです。
 これは、丘家の22番目の兄弟ということで、これは男の兄弟は、みなその男の子どもまで同じ兄弟だということで(これを排行といいます。だから私も、私の排行といいますと、ああ誰と誰だなんて思います)、だから、「秋の夜に、丘家の二十二男である丘に手紙を出した」という題名でしょうか。

   秋夜寄丘二十二員外 韋応物
  懷君屬秋夜 君を懐(註1なつかし)みて 秋夜に属(註2ぞく)し、
  散歩詠涼天 散歩して 涼天に詠ず。
  山空松子落 山空しくして 松子(しょうし)落ち、
  幽人應未眠 幽人 応(まさ)に 未だ眠らざるべし。

  (註1)懐 懐かしく思い出す
  (註2)属(ぞく)し ちょうどいま
  (註3)涼天(りょうてん) すずしい秋の空

   秋の夜に丘家の二十二男である丘に手紙出した
  あなたを懐かしく思い出しているのは、ちょうど秋の夜であり、
  涼しい秋の夜 散歩して詩を詠った。
  山は静かなので、松かさが落ちる音が響くから、
  あなたも眠られないことだろう。

 さて、これをどう井伏鱒二は訳しているでしょうか。

  ケンチコヒシヤヨサムノバンニ
  アチラコチラデブンガクカタル
  サビシイ庭ニマツカサオチテ
  トテモオマヘハ寝ニクウゴザロ

 この「ケンチ」とはフランス文学者の中島健蔵のことです。この人についてはウィキペディアで、次のようにあります。

中島健蔵(なかじま けんぞう、1903年2月21日 - 1979年6月11日)は、フランス文学者、文芸評論家。ヴァレリーやボードレールなどを翻訳紹介する一方、当時まだ無名だった宮澤賢治の作品に光を当て、戦後はいわゆる進歩的知識人の一人として反戦平和運動に貢献すると共に、日本文芸家協会の再建や著作権保護、日中の文化交流に尽力した。中国切手の世界的なコレクターとしても有名。

 それで、その中で、次のようなことが書いてありました。

1935年1月24日、東大仏文の研究室にて太宰治と檀一雄の訪問を受ける(紹介者は井伏鱒二)。そのころ太宰は仏文在学5年目にして取得単位ゼロ、檀は経済学部在学3年目にして取得単位7。二人の目的は、卒業試験を受けるのに必要な単位を泣き落としで手に入れることにあったが、中島に用件を切り出せぬまま酒場で酒を振舞われているうちに卒業などどうでもよくなったという(檀一雄『小説太宰治』および中島健蔵『回想の文学』第2巻『物情騒然の巻』)。

 太宰治と檀一雄といえば、ものすごい酔っぱらいだなあ、と思いました。

 だから、こうなると井伏鱒二のは、ものすごい訳なのですね。中唐の五言絶句なのに、彼は日本の昭和の時代のフランス文学者を思い出しているのです。

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 もう一つ井伏鱒二の訳詩を載せてみます。これまた春の目覚めの悪いときに誰でもが口から出てきてしまう詩です。

   春暁    孟浩然
  春眠不覺曉 春眠 暁を覚えず
  處處聞啼鳥 処処 啼鳥を聞く
  夜来風雨声 夜来 風雨の声
  花落知多少 花落つることを知らず 多少ぞ

 この五言絶句を訳している井伏鱒二の詩が以下です。

09030404  ハルノネザメノウツツデ聞ケバ
  トリノナクネデ目ガサメマシタ
  ヨルノアラシニ雨マジリ
  散ツタ木ノ花イカホドバカリ

 井伏鱒二の小説を読みましたのは、高校1年生のときでした。でもこの「厄除け詩集」のいくつかの詩を知ったのは、24歳くらいの時でした。思えば。太宰治と同時に好きになっていったものでしたね。

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2018032001 この李白の詩は誰でも知っている五言絶句かと思います。

静夜思    李白
牀前看月光 牀前(しょうぜん) 月光を看みる
疑是地上霜 疑うらくは是れ地上の霜かと
擧頭望山月 頭を挙げて 山月を望み
低頭思故郷 頭を下れて 故郷を思う

この詩を井伏鱒二は、『厄除け詩集』にて、この詩を次のように訳しています。

09030403 ネマノウチカラフト気ガツケバ
霜カトオモウイイ月アカリ
ノキバノ月ヲミルニツケ
ザイシヨノコトガ気ニカカル

やっぱり井伏鱒二はいいですね。

http://shomon.net/kansi/siika.htm 周の詩歌の館

に、井伏鱒二の酒の詩二つ を紹介してあります。でも、この『厄除け詩集』をちゃんと読んでみようという気持になりました。

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4081e124.jpg いくつか思い出してきたことがありました。
 私は昔から本を読んできました。とくに中学2年のときからは、新潮文庫、岩波文庫、角川文庫をよく読みました。なにしろ、文庫本だと学校の授業中でも読めますから。
 それで、ちょうど高校2年の頃からあるノートに、この自分の読書の記録をつけていきました。それには、こういうことがあったのです。
 ところで、私は鹿児島から横浜に転校してきて、ひさしぶりに兄とも弟とも一緒に住むようになりました。思えば、5年ぶりくらいのことだったでしょうか。それで兄はたくさんの本を持っており、その本を借りてかたっぱしから読むようになりました。もう高校2年・3年のときは、もっぱらそれらの本を高校の授業中に読んでいました。ほぼ、ハードカバーの全集もので、しかもそれほど文芸本は読みませんでした。
 でもいくつもの日本文学の本も読みました。そしてそのときに、井伏鱒二の小説を読んでいて、私はあるときに、「あれ、これは読んでいるぞ」という作品はいくつもありました。私はは中三のときにいくつもの井伏鱒二の作品は文庫本で読んでいたのです。
 別に、2度3度その作品を読み返すのはいいのです。だが、自分がそれを認識しないで、読んでいて、「あれ、これは前にも読んでいるな」と気がつくのは非常に自分が情けなくなることです。
 それで、、こういう事態を避けるために、私は、ノートにその自分が読んだ本の記録を書いていくようにしました。とくに短編が多い作家のものは、こうして記録を残していくのは大切なことです。
 この記録が、やがてパソコンを使って、パソコン通信をやったときに、「周の書評」という形で書いておくことになりました。それを今でもインターネットになってもホームページにUPするようにしています。
 ただ書評とまではいきませんが、自分の書いた本に関するメモも「本の備忘録」としてUPするようになりました。そして、まずはその最初に、本を読んだときに、すぐに「周の雑読備忘録」として、UPするようにしまして、とくに今はまずこのブログに書くようにしました。
 この記録を、このブログに書くときに、なんらかの能書きを書くようにしていますが、それがいわば簡単に単純なことでも、何かしら書いておくことは大事だなあと思っています。
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