将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:保育園

12110210 私の二人の娘は千葉県我孫子市で保育園にお世話になりました。その娘の子ども、長女の三人の孫、次女の一人の孫は今保育園でお世話になっています。でも私の姪の一人は、なかなかこの保育園のあきがなくて大変なようです。
 私と妻も仕事をやることで、王子の家から私の両親の家のそばに引越ししまして、そこで私の両親に世話になりました。
 私の両親の自転車で保育園に行きまして、そこから帰って姪と三人でテレビを見て、食事をしているところに、妻が帰ってきて、それで家へ帰っていました。それをずっと続けていたのです。
 今は私と妻が二人か片方ずつでよく長女の家へ行っています。次女ブルータスは、じゅにはけっこうあちらのじいじばあばにお世話になっているようです。
 でも全国でも現状は実に大変なようです。

保育園の待機児童、全国で約2万5千人 増加のトップは大阪市
http://www.j-cast.com/2012/11/03151084.html?p=all

 なんとかならないかなあ、と思います。私の妻も我孫子市で保育園の保母で勤めていました。でもパートという身分は延々変わらないようで、それで今の職場に変わることができたものです。12110211

 東京や大阪といった大都市がこの傾向が顕著です。
 私の孫の現状を喜ぶと同時に、私たちじいじばあばも懸命にやって行きます。

12050108 昨日の保育園行きをたくさん思い出していました。

2012/05/02 06:13昨日は夕方4時30分におはぎの3匹の孫の保育園へ行こうということで(妻も来るということでした)、でも4時15分には園に着いて(自転車で行きましたら、思いがけず早く着きました。それで最初ポポに会いまして、すぐにポコ汰とポニョにも会いました。でもポポの靴がどこにあるか分からないで(実はポニョの靴と一緒にあったのです)、でも3人と私が園を出て歩きだした(もうポニョもポコ汰も走り出してしまうのです)ところで、ばあばが来てくれました。
 もう3人が走るので、じいじは大変です。もうじいじは必死に追いかけています。でも私では駄目なのです。ばあばが一緒で良かったです。
 そのあと家へ帰っても、もう三人は大変です。一番小さいポポが一番勝手です。
 ポコ汰が最初私のIS01を取り出して、そのうち、ポニョもそれを手にとり(ポコ汰はちゃんとポニョに手渡しします)、あちこちを、とくにテレビの画像を撮っています。でもポポはポニョに乗しかかるようにして、奪いとります。それに、このポメラもポポはもう壊しそうな勢いです。もう私は気が気ではありません。でもガラパゴスも持って行けば良かったな。ポコ汰もポニョにもガラパゴスを聞かれました。今日は忘れません(忘れたわけじゃないのですが)。
2012/05/02 06:41昨日おはぎの三人と接して、私じいじでは対応できないかなあ。三人の走ることの早いこと、私の身の周りを探ることの素早いこと、もう私はついていけません。今日も夕方行くのですが、もう私はばあばの後にいます。いつも私は次女ブルータスのじゅにのことも思い浮かべていました。
 大変に元気いっぱいの三人ですが、じいじはもうついていけない感じですね。困った、困った。
 でも今日はもっとがんばりましょう。

 今日も三人の孫を迎えに行きます。今日はもっとうまくやります。

12040806 ポポの入園式はとっても良かったです。

2012/04/07 18:49今日はおはぎのところの三人の孫のところで、一番小さいポポの入園の日でした。それで、一番小さいポポですが(でももちろん、私にはもっと小さいじゅにがいるわけですが)、それでかなり緊張していました。 それで私はこの「きんちょう」ということで、昔千葉県船橋で「修学館」という学習塾(当時は私のところは進学教室と言っていました)をやり始めたときに、1984年(かどうか今は自信がありません)の9月1日に、普通教室の午後6時からの授業で、小学5年の男の子が、「すごく緊張している」と言いましたが、それと私が中学1年のときに、鹿児島市の甲東中にいたのですが、数学の先生が、「謹聴」とたびたび言ったのですが、この保育園でのポポは、「緊張と謹聴とどっちかなあ。まあポポは当然緊張しているんだよなあ」なんて思っていたものでした。

 ポポをいっぱい思っています。

10071903 大変に暑いですね。仕方ないよな。夏だからね。

2010/07/20 07:31きょうも暑くなりそうですね。今も暑いです。もし冷房がなかったらどうなるのかなあ。
2010/07/20 07:47どうしてこの暑さの中無理はできないですね。私は長女の家に、昨日2度行きましたが2度とも自転車に乗りました。いつもなら、一日一万歩を歩くために1度は歩くの(自転車ではいつも持参している万歩計は進みません)ですが、もう今は歩いていたら、ものすごい汗で大変です。でも歩くことも大事ですから考えちゃいます。
 私の次女は千葉県の君津市に住んでいますが、もう職場へは車ですから、もう足が非常に弱くなりました。このことは、現在はどこでも田舎に住んでいる人は誰にでも訪れる症状ですね。私たち都会、この東京のほうがいいです。もう実際に歩かないと、どこにもいけません。JRも地下鉄もどこでもとにかく歩かないと、目的の場へはいけません。これは結果としてはいいことなのでしょうね。
2010/07/20 07:58さて「ゲゲゲの女房」です。プロダクション化はどうなるのでしょうか。
 でも思い出せば、私が大学のときにはもうテレビで放映されていたのですね。ああ、私の高校生のときからかなあ。
2010/07/20 09:52さてもうすぐ10時になります。さあ、きょうは私の次女はどうしているかなあ、と気になります。きょうで学校は終わりでしょうから、きょうあたりはどうかなあ。いつもこのブルータスのことが気になります。できたら、このブルータスにもツイッターをやってもらって対話したいのですが、無理かなあ。そうすれば、この暑さも少しはしのげるのになあ。いえ、もちろん涼しくなるわけではありませんが、私ともツイッターで対話になれば、ものすごくいいものです。
 あ、ポコ汰もポニョも保育園へ行けたかな。早くポポも行けるようになってほしいです。

