将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:保母

おおきなおおきなおいも―鶴巻幼稚園・市村久子の教育実践による
書 名 鶴巻幼稚園・市村久子の教育実践による
    おおきな おおきな おいも
さく・え 赤羽末吉
発行所 福音館書店
定 価 1,100円
4才から
発行日 1972年10月1日発行
読了日 2007年9月4日

「ここは あおぞらようちえん」という言葉から始まります。そしてそのページは、その幼稚園が描かれています。
 この幼稚園の様子が、私の二人の娘の通った我孫子の根戸保育園に見えてきます。私の娘も、○○ちゃんも、このえのように、みんなで遊んでいました。それをもう鮮やかに思い出します。

 この絵本の幼稚園生たちは、えで大きなおいもを描き出します。私の二人の娘の描いた絵が、この王子のおじいちゃんとおばあちゃんがみなとっておいてくれました。それを見ていると、もうあの頃がどんどんと思い出されます。小さいときの私の二人の娘もいっぱい描いています。おそらく保育園でもいっぱい描いていたのでしょうね。

 私も妻は、根戸保育園のお隣のつくしの保育園で保母をやっていました。たぶん、子どもたちにいくつも絵を描かせたものなのでしょうね。
 えを見ているうちに涙ぐんでしまった私です。

 この絵本もナミちゃんの紹介です。

  http://blogs.yahoo.co.jp/namint7/19320431.html
                   絵本「おおきなおおきなおいも」

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 ちょうど1月以上前のことですが、ポコちゃんは19日に入院しましたきょうポコちゃんが退院します の病院に一カ月後の検診のため、きょうから一日の入院です。だから、私がついて行きました。ただ私は下駄で出かけようとしたら、長女に怒られましたので、靴に履き替えました。
 もう優しい看護婦さんにも会えましたし、優しい保母さんにも会えました。
 でもやっぱりポコちゃんは不安そうです。なにしろ、前のときは痛い注射をされたところですから、まだ小さい彼には、とにかく怖いところなのです。
 ただ、私の顔を見ると、笑顔を見せてくれるのですが、私はいつまでもいられませんので、手を振って別れてきました。
 でもさきほど、おはぎからケータイメールがありました(病院の中にケータイを使える場所が設けてあるのです)。それではどうやら、もう大丈夫なようですが、「とにかく悲鳴をあげてないて辛そうでした」とありました。私からは、

「我慢できたのは偉かったね」とじじが言っていると伝えてね。それから、ご本を読んであげてください。

というケータイメールを出しておきました。
 私は、ポコちゃんが可哀想だから、「注射は、じじが替わってやるよ」と言っているのですが、おはぎに「そんなことできるわけがないでしょう!」と言われるばかりです。
 明日帰ってきたら、私がいっぱい絵本を読んであげます。

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 私は今朝7時35分に起きました。その寸前まで長い夢を見ていました。

 私はある会社で、保母を養成する仕事に関するコピーライターをやっています。これは実際に私が27歳の頃やっていたことです。
 でも夢の中では、実際にその広告を書くことよりも、その私の勤める会社に社員をどうやって多く新規採用するのかということに必死でした。なにしろ、より多くの社員がほしいのです。
 もうなんだか必死でした。より多くの若い社員がほしいことと、でもなかなかいい人材はいません。そして会社の上層部からの要請は執拗です。
 私は多くの若い女性に、この仕事が何故素晴らしい職業といえるのかを必死に話しています。それらの方々は、まずは私の広告コピーで集まられた方々なのです。この方々の中からまずは多くの人材を選ばなければなりません。

 私は「教育」ということで、かなりいろんな話をしていきます。魯迅の話も長く展開します。
 その必死に私の喋る口調の中で私は目が覚めました。

 でも長い長い夢でしたが、なんだかほとんは忘れてしまいました。

 ああ、今すぐに出かけるので、詳しく書いていられないのが残念です。

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06080807 わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいるこのUPがありました。

 お題は次の文に続く──「父親はきちんと家に帰ってきて、こどもと一緒に遊んだり、笑ったり、じゃれあったり、ものを教えたりする必要がある」

 私は娘が生まれて、でも仕事が実に忙しすぎるような会社でした。ほぼ毎日娘の起きている時間には帰れないし、まだ週休2日の会社ではありませんでした。でもよく夜事務所から電話で長女とよく話したのを覚えています。
 妻がよく「ほらパパだよ」と言って電話を替わってくれていました。すぐに次女も私と電話で話すようになりました。
 思えば、そういうことが当たり前にできる会社の雰囲気に私はしていたものでした。でも思えば、あのとき私の周囲にいたクリエーターたちは、みな結婚もしないし、しても子どものいない人ばかりだったな。あ、一人男の子のいたデザイナーがいましたが、私はあの奥さんとも、息子さんとも電話で会話したことを、よく覚えていますよ。

けれども会議が、出張が、締め切りが、なんて抗議の声は上げられる。生活を成り立たせるための仕事を放り出したりすれば本末転倒ではないかと。同意、わたしもそうだから。それでもココロのどこかで知っている、ものごとには、取り返しがつくものと、つかないものがある。そして、代替の利くものと、利かないものがある。取り返しがつかないものは、子どもとの時間であり、代替が利かないものは、父親だ、ということに。

 私は二人の女の子が娘でしたが、とにかく休みのときは、懸命に遊びました。ただ女の子だったから、少々判らないところがありました。姪もみな女の子でしたから、のちに、娘の友だちの男の子が遊びにくると、その遊びの違いに驚いたものでした。
「代替が利かないものは、父親だ」というのは、よく判ります。保育園なんかではみな女の保母さんばかりで(今は保父さんもいるようですが、娘の時代は保母さんばかりでした)、男の子は遠慮があったのだと思います。私が園の行事で、行きますと、男の子たちはまさしく空中を私に飛びかかってきたものでした。こういうkことができるはずの男のお父さんは面白くて仕方なかったのです。でも、私は実にヘとへとになったものでした。

 たとえば近所の公園。「公園いってキャッチボールしよう」「紙ヒコーキ折ったら公園で飛ばそうか」と誘って子どもが喜んで一緒にいく、なんてあと何年できることやら。すぐに「友達と一緒にどこかへ」になるに違いない。つまり、公園で遊べる期間は、ある年齢を過ぎてしまえば取り返しがつかない時間となり、その相手は、父親以外の誰も代わりができない。

「父親以外の誰も代わりができない」というのは、その通りです。だから父親は大切なのです。そして同時に母親も大事なのです。誰も代わりは簡単にできないはずです。
 でも、いい本を知ることができました。

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