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Tag:全共闘

12081815「周の掲示板」にnelu(かわふくG)さんの「犬(上)」がありました』に、nelu(かわふくG)さんからのコメントがありました。

1. Posted by nelu(かわふくG)   2012年08月17日 12:01
どこかで、昔の全共闘の集まりとかで、周さんが、詩吟を朗ずる?…… しようとしたら、取り押さえられて?やらしてもらえなかったと憤慨されておりましたが、……… ええっ、黒田寛一さんは、マルクス主義の土着化なんて言葉つかいますが、私は、全共闘2000年紀集会の余興の会では、詩吟やりました。
詩吟の歌は、本多さんの70年への道?とかで「革命は胸のすくような進撃と耐え難い閉塞との転移の過程であり、人間的能力を極限まで絞りだしてもなお困難なものがある…………

 いやいくらなんでもこんなに全共闘は質が悪くありません。詩吟だとしても、例えば、別府晋介『田原陣営作』(『周の漢詩入門「征韓論に関した詩』)の結句に「踏破朝鮮山又山」なんていう句があり、私ももちろん、私の詩吟の会の関係でも詠われませんし、例えば私の会(栖山流吟道会)でも、この詩のときは、宗家は必ず説明されます。「これは決して朝鮮韓国を見下しているわけではないのだ」ということを。ただし、今ではほぼ詩自体が詠われることはありませんね。
 まして、全共闘でも、人が詠うことを否定することはありません。ただ、私が詩吟をやるのを気にいらない人が電源を切ったのです。私は「誰が切ったんだ」とかなり怒りましたが、もう私は誰が切ったかは分かっています。
 ただ、その前何十年もその後何年も私が詩吟を詠うことは妨害されたことはありません。もし「詩を吟う」という表現行為を禁止しようというのはただのファシズムでしかありません。
 もう今では、どこでも詩吟は詠われます。人が何か表現行為をしようとするときに、禁止しようとするのは、ファシズムかスターリニズムだけです。
12081816 昔北浦和の東口の交番の前(いや少し交番の中にも入ったかもしれません)で詩吟をやろうとする私を、何人かの警官が止めようとしましたが、そこの一番の上司が止めることを制止して、みんなで聞いてくれたことがあります。もちろん、私は今はその警官の氏名は知っています。もう随分前に亡くなられていますが。

11040910 周の掲示板に、この書き込みがありました。

  私周こと萩原周ニは、いわゆる三派全学連、全共闘の世代で、文字通りその中で激しく生きてきました。三里塚闘争、王子野戦病院闘争にも参加し、東大安田講堂で1969年1月19日に逮捕起訴され、この年の8月20日に保釈出所しました。
 ただ翌月9月18日の芝浦工大殺人事件(殺人でもなんでもない、事故ですが)で、12月10日にまた逮捕され、翌1月何日かに起訴されました。
 私は昭和23年5月30日の生まれですから、文字通り団塊の世代(堺屋太一が団塊は名づけ親ということです)となりますが、ただ、思想的には、常に反帝反共を主張し、思想的には、北一輝の思想を受け継いでいるつもりでした。
 ただ、このことで、何度かテレビにも出たものですが、この世代は、長髪で昔はビートルズに憧れているのが大事なようで、私のように、坊主頭で詩吟を常にやっているというようなのはテレビ局のほうでも駄目なようです。仕方ないんですよね、私は毛唐の音楽なんか知らないのですよ。
 イターニンさんが、私を貶したいのか褒めたいのか、どうでもいいのか分かりませんが、人はいろいろです。私は逮捕されたときも、最初の弁護士の接見で、私の「天皇制を支持する」というようなことは、黙っているようにと言われたものです。もうどうでもいいことですがね。私は何といいましても、平将門を尊敬するのですから、そんなこと、わけが分からないよね。

 私は当然に共産主義・マルクス主義は嫌いでした。でも当然資本主義も嫌いでした。でももうすべてが遠くへ行きました。
 王子野戦病院闘争で、最初の集会場だった、王子柳田公園が綺麗になりました。私はいつもそこを通って昔を思い出しています。もう私の孫がそこで砂場遊びをしているのです。

