将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:保釈

12012903 金丸が追起訴され、保釈になりました。もうあれは終りだと感じたとおり終りになりました。マスコミ等の反応では、何だか思ったよりは軽そうだった、脱税額が予想より少なかった(当然追徴金等も予想より少ない)、保釈金3億円も予想よりは少ないといったところでしょうか。まあ、当りまえですよ。もう脱税云々はあれで終りなのですから。本来ならもっとさまざまなところに手を入れていけそうなのですが、もうそうなると、全部が対象になって大変でしょうね。検察庁のことも会計検査院が真面目に調査してほしいな。
 田中角栄のときのように、裁判闘争というようにもならないでしょう。もう話はついたはずです。しかし今回は後藤田というのがなにか、とんでもなく怖い感じの男に思えますね。
 今回6日に金丸等が逮捕されて、たしか8日のTBSでその解説をやっていました。そのなかで、

  最初は国税、検察ともよくやったと思っていたが、よく考えれ
  ば、こんなこと、なんでもっと今までにできなかったのだろう、
  という疑問が国民の間にわいてくるのでは?

という当然の疑問が出された。それに対して、立花隆が

  いや、そういう疑問はもっともなのだが、この政治資金という
  のは立証が難しいんですよ…………

などと解説していた。だけどどうなの。これはおかしいんじゃないの。立花は何をかばっているのだ。単なる脱税の立証がなんで難しいのだ。政治資金として届出があったものを「いやこれはちがうんじゃない」というのは難しいかもしれないが、単なる脱税を指摘するのがなんでそんなに難しいのだ。間違いなく、いままで怠慢だっただけです。そして今回金丸にのみ集中してやっただけです。
 どうも立花という人は、「日本共産党」のこととか「死の瞬間」のこととかやるときは緻密で敬意を感じるが、こういうことはまったく駄目ですね。彼も結局検察に期待している。国家に期待している。
 まったく国家官僚のやることなんか信用できない。信用できないどころか、今回こそなにかおそろしいものを感じます。いったい私たちをどこへ連れていこうとするのか。
 田中角栄のときは、まだ保釈後も田中のところにたくさん日参する議員たちがいました。今回は竹下が金丸の自宅へ訪問したくらいでしょう。私はかなり自民党の議員のひとりひとりまでいきわたる、「ファッショ」というようなものを感じます。いったい何の準備なのだ。完璧に統制された社会よりは、まだかけマージャンでもやれる社会の方がましなのだ。いわゆる、「ワイロ」とかいうものが商売上の必要悪として存在する社会のほうが、もはやワイロなしでは道も歩けないような「全体主義国家」や「共産主義国家」よりはましなのだ。ここを勘違いしてはいけないと思う。
 ちょうど、すべての基幹産業を国営にしていこうという「国家社会主義」や「プロレタリア独裁による社会主義」よりも、国鉄もNTTもみんな民営にしてやっていこうと考えるのがあたりまえなのと同じように感じます。

 この間さまざまに考え、さまざま友人等と話してきました。そしてかなり現在の情況がおそろしい事態だと痛感します。しかしこのまま指をくわえて見ているわけにはいきません。いまどのようにしたらいいのだろうとさまざま考えます。
 日韓米のある一部の統制官僚たちが、自分たちのみの理念による世界秩序、東アジア安定を考えています。たしかに北朝鮮はアジア型の古い専制国家ですから、そこが崩壊し、民主化していくことはいいことだと思います。だがその方法が問題です。イラクではフセインは倒れなかったし、グルド人たちの上には今もナパーム弾が降っているに違いありません。あれでは単にアメリカが戦争勝利のパレードができただけではないですか。また同じにやられてはかないません。
 そして今度は日本はまたどうするのでしょうか。

