将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:伊勢湾台風

J13040201 私が「あまちゃん」2013.04.01で、次のように書いたことです。

 それと前の「純と愛」に関する批判もあとで、書いて行こうと思っています。批判というよりも私が気に入らないことをです。

 このドラマでは、純という主役の子が、働くところがみなとんでもないことになります。こんなことが現実にあるのでしょうか。
 最初の「オオサキホテル」はトップの首がすげ替わります。また純が働きだした「里や」は燃えてしまいます。最後の宮古島のホテルは、台風が来て建物内が壊されてしまいます。
 私の生涯では、札幌に住んでいたときに、洞爺丸台風(1954年昭和29年9月26日)に遭いました。ちょうど秋田から遊びに来てくれていた渡辺さんという女性(もとの父の同僚)が、何故か「帰っちゃ駄目だ」という弟と私の理不尽な言い方に、その日は帰るのをキャンセルしました。でも乗る予定が、この洞爺丸だったのです。私たちのわがままが彼女の命を救いました。
 昭和35年9月に名古屋北区大曽根に住んでいた私たちは伊勢湾台風に遭いました。これはもう凄まじすぎる台風でした。あのときのことは忘れることはできません。
 でもこのドラマでは、純は実に可哀想です。私は何としても、愛が目覚めてほしいです。「ねむりひめ」は目覚めるのですから。
 私は「これはドラマだ。現実の世界ではないんだ」と何度も自分に言い聞かせていたものでした。

11092607  今はリビングに来ました。どうしてもテレビを見ますね。今日は9月26日ですから、洞爺丸台風、狩野川台風、伊勢湾台風の日でしたね。この3つとも私は実によく覚えています。
  どの台風も実に思い出があります。ただ私の家族が大きな被害を受けたのは、昭和34年の伊勢湾台風です。いくつも思い出すことがあります。
  この3つの台風のことを思い出して詳しく書いておこうかなあ。

11092104 台風15号が来るというので、私はじゅにとブルータスに会いに行くのを止めにしまいした。私はどうしても台風は怖いのです。

2011/09/21 06:52今日もじゅにに会いにいくつもりでいましたが、先ほどニュースで台風を見て、ここの関東に来るようで、止めにしました。私は洞爺丸台風、伊勢湾台風の経験があるのですが、思えば伊勢湾台風の記憶だけだと言えますね。
2011/09/21 08:13「おひさま」を見て、また私は涙になっています。
2011/09/21 08:27今回の台風に関する警戒のメールを二人の娘に送りました。

 私の妻も娘たちも私のこの台風に関する恐怖感は分からないでしょう。

9450d162.jpg「おひさま」を見ています。渡辺美佐子のおばあさんはいいですね。前にはどうしても好きではない女優さんでしたが、このドラマで好きになりました。
  いつもこのドラマのことは、ポメラで書いていますが、この「周のIS01ブログ」で書くのもいいですね。     
 またこのドラマの展開にまた私は涙になっています。

  今の台風が心配です。思い出せば私は、洞爺丸台風、狩野川台風、伊勢湾台風を実によく覚えています。 洞爺丸台風・伊勢湾台風は実際に体験しているのですね。

10090109 手紙を郵便ポストに入れる時代じゃないのかなあ。

2010/08/31 06:49どうやらこうしてポメラを開けることが嬉しいです。
 いやこうしてリビングでポメラを打てることがいいなあ、と思っています。
 もう台風の季節になるのですね。伊勢湾台風をいつも思い出してしまいます。
2010/08/31 07:36台所で洗い物をしました。
 とにかく、こもポメラでほかのことをやろうという気なのでしたが、まだ取りかかれません。
2010/08/31 12:30さてリビングでテレビを見ています。
2010/08/31 18:35またリビングに来ました。さきほど目森さんと、手紙のこと等を電話で話しました。今はもうクロネコヤマトでも佐川急便でもサービスと料金も郵便の手紙とまったく変わらないのですね。もう私もいつまでも手紙を郵便ポストに入れる時代ではないのかなあ。
 手紙を実によく書く私は実に考え込んでしまいました。