10121408 あ、そうですね、この会は毎年やっています。でももうみんな歳をとりまして、ただのんびり飲むだけです。
 埼玉大学の関係の忘年会といいましても、昔の三派全学連時代の過激派、全共闘、埼玉大学むつめ祭の関係者です。あ、思想的には、私のような国粋主義者もいます。ですから、みんな多くの方は来なくてもいいです。来ても話が合わないよ。あ、インターネットとパソコンの話はおおいにしましょう。
 ただ、とにかく私をはじめとして、歳をとりました。ただひたすらに延々と飲んでいます。

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 imajouの独り言このUPがありました。

 神奈川県立学校の教職員135人が、入学式や卒業式で日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱する義務がないことの確認を県に求めた訴訟は、教職員側が全面敗訴(ココ)。当たり前だろう。

 私もこれは当たり前のことだと思います。何がどこが「不当判決」だというのでしょうか。

日の丸や君が代が日本の国旗・国歌として不適当と考えるなら、それを論議し変更するように働き掛けるべきで、それが実現するまでは日本の国旗・国歌として敬意を払うのが筋である。

 まったくその通りです。私は若き日には、三派全学連、全共闘の隊列にいました。でも常に日の丸を持っていたものでした。王子闘争、三里塚闘争でも、常に持っていました。ただし、掲げることはしませんでした。面倒なトラブルになるからです。
 君が代も常に歌いましたが、どうにも私はいつも孤立していたものでしたね。

 それにしても日の丸は美しい。昔、デザインを売って呉れと申し込んで来た国(確かフランス?)があったが、その気持ちは判る気がする。世界中で最も美しい国旗と思う。日の丸の太陽を月に変え、周囲を海の色とし、月の位置を少しずらして海に浮かぶ月としたのがパラオの国旗。パラオは日本に親近感を持ち、今も戦死した日本軍将兵の霊を弔って呉れている。

 このパラオの国旗を拝見しました。パラオの方々の気持が嬉しいです。そしていい国旗ですね。
 思えば、私なんか、過去の自分のことを正直に発言すると、それではマスコミも困るようです。あの頃の若者は、ビートルズが好きで、長髪で、でも闘争して、そののちは、いい会社へ就職して頑張って出世したけれど、今は定年でもう辞める時期のようだという経歴のようです。

 でもそんなのは嘘です。私は、ビートルズなんか知らず詩吟ばかりでした。頭はずっと坊主がりでした。闘争しましたから、普通の会社には就職できず、「定年」制度なんてない会社ばかりで働きました。

 私は教員になりたかったものでしたが、ずっと公民権停止で、受験資格すらありませんでした。選挙権もなかったよ。教員になった幸運な人が、「日の丸君が代訴訟」をやるなんて、少しも分からないことです。

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 昨日この新聞を手にして声をあげました。「早大全共闘から三派全学連へ」という活字の横に、大口さんの顔写真が載っていたからです。「しばらくお会いしていないなあ」ということを真っ先に思ったものでした。

新聞名 図書新聞第2911号
発行所 図書新聞
定 価 240円
発行日 2009年3月29日
読了日 2009年3月22日

 大口昭彦氏(元早大全共闘議長)に聞く 60年代・70年代を検証する
早大全共闘から
三派全学連へ
大口昭彦(聞き手・小嵐九八郎)

 これは実に長いインタビュー記事です。思えば、大口さんは、私よりも4歳年上なのですね。

▲大口昭彦(おおぐち・あきひこ)氏=1944年神戸市生まれ。63年、早稲田大学入学、ラグビー部、剣道部に所属、学生運動に参加。65年第一政経学部学友会委員長に当選、さらに全学共闘会議議長に就任。66年1月からの早大全学バリケードストライキを指導。二度にわたる逮捕、除籍処分を受けるが、早大生の圧倒的な支持が寄せられる。以後も早大を代表する学生運動のリーダーとして活躍。70年に京都大学に再入学。81年、弁護士となり、1047名鉄建公団訴訟など国鉄や全逓の労働者、三里塚農民、学生の運動を一貫して支援し、また靖國訴訟などに取り組んでいる。

