将門Web

周が日々仕事であちこち歩いたり、友人や家族と話した中で感じたことを発信しています。

Tag:公民権停止

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 私は埼玉大学の教育学部出身です(入学は1967年、卒業は1973年です)。中学課程の社会科専攻で、専門は東洋史でした。もともとは、将来は教員になろうかなと考えていたわけですが、私の時代は、実に学生運動の盛んなにときでした。そうした中で、そういう道は歩かず(実際に公民権停止が続きましたから、事実上無理な話でした。)今の姿になったわけです。この私の大学卒業後の職歴に関しては、

   http://shomon.net/work/shoku.htm  周の職歴

書いてあります。
 ただ、教員にはなりませんでしたが、この「教育」ということに関して、ずっと関心を抱いてきました。私が加わりました東大闘争その他で、「教育とは何か?」という問いがあったときに、私は「教員にならなくとも、教育には誰でも携わっていけるし、そうしていくべきだ」と思っていたものです。
 また私には二人の娘がいますが、この二人の「教育」ということでもいろいろなことを考えてきたものです。そして長女は東京都の小学校の美術の教員になりました。次女は、千葉県の小学校の教員になりました。今でもよく「教育」についてのことを娘二人とよく話しています。二人の職場にもよく行っています。
 この私がこの「教育」についてさまざまに展開していこうと考えていますのがこのページです。               (2005.10.24)

   http://shomon.net/kyoiku/  周の教育の森

 私の長女の夫のみつ君も埼玉県の教員です。そして今年の3月25日に結婚する次女ブルータスの彼も千葉県の教員です。だからこの4人が集まるといつも自分たちの生徒たちの話になります。このときにそばにいる私も実に真剣にその話をきいています。
 いつも思うのが、今の生徒たちのご両親の教育に対する関心の高さです。これは私にはとても素晴らしいことに思えます。
 それともう一つは、もうどこの地域でも、日本人でない子どもたちがクラスに入ってきていることでしょうか。このこと事態はいいことだと思うのですが、でも教育の現場ではかなり大変な時代になっているのですね。
 でもつねに私も関心をもって、この教育について考えていく姿勢は失わないつもりです。
 私の生まれたばかりの初孫も、すぐに保育園に通うようになるでしょう。そうするとまた、すぐに教育の現場と触れ合うようになるのですね。私は積極的に関わってまいります。

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 私の 東京南部小包集中局旅人moo00の冒険人生 さんから次のコメントがありました。

1. Posted by moo00    2006年08月07日 01:45
 周さん、色々なお話、ありがとうございます。

 なんとなく私の入局当時を思い出していました。 土地バブル期です。
 当時は主に、社会党系の全逓と、民社党系の全郵政の二つの労組がありました。
 どちらも御用組合で、既に腐っていたと思います。
 新入職員にはオルグが待っていました。
 採用通知を届けた職員が組合に情報を漏らし、家を訪問するなど、個人情報の取り扱いなど実にひどいものでした。
 入局してもオルグは続き、帰りには待ち伏せされたり尾行されたり、最後には「入らないと仕事を教えない」ということまで執行委員が堂々と言ってた有り様です。
 組合ベッタリの人間ほどひどいイジメをしていました。
 20歳前後の新入職員にです。
 私の左翼不信、組織不信はこの辺りから始まっているようです。
 役人時代はあまりいい思い出はないですね。

 お酒はぜひいつか飲みましょう。色々とお話をうかがいたいですよ。

 ええとね、私が思うのですが、全逓等々は私たちには、既成労組でしかないから、別に私はもともとそんなところを全然信用していませんよ。そもそも私は公民権停止が長く続きましたから、選挙権すらないし、就職も、そうしたところへは全然関係(公務員には全然なれない)なかったよ。就職といってもね、まったく普通の会社とは関係なかったですよ。でも私はそうした事態にも、別に就職差別だ云々なんて気持は少しもなかったです。
 まあね、あちこち就職するときに、ほんのときどき、「あなたはこれだけの経歴があるのだから、無理だよ」と教えてくれる会社がありましたが、私は「あ、そうか」なんて気がついて、でも次の瞬間には忘れていました。
 それから、「採用通知を届けた職員が組合に情報を漏らし、家を訪問するなど、個人情報の取り扱いなど実にひどいものでした」やその他書かれていることは、まさしく既成の労組や規制の党派であって、いわゆる本来の左翼とは無縁のものだと思いますよ。

 私の知っております、先輩の唐牛健太郎と島成郎も、私たちの時代の大口昭彦も、そういうものとはまったく無縁の人たちです。無縁というよりも、そういう傾向と闘ってきた人たちだと思いますよ。

 まあ、私もある会社で労働運動はやったことがあります。実はその思い出をすべて書いておこうという気持はあるのですが、まだできていません。一部その最初のアジビラだけ、書いてあります。

   私の労働運動における最初のアジビラ

 この労働運動は、実に面白かったですよ。組合もなにもない会社でしたが、私のこのアジビラを出したときから、みるみるうちに闘いを組織し、組合を結成して、すぐさま時限スト、無期限ストを貫徹し、そのときの要求をすべて会社にのませました。なにしろ、私はこのスト決議のときにいつも私が一票で負けていました。いつも私は過激なスト提案だったのね(しかもいつも孤立していた)。
 そしてね、私たちが一番熱心に仕事をやる人間たちだったから、ストというと、本当に仕事がストップしちゃうのよ。でも一番の過激派である私の本心は、私たち労組がストをやっても、会社側は見事に仕事が貫徹してくれることでした。だからなんとか、仕事もやれるようにと気をくばりましたが、でももう一人の私は過激な奴で、絶対にぶっ壊しにくるから、私は、そのスト貫徹過激派の私と、仕事を貫徹したい強力な私の間で、とても困ったものですよ。

 だから、実に面白いことがあったものです。私たち組合は、2度のストに勝利したあと、何故か突如みんなで、伊豆の温泉に行ったのです。もう会社側も、組合の頭の堅い連中もわけがわからなかったでようね。
 でもあの温泉でも面白かったな。会社側の意向で、さぐりに来ていた奴ももうわけが判らなかったでしょうね。全然団結するどころか、ただただ酒を飲んで孤立しているのが、私と私がつれていきました仲間だったのですから(仲間というのは、私の埼大出身の活動家仲間)。

 でも moo00さん、ぜひ飲もうね。あのね、私たちの仲間は、いわゆる他の左翼の連中とは違うよ。違うというか、もっと馬鹿だしね。私なんかすぐ詩吟を詠いますから、ちょっとどころか、まったくわけが判らないという感じでしょうね。

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