 こうして考え込んでも、今更どうにもならないですね。

8d6b94f3.jpg またきょうも雨のようです。
 そういえば、大きな台風が来ていますね。ちょうど50年前の昭和34年の伊勢湾台風と同じ規模で同じ針路方向です。ただあれは9月26日でした。思い出せば、洞爺丸台風も昭和29年の同じ9月26日でした。このときは札幌に住んでいました。伊勢湾台風のときは名古屋に住んでいました。狩野川台風も昭和33年の9月26日なのですね。
 写真は昨日10月6日の夕方長女に家に行くときに妻が持たしてくれたものです。すぐにポニョがここにあったニンジンを手にとって食べてしまいました。だから写真上にそれはありません。またすぐに大きな里芋を口にほうばるポニョが私じいじは可愛くて仕方ありません。そのときにポコ汰はいいお兄ちゃんでした。(10/07)

08e44073.jpg マガジン将門第474号へのコメントに書きました3つの台風の思い出を甦らせていましたが、思えば、それ以外の台風は今は記憶にないものですね。だから、私は鹿児島にも住んでいたから、そこで一番多く台風の思い出があるはずなのですが、書きましたように、札幌での洞爺丸台風、名古屋での狩野川台風、伊勢湾台風の思い出ばかりです。
 自分の記憶というものは、そんなものなのかなあ。
続きを読む

 私の8月14日配信のマガジン第474号にある方から次のメールをいただきました。

>目森さんの話ですと、新田は30年代にも、水浸しのことが何度もあったようですね。

私の生まれた荒川区南千住もよく水が出ました。
堤防が破れるというのではなく、静かに増水してくるものですから、
玄関に入ってくる水を監視するのも子供にはドキドキする楽しさがあったり。。。。
我家で暮らせなくなって親類の家から学校に通った記憶もあります。

77d3451b.jpg 南千住ももうすっかり変わりましたね。先日私の母の3回忌で、また南千住の話をして、私は姪から呆れられていました(姪の一人がここのマンションに住んでいるのです)。もうつくばエクスプレスに乗り換えるときに、ここでも乗り換えるのです(北千住のときもありますが)。いつも、南千住前の飲み屋には、「地下足袋、雪駄ばきの方お断り」と書いてあるという話を私はいつもするのです。いつも姪に「それはいつの話だ」と言われています。
 でも私はこの目森さんの話している新田(しんでん)には、ついこのごろ歩いて行ってきました。この王子からは歩いていける距離なのです。墨田川を渡ったらすぐに高校がありました。歩き回って、「ああ、もんじゃ焼きを『ぼった』という店があれかな?」とか考えて歩いていました。
 でも、ここでいう水が出るときはいつのことでしょうか。目森さんの話は伊勢湾台風のときだといいます。昭和34年(1959)9月26日のことです。私は名古屋北区に住んでいました。小学校5年生でした。もう忘れられないものすごい台風でした。今もあの台風の風の音は忘れられません。
 狩野川台風も忘れられません。あれは昭和33年(1958)9月26日でした。このときは、私は小学校4年生で、名古屋市千種区今池に住んでいました。
 私はたしか5年くらい前に、中伊豆の温泉に行きまして、朝部屋から見える狩野川を、「あのときは、すごく荒れた川になったんだなあ、とつくづく思ったものでした。
 洞爺丸台風は、昭和29年(1954)9月26日でした。私はこのときは、札幌市に住んでいます。このときには、前に住んでいた秋田市から、私たちの家にいつも遊びにきて、私たち兄弟を可愛がってくれたYさんという女性が遊びにきていて、彼女が帰るというときに、ものわかりのいいはずの私が何故かごねて、彼女を帰しませんでした。彼女は仕方ないので、どこかで電話を借りて、その日の予約していた鉄道をキャンセルしました。この鉄道が、その夜洞爺丸に乗って沈んでしまいました。
 この3つの台風が私には、ものすごく思い出されます。
 そういえば、私が「伊勢湾台風の歌」というのを、今もよく覚えていて、歌うのですが、どうしても名古屋の人も知らないな。

 そんなことをいくつも思い出していました。

続きを読む

a95709ef.jpg すごい雨と風でした。外を歩いていても、傘をさせないこともありましたね。私は札幌で洞爺丸台風に遭い、名古屋で伊勢湾台風を経験しました。鹿児島でもたくさんの台風を経験しています。でも今はテレビでの情報が実に助かります。昔もこういう情報が出されていれば、もっとたくさんの人が助かったのになあ、という思いがよぎります。そういう過去の出来事を忘れないことが大事ですね。(9/07)
続きを読む

↑このページのトップヘ