将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:全共闘世代

11060904 先週話した中で、けっこう注目を集めたことをいいましょう。ただし、これはまた別に深く書くつもりではいます。

 私はいわゆる世代論というのがあまり好きになれません。その相手を判断するのにその世代一般に語られるイメージで判断してしまう方法です。私たちの世代は、「全共闘世代」とか「団塊の世代」と言って、ひとくくりに見て判断されることが多々あります。「全共闘世代は好きになれない」というような言を私たちの下の世代からよく聞きます。全共闘世代というのは、

  とにかく数が多くて、大変な競争社会を生きてきて、ビートル
  ズに憧れ、長髪で、大学では全共闘として暴れたが、社会ヘ出る
  と、いい会社へ入って、バブルの時代を作ってきた。「俺たちは
  社会に対して闘ったのに、若いお前等は何もやらない」と言って、
  飲み屋で説教ばかりしている。

というようなイメージなようです。私はいつも、「何を決めつけているんだ」という思いで、

  俺なんか、数が多かったのはその通りだけれど、ビートルズな
  んか少しも好きじゃないし、高校も大学時代もずっと坊主頭だっ
  たし、歌は詩吟と軍歌ばかり唄っていた。全学連も全共闘も面白
  いからいっぱいやったけれど、いい会社へ入れなかった(成績よ
  くなかったし)ので悲惨なところばかりで生きてきた。飲み屋で
 若者を説教することなんか、その相手がいない小さい会社ばかり
 だからできないよ。俺たちも若いとき、好き勝手に生きたのだか
 ら、今の若い人も好きにやればいいんじゃないの。

とくらいしか言うことがないです。私は、相手を見るときに、その相手のさまざまところすべてを見て、かつ相手と話してみて、ようやく相手の少しだけが判るものかな、なんて思っています。

 ところがこういう考えの私なんですが、相手を、その世代からくらいしか考えるしかないときがたびたびあります。
 それは、誰かの紹介で、コンサルティングをするときです。紹介してくれる人が、「とにかく会って相談にのってあげてよ」というだけで、一切その会社の情況が判らないことがあります。本人にまず電話をすればいいのですが、さらに、本人は何も知らず、その奥さんや家族からの相談ということもあります。私は「せめて会社名くらい教えてよ」といい、それで仕方ないから、帝国データバンクの情報くらいは仕入れることがあります。でも、これが実に当てにならないのです。そこにある情報では、優良会社になっていて、普通なら、「これなら別に相談することもないな。別に会社は困っていないじゃないか」と思える感じなしかないのです。
 さて、そこであと私が考えるのが、世代論なのです。その問題の社長がいつ生まれたのか、そうするとその親の世代はいつなのか、ということのみで、私は最初のコンサルを展開するしかないときがあるのです。
 これはその相手の社長のみならず、「この頃雇っているアルバイトの質がよくない、どう指導したらいいのか」というような問いのときにも、必ず詳しく情況を聞くわけですが、もうなんの情報が私にもたらされていない場合にも、私は、なんらかのことを喋らないとならないのです。そんなときに、その会社
の業種、その会社の存在する地域なども大事な要素ですが、そのアルバイトさんたちの世代を聞くことも、なんらかの大きなヒントを与えてくれるものなのです。
 このことは、実に面白い話でもあります。それで、先週おおいに聞いてくれた方々がいるわけなのです。
 ちょっとここでは、書ききることができませんので、またこのメルマガで書いてみます。

92-10-11 08:01:57 TR通信・21
TR通信・21  シンナーについての投稿
 日本でマリファナなどを広めたのは、全共闘世代の中のくずだ。ヒッピーと言われていた連中が、薬物をやれば開放的だと吹聴し、格好のよい事であるかのようにふるまった。大学のバリストの中でそういうものをやっていた馬鹿もいる。そういうくずの存在を許した全共闘など泡沫となって消えて当然だったのだ。