09031813 全共闘運動が大きく開花した一九六八年に先立って、六六年に早稲田大学で第二学館の自主管理・運営権を求め、学費大幅値上げに反対する学生たちの全学ストライキが闘われた(第一次早大闘争)。早大史上初の全学バリケードストライキ突入、連日のような三〇〇〇〜八〇〇〇人の集会とデモ、機動隊の度重なる導入、一万五〇〇〇人が集まった総長団交、本部封鎖をめぐる体育会系との衝突、期末試験ボイコット、一挙二五〇人逮捕をはじめとするあいつぐ大量逮捕、機動隊常駐の戒厳体制下での入試、四年生の自主卒業式、全学部の再ストライキ突入、大浜総長辞任、除籍・停学の大量処分、そして各学部学生大会でのストライキ終結と、一五五日間にわたる波乱の展開であった。それは、六〇年安保闘争敗北後の学生運動、労働運動が再興していく大きなステップとなった。この闘いを担った早稲田大学全学共闘会議の議長であった大口昭彦氏にインタビューした。(編集部)

09031814 大口さんは、私には活字上の方でしかなかったのでしたが、初めてお会いしたのは、1972年に、私は埼玉大学の6年でしたが、7月14日のパリ祭の日に、京都駅前で、ダークスーツにサングラスで集まろうといういわば悪い冗談にのって、出かけました、この日は大阪の大昔の革共同の浜野さんという(昔参議院選挙に出ています。黒寛も、赤尾敏も出ていた選挙でした)御自宅へ行き(でもこの浜野さんからもずっと年賀状をいただいていましたね)、それから翌日また京都へ行きまして、平安神宮で、当時京大へ入学されていた、大口さと初めてお会いしました。
 平安神宮でお参りしたあと、飲み屋で数時間過ごしましたが、大口さんは正座を少しも崩さず、私のようなチンピラ活動家は、ただただ唖然としてしまったものでした。

 その後社会に出てからも、私には、一貫として尊敬いたします大先輩です。ただし、靖国神社の問題などでは、どうしても私は話が合いませんから、私が調子に乗ると、怒られてしまいます。大口さんは、今でも厳然とした左翼なんですね。

小嵐 剣道の方は、結局、今は何段なんですか。
大口 四段です。もっと稽古しなければいけないんだけど、心がけています。

 ずっと剣道一筋、左翼一筋の方ですね。

党派を超えて仲のよかった彦由常宏氏(故人、当時早大の中核派活動家)とか、生協のN氏とか、文連のS氏なども剣道をやってました。

09031815 この彦由さんにも、私は可愛がってもらいました。私が赤坂の広告制作会社にいたときに、彦由さんにも会社に来てもらったことがありました。

小嵐 当時、早稲田で学生運動に参加していくのはどういう形態だったんですか。
大口 それは、革マル派との関係が問題でしたが、大衆運動としては、社会主義青年同盟・解放派と社会主義学生同盟(ブント)とマルクス主義学生同盟・中核派によるいわゆる「三派連合」ですよ。とくに、六〇年安保闘争敗北後の分裂状況の中で日韓会談反対闘争をきっちりやっていたのは三派連合だったんです。それに構造改革派が参加してきてました。

 思えば、私の年代の懐かしい思い出に繋がっていく時代の動きでしたね。もう私の中でも、もはや思い出でしかなくなってしまいましたが。

小嵐 早大闘争の中で印象に残ったことは何ですか。ここに大口さんのストライキ突入宣言があるんですが、「本日、結集された全学生諸君! この記念すべき日を迎えたことを喜びたいと思う。早稲田の全学部が圧倒的な力の結集をもって、ストライキに突入することを確認しようではないか。僕たちは、学費値上げ粉砕、学生会館の管理運営権の獲得の要求をまさにわれわれの、その結集した力として断固かちとっていかなければならないのだ。そしてそのために本日、結集されたことを喜びとして迎える。」とね。解放感が湧き出ていますよね。

 思い出しても、やはり三派というのは(実際には三つの派ではなく、もっといたわけですが)、魅力あったと思いますね。王子闘争、三里塚闘争というのは、実際に参加してみて、実に魅力があったかと思っています。

