将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:光汰朗

bc49d7bc.jpg 私は妻にケータイメールをもらいまして、すぐにベッドで眠っている義母に伝えました。もうただただ嬉しいです。今次女のブルータスがケータイをくれました。
 さて、ポコ汰も驚くでしょうね。自分の元気な妹が生まれたのです。
 明日産院に行きます。ポコ汰の顔が愉しみです。ポニョちゃんのことを、どんな顔で見つめることでしょうか。
 あ、私はこれで孫が二人になりました。さて、どこかで唄いたいものですね。
続きを読む

6f8af840.jpg 今連絡がありました。3370グラムの元気な女の子です。
 この子の名前は、○○(○○)です。もう嬉しいです。8月2日の誕生日です。光汰朗はもうお兄ちゃんになったのです。ハンドル名はポニョちゃんです。なんだか、このハンドル名も他でも使われているようですが、とにかく嬉しいです。
 さて、ポニョちゃんが生まれるときも、私は美味しいお酒を飲み、パソコンである手紙を書いていました。
 さて、みんなにケータイメールしよう。手紙で書いて出しましょう。
続きを読む

2017042410

父の日に、素敵なカードを長女家族にもらいました。素敵な写真が3枚付いているのですが、それを載せると、怒られてしまいますので、文章のみ載せてみます。

(最初のぺーじ)

じいじ いつもあそんでくれて

どうもありがとう!        by ポコ汰
(この文の間に、ポコ汰の写真があります。

(次のページ)970c24d9.jpg

いつも ポコ汰を かわいがってくれてありがとう

お酒がもっとひかえられるといいですね。
(この文の間に、おはぎとミツ君に挟まれてポコ汰が座っている写真があります)

(次の3ページ目)

これからも ポコ汰
たくさん遊んでもらう
ためにも、体を大切に
してください。
ミツ君

家での仕事とおばあちゃんの
事とで両立が大変だと
思います。だけどパパにしか
できないこともたくさんあるよ。
応援していきます。
おはぎ

(最後のページ)

田村ミツ君 おはぎ ポコ汰 ポニョより
(このページにはポコ汰の笑っている顔の写真があります。その解説に次のようにあります。←最近お気に入りのシャツ しかし実はパジャマ

続きを読む

ea0aee7a.jpg ボクは今年1月3日の生まれだから、もう10カ月を過ぎました。来年1月3日で満1才になります。
 でもこのごろ、周じじは、ボクの家にきません。かずばばはきています。前に、お酒飲んでからボクの家に来て、態度が悪かったので、もうママが出入り禁止にしました。
 それで、でもじじは、まだなんだか、ぐずぐず言っているみたいです。でもボクが周じじが好きだよ。
続きを読む

e031db72.JPGみつ君のご両親です。それでこの写真の「春の道くさ」というのが、ご両親がポコちゃんの名前の候補の各漢字を調べてくれたものです。「光」ひかる、かがやく、恵み。「汰」水で洗って無用のものを取りのぞく。「朗」ほがらか、明るい。いい名前です。

解体される場所―20時間完全討論
 私の 周の掲示板目森一喜 さんから次の書込みがありました。
 それででも、この掲示板へのレスは、目森さんへのレスではなく、現在このブログ将門が陥っている問題を書いてしまいました。もっと早く私が対処すべきでした。私は「未払」だというので、それで支払いをして、1月分まで支払ったつもりでいて、相手のクレジット会社もそれは認めたのですが、このlivedoorがどう処理してくれたという問題です。9日に直接電話して解決します。

 それで、そのことで余計なことを書いたから、ここで下の書込みへのレスをします。

おめでとうございます  投稿者:目森一喜  投稿日: 1月 5日(金)15時39分22秒
 光汰朗くん、誕生、おめでとうございます。
 誕生のアップから、ずっと嬉しい気持を暖めていました。
 いつ死んでもいいような生き方をなさっていた周さんが、ここまで生きた天の采配に、感謝しました。
 今年、神社でお祓いをしてもらうのを待っている間に、いい爺さんを何人も見ました。神社と爺ぃはよく似合うと思い、嬉しくなりました。
 何はともかく、おめでとうございます。