 湾岸戦争をよく総括すべきだと思います。日本は金を出しました。あのお金は何に使われたの。たしか約束では、武器には使わず、後方支援とかに限るということでしたね。そもそもあの130億ドルというのは、どうやって集めたの。あれは赤字国債ですね(そうは言わなかったが)。今もだから集めていますね。そしてあのお金はだれに出したのかな。国連かな、多国籍軍かな、アメリカかな。誰が出したんだ。橋本ですね。説明していただきたい。しかも予想より早く戦争が終ったから、お金は余ったはずといわれている。いったい私たちの会社で、何か仮払いしたものはちゃんと精算しないとうるさくおこられるんじゃないのかな。いや仮払いではなく、あれはもう支払いというなら、必ず「受取」をもらいなさい。子どもの使いだってそうしてますよ。「受取」みれば、だれが受け取ったのかわかるんじゃないのかな。橋本さん、「受取」「領収書」もらってきてください。
 湾岸戦争をよく総括すべきです。あの戦争を予想したのは、私が知るかぎり長谷川慶太郎さんだけです。多くの軍事評論家とか、国際政治評論家などは見事に外していました。バクダットから、イラクの戦争遂行の意思を確認しながら、多国籍軍の準備を見ながら「戦争は絶対に起きない」なんて断言していた馬鹿もいます。そしてあの戦争への日本がやるべきことを述べていたのは、私の知る限り吉本(吉本隆明)さんだけです。
 湾岸戦争を総括すべきです。多くのアメリカイギリス等の軍事の専門家が戦争前にこの戦争をシュミレーションしていました。どうやっても、どちらも相手におおきなダメージを与えようと頑張ります。そしてやがては、多国籍軍が勝利します。イラク側にたった専門家も最後は敗北を認めます。しかし、私は見ていて腹がたって仕方なかった。君らがそのようにシュミレーションで爆撃、攻撃している下には、その先には生身の人間がいるんだ、普通に生活している親子が恋人同士がいるんだ、なんでそんな予行演習よりも、だから殺し合いはやめようといえないのか、と。そして現在もやっているのだろう。

 北   38度線を越え、ソウルを占領します。残念ながらソウ
        ル市民3割が死傷。
 多国籍軍 それに対して北軍事施設中心に徹底的に破壊します。
 ……

 北    ここまでくると、やむをえず「科学兵器」で攻撃しま
          す。

 多国籍軍 残念ながらこの「科学兵器」のために「韓国国民」は
          2割が死傷しますが、最終的に地上軍が進行して、ほぼ
          北を占領。金親子を逮捕します。

 こんなことを、今まちがいなくシミュレーションしています。科学兵器まで使われたとしても、その割には死傷者がすくなく、やはり民主主義、自由世界が勝利したなんていう結論になるのかもしれない。このようなシミュレーションは湾岸のときに堂々とやっていました。ただし「科学兵器」というのは話の中でも出てきませんでしたが。
 なぜ戦争をしなくてすむようなシュミレーションをしないのだ。 現在かなりな前段階の神経戦でしょう。いよいよ日韓でもさまざまなことが整いはじめると思われます。だって金丸だって黙らせちゃうのだから、あとは簡単です(とおもっているだろうな)。
 なんとしてもこの動きに対応した明確なことをやっていきたいと思っています。私たちおじさんたちが頑張らねばとも思っています。

11040103 ひさしぶりに古い友人と会うことができました。私と東大闘争での安田講堂の屋上で同じく火炎瓶をなげ、同じく逮捕起訴され、保釈になったら、また別な事件で同様に逮捕起訴された友人です。その後彼も私もたくさんの職業について、いろいろなことがあって、今になったものなのです。
 それでひさしぶりだったから、ひたすら痛飲したのですが(結局さまざまに知っている店をたずねたものです)、次の日に電話をしてきて、「メールを出したいのだけれど」というのです。実は前日に、彼から会社のメールアドレスは聞きましたから、そのときすぐに出していました。だが、この日は彼は休みだというので、自宅にいたのです。会社のメールだって、当然自宅でもとれるのは当たり前なのですが、当然パソコン音痴のおじさんですから無理な話です。
 それで自宅のメールアドレスを息子がとってくれているというのですが、それを電話で私に伝えることができません。かくして、私は検索エンジンで、私のサイトを検索してそこからメーラーを立ち上げるように教えました(といいましても、これがもう時間のかかったこと)。そばに偶然中学生の娘さんがいたからできたらしいのですが、私はすぐさま返事を書きました。5通も出しました。いろいろと「こうしたほうがいいよ」と指摘したのです。
 でも約1時間たって、「メール届いた?」と電話が来ました。それからがまた大変です。私のメールを見ることがなかなかできないのです。娘さんが外出してしまったといいます。それでまた時間がかかりましたが、どうやら私のメールを探し出せたようでした。
 翌日また会社から電話がありました。どうやら会社からもメールが私に届きます。よかった。
 さて、でもこれからなんですね。彼もまた自分一人で仕事を仕切らないとならなくなるようなのです。今までのように会社で、女子社員を使ってパソコンを打ってもらうというわけにはいかないようです。
 もう少しみっちり教えないとならないようです。メールが使えれば、彼の仕事はかなりなことができるはずなんです。一度自宅へ行きまして、時間かけて教えようかな。思えば、彼の奥さんもお母さんも私のことはよく知っているから(子どもさんも私のことは知っているが、小さいときだったから顔は忘れているだろうな)、たくさんのお話ができるはずです。
 それにしても先週は、「おじさんたちは、ちゃんとパソコンを使っていないのだな」ということを嫌というほど確認した週でした。 (2003.04.14)