大口 三派全学連といわれますけど、三派の力が拮抗していて、かなり強かったからそういうんで、実際にはいろんな党派、グループが総結集する求心力があったということですよ。反革マル、反民青ということが、逆に排除ではなくて、吸引するものだったという情勢だったですよね。いろんな人がいてもいいという運動ですよ、三派の運動は。
小嵐 そうですね。そういう三派が基礎になって、基盤をつくって、その上に六八年からの全共闘運動が起こっていくわけですから、大きな意味がありましたね。
大口 一政だけじゃなくて、当時の活動家や意識的な学生は党派的にある程度系列化はされているけど、全体として三派支持だったんですね。三派が分裂するんじゃなくて共闘することを望んでいたということでしょうね。

 もう今では、ただただ思い出だけですが、でもこれからも思い出していくことでしょう。

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二・二六事件とは何だったのか―同時代の視点と現代からの視点
 もう70年以上も前のことになるわけですが、この2・26事件のことは私もたびたび思い浮かべています。そして今までもかなりの本を読んできたものでした。この本も昨日電車の中で読み出して、まだすべてを読み終わっていませんが、本の題名だけでも書き記しておきたい気持になりました。

書 名 二・二六事件とは何だったのか
    ───同時代の視点と現代からの視点
著 者 伊藤隆ほか
    藤原書店編集部
発行所 藤原書店
定 価 3,000円+税
発行日 2007年1月30日初版第1刷発行

 私には、最後の「反乱する心情」という渡辺京二さんの書かれたところが一番気になりましたところです。

 反乱将校は出世と保身に汲々たる将校の実態に激しく反発した。現実と特権に吐気を催した。四十年前にわれわれはおなじ現象を観ている。大学紛争時の全共闘派学生の気分はいちじるしく二・二六反乱者のそれに似ていた。歴史は周期的に青春の叛逆を繰り返すのだろうか。その繰り返しに何をわれわれは期待できるのだろうか。青年たちが求めた民主も平等もいまは空しい。それは必要なものであるが、実現したからといってどうなるものでもないとわれわれは知っている。だが彼等の非功利的にわが身をなげうつ衝動は永遠に私たちに問いかけてもいる、懐疑的現実主義のかしこさの中にたしかな生はあるのかと。

 私は前にも、この渡辺京二さんの本を読んでいる。それに関する私の感想の記録が、この私のホームページ内にあると思い込んでいたが、ないようである。そしてその本自体も我孫子の自宅のどこかで梱包されてしまっています。
 でもこうして上に引用した内容の言葉は、私の胸を打ちます。私たちの時代で一緒に闘っていた仲間にも、今は現実の中で、もはや変わりすぎてしまっている姿を私も目にしています。いやそれは私自身の姿でもあります。

 あと少しで読み終わります。

 周の雑読備忘録「伊藤隆『二・二六事件とは何だったのか』」 の2 へ

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 私は昭和23年生まれで、大学に入学したのは昭和42年(1967)のことです。ちょうど私は「団塊の世代」と言われる年齢であり、大学では三派全学連、全共闘の時代でした。そして私もその真っただ中で激しく活動していました。ただ、私は学生運動だけではなく、サークル活動も、学園祭も、恋愛も、アルバイトも、何もかも激しく動き回ったつもりであります。
 そんな私の学生時代とその時代の仲間たちのことを書いておこうと思っておりますページがここです。
 まだたいしてUPはしておりませんが、そのうち当時のビラや写真が発見できると思いますから、たくさんいろいろと書いていきたいと考えております。
 書きました日時の順で並んでいます。 (2004.03.11)

   http://shomon.net/garakuta/gaku.htm  周の学生時代

 思えば、学生時代のたくさんの記録もあるのですが、なんだか私のホームページ上に書いておくのも羞しい気持にもなってしまいます。思えば、ただただ若いだけでしたからね。
 今は少し思い出して、「これは書いておこう」というものは書いていこうとだけ思っています。青春はやはり、いくつも懐かしいが羞しい思いがこみ上げてくることばかりです。

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戦国合戦の虚実―日曜歴史家への誘い

 

 