 本当にありがとう。
 いつ死んでもいいような生き方をなさっていた周さんが というところで、「そんなことはないよ」と声に出しましたが、思い出せば、こんなことがありました。
 私の川口のクライアントで、西川口の駅に帰るときに、自動車事故に合う寸前のことがありました。運転していたのは、監査役の前社長で、私とは実に気の合う方でした。大正15年生まれで、もう亡くなりました。
 たしかあれはもう10年から15年くらい前かな。彼が「今危ないところだったよ」というのに対して、私は、「ああ、別にいいですよ。私はいつ死んでも構いませんから」といいましたが、あれは私の本心でした。私は28歳くらいから、いつでも死ぬ覚悟ができていたつもりでした。
 でも思えば、私はくだらない人間でした。そんな覚悟なんて、何の意味があったのでしょうか。今の私は死ぬのが本当に怖くなりました。少なくとも、あの孫のポコちゃん(本名は光汰朗ですが)を抱いて、王子柳田公園を歩きたいです。少なくとも、ポコちゃんの目を開けたところを見てみたいです。私の次女の結婚式で、ポコちゃんが、泣いてみんなに迷惑かけるのを見てみたいです。だから私はまだ死ぬわけにはいきません。
 まだ生きていたいです。そして次女の子どもにも会いたい。孫を保育園に私が連れていきたいです。

 もうそうするのには、私が健康で生き続けなければなりません。元気で健康に生き続けなければなりません。

 私は懸命に必死に恋をしたつもりでいます。また革命を本気で考えていました。なんとしても私の思う革命をこの日本で成就するつもりでした。刑務所の独房の中で、自分の恋と革命への思いを真剣に考えていたものでした。
 そしてでも社会に出て、実に転職ばかり繰り返し、でもどうやら私の両親兄弟、私の妻と子ども、そして私の数多い友人たちのおかげで私は今まで生きてこられました。
 もうこれからは、孫と一緒に歩けることだけを考えていきます。それにはもっと私自身が努力しないとなりません。

 2日に私が神田明神に行きましたときに、私の一人前に小さな赤かちゃんを腕で抱いたお父さんとお母さんを見ました。間違いなく生まれて1カ月くらいの赤かちゃんです。なんだか、その赤かちゃんを見ていて、涙が溢れそうになりました。そして私は懸命に将門様に、私の孫の赤ちゃんが早く長女のお腹から出てきてくれるようにお願いしました。
 その私の必死の願いを将門様は聞き届けてくれまして、翌日朝ポコちゃんは生まれてきました。

 私もいいじじいになります。私はどうせなるのなら、「嫌味なじじい」になりたいと思っていたところがあったのですが、もうそういうよこしまで阿呆な願望はなくしました。私は極めて普通のいいじじいになります。

続きを読む

32a44c19.jpg

 私の初孫の光汰朗が今いる駒込駅前の産院のすぐそばにある「駒込妙義坂子育地蔵尊」ですが、写真で撮りましたものには次のように書いてあります。

駒込妙義坂子育地蔵尊
           所在地 豊島区駒込二−六

 この地蔵尊は、日光御成道(本郷通り)の妙義坂の途中に祀られています。地蔵尊の由来は古文書に次のように記せられています。
「寛文八戌申年十月、旧邸ノ南丘綾ノ地ヘ間口二間、奥行三間ノ堂宇ヲ建設シ、地蔵尊像(石造丈二尺三寸)一体を建立、同堂ニ安置シ子孫繁栄ヲ誓願ス 爾来有志ノ老若男女、毎月此堂ニ集シ念仏供養ヲ営ム 此地ハ今井家始祖ノ墳墓ノ旧跡地ト云傳 又堂宇ノ西拾間余地小丘アリテ三ッ塚ト称スル塚アリ是ハ南北朝ノ官兵戦死者及び新田、今井ノ両家ノ諸士戦死を合祀セシ地ト云傳」
 これによれば、寛文八年(一六六八)に駒込の今井家が子孫繁栄を祈願して地蔵尊とお堂を建立し、以来地元有志によって毎月念仏供養が営まれたことがわかります。
 戦前は七十壷ほどの境内に多くの供養石像が並列し、節分には豆まきが盛大に行われ、二十四日の縁日には夜店が立ち並び、大変賑わいました。昭和二十年四月に大空襲でお堂が焼失し、戦後ここの駒込診療所が開設し、その一角に祀られました。現在は城官寺(北区上中里)の境外地蔵尊として祀られています。
 地蔵堂内に、おかっぱ頭のセーラー服姿の童女が片手に宝珠を持ち、もう一人は錫杖を持って手をつないでいる供養碑があります。これは昭和八年にこの近くで交通事故にあって亡くなった十一歳の仲良しの少女を供養するために建てられたもので、以後子育地蔵尊とともに地域の安全を見守り続けています。
 平成十八年四月、駒込駅前通り商店街振興組合創立五十周年および駒込二丁目親和会戦後六十周年の記念事業として、新地蔵堂の建立と境内改修が行われました。

