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 Welcome to Igaku-Shoinこの記事 がありました。

 日常生活のなかで,自分でお風呂に入るという活動はもっとも個人的な行為のひとつであり,それを行うには手足の機能,バランス,筋力,調整力などの身体活動と,お風呂に入るとはどういうことなのかといった認知機能が必要である。一方,介助をされての入浴は情緒的にも身体的にも快適さとはほど遠く,介助するほうもされるほうもやっかいなことが多いと「認知症高齢者の入浴介助」(Rader, J. et al:The Bathing of Older Adults with Dementia. AJN106(4), 40−48, 2006.)は述べている。米国では,ナーシングホームの入居者の少なくとも90%は入浴時になんらかの介助が必要であるとしている。(2006.06.26)

 介護にとって、この入浴ということは大きなことだなあと思っています。実に入浴することは、大事なことなのに、でも実行はなかなか大変なことだからです。
 ただ、私がこの記事に気がつきましたのは、吉本(吉本隆明)さんの言葉からです。

『超人間』への哲学的アプローチ
 ナースはこのようなことも認識しておいたほうがよいであろう。
「老齢者は身体の運動性が鈍くなっていると若い人は思っていて,それは一見常識的のようにみえるが,大いなる誤解である」と吉本隆明は指摘する(老いの超え方.125−126,朝日新聞社,2006)。

 つまり,「感性が鈍化するのではなく,あまりに意志力と身体の運動性との背離が大きくなるので,他人に告げるのも億劫になり,そのくせ想像力,空想力,妄想,思い入れなどは一層活発になる。これが老齢の大きな特徴である。(中略)けれど老齢者は動物と最も遠い『超人間』であることを忘れないで欲しい。生涯を送るということは,人間をもっと人間にして何かを次世代に受け継ぐことだ。それがよりよい人間になることかどうかは『個人としての個人』には判断できない。自分のなかの『社会集団としての個人』の部分が実感として知ることができるといえる」という。

 高齢者のお世話は深奥であり,哲学的アプローチを必要とする。

 私も妻も、今義母の介護を毎日続けることにより、たくさんのことを学んでいるつもりです。また私の二人の娘も二人の祖母を介護する父母や伯母の姿を見て、いくつものことを学んでいるはずです。また長女の彼も、同じマンションに住んでいてくれて、さまざまにお手伝いしてくれていますが、これまた彼自身もたくさんのことを学んでいてくれるはずです。

 私も、私の 吉本隆明鈔集 にて、この言葉を扱いました。

   http://shomon.net/ryumei/yo29.htm#06chou  超人間

 とにかく、私も妻も私の子どもたちも、母と義母の介護を懸命に考えてまいります。(厳頭操)

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