書 名 戦国合戦の虚実
著 者 鈴木真哉
発行所 講談社
定 価 1,500円+税
発行日 1998年11月15日第1刷発行
読了日 2007年2月3日

 私は、この著者の本をいくつか読んできた思いがあります。いつも興味深く、かつ面白く読んできました。かつ、この本で書かれていることも、他の本でも読んできていました。キヨスクで置かれている本で読んだかなあ?という思いでした。
 間違いなく、今後も読んでいきます。「虚実」なあ、だからそうすると私たちの時代、三派全学連、全共闘の時代も、その「虚実」を書いていくべきだよなあ。

詩人・評論家・作家のための言語論

 私の 吉本隆明鈔集「外国から靖国神社へ行くのは外交の妨げですなんていわれたら、冗談はよせやいと一言のもとにいうところです」目森一喜 さんが次のコメントをくれました。

1. Posted by 目森一喜    2007年01月08日 07:00
 小泉が靖国参拝をする事を非難する人達は、「政府の命令と主導で大勢引き連れていく」のと同じ質の事を反対側からやっているだけですね。自由とは何なのかをちゃんと考えた事のない人たちです。

 ありがとうございます。まったくこの通りです。もう私は「ひでえもんだね」としか思わないのです。
 あのですね。私は昔の三派全学連や全共闘の人たち(私ももちろん、その中で激しく活動していた)が、「え、その主張では単に反米というだけじゃないの?」ということで、「それでは安保全学連のときから、私たちは反米なんていう日共とは違うのだが、今のあなたの言うことでは『反米』じゃないの?」というと、ずっと私はしつこく言っていくと、「そういうことでもいいよ」なんていうことになります。
 もうふざけるな。それじゃ、私たちのたくさんの先輩たち左翼の活動家は何のために闘ったのよ。ただただ嫌になります。

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 Web東奥このニュース がありました。

 二〇〇七年から大量に定年退職を迎える「団塊の世代」の県内移住・定住策を検討している県は二十七日、首都圏など県外に住む本県出身者の約一割が本県に移住した場合、経済波及効果は約二千三百億円に上る−との試算を公表した。

 今夏、県が行った団塊世代への意識調査では、首都圏在住の本県出身者のうち9.4%が定年後の本県移住を、23.4%が首都圏と本県の二地域居住を希望した。

 試算ではこの調査結果を基に、本県出身で県外在住の団塊世代(推計四万二千六百人)のうち四千人が配偶者とともに本県移住し、八十五歳まで二十六年間生活すると仮定。産業連関表を用いた消費支出による経済波及効果は二千六百六十八億円で、移住者増に伴う県や市町村の医療費、介護保険給付費負担額(計三百十三億円)を差し引いても、二千三百五十五億円のプラス効果がある−とした。年平均では経済波及効果百三億円、医療・介護の公費負担十二億円で、トータルでは九十一億円の効果がある。

 また、団塊世代一万人が配偶者とともに三カ月本県に居住した場合は、年間五十六億−七十九億円の経済波及効果を見込んでいる。

 二十七日に開いた県の庁内推進会議では、意向調査や経済波及効果の試算結果などを踏まえ、本県を「知ってもらう」「体験してもらう」「滞在してもらう」「暮らしてもらう」−の四段階で事業を展開していく戦略を決定。検討結果は十月中に報告書としてまとめ、〇七年度から具体的・総合的な施策を進める。(2006.09.27)

 こういうふうに数字まであげているのは、始めて読みました。私たち団塊の世代とかいうものたちが期待されるわけですね。
 そもそも、団塊の世代って、どこまでを言うのかな。堺屋太一さんが命名したわけですが、昭和22年生まれから24年生まれまでをいうのかな。私は狭くは昭和22年から25年生まれまでではにかなと思っています。だって、25年の早生まれは、私たちより1年下だから、中学・高校でも、大学でも、私のような23年生まれより1年だけ下だったのです。そして25年の早生まれはけっこういるのよね。
 でも私は団塊の世代というのは。昭和21年から昭和28年までを含めているかと思っています。ここにいる年代の友人たちと、その前の世代や、その後の世代とはかなり大きく違うものを感じているからです。
 でも私は NHK:定年帰農を考えるサラリーマンは現実を分かっていない! にも書きました。