2016121912

10102614  前回にて

      一  住所不定
      二  罪証隠滅のおそれ
      三  逃亡のおそれ

の三つがある場合、人は勾留されます。この三つとも考えられない場合は、起訴…

と述べましたように、起訴されても上の3つがない限り、人は勾留されないはずです。そして第2の「罪証隠滅のおそれ」があるとしても、公判が何回か進むうちに隠滅すべき罪証(証拠)が無くなっていきます。そうするともはや勾留する理由がなくなるために、勾留を取り消すことになります。

  第八十七条 勾留の理由又は勾留の必要がなくなつたときは、裁判所は、検察官、勾留されている被告人若しくはその弁護人、法定代理人、保佐人、配偶者、直系の親族若しくは兄弟姉妹の請求により、又は職権で、決定を以て勾留を取り消さなければならない。

  しかし、実際に職権で勾留が取り消されることはまずありません。ほとんど保釈により、勾留が解かれます。

  第九十一条 勾留による拘禁が不当に長くなつたときは、裁判所は、第八十八条に規定する者の請求により、又は職権で、決定を以て勾留を取り消し、又は保釈を許さなければならない。

  この保釈は以下のものが請求します。

  第八十八条 勾留されている被告人又はその弁護人、法定代理人、保佐人、配偶者、直系の親族若しくは兄弟姉妹は、保釈の請求をすることができる。

そして以下でその請求が認められます。

  第八十九条 保釈の請求があつたときは、左の場合を除いては、これを許さなければならない。
    一 被告人が死刑又は無期若しくは短期一年以上の懲役若しくは禁錮に当たる罪を犯したものであるとき。
    二 被告人が前に死刑又は無期若しくは長期十年を超える懲役若しくは禁錮にあたる罪につき有罪の宣告を受けたことがあるとき。
    三 被告人が常習として長期三年以上の懲役又は禁錮にあたる罪を犯したものであるとき。
   四 被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき。
   五 被告人が、被害者その他事件の審判に必要な知識を有すると認められる者若しくはその親族の身体若しくは財産に害を加え又はこれらの者を畏怖させる行為をすると疑うに足りる相当な理由があるとき。
   六 被告人の氏名又は住居が判らないとき。
  第九十条 裁判所は、適当と認めるときは、職権で保釈を許すことができる。

  ただし、この保釈に対しても検察官の意見が問題になります。

  第九十二条 裁判所は、保釈を許す決定又は保釈の請求を却下する決定をするには、検察官の意見を聴かなければならない。
    2 検察官の請求による場合を除いて、勾留を取り消す決定をするときも、前項と同様である。但し、急速を要する場合は、この限りでない。

  だから、保釈の請求が1回で簡単に認められるわけではありません。検察官の異見により、却下になり、また請求しなおさなければならなくなり場合があります。
  さて、保釈が認められる場合には、保釈金を裁判所に納めなければなりません。また保釈中は住居の制限等々の条件が付きます。

  第九十三条 保釈を許す場合には、保証金額を定めなければならない。
    2 保証金額は、犯罪の性質及び情状、証拠の証明力並びに被告人の性格及び資産を考慮して、被告人の出頭を保証するに足りる相当な金額でなければならない。
    3 保釈を許す場合には、被告人の住居を制限しその他適当と認める条件を附することができる。
  第九十四条 保釈を許す決定は、保証金の納付があつた後でなければ、これを執行することができない。
    2 裁判所は、保釈請求者でない者に保証金を納めることを許すことができる。
    3 裁判所は、有価証券又は裁判所の適当と認める被告人以外の者の差し出した保証書を以て保証金に代えることを許すことができる。
  第九十五条 裁判所は、適当と認めるときは、決定で、勾留されている被告人を親族、保護団体その他の者に委託し、又は被告人の住居を制限して、勾留の執行を停止することができる。