 平成十八年(二〇〇六)四月
                        豊島区教育委員会

 これを読みまして、「ふーん、そういうことなんだなあ」と改めてあの地蔵尊が、光汰朗の産院のすぐそばにある幸運に感謝します。
07010605 このときの南北朝の戦争というと、新田義貞軍が鎌倉街道を南下して鎌倉へ攻め寄せるときに、このあたりでも鎌倉軍との激戦があったのでしょうね。
 そして、この地蔵尊は上中里の城官寺のお地蔵様なんですね。ここは私が昨年11月に訪れたお寺でした。中には入りませんでしたが、門を写真に撮りました。

続きを読む

f08ee9ac.jpg

 私の きょうはポコちゃんに会えないなあ旅人moo00の冒険人生 のmoo00さんから次のコメントをいただきました。

1. Posted by moo00    2007年01月05日 19:05
周さん、あけまして&光汰朗くん誕生、ダブルでおめでとうございます!

ブログ将門が見当たらなくなって「どうしたのかな」と思ってた間にお生まれになったのですね。

いつもにも増して更新が増えており、周さんの喜びがうかがえます。
やさしいおじいちゃんですねえ。

なんだか幸せがブログ上から伝わって来ますよ。
新年から縁起の良いお話で、私もとてもうれしいです。

 ありがとうございます。
 それと、このブログ将門が見つからなくなりまして、申し訳ありません。アクセスもいつもの半分以下になっていますから、みなさん私のブログ将門が見つからないのでしょうね。申し訳ないことです。早く回復したいのですが、どうしたらいいのか困り果てている状態です。

 光汰朗にはきょうは会いにいきます。昨晩の彼からのメールでは、もう両目を開けている写真が添付されていたので、きょう会いにいけば私のことがちゃんと見えるのかな(本当はまだ見えない)なんて思っています。

 でもね、こうして孫ができるというのは実に幸せですね。できたらmoo00さんも結婚して子どもを育ててください。私のかなり年齢が下の友人たちは結婚しても子どもがいない(あるいは作らない)人がけっこういますね。あまり詳しく話したことはないのですが、子どもができないという人よりも、子どもを作りたくない、という人の方が少し多いように思います。
 そういう子どもの話になるとそういう方は、私とのその種の会話を避けています。私が子どもが実にいいものだという話を執拗にするからです。
 でも私は自分の初孫を見て、やはり自分の子どもを二人育ててきてよかったなと思いました。強烈に実感しました。
 長女おはぎは、子どもを4人産むと言っています。次女ブルータスも今年3月25日に結婚します。そうしたらまた4人産んでほしい。そうすると、私は孫が8人できるのです。
 それでこの8人の孫が一緒に集まってくれれば、これは実に愉しいし、私は幸せでいっぱいになります。

 きのう私の姪のみーねえの次男のれいちゃんが、私あてに年賀状をくれました。もう私は大変に嬉しいです。おはぎもブルータスもこれを見たらとても喜んでくれるでしょう。でももうあのれいちゃんにも、お兄ちゃんのゆうちゃんにも、言わないとなりません。

 もうおはぎおばちゃんは、ポコちゃんがいるから、キミたちの夏休みの工作の宿題を手伝えないよ
 だから、自分たちでちゃんとやりなさい。大丈夫かなあ。パソコンなら周ちゃんが手伝えるし、歌を唄うのならいつでも周ちゃんがやるよ。