 大学2年のときに、私のサークルの一年後輩が「ゲゲゲの鬼太郎」の歌を唄いました。もうそんな時代の漫画なのですね。

10070307 昨日も私は夕方に長女宅へ行きました。
 ポニョを注意したら、泣いてじいじを叩きにきました。でもそのあと悪いと思ったのか、私のそばに来て、いろいろなものをいじりだしたものです。ちょうど私はポポを可愛がっていたところでした。でも私の鍵を引っ張り出して、大変でした。
 ポコ汰がもうすっかり少年なことを感じています。私は昨年にも絵葉書を書いているのだけど、いつ読んでもらえるのかなあ。ポニョにも書いているのですが。
 またあちこちに絵葉書を書きましょう。
 写真は、これも昨日と同じく先日3日の保育園の七夕会のときに行く路で撮りましたものです。今はどこでもこうしてお花を見ることができますね。(07/08)

5671f3d2.jpg 写真立をありがとうございます。ひな祭りが終わったら、これをどう利用していこうかと思っています。
 私は風邪を引いていたので、17、18日と孫に会えなかったのですが、昨日の夕方は行きました。そうしたら、長女が職場から電話してきて、ちょっとどうしても遅くなるので保育園に、二人を迎えに行ってほしいといいます。それで行きましたところ、もうたくさんの持ち帰るものがあり(金曜日なので、ふとんのシーツとかいくつもあるのです)、それをまとめて持ったところ長女が来てくれていました。ポコ汰はいい子なのですが、ポニョは靴を口で噛んだりして、もう保母さんたちをあわてさせています。
 そして1Fに降りて外へ出ると、ポコ汰は校庭を走ります。ポニョも嬉しそうに滑り台に勝手に登ったりしています。たぶんポニョはしばらく風邪で保育園にニイニイとは来れなかったので、昨日はとっても嬉しかったのでしょう。でもなんとなく、私じいじでは二人の孫にも何もかもついていけない感じでした(私より二人のほうが走るのが早いよ)。あ、でもこれでは義母のお便り帳ではなくなってしまいますね。
 写真は、昨日長女の家から帰るときの東武ストアで撮りましたものです。(02/20)

e9119399.jpg 昨日ひさしぶりに保育園に行きました二人の孫とおしゃべりしました。もちろん、下のポニョはまだ喋られません。
 でも私は長女おはぎに怒られていました。いえ、私が悪いのです。
 写真は、12日に秋葉原ヨドバシカメラで買物をしたあと谷中で食事したのですが、そこの街中の風景です。私がよく通る路です。(12/15)

d1838d15.jpg きょうは、孫二人が2週間ぶりに保育園に行きます。インフルエンザのことでこうなったのです。きょうはみんなたくさんの友だちに会えて嬉しいだろうなあ。
 写真は、12日に撮りました。秋葉原ヨドバシカメラの入口にあったクリスマスツリーです。今年はたくさんのツリーを見ていますね。(12/14)

e1cc5848.jpg 昨日比較的元気に帰ってきました。ただどうしてか、靴がどこかへ行ってしまったようです。ですから今のは前のとは違いますので、ご注意願います。
 孫の保育園でもインフルエンザが5人出たそうです。それで二人の孫は保育園をお休みします。そうすると、あちらのお祖母ちゃんと、私のところのばばとじじの私ががんばります。
 写真は11月24日に撮りました。柳田公園近くの薬局のショーウィンドウです。とても夢があっていいですね。(12/01)
続きを読む

d4374b03.jpg

 この日も朝長女の家に行きました。二人の孫に会え嬉しいです。

2009/11/21 07:41昨日の保育園での「お店屋さんごっこ」でのポコ汰の写真を見ています。両手でピースをしています。嬉しい写真ですが、「もっと撮れば良かったのに」と言われています。思えばその通りですね。反省しています。
2009/11/21 09:05今長女の家に来ました。ポコ汰もポニョも今朝ご飯を食べています。こんな時間に食べているんだ。もう可愛い可愛い孫二人です。
2009/11/21 09:12もうにぎやかなポニョです。まだ、喋っている言葉がよくわかりせん。
2009/11/21 13:23今王子駅から電車に乗りました。秋葉原へ行きます。インクも買いたいし、あといくつかあります。きょうは暖かいですね。たった今電池を替えました。もうすぐ上野です。
 王子〜秋葉原間が12分ですからね。でも、電池替えもこんなに簡単で、とても嬉しいです。
 さて、もう秋葉原です。降りてもエスカレーターでは打ち続けます。
2009/11/21 13:34さて秋葉原です。
2009/11/21 14:10帰りの電車の中です。速いな。「週刊アスキー」に書いてあっても、ヨドバシカメラでないものもあるんだなあ。もう私はいつも店員に聞きます。前には、私のケータイにメールして、それを見せたものでしたが、今では、そのページを切り取った紙片を持って歩きます。あ、帰ったら図書館だ。予約の本が来たというメールがありました。あ、王子です。あ、まだだ。上中里だった。あ、忘れていた。チョロキューも買うの忘れた。
2009/11/21 15:21でも帰宅しまして、雑誌を一冊読みまして(また別にちゃんと読みなおしますが)、今度は図書館へ行きます。