11030810 私は三派とか全共闘を悪くいわれると、いつも怒っていました。ゴールデン街でよくそんな人がいると、すぐ手を出していた。不思議なことにあのマイナーな飲み屋街では、先に殴った私は悪くなく、全共闘の悪口言った方が悪いのだという雰囲気だった。考えてみれば、ひどい話ですね。
 しかし、今はもうもっとまともに考えることができる。このゴトさんのいうのは、私はくやしいけど事実です。私たちの負の部分であり、影であり、黙って済ましたいところです。でももう隠すべきではないでしょう。三派全共闘なんてそんなチンケな存在だったのです。
 私は昔から、煙草もかけ事(ひどいことにトランプも好きでありません。子どもに誘われても、「パパは賭事嫌いなんだ」といって、「トランプは賭事じぁないよ」と怒られます)もやらないので、この薬物もまったく手にしたこともありません。でもそれらに染まる友人たちを止めることもしなかった。私みたいな側がいいだすと、それこそボルシェビキの倫理性みたいな感じで、嫌なものにみられるという思いがあった。倫理的な左翼なんて、唾棄すべきだと思っていた。「俺はやらないけど、彼がやることは、それはそれで自由だ」との思いがあった。こんな私の態度は左翼の腐敗ですね。まあ左翼だろうが保守だろうが、政治に手を染めると腐敗するものなのかもしれない。
 いま子どもたちがシンナー、覚醒剤、麻薬に犯されていくのは絶対に阻止しなければならないと思います。

 世界中で、麻薬、恋愛、家族が一番の問題となっている。10代の子供たちは、確実にこの問題に巻き込まれて行く。現在の世界の必然がそこにあるからだ。おそらく、それが現在の文明にとって一番の問題なのだ。

 緑の問題、環境破壊の問題などというよりも、この問題が一番の問題だと思います。今後もっと大きな問題になっていくでしょう。そして解決不可能なことなのかなと絶望する思いもあります。でも何かやって行きたい、なんとかしていきたいと思うのです。

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 asahi.comで、このニュースを見つけて大変に驚いているところです。え、最後に会ったのはいつのことだったでしょう。

 小阪 修平さん(こさか・しゅうへい=評論家)が10日、心室細動で死去、60歳。葬儀は親族のみで行い、後日、お別れの会を開く。喪主は妻文子(ふみこ)さん。

 「思想としての全共闘世代」「非在の海――三島由紀夫と戦後社会のニヒリズム」などの著作や評論活動のほか、「イラスト西洋哲学史」など哲学、現代思想の入門書で知られた。 (評論家の小阪修平さん死去 2007年08月11日06時10分)

 彼は、私の御茶ノ水の事務所のあったそぐそばの駿台予備校で、論文を教えていました。ときどき道で出会うことがあって、挨拶していました。
 何年か前に、私の事務所に誘ってそこでお話しました。パソコンで、いくつかインターネット上の部屋を開いて話したものでした。彼は、パソコンで文章を書いていくのは(もちろん、彼もそうしているわけですが)、「どんどん言葉が開いてしまうから、困ることがある」というようなことを言われていたものでした。

 彼と始めて会ったのはいつのことだったかなあ。たしか1970年じゃなかったかなあ。1969年9月19日の芝浦工大事件のあと、私はこの事件の当事者でしたから、彼がある事務所にいてくれて、電話の番をしていてくれまして、私たちはいつもそこに電話して、彼の伝えてくれるニュースを聞いていました。それで、きょうの埼玉県警の動き等を聞いていたものです。
 でも同じ69年12月10日に逮捕され、翌年早々に起訴され、でも長期勾留を覚悟していましたら、70年3月に保釈になりました。
 たしかこの70年の秋ごろ彼と会ったんじゃないかなあ。大森で会ったような気がしますね。

 彼の出版された本は、ほとんど読んできたかと思っています。

 そううちに彼と会って、ゆっくり話すことができるだろうと思っていましたが、それも叶わないこととなりました。なんで、こんなに急ぐんだろうかなあ、という思いがしました。そうか私は現在59歳ですから、一つ違いだったんだなあ。

 合掌します。ゆっくりと休んでください。さようなら。

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