将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:人間力について

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 楽しくないのは確かだけれど、生きているんだから、楽しいことを何かで見つけなければいけないということはあるわけです。楽しいことは生きる矢印で見つけると言ったらいいんでしょうか。矢印だけだと言ってもいいけれど、「矢印だけが楽しいんだよ。矢印を設定できることがあるなら楽しいとしなけりゃいけないな」ということになるんじゃないでしょうか。僕が知っている限りでは、それがいちばんいい考え方だと思います。(「よせやぃ。」『人間力について───第二回座談会』)

「生きる矢印」か、その通りだなあ、と私も確信します。私も自分の矢印を持っています。それは何かと言われたら、ここ明確に述べることはできないのですが、ときどき友人と会っているときに話してしまうことがあります。この「矢印を設定する」ということこそが大事なことだと確信しています。

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 年を取ったから死ぬというのじゃなくて、事故で死ぬことも、病気で死ぬこともある。だから死というのはいつ、誰が、どう死ぬか、そんなことはわからんのだと。親鸞はそれに気が付いて、そこまで認識を深めたわけです。
 死は別物だ。人間の生涯の中には入らない問題で、生きている限りは生きていて、やがては死に至るんだけど、死は人間の個々の人が関与する事柄では全然ない。どういう病気で、誰が、いつ死ぬかわからない。そんなことは考えてもしようがないから、考える必要はない。臨床的にもそうで、死は別系統だ。他人にはあるか、近親の手にあるか、医者の手にあるか知らないけれど、自分の手には入らない。
(「よせやぃ。」『人間力について───第二回座談会』)

 もう私も59歳で、いよいよ来年は還暦です。自分の親族だけでなく、友人や知り合いでも、けっこう死に接することが実に多くなりました。また今は12月です。喪中の葉書をたくさん受けとったものです。こうして死が実に身近なものになってきているわけですが、でも以前として「死」のことは判りません。ただ、死は別系統のものだということで、そのことはよく理解でき、なんだか少し落ち着いている私がいます。

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