 図書館で予約したものを借りてすぐ帰りました。
 今義母が帰ってきて、私が迎えに行きました。

続きを読む

babab7f2.jpg

 この日は、二人の孫の保育園へ行きました。私はもう午前7時台に行くものだと思っていましたが、長女から電話があり、午前9時45分から開始だから、それ以上前に行かないで、みんな迷惑だからといわれました。それでちょうど9時38分くらいに保育園に入りました。

2009/11/20 10:38長女の家にいます。保育園でポコ汰と「お店屋さんごっこ」をして来ました。
2009/11/20 10:40この家から保育園までの路を歩いていて、私はいつも自分の保育園時代を思い出します。私は昭和23年5月30日の生まれだから、ポコ汰と同じ頃とすると昭和25、6年のころなのですね。秋田の市内に住んでいて(黒塀土横町といったと思いますね)、保育園のことも思い出します。私はお昼寝が大嫌いでした。
 すべてが懐かしい思い出になります。

 お父さん、お母さんがたくさん来ていました。おばあちゃんもいました。でもじいじは私だけだったなあ。夕方私がまた行こうと思っていると、長女が二人を連れてきました。彼が職場の飲み会だったのです。保育園ではポニュには会えませんでしたが、このときにはいっぱい触れ合えました。

続きを読む

3e88312f.jpg 一昨日も昨日もポニョを看ていました。昨日の夕方には、お熱は平常でしたから、きょうは保育園へ行けると思います。
 そうしたら、ポコ汰もお兄ちゃんとしてちゃんとやってくれるでしょう。
 じいじの私はいつも二人の孫のことばかり考えています。
 保育園で元気にしていてほしいです。じいじが迎えに行くのは、行って孫に会えることは嬉しいですが、でも私が行かないことを願います。
続きを読む

d4f4a725.jpg それで、昨日も今日も保育園を休んで家にいました。昨日は医院にも行きましたが、ただ休んでいるしかないようです。夜になると少し熱が上がるので心配です。
 でもきょうは、義母も帰ってきて、妻も帰ってきたので、人形町の柳屋の鯛焼きとその他のものを持ってポコ汰の家に向かいました。
 でも、ポコ汰は、少し具合がよくないのか、あまり機嫌もいつものように完璧ではありません。「じいじは嫌い」なんていう言葉も出ます。もうその言葉で、私はどんなに辛い思いなのか判るかなあ。
 ただ、そのうちに3Fに行きまして、「じいじもきてほしい」ようなことを言っていまして、もう私は途端に嬉しくなります。
 そして、私も3Fでポコ汰のそばに行きます。もうそれにポニョも笑顔でいてくれます。
 私じいじは、ポニョも大好きです。でも男の子もポコ汰がもう可愛くてたまらないのです。
 明日は少しは熱が下がるかなあ。じいじが行ったら、嬉しがってくれるかなあ。
続きを読む

56c735e9.jpg

 8月4日の朝7時くらいに、電話がありました。長女おはぎです。ポニョがお熱があるといいます。それで午前11時半くらいに来てくれと言われました。でも私は11時前に行ってしまいました。

2009/08/04 10:46おはぎの家に来ました。ポニョをみるためです。朝お熱が少しあるという電話がありました。
 でも今ケータイがかかってきまして、ポニョは保育園にいけるかもしれないです。それなら、そのほうが安心です。
2009/08/04 10:55でも私は少し早く来すぎたようです。11時半でよかったということでした。でも私は気が短いのですね。
2009/08/04 10:57今ポニョの寝顔を見ています。北社会保険病院へ行ったようです。

 このポニョの寝顔はデジカメを撮りました。私のリビングに紙焼きを置いています。
 今晩(5日の夜)はミツ君が出張なので、おはぎ家族はうちに来ているのです。だからいっぱい二人の孫と遊びました。ポコ汰はさきほどやっと眠ったようです。

続きを読む

62ffcf18.jpg

 昨日は、朝8時少し前に長女の家に行きました。ポニョがお熱が出たというのです。おはぎとポコ汰が保育園と学校へ行くと、しばらくは追いかけて泣いていましたが、そのうちじいじのそばへ寄ってきます。
 なんだか、私は少しポメラを書きましたが、少し眠くなったりしていました。
 おはぎは、それほどの用事はなかったので、帰ってきて、私は家にもどりました。
 でも実は、午後1時すぎに来客があったのです。あ、私がいて良かったです。大切な用でした。
 それから、私の妻が午後7時に帰ってきて、おはぎの家に行くと、いいます。私は「ああ、ばあばに会えれば嬉しいから行っておいで」といいます。でもすぐに気が付きます。今は、義母がお泊まりでいないのです。どうしても妻と私のどちらかが、夕方や日曜日は家に居ないとならないと考えがちです。
 でも今は、いいので、二人で長女の家に出かけます。長女の家に着くと、そのうちにミツ君も帰ってきます。
 もうばあばに会うのはひさしぶりなので、ポコ汰とポニョは大喜びです。二人とも、もうおしめを替えるのも忘れて遊んでいます。もうこんな姿が可愛くて仕方ありません。
 時間はたちまちのうちに過ぎて、夜10時を回りました。あのあとお風呂に入ったら、疲れてすぐ眠っただろうな。ポコ汰は、私たちを送ってこちらの家にまで来るなんて言っていたものでした。