  保釈金はいわば裁判所に預けているだけですから、裁判が終了した段階で、出した当人にそのまま戻されます。ただし当然、何年かかっても利息はつきません。
  また住居制限以外の条件というと、2泊以上外泊するときとか旅行をすると  きには裁判所に届けることというような条件(過去私が受けた条件です)になります。
  この保釈についてはさらに以下の条項があります。

  第九十六条 裁判所は、左の各号の一にあたる場合には、検察官の請求により、又は職権で、決定を以て保釈又は勾留の執行停止を取り消すことができる。
    一 被告人が、召喚を受け正当な理由がなく出頭しないとき。
    二 被告人が逃亡し又は逃亡すると疑うに足りる相当な理由があるとき。
    三 被告人が罪証を隠滅し又は罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき。
    四 被告人が、被害者その他事件の審判に必要な知識を有すると認められる者若しくはその親族の身体若しくは財産に害を加え若しくは加えようとし、又はこれらの者を畏怖させる行為をしたとき。
    五 被告人が住居の制限その他裁判所の定めた条件に違反したとき。
      2 保釈を取り消す場合には、裁判所は、決定で保証金の全部又は一部を没取することができる。
      3 保釈された者が、刑の言渡を受けその判決が確定した後、執行のため呼出を受け正当な理由がなく出頭しないとき、又は逃亡したときは、検察官の請求により、決定で保証金の全部又は一部を没取しなければならない。
 第九十七条 上訴の提起期間内の事件でまだ上訴の提起がないものについて、勾留の期間を更新し、勾留を取り消し、又は保釈若しくは、勾留の執行停止をし、若しくはこれを取り消すべき場合には、原裁判所が、その決定をしなければならない。
    2 上訴中の事件で訴訟記録が上訴裁判所に到達していないものについて前項の決定をすべき裁判所は、裁判所の規則の定めるところによる。
    3 前二項の規定は、勾留の理由の開示をすべき場合にこれを準用する。
  第九十八条 保釈若しくは勾留の執行停止を取り消す決定があつたとき、又は勾留の執行停止の期間が満了したときは、検察事務官、司法警察職員又は監獄官吏は、検察官の指揮により、勾留状の謄本及び保釈若しくは勾留の執行停止を取り消す決定の謄本又は期間を指定した勾留の執行停止の決定の謄本を被告人に示してこれを収監しなければならない。
    2 前項の書面を所持しないためこれを示すことができない場合において、急速を要するときは、同項の規定にかかわらず、検察官の指揮により、被告人に対し保釈若しくは勾留の執行停止が取り消された旨又は勾留の執行停止の期間が満了した旨を告げて、これを収監することができる。但し、その書面は、できる限り速やかにこれを示さなければならない。

  保釈中というのは、被告人であることに変わりはないのですから、慎重にしていないと保釈を取り消される怖れがあります。そしてこの保釈中というのは裁判が続くかぎり、それこそ続くわけです。もっとも、私個人としてはそれほど「慎重に」していなくても構わないような気になっています。考え方として、裁判が終るまでは刑の執行があるわけではないわけで(もっともやったとされる犯罪により違うわけですが)、勾留され続けることのほうが、いわば刑の先取りであり、不当だと考えますから、保釈というのはいわば当り前であり、さまざま制限が付けられることのほうがおかしいと考えるからです。

  まずはこれで、私たちが突如なんらかのことで逮捕され、さまざまな経過をたどって、起訴されて拘置所に収監されたとしても、こうして保釈までこぎつけて、拘置所から出たという段階まで、こうして述べてきたわけです。普通なら、このあと裁判を続けて、その結果により有罪無罪が決定され、そして有罪のときに、実刑として収監されるのか(また控訴できるわけだが)、執行猶予が付くのかという流れになっていくわけです。

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 私の毎日書いています 蜘蛛業ニュースさとう で書きました 自分のリストラ・早期退職に関するブログ ですが、私は次のように書きました。

 …でも私にはこんなのは関係ないことです。私なんか、こんな大きい会社に入ったことはないですからね。……私自身は、もう失業ばっかりしていました。履歴書をどんなに書いたことでしょうか。