 それで、ずっと同じ学生運動の仲間とはつき合いが続いていますが、私はこのような「究極の理想は帰農であり、田舎にいって有機農業にいそしむこと」なんてことは、少しも思っていません。もうこういう連中(昔は三派や全共闘の活動家で、今はただのおっさんでそういうことを言っている連中)は馬鹿で阿呆じゃないのか。

 申し訳ありません。「馬鹿で阿呆」と書いたのは撤回します。いくらなんでも、彼らは私の友人たちです。友人をそんなふうに言ってはいけないことですね。
 でもでも、私は嫌なのよ。田舎とか田園が豊かだとかいう地方へ行きまして、そこで車だけに頼る生活をする人たちが可哀想でなりません。車だと、絶対に酒は飲めない生活になるよ。酒飲んで、「あ、きょうは2軒目は、あそこへ行こう」とふらふらいきたいじゃないの。

 さっき私は、実に気に入りました、王子駅のすぐそばの「藤や酒店」で、店主の方の勧めるお酒を購入してきました。彼とのわずかな会話が私には、とても貴重なのです。そして店頭で試飲させてくれたお酒がこれまた実に良かった。田舎での車生活じゃ、そんなこともできないじゃないの。

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 私の ボイス将門第10回放送「ボイスレコーダーを使いまして」(2006.05.05)に次のコメントをいただいていました。

1. Posted by 伊藤 幸雄    2006年09月25日 21:47
 パソコンで詩吟を聴くとは思いも考えなかったです。私は1938年生まれです。
30年前に習い始めに歌った頃を懐かしく思い出しました。有り難う。
また聞かせてください。

 私の 周の掲示板にも次の書込みをいただきました。

詩吟について  投稿者:伊藤 幸雄  投稿日: 9月25日(月)22時04分35秒    引用 
周さんの詩吟素晴らしかった。又 聞かせて下さい。

 伊藤さん、ありがとうございます。このところ ボイス将門 もずっとお休みしています。いえ、実はつい先日も外出先で、喋ってみたのですが、外で、人前だと、どうしてもうまく録音ができません。人前で喋るのは大変なのです。
 それでまず喋れないと、まして詩吟をやるわけにもいきません。詩吟は酒飲んで、いきなりやるくらいですね。しかも親しい飲み屋で、そして周りのお客さんも、少しでも顔見知りだと、1、2曲なら構わないのですが、大勢の方のいる居酒屋なんかだと、大変なんですよ。
 まず、周囲にいる方全員の了解をとります。そして次に店に了解をとります。そのとき、「他のお客さんの迷惑ですから」なんて店側に言われますと、「いやもうみなさんに了解を得ました」ということで、詩吟をやりだします。
 でもやはり、「七言絶句」までなのですね。それに、私の娘なんかいましたら、絶対にやらせてもらえません。

 でも私は、長女の結婚式でも詩吟をやりましたし、次女のときも予定しています。次女は、「もう絶対にやらせない」と言っていますが、でもなんとしてもやりますよ。娘の嫁入りを祝う中国の古い詩をやります。

 私はちょうど三派全学連と全共闘の時代でしたから、私も積極的に前面で闘いましたが(でも私はマルクス主義者ではありませんでしたが)、そのときも集会で詩吟をやりましたよ。みなわけが判らなかったようでした。いえ、詩の内容が判らないというよりも、「何でこんなところで詩吟が詠われるのだ」と不思儀だったようです。

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 余丁町散人の隠居小屋この記事 がありました。

可哀想だが、まさにアホ丸出し。農村への思いこみと憧れを持つ「環境指向」のインテリ都市住民は、まさに彼ら農村利権集団の絶好の餌食となる。

やっていたのは、東北かどこかの田舎に50aの農地の購入に、大枚5000万円を地元の農村利権団体にむしり取られた定年熟年夫妻の悲哀ストーリー。50アールじゃ、食えないだろう。欧州(遅れていると言われるポーランド)の農村のお父さんは、ひとりで360ヘクタールを耕す(ここ)。一ヘクタールは100アール。だからこの定年退職夫妻は、欧州の標準的農家の720分の一の小さな農地に、自分の虎の子の5000万円を投資したことになる。まさにアホそのもので、気の毒だが、何故このような詐欺的農地販売行為が成り立っているのかを考えるべきだ。