 もう夢中で遊んでいた。声をあげて喜んでいたポコ汰を思い出します。

続きを読む

b0ad9b80.jpg 昨日は孫が二人ともお熱が出て、少し大変でした。きょうも面倒をみます。その保育園に行きまして、他の子どもたちが大変に私に興味を持ってくれました。私が帽子を冠っているからです。
 写真は昨日12日の午前8時代に撮りました。選挙に行きました柳田小学校の講堂にあった校歌です。(07/15)

c1cad6c6.jpg

 午前11時前に長女から、ポコ汰が熱があるようだというので(保育園から長女のケータイに連絡があります)、あわてて保育園へ向かいました。そうしたら、ポコ汰の部屋に入ったら、ポコ汰は寝ています。でも、ポニョも熱があるので、おはぎが迎えに来るというので、私はそこで待つことになりました。
 でも子どもたちが、もうじいじの私にいっぱい話しかけてきます。実は、私はそこで文庫本を読んでいたのでしたが、でもでも、もう子どもたちといっぱいお喋りしたくてたまりませんでした。私は「お歌を唄います」とそこで、詩吟をやりだしたいのですが、でもでも、そんなことをしたら、きっと長女にものすごくおこられます。じっと我慢の私でした。

2009/07/14 13:12ポコ汰がお熱を出して保育園に迎えに来ましたら、ポニョもお熱で、待っていたら長女も来てくれました。今はみんなお昼寝で、そうだなあ。私は帰ろうかなあ。

 それで、おはぎの家で「週刊アスキー」を読んで、やることないから、帰りました。二人はおはぎと3Fでお昼寝でした。
 でもでも、今おはぎから、メールでお医者さんへ行ったと書いてありました。
 とにかく、安心している私です。

続きを読む

e24a207d.jpg 友人に手紙を書くのはいいですね。懐かしい友人ばかりです。
 写真は昨日8日の午後6時代に撮りました。ポコ汰が父の日にくれたプレゼントです。保育園で作りました。(07/09)

baf56afd.jpg もうすぐ二人で出かけます。5月1日に手術なのです。写真は、長女おはぎが作ってくれたお守りです。この中には、先日の二人の孫の保育園の入園式で撮りました長女家族4人と私たちじじばばの写真と、ポコ汰とポニョが映っている写真が入っています。とってもいい写真ですよ。

33da46cf.JPG 昨日の21日には、義母がデイサービスから午前11時すぎに戻ってきました。熱が8度を越えているというのです。それでわが家の車を降りたところで迎えた私はすぐに、行きつけの医院へ行きました。そこで診てもらいまして、帰ってきて、私はすぐに薬局へ行きまして、薬をもらってきて、飲んでもらったはずなのですが、でも義母は飲んでいなかったのです。もう私は困り果てました。妻が帰ってきて、どうやら飲んでくれました。
 それで今朝は世田谷のクライアントへ行く予定だったのですが、急遽ケータイメールで変更を申し出しました。実は、きょうは8時頃長女の家へ行ってポニョをみたあと、9時近くに保育園へ連れていきまして、そのあと王子で南北線に乗る気持でいました。「自転車をどうするかな。長女のところに置いておくか」なんていう気持でした。でも保育園のほうもこちらの事情を判ってくれて、ポコ汰とポニョを長女から一緒に預かってもらえるとのことで、これは一つありがたかったのですが、さらに私のクライアントにも無理をいいましたものです。
 私の妻が8時30分に近くの接骨院へ行きまして、帰ってきました。足を怪我しているのです。それできょうは、義母を私がずっと診ていなければなりません。
 きょうはいろいろ連絡もとります。Gメールもケータイメールもありがたいです。電話での連絡は無理です。いえもちろん、電話での連絡もいくつもありますが。
続きを読む

9a125121.jpg 昨日保育園のお迎えに行きまして(二人の孫に返すものがあったのです)、そのあとあわてて義母のお迎えで戻ってきました。保育園の前で、ポコ汰が「あ、じいじだ!」と言ってくれたものです。
 写真は4月13日午前11時すぐに近所にあったお花です。私は薬屋さんからの帰りでした。(04/14)

594df7f4.JPG 昨日も大変に混乱していた義母です。
 昨日は、孫のところは、あちらのじいじが保育園に迎えに来てくれました。きょうは、私は午後4時に迎えに行きます。
 写真は昨日4月7日午後1時30分頃撮りました。でもこの学校の名前が今判りません。この家からサミットストアへ行く途中にあります。(04/08)

444a3c70.jpg 昨日の私の散歩です。
 まず、朝は妻が義母をデイサービスに送りますので、私は妻より先に二人の孫の保育園の入園式に向かいます。柳田公園を通ります。このときが午前10時1分でした。
 私は実は午前9時40分くらいにすぐ近くの王子中央図書館分室に出かけて、本を3冊借りていました。本09040407が揃ったというメールを受けていたのでした。この日が始めての開館日でした。

 私は妻よりも先に家を出ましたが、どこか途中で自転車に乗った妻に追い越されていました。この日は、長女の家に行くのではなく、直接保育園へ行きます。
 私の孫、ポコ汰とポニョが入園したのは、上中里の09040410「まごころ会保育園」といいます。私は10時30分を過ぎて、入口でうろうろしましたが、入ることができました。
 もういっぱいの人がいます。すぐに、妻を認めました。

 見ていますと、ポコ汰が椅子のパパから離れて、後09040411の私と妻を見てくれるのが判りました。でもこのときの「卒園式」とある画像があるのですが、私はそれをコピーできないのです。またミツ君に知恵を借りよう。もうSDが普通のものではないEye Fi Managerだからなのですね。前にパソコン内にコピーしたものを削除してしまっていたのです。でもデジカメのEye Fi ManagerのSDには残っているのです。

 いくつも写真は撮りました。でもUPはできません。娘に怒られます。でも生徒さんたちもその親御さんたちもみないいお顔をしていましたよ。
 思えば、私の父と母が私の二人の娘の保育園の通09040413園でも、いくつもの行事でも、いつもやっていてくれました。私も懸命にやらないといけないのですね。

