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Tag:俊寛

俊寛 (日本の物語絵本)
俊寛 (日本の物語絵本)
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書 名 俊寛
文   松谷みよ子
絵   司修 
発行所 ポプラ社
定 価 1,200円+税
発行日 2006年6月第1刷
読了日 2010年8月21日

 私が小6のときに、鹿児島に引っ越したときに一番最初に関心を持ったのが、この俊寛のことで、住んだ町にあった俊寛の碑を見ていたものでした。
 この絵本の最後に西本鶏介さんが次のように書いています。

 鹿児島県鹿児島郡三島村の硫黄島には俊寛堂があり、足摺の足形のついた岩も、港の中に残っているそうです。なお大島郡の喜界が島だという説もあります。

  私は鬼界が島は、喜界が島だとばかり思い込んでいましたが、今こういうことも知った思いです。
 この俊寛の話は、「悲劇の極致」と書いてありますが、その通りですね。私は平清盛は実に好きな人物なのですが、でもこの俊寛の物語では、彼にこそ、この話の原因があるのだということが忘れられません。

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 僧月性といいますと、私はなんといいましても、この詩を思い出します。

   http://shomon.net/kansi/kansi3.htm#kasyaku 釋月性『題壁』

 いや、私はこの詩しか知りませんでした。私には「この詩は処世吟だからなあ、今のこの歳を私が詠うわけにいかないよ」という思いでしたが、でもひそかに独りで吟うことはありました。
 その月性にはもちろんいくつもの詩がありますが、次の詩を知りました。

   俊寛僧都墓前作 釋 月性
  一身千里遠 一身千里遠く
  孤島十年留 孤島十年留まる
  遷謫人何在 遷謫(せんたく)の人何(いず)くに在りや
  不禁懷古秋 懐古の秋(とき)に禁(たえ)ず

  ただ一人京の都から千里遠く流されてきて
  この絶海の孤島で十年過ごして亡くなった
  この流謫の人・僧俊寛は今はどこにいるのだろうか
  その彼の墓に詣でて、古い歴史を偲んでいることにもたえ難い思いがした

 これは天保12年(1841)の春、25歳の月性が、長崎を訪れたときに、この俊寛の墓に詣でようと思い立ち、鬼(喜)界ヶ島に渡って、その俊寛の墓の前で口吟したのが、この五言絶句です。
 俊寛は、後白河法皇を擁して鹿ヶ谷で平家追討の謀議を計ったということで、捕らえられ、藤原成経・平康頼とともに、この南海の孤島鬼界ヶ島に流されます。
 ところが、翌年成経と康頼は許されて都に召還されますが、俊寛にはその赦免がきません。これは平清盛が、この俊寛をことのほか憎んでいたからといわれます。
 私は小学校5年のときに、「平家物語」と「源平盛衰記」を読んで(もっとも小学生でも読める内容でした)、その中の登場人物の僧俊寛に関することをいわばただの物語としてしか読んでいませんでしたが、小6の7月に鹿児島へ引越しまして。家のすぐそばにこの俊寛に関する碑があったときには、驚きました。あの平安時代の末期に、都から遠く歩いて、鹿児島から船の乗せられて鬼界ヶ島までいかされたのですね。

 この幕末の時代に、長崎から船で鬼界ヶ島まで行ったとしても、それは大変なことだったと思われます。私は喜界ヶ島の人を女性で二人知っていますが、この俊寛のことがあったからこそ、知っていた島でした。
 そのいわばいまでも絶海の孤島だと思いますが、そこに、この幕末にわざわざ月性が行っているということに感動します。

 それと、この月性に関しては、「にわか病」にて突如亡くなったと思っていましたが(詩吟の解説本等々にはそう書いてある)、安政五年(1858)に、萩に船で行く途中幕府関係者に毒茶を飲まされて殺害されたということです。安政の大獄よりも1年も前のことです。

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