 もう大変な思い出ですね。そして最後はもう就職するのは諦めたものです。私の父も母も当時の彼女も、その親も、そして今の妻もその親も大変な思いだったことでしょうね。
 思い出すと、私が最初逮捕され起訴されたときに、東調布署で、検事の取調べのときに、その検事が席をはずしたときに、いつも横にいる書記官が始めて口を開きました。「君ね、こうして黙秘していると、随分あとになって必ず後悔するよ…」。
 これはたぶん、私はその後初犯でも保釈になったのが、同じ黙秘していた仲間でも私だけ(私だけは最後まで調書は一枚もとらせませんでした)、何故か1カ月以上遅くなったことに表れていました。
 そしてさらに保釈後すぐにまた別な事件で逮捕起訴されて、そのあと同じ仲間たちはさすが2つの起訴でみな東大闘争統一公判から抜けていきました。でも私は同じく統一公判主張組で、思えば、でもでもこのことはいつも就職のときにも影響しました。私がまったく反省していない人間に思われたからです。就職の時露骨に指摘されたこともあります。もう実際の事件からはもう10年以上を経過しているのに同じでした。でも思えば、私は就職してからもそこで労働組合を作って、実に元気に無期限ストライキをやっていましたからね。
 でも私の本心はいつも、ちゃんとした会社に就職して平穏に暮らしたい思いばかりでした。
 そんな私からすると、このブログを書いている方は、そんな会社のリストラ案に合わせないで、ずっとその職場で働いていればいいのになあ、なんて思います。そのお歳で再就職なんて私には想像もできません。
 私が失業して再就職をいくつもした経験がありましたから、よく同じ経験をする人に聞かれたものです。でも誰一人として、時間はかかっても再就職はできると思い込んでいる人ばかりでした。私はいつも、「そんな自信がどこからくるのだろう?」と思っていたものです。
 まあ、この方はリストラに応じたのですから、もう仕方ないなあ。でもこうしてインターネット上で書いていても、どうだということはないでしょうね。つまり今の会社への影響も、他の同じような方々への影響もないのではとしか私には思えません。

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 昨日17日ときょう18日のポメラです。

2009/02/17 08:16NHKの朝ドラを見ています。でも、テレビを見ているだけでなく、義母のお茶を入れたり、いろいろなことがあります。私の部屋のパソコンはまた別なことをやっています。
 昨日はポコ汰が私が持って行きましたケーキを食べているのが実に可愛くて良かったです。ポニョはもう元気いっぱいな笑顔を見せてくれています。
2009/02/18 13:05今王子駅です。秋葉原へ行きます。その前に寄るところがあります。またどこも忙しく歩くことになりますね。
 次の駅が田端です。
 そういえば、私はこのポメラの辞書をMS−IMEにまた戻しました。やはり私はATOKとは合わないことが判りました。やはりMS−IMEは私がずっと使っているVJEと少しは近い感じなのかな。
2009/02/18 13:12今山手線に乗り換えです。なんだか気持ちがせわしい思いです。でも、きょうはいいお天気ですね。次の日暮里駅で降ります。
2009/02/18 13:35「浅野」でビールを飲みました。さて、これから昼食を終えて、それから下駄を手に入れて(そこで履きかえて秋葉原へ行くつもりです。
2009/02/18 14:44今また日暮里です。ここまで墓の中を歩きました。その時にはるかに昔を思い出していました。私は21歳の時の秋、この墓の中を歩いているのですね。私が東大闘争で府中刑務所から保釈になった時です。実に懐かしいですね。

 いやよくよく思い出せば、69年秋は違ったかなあ。70年かと思いましたが、69年12月始めにまた逮捕されて、翌70年3月で保釈になり、4月は赤羽桐ヶ丘の雪印でアルバイトをしていたのでした。だから、あれは69年の秋だったかなあ。

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 私はずっと下駄を探していました。
 しかし下駄がないのです。まず下駄屋がありません。それから和服の関係の店でも雪駄はありますが、下駄はおいていないのです。これは浅草まで行かないと駄目かな、なんて思っていました。
 私は中学生のときから下駄でした、もちろん、中学校へは運動靴でいかなければなりませんが、普段は常に下駄でした。
 高校に入学した鶴丸高校でも、運動靴でしたが、生徒会で、生徒が下駄を許可しろと大声でみんなで叫んでいたのを覚えています。当時新設された鹿児島中央高校では、皮靴をみな履いてもいいようになっていて、それが高校の一つの売り物だったようですが、鶴丸高校では、みな下駄を主張していたのです。