 このあと、家に帰りました。いつも保育園へ行くとき、帰るときに歩くのだろう路を通って帰りました。狭いけれど、とってもいい路です。

 家に帰って、元気にいちごを食べていたポコ汰です。二人が入園式で手にしていたチューリップの花をテーブルにかざりました(でもポニョはまだ小さいから、手で09040415はずっとは握ってはいられませんでした)。

 それで、このあと、おはぎの家族4人は、越谷のじいじばあばのところへ行きました。あちらでも、もうとっても可愛がってもらったことでしょう。きょう、その様子を聞きましょう。

 それから、私たちは帰りました。もちろん私は歩いて帰ります。途09040417中で、妻と買物をするために、王子駅前の東武ストアで待ち合わせをします。私は素敵な上着を買ってもらいました。これでまた歩けますね。

 それから、最後の写真は、私が昨日谷中よみせ通り「アラスアラサン」で、二人のために買っていたインドネシアジャワ島の犬(だろうな?)です。

3093746f.jpg

 長女宅へ行きまして、孫二人をみる予定が、長女にも私の妻にも会えました。

2009/04/02 13:55「周の散歩」で長女の家に来ました。いえ、実は孫二人の保育園へ行って引き取るつもりだったのでしたが、長女が学校から帰ってきたのでした。校長先生のはからいのようです。
2009/04/02 14:03さて、私はまた歩きます。毎日10、000歩を目指していきます。今は6、442歩です。けっこうそれほど歩いたつもりにはなれないのですが、でもこれなら、毎日一万歩もできますね。今後はどこを歩こうかなあ?
 今住んでいる王子だけでは飽きてしまいますから、もっと遠くも歩きます。電車にも乗りまして、とにかくすべてで10、000歩を目指します。
2009/04/02 14:29今電子辞書で百人一首の実朝の歌を何度も聞きました。恥ずかしいことに、私は涙ぐんでしまいました。これからも何度も聞いていくでしょうね。
 今ポコ汰とポニョも眠ってくれました。今長女と次女を保育園に連れて行ってくれていた私の父と母を思います。おそらく、父は母もいうとおりやっていただけでしょから、思えば母がよくやってくれていたのですね。実にありがたいことでした。
2009/04/02 14:58ポコ汰は「すみれ組」です。ポニョは「たんぽぽ組」です。忘れないようにします。

 百人一首の実朝の歌はいいですね。もちろん、実朝の歌はどれも好きですが、こんなにいいのですね。思えば、藤原定家は、この実朝のいくつもの歌をどんな思いで詠んだのでしょうね。不思儀な不思儀な思いで、この将軍の歌を詠んだことでしょう。そのときの思いに、私は何故か不思儀に惹かれるのです。
 また鎌倉を歩いて、実朝を思います。でもなあ、一人で行って、また独りで飲んでいるわけにもいかないからなあ。
 なんだか、普通に飲んでいられる飲み屋がどこにも欲しいものです。

 百人一首の中の実朝の歌です。

   世の中は常(つね)にもがもな渚(なぎさ)漕(こ)ぐ
    あまの小舟(をぶね)の綱手(つなで)かなしも

 また近いうちに、鎌倉を歩きます。

続きを読む

6bfd7347.jpg 義母に何度も同じことを聞かれ、いささか疲れてしまっている私です。
 昨日入園式だった保育園に私とばあばがきょうの午後行きます。新しい体験に緊張しているだろうポコ汰です。ポニョが泣くのが心配です。
 写真は昨日の午後1時30分頃の柳田公園の桜です。(04/02)

b4864519.jpg 昨日は、義母が帰ってきたときに食べるパンを妻が用意していたのに、別なパンをあげてしまっていた私でした。
 私の二人の娘は、私の父と母がずっと保育園に通わせてくれていました。どんなに有り難かったことだったでしょうか。その頃のことをよく思い出しています。
 写真は私の孫ポニョの可愛いシャツです。ばあばが買ってくれたものです。きょうが二人の孫の保育園の入園式です。泣かないかな、と心配です。雨が降って大変だなあ。(04/01)

53e5f134.jpg

「惑星ソラリス」へのコメント へさらに 私が日々生きているということ の鈴さんから、次のコメントをいただきました。

2. Posted by ひとみ (鈴)    2009年03月25日 21:38
周ちゃん
お久しぶりです
お元気ですか?

私の絵本『ホワホワ、ホワッきい』が完成しました

見て頂ければ幸いです

ヨロシクね(^−^)

 これは以下の ホワッきい で読むことができます。

 私も今も改めて読みました。今回はコメントも含めてすべて読みました。次の鈴さんのコメントも読みました。

今 友達が ホワッきいを 絵本に作ってくれてます(^−^)

 ペイントで綺麗に描けるのですね。
 私はね、けっこう絵本も読んでいますよ。それは、周の雑読(絵本・童話篇)備忘録 で読むことができます。

 孫のポコ汰にも絵本を読んできましたが、今度はポニョにも読んであげましょう。ポニョはお兄ちゃんのポコ汰のことが大好きなんです。もうすぐ4月から二人は保育園に行きます。どうなるかなあ、といつも思っています。

 思い出せば、私は秋田で初めて保育園に行っていたのですね。それからやがて、札幌で小学校入学まで7カ月幼稚園に通いました。思えば、あの頃も絵本をよく見ていたものでしたね。
 その頃のこともよく思い出していますよ。