まずは、都会もんからは思いっきり、ぶんだけるだけぶんだくれという農民精神。いやはや、あっぱれ。(2006.09.18)

 これは実にいい記事でした。本当に私たちの世代の中に、こうして実際に定年後(つまり58〜60歳くらいに)、「帰農」とか「田舎に帰ろう」とかいう運動があるのですよ。まあ、「田舎」というのはまずいのか、「故郷へと帰ろう」とか「故郷回帰運動」とか言っていますね。私は言いにくいのですが、そういうことを言っているのは、三派全学連や全共闘をやっていた人が多いです。もう嫌ですね。私はそんなのとは絶対に同意しません。
 むしろ私は都会に回帰したいという思いですね。

NHKは、都市住民が払う視聴料で成り立っているくせに、払う視聴料がごく少ない彼ら百姓勢力の宣伝塔と化している。公共放送NHKは、いったい誰の見方か? NHKは政治的にバイアスが掛かった放送局といわれる所以である。もっとも、アホな民放も例外ではない。資金力が豊富な農協関係団体の影響で民放も「オイシ?!」連呼の田舎礼讃番組ばっかり(貧乏な東京12chなんかすぐにあいつらに買収される)。

 私はよくテレビを見ていますが(というよりも、ただ耳で聞いていることが多いな。私はほぼブログ等々を書いていまして、となりでテレビが映っています)、こういう番組はあると別なところに替えてしまうから、あんまり判らないですね。でもこうだとしたら、NHKもその他のテレビ局も嫌だなあ。

 それとですね、一番この中で気になりましたのが、塩津計さんが書かれたこのブログへの次のコメントです。

小阪というアホ左翼が「思想としての全共闘世代」に馬鹿なことを書いている。反体制・反資本主義・反権力を志向する全共闘世代の究極の理想は帰農であり、田舎にいって有機農業にいそしむことなんだそうだ。こういう全共闘世代は20代も何も考えず馬鹿やってだだこねたが日本の政治には何の影響ものこさず害だけなしたが、それから40年たって定年を迎えても、やっぱり馬鹿でヒャクショウに自ら喜んでむしられにいく馬鹿だった。こういうオツムのなかでのみとらえた勝手な権力=都会の大企業、民衆=弱者=ヒャクショウという構図にしがみ付くアホの全共闘世代は丸ごと帰農してもらって滅んで欲しいもんですな。

 私は昭和23年生まれで、大学は1967年入学で、ちょうど三派全学連の時代で、2年生になったときにいわゆる全共闘運動の真っ盛りでした。それで東大闘争の安田講堂で逮捕起訴され、220日後保釈になりましたが、また芝浦工大事件で、逮捕起訴されました。
 それで、ずっと同じ学生運動の仲間とはつき合いが続いていますが、私はこのような「究極の理想は帰農であり、田舎にいって有機農業にいそしむこと」なんてことは、少しも思っていません。もうこういう連中(昔は三派や全共闘の活動家で、今はただのおっさんでそういうことを言っている連中)は馬鹿で阿呆じゃないのか。

 小阪さんは、今度道端で会ったら(彼は予備校の講師しているから、ときどき御茶ノ水の道端で偶然に会うのね。でももう会うこともないかな)、このことを指摘しますよ。でももう判んないのかな。でも彼自身が帰農なんかしないでしょう。でも彼のこの本は買う気もしないけれど、この馬鹿な部分くらい立ち読みしてみようかな。
「アホの全共闘世代は丸ごと帰農してもらって滅んで欲しい」と言われても、私も阿呆な全共闘世代ですが、絶対に帰農なんかしたくないよ。田舎なんか、嫌いです。私は酒飲みなので、車は運転しない(できない)から、車がないと生活できない田舎なんか絶対に嫌です。

 私はもうずっと都会に住んで、孫の手をひいて、あちこち歩いて、それから飲み屋で騒いでいきます。(以上9/23)

    以上書いた内容で、私のまったくの誤解がありました。それで小阪修平さんに申し訳ないことをしました。そのことを、以下に書いておきました。(10/07)

   周の雑読備忘録「小阪修平『思想としての全共闘世代』」

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