 その後、私は横浜の横浜東高校に転入し、でもここでも普段はずっと下駄を履いていました。そして大学もずっと下駄でした。
 でも思いだしても、私はどうだったのか思い出せないことがあります。いつも下駄を履いていたのに、いざデモへ行くとなると、運動靴だったわけですが、運動靴はどうしていたのかな。どっかに置いていたのかな。大学内にずっといたわけだから、どっかに置いていたのかな。
 東大闘争に行ったときには、一体下駄はどこに置いていたのかな。今もこれがさっぱり解明できません。
 それで府中刑務所から保釈で出所して、また逮捕され、また保釈で出所した70年の4月の頃は、赤羽の雪印でアルバイトをしていましたが、あのときは下駄だったと思いますが、靴はどこに置いていたのでしょうか。靴がないと、デモとかゲバルトのときに困るよね。どうしていたのかな。
 北浦和の路上で、何故だったか民青の阿呆を、下駄で殴った思い出があります。だって私よりがたいのいい男なんだもの。下駄で顔を殴ったら、次には警官を連れてきたものでした。

 それで就職しても、相変わらず下駄履いていました。会社の面接受けるときも下駄でしたね。
 沖縄へ行ったときに、さらに南島へ行くときに、南西航空のエアーホステスが私の下駄を見て困っていました。でも仕方ないからそのまま乗ったと思いましたね。

下駄2 この写真の下駄を鎌倉の店で買いましたときに、ご主人は嬉しそうな顔をしていましたね。ずっと解説をしてくれました。でも私は、ずっと昔から履いているのだから、そんなことみんな知っているんだって。でも私は嬉しいから、お話を聞いていました。
 あ、この店の名前ですが、今調べても判りません。領収書をもらっておけば良かったな。しまったなという思いです。あ、また下駄を買いにいけばいいのか。

 さて、これで王子の街を歩くぞという気持でしたが、ところがところが今の都会は大変ですね。面倒ですね。

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 私の 建築の現場の足場の上だけの問題ではないイエイリ建設ITラボ の家入さんからコメントをいただきました。

いつも、小生のブログの記事を、さらにパワーアップした視点でご紹介いただき、ありがとうございます。m(__)m

ある現場では、「親方は馬券を買うのにケータイを使っているそうだ」という話がヒントになり、現場に出入りする専門工事会社の職長が、ケータイで現場の情報共有するシステムを作ったそうです。

ケータイの機能は、ちゃちい面もありますが、写真、動画、録音、送信、GPSなどなど、一通りそろってますから、これらをフル活用すれば、オモロイかも知れませんね。

家入/イエイリ建設ITラボ

 うーん、なるほどなあ。馬券を買うのも、その工夫を考えることによって、さまざまにやっていけるのですね。私は賭け事はやらないので(こういうふうに言いますと、嫌な奴だと思われちゃうこともあるんですが、でも仕方ないのです。私はトランプも「パパは賭け事はやらないんだ」なんて言いまして、小さいときの娘たちに「トランプは賭け事じゃないよ」と言われたものでした。今は、姪の子どもの二人の小学生にも言われています。「ウノは賭け事じゃないよ」と)。

 ケータイはたしかに画面は小さいけれど、もう驚くほどの機能があります。これは日本は世界の最先端を強烈に走っているのではないですか。欧米も中国・韓国も、ケータイを会話の機器として使っていますが、この日本だけは、ケータイはその通話以外に、デジカメ、インターネット、音楽プレイヤー、電子マネー、ゲーム機、クレジットカード、道案内等々の機器として現実に使われています。
 私なんかは、今一番使っているのは、メールとカメラ機能ですね。

 私は21歳の1969年のときに、1年に200通の手紙を出しました。ちょうど学生運動で、私は府中刑務所に勾留され、保釈で出てきても、また別な事件で逮捕起訴されたので、この1969年は娑婆にいた期間が実に短い(3カ月もいなかったな)のですが、それでも200通とは「俺も偉いな」(あのですね、少しも偉くなんかありませんが、手紙のことだけはこう自分で総括していました。阿呆だね)なんて思っていましたが、なんのことはない、今は20日で200通を越えるケータイメールを出しています。
 しかも昔の手紙のときも同じですが、決して短い内容ではありませんよ(あ、妻へのメールは短いかな)。私からケータイメールをもらっている人は判るでしょう。そんな短いメールじゃないよね。あれはね、私が短く適確なメールが書けないからです。

 私が 周の『よむ・かく・生きる』に書いていますが、ぜひとも多くの方々、とくに私と同じ団塊の世代の方には、ぜひともケータイで、人生を、この世界ももっと面白くしてほしいものです。

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