続きを読む

08121803 周の『独楽吟のススメ』の250 へ、HA茶さんから次のコメントを頂きました。

1. Posted by HA茶    2008年12月18日 12:46
天使のような 孫 ですよね。私も彼女(わが家は女の子一人です)大好きで会うのが楽しみです。

 ありがとうございます。天使ね、そうですね。いっぱい楽しいポコ汰です。それに別れるときに、ときどき泣くのですよ。困ってしまいます。でももうそんなときは、もう抱き締めたくてたまらなくなります。でもそんなことをやっていると、また別れが辛くなりますから、なるべく早く別れるようにしています。
 それと、もうなんでもいっぱい食べます。私じいじは、余計なもの(チョコレートとかお菓子とかいろいろ)を買ってあげてしまうので、いつもおはぎママがサット隠しています。
 来年4月から保育園に二人の兄妹は行きます。でもそのときにも、別れるときは泣くでしょうね。それが今から、大変に心配です。いえ、私も泣いちゃうのですよ。馬鹿なじいじです。

続きを読む

0d1fdab9.jpg

 わが家のおかあさん2008.06.24 にも書いたのですが、ポコ汰は夜、洗面所で水遊びをして、私のところでパソコンでも遊んで、そのあと私と外に出ました。もうどんどんと外を歩いていきます。もう道路の真ん中にも出ていきますから、私がすぐそばを歩いていないとなりません。
 それで昨日の夜は、どんどん歩いて、大きな通りも越えて、柳田公園の方までいきます。私はもう何度も、「もう帰ろうよ」というのですが、どんどん先に歩いていきます。
 でも、もうあるところで、手をひろげてたので、私が抱き上げて帰ります。でも私には、ポコ汰は大変に重いので、途中で降りて歩いてもらいました。
 家に帰ると、パパやママはもう家に帰っているので、今度はばあば(私の妻)が、ポコ汰を抱いて家まで連れていきます。
 もう夜ですから、私はきっと疲れて、すぐにお風呂に入って眠るんだと想像していました。でも妻の話を聞くと、家に帰ってももう大変に走り回っていたようです。もう元気なんですね。
 それで私は判ったのです。私と歩いていて途中で帰ったのは、「じいじでは疲れるだろうから」と帰ってくれたのですね。
 このことはいつも感じています。私の妻と外へ出ても、話を聞くと、私のときよりは激しくは動き回ってはいないようです。多分、相手によって加減しているんですね。そうなると、パパと一緒のときには大変でしょうね。

 思い出すのですが、私の二人の娘が保育園に行っているときに、私が父母会に最初に行ったときのことです。保母さんとの会話のあと、自由時間に子どもたちと接しました。そのときに驚いたことがあるのです。父母は、お母さん方が多くて、父親は私一人くらいだったかと思います。もう男の子たち、とくに大きな4、5歳の男の子たちが男親である私に何人も寄ってくるのです。
 そしてそのうちに、この男の子たちは、私とふざけ合います。そしてそのうちにだんだん激しくなってきます。私は驚きました。男の子の中には、嬉しいのでしょうが、思いっ切り行動します。もう直角の角度で私に飛びっけりをしてくる子がいます。もうそんな男の子が5人くらいになったら、もう私は大変です。もうその場は愉しい雰囲気なのですが、攻撃を受ける私は実に大変なのです。
 間違いなく、あの男の子は、こうして男の親が来てくれるのが面白くてたまらないのです。普段は女の保母さんたちには、少しは遠慮しているのです。でも相手が男の大人だったら構わないと思っているのでしょう。そのときの、男の子たちの笑顔を今も忘れません。でも思えば、今は保父さんがいますが、大変だろうなあ。直角で飛びっけりしてきても、それをはずすわけにはいかないのです。相手によっては怪我してしまいますから、それをこちらは身体で受け止めないといけないわけです。でもこれが相手が4、5人だともう実に大変なんですよ。

 私は昨日の夜、ポコ汰と一緒に歩いていて、そのあと、そんな昔のことを思い出していました。ポコ汰は私がじいじだから、少し手加減しているのです。

続きを読む

b22b59df.jpg 私がブログで、孫に絵本を読ませてあげたことを書きましたら、翌日19日に5冊の絵本を贈ってくれた方がいます。私は私の二人の娘に、絵本を読んでくれている義母の声を思い出していました。でもさらに私がまだ幼稚園・保育園に行っている頃(秋田に住んでいた頃です)に、母が絵本を読んでいてくれたときを思い出しました。ああして読んでくれたから、私は本を読むことが好きになったのですね。(5/21)
続きを読む

07022202 私のこのコメントを「楽しく」見ていだいているとのこと、嬉しく思います。これをときどき読みます私の長女も次女も、「いつもパパは関係ないことばっかり書いているじゃないか」と私を非難しています。私は、「なんでいけないんだよ。第一私はそういうことしか書けないの」と言っています。私は娘たちにこのページを見せて、「ほら、わが家さんでも、こういうふうに言ってくれているだろう。パパは正しいんだ」と強く主張するでしょう。それでまた呆れられるかな。孫が保育園へ行ったら、そこでのお便り帳にも、私がいつもいっぱい書きます。(2/22)
続きを読む

e5ef75fe.jpg

 私は埼玉大学の教育学部出身です(入学は1967年、卒業は1973年です)。中学課程の社会科専攻で、専門は東洋史でした。もともとは、将来は教員になろうかなと考えていたわけですが、私の時代は、実に学生運動の盛んなにときでした。そうした中で、そういう道は歩かず(実際に公民権停止が続きましたから、事実上無理な話でした。)今の姿になったわけです。この私の大学卒業後の職歴に関しては、

   http://shomon.net/work/shoku.htm  周の職歴

書いてあります。
 ただ、教員にはなりませんでしたが、この「教育」ということに関して、ずっと関心を抱いてきました。私が加わりました東大闘争その他で、「教育とは何か?」という問いがあったときに、私は「教員にならなくとも、教育には誰でも携わっていけるし、そうしていくべきだ」と思っていたものです。
 また私には二人の娘がいますが、この二人の「教育」ということでもいろいろなことを考えてきたものです。そして長女は東京都の小学校の美術の教員になりました。次女は、千葉県の小学校の教員になりました。今でもよく「教育」についてのことを娘二人とよく話しています。二人の職場にもよく行っています。
 この私がこの「教育」についてさまざまに展開していこうと考えていますのがこのページです。               (2005.10.24)

