将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:佐々木幹郎

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 私の 絵画展「原田文の世界」を見てきました へ原田直示さんから次のコメントをいただきました。

1. Posted by 原田直示    2008年02月09日 23:45
「周さん」飾らない生き方、素直な話しぶり、二人の娘さんとの交流かとおもいきや、いまだに衰えぬ社会へ向けての情熱。同い年で、近代美術館が建っている場所に埼玉大学があり二人とも青春を過ごした!周さんがシャイな一面があるのに驚きました。弱者にはとことん理解を示す人なのでしょうか。圧倒的な内容を誇る情報発信者・周さんに出会い、たくさんの「若さ」を頂戴した気分で、ありがとうございました。

 ありがとうございます。そしてきょうは実にありがとうございました。原田文さんの作品を見て、もっとたくさんの方の目に触れてほしいなという思いです。私の二人の娘にも見てほしいなという思いですが、明日(いえ、もうきょう10日でした)は長女おはぎはまだ1歳の子どもがいるし、次女ブルータスは実に遠いところに住んでいるのです。
 次女は昨日が誕生日でした。そして学校では授業参観日だったようで、「ちゃんとできた」というケータイメールが妻に入ったようです。私には「たんじょうびおめでとう」というチョコレートで書きましたデコレーションケーキの写真が入ったケータイメールをくれました(あ、彼の顔も映っている)。
 私の二人の娘、そしてその彼の4人が教員です。これは私には実に嬉しいことですね。
 この一つ前のUPで、佐々木幹郎さんとの思い出を書いてみました。もう遠い遠い思い出ですが、もうどんどんと甦ってきます。大口昭彦さんとお会いしたのは、平安神宮だったかなあ、なんて思い出しました。そのあと近くのレストランで大勢で飲みましたが、大口さんは終始正座の姿勢をくずさず、ずっとビールを飲み続けていました。その姿勢に私は驚愕したものでした。
 原田直示さんの本の出版を愉しみにしています。出版日が決まりましたら、教えてください。

 それと「巨樹写真作品解説」を読みました。できましたら、原田直示さん、ご自分のブログを開設されませんか。この「巨樹」の写真をインターネット上で見てみたいし、これに書かれている文章だけでも、インターネット上に掲示されていれば、私たちには、とても嬉しいことです。
 それに原田文さんの絵画も、写真を撮られて、ブログで掲示されたらいいのになあ、と思いますよ。多くの方に目に触れることが、たくさんの方への大きな励ましにもなると思うのですね。ブログならHTMLに関係なく、言葉と写真だけでUPできますよ。昨日の絵画展を見たことは、私には実に嬉しいことでしたが、でもまったくこの情報を知らないかた、それにさいたま市北浦和からは遠い方もいるわけです。
 できたら、それがインターネット上に公開されていたら、とても嬉しいことだと私は確信するのです。

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 一つ前の 絵画展「原田文の世界」を見てきました に書いたのですが、この原田文さんのお父さんの原田直示さんは、私と同じ昭和23年の生まれの方でした。でも私のように現実に学生運動をやられた方ではありませんでした。
 それで、グーグルで「原田直示」というキーワードを検索しますと、以下の掲示板が提示されます。

   橋の上の夢

 ここに原田直示さんは、二つの書込みをされています。それでそれに佐々木幹郎さんがレスをされています。それで始めて気がつきました。ここは

   http://voicespace.blog58.fc2.com/  VOICE SPACE

というサイトだったのです。
 この原田直示さんにレスされている佐々木幹朗さんは、このサイトに以下のような紹介がありました。

■VOICE SPACE ―東京芸術大学現代詩研究会―
東京芸術大学音楽学部の学生、院生、卒業生を中心とした、現代詩を研究する音楽グループ。「音楽文芸」講座担当の佐々木幹郎氏、成田英明氏を顧問として2004年に発足。

 え、そうなんだ、ということで、実に懐かしい思いです。幹郎さんは、私よりも1歳年上で、大昔私は京都・大阪でお会いしたことがあります。私が大学6年のときに、1972年7月14日大阪駅前にて、お会いしました。私たちは4名の埼大生グループで、京都駅前でそのとき5名の後陣グループと会いまして、それから大阪に向かいました。ただし、このとき私たちは全員ダークスーツにサングラスでした。京都の夏は暑いのです。そして私たちは貧乏な学生です。でもみんな必死でスーツを揃えました。
 私たちは、それから堺に自宅のある浜野さんという、その昔、革共同全国委員会から参議院選挙に出たという方の自宅へ向かいました。
 私たちは1週間前から京都にいました。立命館大の活動家の「ぷくとん寮」というところにいましたが、ひたすら毎日酒を圧倒的に飲んでいました。しかし、この7月14日はスーツを着る関係上、もう汗の出るビールは飲まず、せいぜい日本酒を飲むだけで、あとは誰も会話もせず、面白くないような顔だけをしていました。サングラスで笑うとおかしいのです、決まらないのです。
 それで大阪の梅田駅で浜野さんの関係の3人と会いました。そのときに佐々木幹郎さんとお会いしたのです。まったく蒸し暑い夏の大阪でも、全員ダークスーツにサングラスの私たちに幹郎さんたちは、どんなに驚かれたことでしょうか。でもそれから浜野さんのお宅でも、私たちは延々と飲んでいました。
 私たちは、夏のことですから、そこでスーツを脱いでも、下着姿になってもちゃんとしているよう、下着も用意しました、ちゃんとちりめんのステテコ姿になったものです。でも実は腹巻きも着けようという気もあったのですが、何しろ私たちは金のない学生です。みんなアルバイト中で、そこで必死になって京都まで来たのです。腹巻きは用意できませんでした。
 私はちょうど上中里の農業技術研究所というところでアルバイトしているところで、卒論のことで、大学の遠い寮に行かなくてはならない、という大嘘をついて京都に来ていたのでした。
 その浜野さんの御自宅に泊まりました翌日、私たちは幹郎さんたちの案内で、桜吹雪の降る中、京都祇園を歩き、やがてみんなで、鴨川のほとりで、みなで輪になってまた飲み出したものでした。あのとき、幹郎さんがご自分の「死者の鞭」の詩を披露してくれたのを思い出します。もちろん、私はそこで、詩吟を披露しました。
 思えば、このときに、ちょうど京都大学に居た、大口昭彦さんと私は始めてお会いしたものでした。

 原田直示さんの名前で、検索しました。思わず懐かしい名前を見つけて、ずっと昔の思い出が甦りました。

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