 さて、目をあけたポコちゃんにきょうは会いに行きます。

続きを読む

吉本隆明が語る戦後55年〈10〉わが少年時代と「少年期」
 きょうも行きたいのですが、義母のお迎えもありますから、また明日にします。きのう写真を撮ってこなかったことを後悔しています。
 昨日は、午後1時前に行きまして、2時に帰りました。おはぎの前の職場の学校(文京区の林町小学校)の同僚が2時半に来るというので、私は、「こんなところにじじがいちゃ邪魔だろう」と思って帰ったのです。
 でもポコちゃんは、目を少し開けていました。それを私が最初に気がつきました。でも写真を撮らなかったことをとても悔やんでいます。
 ミルクをたくさん飲んで、それでウンチもいっぱいしていました。娘おはぎが懸命に面倒を見ていて、それは私にはとても嬉しいです。
 そして看護婦(助産婦さんかなあ?)が実にいろいろと教えてくれて、長女はそれに従っています。もう私はとても感心しています。

07010320 帰ってきて、妻にいっぱい話しましたが、妻は次女ブルータスが生まれるときは、我孫子の産院で、一人で寝ていて、私の母親がつきそってくれていたことを語りました。私はどうしていたんだっけ。弟の車で母と妻が一緒に産院に行きましたら、しばらくたって(もう翌朝早くでしたが)、母が「女の子だよ」と電話をくれました。下の子は予定日より、かなり早く生まれてきたのです。
 長女おはぎは、御茶ノ水の順天堂病院で生まれました。これは少し予定日より遅れました。でも私が行くと看護婦さんが、長女を抱き上げて見せてくれました。あのときの長女の顔はいまでもよく覚えています。
 次女ブルータスは、小さかったので、その子を連れて家(このときは我孫子の父母の家)に帰ったときに、玄関に出てきた姉のおはぎを見て妻は驚いたようです。生まれたばかりの小さい妹ブルータスに比べて、姉のおはぎはもう1歳になったばかりですが、実にコロコロと太って見えたそうです。ちょうど元気な男の子のようでした(誰もが、「男の子ですか」と間違えたものです)

 でもこの小さなブルータすがすぐに大変な子だということが判りました。誰もに噛みつくのです。一番犠牲になったのは、姉のおはぎです。
 でもそのブルータスが今では一番自分の甥であるポコちゃんを可愛がるおばちゃんになるでしょう。ブルータスが小さい赤ちゃんを可愛がるところは実にびっくりしてしまいます。
 またこうして、私の初孫をみんなで可愛がるんだろうなあ。

続きを読む

吉本隆明全詩集
 3、4日と来てくれたのに、きょうはこないのかなあ。一昨日3日にうちのママが、「パパうるさいよ」と怒ったから、じじ少し哀しそうだったものなあ。
 でもホントにじじの喋る声はうるさいんだよ。
続きを読む

追悼私記

 まだボクは目が見えないけれど、「あ、目を開けてる」って喜んでいたな。毎日何人もの人が来てくれて嬉しいです。でもまだ名前も何も覚えられません。でも周じじは2回目だから覚えたよ。
 ママが実に優しく見てくれています。ママのお父さんが周じじなんだってね。少し驚いた。王子はここから近いんだって。はやく行きたいな。
 あ、それでママの妹が来てくれるかな。優しいから好きなんだ。

続きを読む

吉本隆明入門 現代詩手帖臨時増刊「吉本隆明」III2003
 2007年1月3日午前8時11分生まれで、体重3,460g、身長52,5cmでした。 泣くと大変に元気なようでしたが、私がいたときは、そんなに泣きませんでした。
 名前は、光汰朗(こうたろう)といいます。田村光汰朗がフルネームです。
 もうこうして生まれてきまして、もう何人もの方が会いにきてくれて、また何人もの方に「おめでとう」のメールをいただいています。ありがとうございます。
 さて、最初のお宮参りは、王子神社ですね。そして私は神田明神にお礼の報告に行きます。きのう将門様にお願いして、本当に良かったです。

 写真は、私の初孫できょう朝生まれました光汰朗です。(でも15日に写真は削除しまして、吉本(吉本隆明)さんの著書を載せました)。

↑このページのトップヘ