   http://shomon.net/kyoiku/  周の教育の森

 私の長女の夫のみつ君も埼玉県の教員です。そして今年の3月25日に結婚する次女ブルータスの彼も千葉県の教員です。だからこの4人が集まるといつも自分たちの生徒たちの話になります。このときにそばにいる私も実に真剣にその話をきいています。
 いつも思うのが、今の生徒たちのご両親の教育に対する関心の高さです。これは私にはとても素晴らしいことに思えます。
 それともう一つは、もうどこの地域でも、日本人でない子どもたちがクラスに入ってきていることでしょうか。このこと事態はいいことだと思うのですが、でも教育の現場ではかなり大変な時代になっているのですね。
 でもつねに私も関心をもって、この教育について考えていく姿勢は失わないつもりです。
 私の生まれたばかりの初孫も、すぐに保育園に通うようになるでしょう。そうするとまた、すぐに教育の現場と触れ合うようになるのですね。私は積極的に関わってまいります。

続きを読む

3c5b5a68.jpg

 私の 出産後の職場復帰。。。まち子先生とターボーKumie'Blog ≪女性と仕事≫ の 川本久美惠さんから次のようなコメントをいただきました。

1. Posted by KAWAMOTO    2006年12月29日 21:39
アメリカのバークレイからです。
このブログを取り上げていただいていたのを今気がつきました。
子供を持って仕事を続ける女性を応援するブログを書くつもりでしたが、二つは無理そうなので、今までもの一本にしようということで、このブログは開店休業になっていました。前からのブログに転記したいのですが、ライブドアの管理画面に入れません。

小学4年生からアメリカに来て17才になる孫息子の日本語力に愕然としてます。父親からの助言代わりに持って来た本にカナフリしてみたけれどとても無理と分かり、こちらのブログを利用して本を入力し、辞書をリンクさせたらどうだろうかとようやく日本語入力ができたので試したところです。

 私もなんでまた別なブログをたちあげられるのだろうと不思儀でしたよ。exblogは、画像を中心としたブログ展開にはいいので、そうされる必要があるのかなあ、なんて思っていました。
 でもこういうふうにわけられるのならいいのではないですか。

 私にも初孫が生まれるのですが、予定日が12月25日なのに、まだまだその気配がありません。もう私はヤキモキして、酒を絶ち、蛎殻町の水天宮に(ここに長女夫妻は、彼のご両親と前に願い事に行っています)、「なんとか早く産まれ出てきてくれるように」とお願いにいきました。
 でもきのう妻と話していたら、まだ別にそれほどの大変な事態ではないということが判りまして、それで昨晩はお酒も飲みました。もうこのまま行きますと(長女の様子を見ますと)、年内の出産はなさそうです。

 それで、ライブドアの管理画面に入れません というのはどういうことかな。管理画面に入れないと、ブログのUPができませんね。IDとパスワードを受け入れてくれないということかしら。ちょっと今の私には理解できません。

 でもアメリカのお孫さんと一緒に過ごせるのはいいですね。私も孫が産まれたら一緒にたくさんのことをしますよ。私は「保育園はここのなる、小学校はここだ」なんて言っていますと、。長女は「いつまでも、ここにいるわけじゃないの!」なんていいまして、私を実にどっきりさせます。

 でもとにかく、近いうちにここで私の孫の誕生のことが報告できるかと思っています。

続きを読む

c252d53d.jpg

「あっ」と声をあげたのですが、とってもいい話が書いてありました。Kumie'Blog ≪女性と仕事≫出産後の職場復帰。。。まち子先生とターボー です。

小学校1年〜3年の受け持ちの近藤まち子先生とターボーのことを思い出します。

ということは、昭和何年のことだろうと考えてみました。
 私が小学校に入ったのは、昭和29年ですから、このKumieさんのお話も昭和20代のことですね。

大きなお腹のまち子先生の記憶がないですから、出産後に職場復帰して新入生のクラスを受け持ったのでしょうか。毎朝登校すると、校門脇の用務員小屋でまち子先生が赤ちゃんにおっぱいをあげていました。赤ちゃんがぐいぐいと吸い付いている大きなおっぱいとお姫様のドレスのようだったブラジャーの白いレースを今でも覚えています。先生が自分のお母さんと同じお母さんであり、それでいて美しいお姫様のようでもありました。

 私が小学校に入ったのは札幌市立幌西小学校で、担任の先生の顔は思い出せますが、何があったかは細かく記憶がありません。ただ一クラス70人の生徒数でした。
 札幌という街は嫌なところで、この大勢のクラスの中で、ピアノを習っている女の子、男の子も大勢いました。ヴァイオリンを習っている子もいて、そしてバレエを習っている子が、男の子でもいました。
 その後、名古屋市の小学校3つと鹿児島市の小学校1つに転校しましたが、この近藤まち子先生のような存在は記憶がありません。小学校4年のときの名古屋の内山小学校で、担任の真瀬先生が結婚されて妊娠されて子どもさんを産まれたという記憶はあります。とっても綺麗な先生でした。あの先生に言われたこともたくさん覚えています。

授業の効率は若干落ちたのかもしれませんが、55人の子供たちがみんなで、ターボーの成長を見守って過ごした経験と比べたら、ほんの些細なことでしょう。記憶では“ターボーのおばちゃん”のほかにも、先生の赤ちゃんを負んぶしているおばちゃんがいました。

 大切なことですね。今私の長女は少し前から産休に入りました。きっと長女おはぎの学校の生徒さんたちは、私の長女のお腹がみるみるうちに大きくなるのを見ていったでしょう。12月25日が誕生の予定日ですから、来年には、その赤ちゃんを見たい生徒たちとおじいちゃんである私が会えるでしょう(でも「パパには抱かせない」とかおはぎはいいます。そのたびに私は少し悲しくなります)。

労働基準法の育児時間は「午前、午後、各30分」となっています。昼休みまでに1回、昼休み終了から就業までに1回の授乳時間だったわけです。育児用粉ミルクも母乳の冷凍保存技術もなかった時代には、乳児を持つ母親が職場で授乳することが保障されていたのです。

 たぶん、「法で保障〜」ということよりも、たぶん私たちみんなで守っていたのですね。
 おそらく私の初孫は、私と妻で保育園への送り迎えをすることになります。ちょうど私の父と母が、私たちの二人の娘をやってくれていたようにです。

 あ、そのときのことがたくさん今甦りました。私の父がいつも、保育園の帰りには、下の子ブルータスを寄り道してあるお店で何かを買ってあげていたことでです。……あ、私もやろう。

続きを読む

06080807 わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいるこのUPがありました。

 お題は次の文に続く──「父親はきちんと家に帰ってきて、こどもと一緒に遊んだり、笑ったり、じゃれあったり、ものを教えたりする必要がある」

 私は娘が生まれて、でも仕事が実に忙しすぎるような会社でした。ほぼ毎日娘の起きている時間には帰れないし、まだ週休2日の会社ではありませんでした。でもよく夜事務所から電話で長女とよく話したのを覚えています。
 妻がよく「ほらパパだよ」と言って電話を替わってくれていました。すぐに次女も私と電話で話すようになりました。
 思えば、そういうことが当たり前にできる会社の雰囲気に私はしていたものでした。でも思えば、あのとき私の周囲にいたクリエーターたちは、みな結婚もしないし、しても子どものいない人ばかりだったな。あ、一人男の子のいたデザイナーがいましたが、私はあの奥さんとも、息子さんとも電話で会話したことを、よく覚えていますよ。

けれども会議が、出張が、締め切りが、なんて抗議の声は上げられる。生活を成り立たせるための仕事を放り出したりすれば本末転倒ではないかと。同意、わたしもそうだから。それでもココロのどこかで知っている、ものごとには、取り返しがつくものと、つかないものがある。そして、代替の利くものと、利かないものがある。取り返しがつかないものは、子どもとの時間であり、代替が利かないものは、父親だ、ということに。

 私は二人の女の子が娘でしたが、とにかく休みのときは、懸命に遊びました。ただ女の子だったから、少々判らないところがありました。姪もみな女の子でしたから、のちに、娘の友だちの男の子が遊びにくると、その遊びの違いに驚いたものでした。
「代替が利かないものは、父親だ」というのは、よく判ります。保育園なんかではみな女の保母さんばかりで(今は保父さんもいるようですが、娘の時代は保母さんばかりでした)、男の子は遠慮があったのだと思います。私が園の行事で、行きますと、男の子たちはまさしく空中を私に飛びかかってきたものでした。こういうkことができるはずの男のお父さんは面白くて仕方なかったのです。でも、私は実にヘとへとになったものでした。

 たとえば近所の公園。「公園いってキャッチボールしよう」「紙ヒコーキ折ったら公園で飛ばそうか」と誘って子どもが喜んで一緒にいく、なんてあと何年できることやら。すぐに「友達と一緒にどこかへ」になるに違いない。つまり、公園で遊べる期間は、ある年齢を過ぎてしまえば取り返しがつかない時間となり、その相手は、父親以外の誰も代わりができない。

「父親以外の誰も代わりができない」というのは、その通りです。だから父親は大切なのです。そして同時に母親も大事なのです。誰も代わりは簡単にできないはずです。
 でも、いい本を知ることができました。

続きを読む

2de395c2.jpg

 一昨日の日曜日、私は妻に頼まれて、王子駅前の東武ストアに買い物に行きました。いくつかのものを妻は手書きで書いていてくれました。
 家を出て、少し広い通りを渡るときに、渡る先に長女おはぎが買い物から帰ってくるところでした。おはぎは手をあげて私を見ています。でも私はそのときに、すぐに自分の娘のおはぎだと気がつきません。もちろん、一瞬後には判るわけですが。
 私は、そのときハッとしていました。私は通りの向こう自分の娘に、私の母親の姿を見ていたのです。そのとき私は小さな小さな、子どものときの私になっていました。

 私がたぶん3歳か4歳のころ、そのとき私は保育園に行っていたのですが、その保育園から帰るときに(母が迎えに来るのでしょうが、何故かそのときは私が保育園から独りで歩いて帰っていた)、途中で母に会ったのですが、そのとき母は手をあげて笑顔で私に接してくれていました。そのときの、私の不安な気持と、でも母にこうして会えて嬉しいこととでも、それを素直に顔に出せなかった、あのときの私の思いが、見事甦ってきました。
 このときの長女おはぎは、あのとき秋田市で、弟が生まれて保育園に行かされていたときの、私の母と同じでした。手をあげて笑顔を私を迎えてくれます。でも私は少し羞しい思いがあります。

 すぐにおはぎのそばに寄って、「東武へ買い物に行く」と妻の絵入りのメモを見せます。おはぎは、そのメモを見て、「パパッ! 大丈夫! これは東武だけじゃなくて、○○だよ」と教えてくれます。たしかにメモは2枚ありました。
 かくして、私はそのまま買い物へ行きます。長女の顔を思い、自分の母を思い出して、歩いていました。

続きを読む

↑このページのトップヘ